【写真】透析治療を受けながら笑顔でこちらをみるいけまさん

こんにちは。一般社団法人旅行透析代表理事の池間真吾と申します。

旅行透析は、旅行先や出張先で人工透析を利用できる病院のデータベースを保有し、患者の出張や旅行のサポートを行っています。長時間や夜間に透析を実施しているなど日本全国約4300カ所の病院の細かい情報を持ち、社員全員が透析患者なのも特徴だと思います。

こうした事業を始めたきっかけは、私自身が2009年に透析患者になったことでした。機能が低下してしまった腎臓(腎不全)の代わりに、老廃物や余分な水分を人工的に取り除く治療である透析を今は週3~4回、1回7時間、週計21~26時間をしています。しかし、始めたころは出張先で人工透析ができる病院がなかなか見つからず、苦労したことを覚えています。

当事者が正しい知識を取り入れ、仕事や旅行を楽しむことを諦めなくても良い世の中にしたい――。そんな思いから、2012年に立ち上げた旅行透析。今回は、事業を立ち上げるまでの過程とともに、そこに込める私の思いや今後の展開などを紹介します。

夜討ち朝駆けの生活を続けた放送局での記者時代

透析は簡単にいうと機能が低下してしまった腎臓(腎不全)の代わりに、老廃物や余分な水分を人工的に取り除く治療のことをさします。日本透析学会が公開している「わが国の慢性透析療法の現況(2018年12月31日現在)」によると、国内における慢性透析患者は33万9841人です。

私に腎臓病の兆しが出たのは、民間放送局で警察担当事件記者をしていたころでした。当時は30歳。夜討ち朝駆けの生活を続け、県警の記者クラブの仮眠ベットで毎晩眠りほぼ家にも帰らないという、今思い返すと無茶苦茶な生活をしていました。

会社の健康診断でも当時から尿蛋白と高血圧を指摘され、お医者さんにも「このまま放置をしていると、60歳には透析が必要になる」と言われていたのです。しかし、いまいちピンとこなく、再検査も受けていませんでした。

やがて激務のストレスからかお酒に依存し暴飲暴食。重度の不眠症とうつ病も発症。入退院を繰り返します。34歳で放送局を退職しました。

退職後は、好きだった旅に関わる仕事をしようと思い、沖縄県那覇市へ移住し民宿2軒とレストラン1軒を開業します。事業は順調に拡大したのですが、自営業になってから健康診断も受けなくなり、腎臓病治療や降圧剤服薬を放置してしまう状況が続きました。

体が怠くて歩いていてもすぐに疲れる、夜中に足がつる、尿が泡立つなどの症状はあったものの、強い痛みもなく、腎臓が悪くなったことによるものだと思えませんでした。

自営業5年目のある日、不眠症が続いていたこともあり、睡眠導入剤の治験を受けようと血液検査を受けます。そこで事態の深刻さを自覚しました。腎機能に異常が起きていないかの指標となる「クレアチニン」の数値が8(mg/dl)を超えていたんです。男性の正常値は1.2以下。すぐにでも人工透析が必要なことが分かりました。

自分の状態を受け入れられず、透析を拒否していた時期もあった

当時の私は透析に関する情報が何もなく、これまでと同じように仕事ができなくなる怖さから、なかなか透析導入に踏み切れませんでした。

「腎不全は不治の病で一生透析し続ける生活になる」と聞かされても信じられず、食事療法で透析導入を拒否し続けながら腎臓内科に週2回通う生活。体の調子が良くなることもなく、約半年で「お腹が空いているのに吐く」「歩道橋を渡るのにも30分かかる」という状況にまでなりました。クレアチニンの数値は20を超え、ついに医師からはこう言われます。

このまま放置していると、命の保証はできない。

避け続けた透析導入を泣く泣くいやいや決めた瞬間でした。

ベットに週3回長時間拘束される不便な生活を一生するのか。私の人生は終わりだ。

これまで透析を拒否してきたことで、さらなる困難が私を待っていたのです。全身の血管は既にボロボロになっていたようで、透析導入直後は内臓からの出血で計19回も手術することに。3か月もの間左目が見えなくなり、入院しなければいけない状況が続きました。PCの画面を見ることも難しいので、仕事もできません。

障害者手帳の申請も自分1人では動けなかったため、会社のスタッフにお願いしました。障害者手帳が届いたとき、自分が「身体障害者一級」と認識したときには、ショックを受けたことを覚えています。

