誰にでもきっと、大切にしたいものがあります。どうしても譲れないものがあります。そして、「こうありたい」という願いを抱いているのではないでしょうか。それは人それぞれが持つ「ものさし」であって、誰にも否定できるものではありません。

でも、自分と違うものさしに出会ったとき、どうしても起こってしまうのは、異質なものへの違和感や嫌悪感。それはときに、対立や争いを生みます。家族や友人の間でも、職場でも、もっと広くは国と国の間でも、それは起こります。ものさしが違う人と人が出会ったとき、ぶつかり合いながらも最終的には平和を選ぶような人間関係や社会を築くには、どうしたらいいのでしょうか?

そんな問いを携えて、私は影山知明さんに会いに行きました。

影山さんは、西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」と「胡桃堂喫茶店」を経営し、その実践についてまとめた著書『ゆっくり、いそげ』(2015年・大和書房)、『続・ゆっくり、いそげ』(2018年・クルミド出版)を出版。ビジネスとスローの間をいく「ゆっくり、いそげ(festina lente:フェスティナレンテ)」という概念を軸に、成果から逆算して人を手段化するのではなく、過程に注力して一人一人の命の形を生かす経営について、実践者の立場から伝えています。

経済・経営の本ではありますが、『ゆっくり、いそげ』を6年ほど前に読んだ私の中には、人としての「在り方」の本であるという印象が残りました。先々の目標よりもいま目の前にいる人を大切にすること、テイクではなくギブから始めること。その先には、お互いの存在そのものを祝福し合い、それぞれ異なる形をした命が彩り豊かに花開いていくような、あたたかな社会のイメージが拡がりました。そしてそれは、いつしか私自身の生きる指標となって自分のまちや家庭内でのおこないにも影響を与え続けてくれています。

個人レベルでも社会の中でも、人と人が傷つけ合い分断へ向かう光景を目にすることが増えているいまこそ、影山さんに話を聞きたいと私は思いました。約90分のインタビューで受け取ったかけがえのない言葉の数々を、心を込めてお届けします。

「難しいけど大事」なテーマ

【写真】国分寺と書かれた石碑と満開の桜

4月初旬、私たちは満開の桜が咲き誇る西国分寺のまちを歩き、昨年影山さんが立ち上げたばかりのまちの寮「ぶんじ寮」へ向かいました。玄関先で笑顔で迎えてくださった影山さんはじめスタッフのみなさんと一緒に、食堂でテーブルを囲みルイボスティーをいただきながら、まずは予めお伝えしていたインタビューのテーマについて、改めて共有させていただきました。

それは、

自分の中にある“ものさし”から解放され、許しあう緩やかな人間関係を築くには?

というもの。影山さんにこのテーマを受け取った率直な感想を聞くと、「やたら難しいですよね」と苦笑いして、こう続けてくれました。

すばらしく大事なテーマだなと思いました。自分が向き合っているテーマの本質をついていらっしゃるなと思ってうれしくなりましたし、一方で、これは難しいと。

僕の中でもはっきり正解がわかっているわけではないし、その過程で僕自身が、渦中にあって苦しんでいることだってある。だからどうお答えしたらいいか非常に悩ましいですけど、でも、とっても大事なテーマだと思いました。

【写真】soarメンバー2人と影山さん、スタッフ2人がテーブルを囲んでいる

まちにおける平和、家族における平和。

でもこのまちには、まさに“許しあう緩やかな”空気があるんですよ。

影山さんはうれしそうに語り始めました。私はつい数十分前に歩いてきた西国分寺の景色を思い浮かべながら、続く言葉を待ちました。

たとえばですね、僕は西国分寺駅に入場券で入って買い物をしたりご飯を食べたりすることがあるんですが、入場券は2時間という時間制限があるんです。ただ、ちょっと過ぎちゃった時、改札口で「5分過ぎちゃって…」って言うと、「いいよいいよ」って駅員さんが通してくれる。そんなこと(笑)。

ルールって白か黒かが決まっていて、5分遅れたら黒なんですよね。でも「まあ、これくらいならいいんじゃない」っていうこともありますよね。そういう多少のブレの部分を、機械的にじゃなく、人として判断してくれる。

【写真】同席したスタッフの方を見ながらインタビューに答えるかげやまさん

「人として」という言葉に影山さんの言葉らしい味わいを感じ取りながら、私は話の続きに耳を傾けました。

さらに言えば、このまちには雑多で多様なことやきれいに整っていないことを面白がれる人が多い気がしています。不思議と変わった人が多くて、蓄音機のことばっかり考えてる人とか、どうやってまちの中に馬車を走らせようか考えている人とかね(笑)。場所によっては「変な人、関わるのよしましょう」と言われてしまってもおかしくないと思いますけど、ここでは、そのことを一緒に面白がってくれる感じがある。

個人でもグループでも、それぞれがそれぞれの世界観と哲学で好きなことをやっている。そのことをお互いにおおらかに受け止め合っている。そんな空気がこのまちの良さだな、と思うんです。

いい意味で統一されておらず、個人がそれぞれにそれぞれの個性を受け止め合っている、雑多で多様なまち。そんなまちなら、きっとどんな人でも居心地良く肩肘張らずに暮らせるのだろうなとイメージできます。「でもまちよりも難易度が高いのは、家族や会社の仲間なんです」と続けた影山さん。冒頭に聞いた「僕自身が苦しんでいる」という言葉が私の頭をよぎりました。

僕にとっては、家族、結婚ということが大きくて。もちろん妻とは仲が良くて結婚した訳ですけど、一緒に暮らし始めるとうまくいかないこと、すれ違ってしまうことも出てくる。特に、娘が生まれたとき、その育児の大変さのほとんどを妻に押し付けてしまって、彼女を追い込んでしまったことがありました…。

【写真】手を組みやや上の方を見つめるかげやまさん

当時を思い返しながら、影山さんはゆっくりと語ります。

娘が生まれた翌年にクルミドコーヒーをオープンして、仕事と家庭の大変な時期が重なってしまったこともあって、子育ての負担のほとんどを彼女に押し付けてしまった。「彼女がやってくれるだろう」と勝手に期待してしまっていた。その大変さを分かってもいないのに、ですね。僕は僕で仕事に必死で、彼女も僕の事情が分かるぶんだけ、受け止めようとしてくれていて。

でも、子育てってほんとに大変ですよね。お互いの親にも頼れない状況だったので、24時間、365日…。結果、その状況が彼女を追い込んでしまいました。その経緯や心情を打ち明けてくれたのは、ずいぶん後になってからでした。

夫婦それぞれの子育てに対する“ものさし”があって、それが微妙にずれていたが故に起こってしまったすれ違い。お互いの事情を配慮する優しさがあったからこそなのかもしれませんが…。

起こしてしまった現実は、傷つけてしまった事実は、なくなることはありません。妻にも子どもにも辛い思いをさせてしまったと、後悔してもし切れないし、その後、2人への申し訳ない気持ちが消えることはありません。

あのときはあのときで必死で、どうすればよかったかというのは正直分からないところもありますけど、でもどこかもう少し手前のところで、その彼女の辛さを察してあげることができていたら、2人でちゃんと話をすることができていたら、何か少しは違っていたのかなと思うことはあります。

苦しい心のうちをオープンにしてくれた影山さんは「こちらは笑い話」としてもう一つ、奥様とのエピソードを披露してくださいました。

妻はコーヒーが好きで毎朝飲むんですけど、ある日有名メーカーのエスプレッソマシンが届きまして。「一応僕もコーヒー屋だよ、うちの豆を買ってくれてもいいのでは?」って、それを見るにつけ、「ちっ」って気持ちが沸いたこともありました(笑)。