このような経緯があり、満足に働くことができなかったため、経営していた民宿とレストランはスタッフに買い取ってもらう形にしました。その後、「ゆっくり毎日をすごそう」と考え、当時付き合っていたパートナーの出身地である宮古島に移住します。

後に妻となるパートナーの彼女や両親から、透析導入当時、腎臓移植のドナーになることを申し出てくれましたが全て断りました。もちろん腎臓移植を受けている方を否定するつもりはありませんが、私自身は、彼女や両親の身体を傷つけるような気がして、ありがたいけれど辞退するという決断をしたのです。

私と同じような悩みを抱えている人が多いのではないか。そこから起業を決意

宮古島に移住後、旅行関係の仕事経験から観光協会に勤めることになり、観光PRのため東京や大阪に出張するようになります。

当時は週3回、1回5時間の血液透析を受けていたので、出張先で病院を探す必要がありました。しかし、Webサイトを開設している病院が少なく、1カ所ずつ電話をかけなければいけない。その上、臨時透析だと3~4時間しか受けられないことも多かったんです。

石川県金沢市にある実家に帰省したいときは、「血液透析を5時間受けたい」と金沢市内の病院に事前連絡し、14カ所に断られたこともありました。

なぜ親に会うために、こんな苦労をしなければいけないのか。病院の情報収集自体も面倒で、整理されたデータもない。透析患者は全国に30万人以上もいるのだから、同じような悩みを抱えている人が多いのではないか――。

そんな思いが強くなり、透析病院の情報がまとまったデータベースを作ろうと心に決めました。

こうして2012年に設立したのが、株式会社 旅行透析です(現在は、一般社団法人)。

障害年金を受給しており、宮古島であれば最低限の生活は可能だったこと。職場の人には理解いただいていましたが、週3日夕方に仕事を抜けることに罪悪感を感じていたことも、リスクのある起業に踏み切った理由の一つ。時間のコントロールがしやすい自営業にすることで、透析を受け続けるための環境を整えたいという思いがありました。

旅行透析の最初の1年は、透析を受け付けている病院の情報を取りまとめるのにほぼ費やしました。医師会に入っている病院は電話番号が載っているのですが、それ以外は調べなければいけません。一人で約4300ヶ所の病院の情報をまとめるのは困難なので、一緒に働いてくれる人を採用をすることにしました。

そのとき、私が大切にしたのは全国各地に住む透析患者をテレワークで雇用することです。

データベースをまとめるにあたり、透析のことを理解している人と働きたい。また、仕事のスキルはあるけれど、透析がハードルとなり、働けていない人が多くいるのであれば、そういった人が働く場をつくりたいと思ったからです。2021年現在は増えましたが、当時は透析患者でも働ける企業が少なかったのです。いざ募集してみると、1週間で100人以上もの応募がありました。

ハローワーク経由で募集をすると、人件費を一人月額10万円サポートしてくれる補助金があったこともあり、最大で14人を雇用。透析は好きな時間にしてもらい、空いた時間で働いてもらうという働き方で、約2年の時間をかけて透析病院のデータベースを構築していきました。

世界中の透析患者が、いろんな国を旅行できるように

当初はデータベースをクローズドな形で運用し、透析患者の旅行や出張をサポートしていました。しかし、周囲の助言もあり、共同設立した社団法人GATS(国際透析連携協会)で運営する「透析検索.com」で公開することにします。

ネットに無料で透析病院情報を提供したため会社の仕事は半減しましたが、当事者患者の方々の将来を考えたときに必要な決断だと思ったのです。予想外の反応としては情報をオープンにしたおかげで、海外から日本に訪れる方の旅行や出張の問い合わせが増え、企業としての持続性も担保できるようになったことです。

また、ユーザーの方から「“ホテルを選ぶ”ように、自分たちで透析する病院を選べるようになった」という声をいただけたのも印象的でした。患者の方々の選択肢を増やすことができたというのは、旅行透析を立ち上げて特に嬉しかった思い出の一つです。

透析については、当事者が確かな情報にたどり着けなかったり、一般的に透析がどんなものかという認知度が低く、誤解されている場合も多いのが現状。

正しい情報を得て、選択肢を持つこと――。私が旅行透析を通して実現したいことです。

透析のある日々のなかでも、「いかに楽しむか」を大切に

【写真】透析治療を受けながら笑顔でこちらをみるいけまさん (提供写真)

透析治療を受ける池間さん(提供写真)

長い透析時間の中で、特に大事にしているのが「いかに楽しむか」ということ。私の場合、仕事をすることもありますし、好きな映画やドラマをひたすら見ているのが好きです。今では宮古島のレンタルショップ利用数でNo.1にまでなりました(笑)。新しい透析病院だとNetflixやテレビを見ることができますし、個室を選択できる場合もあります。

一方、環境設計まで工夫してくれる病院はそう多くありません。だからこそ、当事者が自分で「透析の環境を良くしていこう」と思うことが大事ですし、病院側に要望を伝えることも必要だということを、旅行透析を通して伝えてきたいと思っています。

私自身の最近の新たな試みとしては、在宅での血液透析の準備をしています。これまで午後に週3回だったものを、週7回オーバーナイト(睡眠時間を利用して夜間に透析すること)で実施してしっかり長時間頻回透析を実施したいと思っています。

透析用の針を自分で刺さなければいけないこと、家族にサポートしてもらうための研修を受けてもらうこと、設備導入のためのリフォーム工事など金銭的な負担がかかりますが、以前から在宅オーバーナイト血液透析に変更したいと考えていました。

これまでのように午後の透析だと、いつもと同じように仕事はなかなかできませんし、7時間透析をして夜中に帰宅すると3人の子どもは寝ている時間になります。子どもと過ごす時間が減るのは寂しいですし、週3回はワンオペ状態となり、妻への負担も大きくなるからです。

【写真】笑みを浮かべるいけまさんご家族 (提供写真)

池間さんご家族(提供写真)

都市部だと施設オーバーナイト透析ができる病院はありますが、それでもまだ60カ所ほどしかなく、多くの人にとって当たり前の状況にはありません。他にも、患者の中には透析をする病院が近くになく、移住しなければいけない状況になる方もいます。つまり、住み慣れた町で最期を迎えられないという人もいるのです。

そうした課題と向き合う一つの選択肢として、私自身が在宅での透析にチャレンジし、情報発信を今後できたらと考えています。数ヶ月に渡る在宅血液透析の訓練が始まりましたが、現在は新型コロナウイルスの影響で訓練が中断しています。

透析の環境が整っていない国を支援し、一人でも多くの命を救えるように

【写真】海外の透析病院で治療を受けるいけまさん (提供写真)

海外の透析病院で治療を受ける池間さん(提供写真)

2019年6月には、途上国支援をするための一般社団法人「国際NGO 国境なき腎臓病患者支援会」も立ち上げました。旅行会社からの依頼を受け、海外の透析病院の安全性を確かめる体験取材をするという仕事が度々あります。これまで15カ国で透析体験し、先進国は保険も含めて環境が整っている一方で、途上国の過酷な状況を目の当たりにしたのです。

保険適用が充分でない途上国では、透析を受けられずに亡くなってしまう腎臓病患者が何百万人もいます。

透析できたとしても治療は一生ずっと続くので高額な医療費支払い継続のために家や土地を売り、借金までしながら病院に通っている方々も大勢います。そうした状況を変えるため、現地に患者会を作り、正しい情報を伝えながら、保険適用に向けた行政とのコミュニティ作りをサポートしていきます。

日本も約50年前までは透析費用を自費で払わなければいけませんでした。今のように保険適用で金銭的な負担が実質ほぼゼロになるまでには、患者会の訴えが国会や行政に届いたから。世界一と言われる日本の透析医療が持つ知見や技術を輸出し、一人でも多くの命を救えるよう、仕組み作りをしたいと思います。

関連情報:
一般社団法人 旅行透析 ホームページ
透析検索.com ホームページ
国際NGO国境なき腎臓病患者支援会 ホームページ

変更履歴:

訂正:記事掲載時に、腎機能に異常が起きていないかの指標となる数値を「クレアニン」と記載しておりましたが、正しくは「クレアチニン」となりますので、当該箇所を訂正させていただきました。ご迷惑をおかけした読者の皆様ならびに関係各位には深くお詫び申し上げます。(2021年2月22日 soar編集部)

(執筆/庄司智昭、編集/木村和博・工藤瑞穂、企画・進行/庄司智昭・木村和博)