【写真】soarメンバー2人とスタッフ2人とテーブルを囲み、笑顔で質問に答えるかげやまさん

どちらも、僕の中で勝手に思い描いている「こうしてほしい」「当然こうするだろう」というような一方的な期待値があるんですよね。子育てのこともコーヒーの話も、その期待を押し付けてしまっているという意味で根っこは同じです。

お互い、何かあってもはっきり言わずに飲み込んじゃうようなところがあるのですけど、それでもときにぶつかり合うことで、考えて、自分の中の自己中心的な部分に気付かせてもらった。

それ以降は、「彼女は彼女自身なんであって、僕が勝手に抱くイメージや期待値でコントロールしようとしない」と思うようになって、僕の関わり方も少し変わってこられたかなって思います。もちろんまだまだ十分でないことはたくさんありますけど、でも少しずつ、僕らなりの関係を築けてきているかなとは思っています。

一番身近な家族であるが故のエピソード。影山さんの言う通り、確かに「まち」より「家族」の関係性のほうが難易度が高いと感じます。

彼女がまちの人なんだったら、ぼくがまちの人なんだったら、お互いに関わらない、縁を切るという選択もしやすいでしょうけど、家族はそういうわけにいかないですからね。向き合わなきゃいけない場面だったからこそ、僕が妻にかけていた圧力が刃になって自分に返ってきて、そこでようやく気づけた。結婚は、他の何にもまさる、他者との付き合い方を学べる訓練場だなと思います(笑)

【写真】いすに座り、穏やかな表情で話すかげやまさん

2017年、クルミドコーヒーに起こったこと

「結婚は訓練場」という表現に苦笑いをしている私に、影山さんは「もちろん幸せな部分もあるけど、それ以上に辛いこともあるからこそ、学べることもある。それは人を雇うという経験も同じです」と続けました。不躾にも私が「クルミドコーヒーでもスタッフに期待値を押し付けてしまった経験が?」と問いかけると、「いっぱいあります」と影山さん。

職場もまた難易度が高いんです。ものさしや意見が違っても、傷つけ合っても、何らかの決断をしてお店を開けなければならないという状況が日々あるわけで、「折り合いをつけてなんとか動かす」というやりようを、どうしても身につけていかないといけない。

【写真】右手でジェスチャーをしながら話すかげやまさん

「これに関しては言えることと言えないことがありますが」と前置きした影山さんは、過去を思い返すように語り始めました。

実はクルミドコーヒーには危機的な歴史がありましてね。2017年、2店舗目の胡桃堂喫茶店がオープンした年でした。3月27日にオープンしたんですけど、その直前にクルミドコーヒーには社員が9人いたんですね。新店ができるということで、5人が胡桃堂喫茶店に行って3人がクルミドコーヒーに残るかたちになったんです(1人は両店舗の兼務)。

クルミドコーヒーはその時点でオープンから8年半ほど経っていたので仕事の型もできてきているし、3人いれば大丈夫じゃないかと思ったんですけど、やっぱり9が3.5になるというのは途方もないことで。その3人に、ものすごく負荷がかかったわけです。

人は余裕がなくなってくると、自分の中に眠っている刃、とんがった攻撃性みたいなものが他者に向かって出ていくことがあります。平常時で余裕があって落ち着いていればなんてことないことでも、ピンチになったときには他者への攻撃性となって現れる。そういう局面がチームの日々に現れるようになってきてしまいました。

【写真】インタビューに答えるかげやまさんの後ろ姿

そのような中で、社員の1人が、制御できない怒りの表現を特徴とする行動障害である「間欠性爆発性障害」を発症するようなことも起こりました。さらにチームは揺さぶられます。

他者に対して危害を加えるようなことはありませんでしたが、スマホを床に投げつけるなど攻撃的になったり、逆にうつ状態になってシフトに現れなかったり。そうなった彼を間近で見て、当然メンバーも動揺するわけです。

それでもなんとか受け止めよう、お店をまわそうとかがんばってくれはするんですけど、ただでさえ大変なお店の状況もあるわけですからね。体力的にも精神的にも、いっそうの負荷がかかるようになって、みんな余裕をなくし、チームの中にストレスがたまっていきます。そんな過程で、お互いがお互いを責め、傷つけ合うような状況も生まれてきました。

そして、「彼はやめさせるべきだ」という声も出てきました。まあ僕が知っているような会社では、こういう状況になったらすぐにでも辞めざるを得ないのかもしれませんね。

でも僕は、それはしたくなかった。どうしてかって言われると説明が難しいですけどね。僕らで受け止められなかったら、他で彼を受け止められる場所はないんじゃないかっていう思いもあったし、彼らの発症の一因がぼくらの側にもあると思ってもいましたし。

でも、僕がよくても、他のメンバーはよくないということがある。実際、日々近い距離で仕事をしているのは他のメンバーですから。彼のような状況の人を雇い続けていることに疑問を抱いて辞めていったメンバーもいました。このままではチームが空中分解しかねない状況でした。

【写真】左手を顎にそえながら話すかげやまさん

その彼のことに限らず、夏頃、余裕をなくしたメンバー間のすれ違いや意見のぶつかり合いが様々なところで起こり、溝を深めていきました。そして、2017年9月30日、開業9周年の日の前日に、クルミドコーヒーはある重大な決断をします。

10月1日はクルミドコーヒーの開店記念日。9周年を迎えるその日の前日に、「明日はお店を開けられない」とみんなで判断したんです。チームはバラバラで、それぞれに限界でした。

とても前向きにお店を開ける気持ちにはなれなかったし、ましてやみなさんからの祝福を受ける記念日に向き合える状況ではなかった。あわててブログやSNSを投稿し、10月1日の臨時休業を発信しました。

大きな心の傷を伴う経験を一気に語ってくれた影山さん。でもこのお話には、続きがありました。

でも本当に幸いだったのは、9月30日の昼過ぎに「明日は休もう」という決断をして、「ただできれば、みんなで会って話がしたい」と呼びかけたところ、その翌日、アルバイトスタッフも含めたメンバー全員が集まれたことです。

10月1日、全員で顔を合わせて、それぞれに思っているところを打ち明け合いました。全員が全員、すべてを正直に話してくれたわけではなかったと思いますし、その場で何かが解決したわけではなかったのですけど、でも少なくともお互いを受け止め合ってなんとか道を探っていこうと、前を向けるようにはなりました。

あの頃、何かが違っていたら、そこでクルミドコーヒーの営業が終了となってしまう可能性さえあったと思いますが、あの日に集まれたおかげで、お店がなんとかつながったんです。

【写真】クルミドコーヒーの店舗。大きな木に囲まれた場所にある

「起こっていることを認めた経験」が育んだ強さと優しさをまとった「平和」

私にとってクルミドコーヒーは、どこまでも美しく穏やかな職場のように見えていました。影山さんが意を決して話してくださった大きな痛みを伴う経験は、驚きとともに私の心に深く刻まれました。

中でも印象的だったのは、困難な状況の中で傷つき合いながらも、それでもメンバーのみなさんが、もう一度、お店を続けようと前を向けたこと。その背景には、いったい何があったのでしょう。クルミドコーヒーの根底に流れる何かが、後押ししてくれたのでしょうか。

幸いなことに、長く働いてくれているスタッフも多く、傷つけられた記憶がある一方で、良い記憶だってゼロではなかったんだと思います。このお店に出会えてよかった、続けられるなら続けたい、あるいは、お店が開くのを待ってくれているお客さんがいるということも感じていたでしょうしね。その気持ちは失っていなかった。

だからこそ、9月から10月にかけてお店の見えにくいところで起こっていることを無いことのように営業を続けることへの違和感があったんだと思います。あることを無いことにする嘘くささみたいなものに出会ったとき、たぶん人って諦めていくと思うんです。

そうではなく、起こっていることを起こっているとしてちゃんと認め、お互いに受け止め合わなくてはお店も続けられないということをちゃんとテーブルに乗せられたからこそ、そこから道が開けたんだと思います。

【写真】ライターいけだのインタビューに答えるかげやまさん

「起こっていること」に「向き合う」という道を選んだメンバーのみなさん。そのときの傷は5年経ったいまでもすべてが癒えたわけではないと影山さんは言いますが、一方で、お店にとっても、メンバー一人一人にとっても、得られるものも大きかったと続けます。

あの経験で、みんなが同じように働けるわけじゃないこと、その人の意思と関係なく、自分ではコントロールできない困難を携えている場合もあるということ、誰にだってできることとできないこととがあること、みんながすべて分かり合えるわけじゃないこと、といった現実に一人一人が直面しました。

「普通はこうでしょ?」と、人をあるべき姿にはめていくことの暴力性みたいなものに気づけたし、「してもらえていること」に感謝するのではなく、「してもらえないこと」を責める言動が、いかにお互いの関係性に亀裂を生じさせるかを目の当たりにした。

車の運転ができない人もいれば、エクセルを使えないって人だっているわけです。それぞれの特性を受け止め合いながら、できないことを補い合いながら、できることを持ち寄るということをチームとしてできるかどうか。

人は必ずしも同じにはなれないし、なることがいいことでもないんだと身をもって体験したことが、残ってくれている一人一人の中に、他者を他者として受け入れていく度量みたいなものとして財産になっていると信じたいんです。それがお店そのものの度量なんだろうと思いますからね。

「病を発症した彼は、今も働いてくれている」とうれしそうに影山さんは続けます。

彼は今も働き続けてくれています。間欠性爆発性障害は時間をかけて克服し、その後は双極性障害と向き合い続けています。今回のインタビューで彼のことを話題にしてもいいかと尋ねたら、「是非」と言ってくれて、ぼくが発症したのは、当時のお店の仕事の負荷のせいではなくて、いずれにせよ自分の内側の理由で発症はしていたんだと。そしてそうなった自分を粘り強く受け止めてくれたチームのみんなには感謝しかないんだと言ってくれました。

彼も、自分の困難との向き合い方を身に着けてきて、まわりも彼との付き合い方を身に着けてきました。

もし僕がいま、チームからいなくなるようなことがあったとして、今いる社員の中で僕に一番近い決断ができる人は、彼なんじゃないかと思っています。彼が、人一倍苦しんできた中で身につけた懐の深さ、他者を思いやる気持ち。そうしたものに自分自身が救われた経験も通じて、彼は大きな強さと優しさを手に入れました。この先、僕らのチームやお店が、彼のおかげで救われるということがいっぱい出てくると思っています。

【写真】両手を組み、顎の近くにおきながら穏やかな表情で話すかげやまさん

ぶつかり合った傷が完全に癒えることは、今後もないのかもしれません。でも、傷を見ないふりをする表面的な平和ではなく、それらも含めて受け止め合って、意思の力で一歩ずつ築き、育んできた平和は、強さと優しさをまとい、今後もクルミドコーヒーに関わる人々を包み込んでいくようなイメージが持てました。

“過程”に向き合うために、“結果”を手放す。

ここでもう少し具体的に、平和な人間関係を築くための方法論へと踏み込んでみたいと思います。10月1日の開店記念日に集まったとき、スタッフのみなさんはどのように話し合って折り合いをつけたのでしょうか。その話し合いの過程の中にこそ、平和への具体的な方法論が潜んでいるような気がしました。

すごくシンプルに言ってしまえば、「結果をコントロールしない」ということです。「わかり合う」とか、「仲良くなる」とか、「問題が解決する」「物事がスムーズにいく」とかってすべて結果です。それらへの期待をまず、手放す。「どうなってもいい」「ただそれぞれが嘘なく自分自身であれればいい」って。

対話の多くは何らかの解決を目的としています。でも影山さんは、目的として掲げるような結果を手放すことこそが、平和への道だと言うのです。

僕らの仕事で言えば、結果を手放すということは、極端に言えば、ぶつかってぎくしゃくして、チームがバラバラになって、お店を開けられなくなって、会社がつぶれるということだって起こり得るということです。そして僕はそれでもいいと思っています。

そう望むわけではないけれど、それは起こり得る可能性の一つです。「こうならなきゃいけない」という結果をイメージしすぎるとそうならないことがストレスになりますが、そうなったらそうなったと開き直れると気が楽になりますし、うまくいかない状況が実際あったとしても、必要以上に凹むことなく、そこからそのことに向き合おうという気持ちにもなれます。結果、そこから突破口が開けることだってある。

僕の人生哲学を一言で言うと、「なるようになる」ということなんです。

【写真】左手を動かしながらインタビューにこたえるかげやまさん

メンバーとの対話の結果だけではなく、人生の結果や目標も手放すと語る影山さん。ではいったい何を手放さず、大事にしているのでしょうか。

“過程”には丁寧に向き合います。逆に言うと、過程に向き合うために結果を手放すということです。一人一人がその瞬間、自分に嘘なく命をまっとうできているということが何より大事だから。それぞれがそれぞれに自分の命をまっとうした結果、「違い」が生まれることもありますが、それをお互いに認め合って、折り合いつけてやっていくすべを身につけられるといい。

影山さんはTwitterで、2022年3月10日に「『戦争が起こったら』に備える(あるいはその手前の抑止論)んじゃなくて、『戦争が起こらないようにするには』を自分は考えたい」と発言していました。その真意を問うと、「それも今日のすべての話と同じです」と続けました。

人と人がぶつかるのは、それぞれに事情があって、お互いの正義がぶつかりあっているときです。でも「平和にたどり着くため」という名目で誰かを傷つける道を選ぶと、その過程が遺恨を残し憎しみを生み出し、結局、争いの未来をつくっていく。

ガンジーも「平和への道はない、平和こそが道なのだ」と言っていますが、未来に平和をつくり出したいんだったら、今この瞬間が平和であることを実現する以外に道はないと思っています。それは時間的な意味だけではなく、空間的にも同じです。

世界を平和にしたいんだったら、私とあなたがまず平和である必要がある。お店でも寮でもまちでも、お互いの違いを乗り越えて、折り合いつけてやっていくための技術やセンスを僕らが身につけてやっていくこと以外に、平和なんて望みようがないと思います。

「結果を手放す」という強いメッセージに、私の心は大きく揺さぶられました。私はこれまで、「誰とでも仲良くできるはず」と信じて生きてきたところがありました。ものさしが違う相手とも、なんとかわかり合おう、共通点を見つけようと必死に向き合うようなことを繰り返してきた気がします。その結果、「分かり合えないのは私が悪いのかもしれない…」と自分を責めたことも。

そこで勇気を持って「仲良くならなくちゃ」という結果を手放し、ただ目の前の人を、自分自身のありようを大切にすることができていたら…?「違うんだね」と笑い合い、「仲良く」はなれなくてもお互いを認め合い、「平和」な関係性を築くことができていたのかもしれません。そしてそのほうが、実は望んだ未来だったのかも。

影山さんの言葉から受け取った「結果は手放していいんだ」という大きな気づきは、これからの私の人生の道標となりそうです。

誰もが弱さを持っている。すべては、器を満たすために。

インタビューの最後に、私にはどうしても触れてみたい話がありました。それは、影山さん自身の弱さについて。

2017年、クルミドコーヒーのチームが営業継続の方向に舵を切ることができたのは、障害を発症した彼を含め、それぞれが抱える弱さや困難をさらけ出し(それが望んでのことではなかったとしても)、それをお互いが受け止め合えたからなのではないかと感じました。

受け止める側にそれだけの度量みたいなものがあったからこそと思いますが、一方、そうした自分自身の弱さや困難をさらけ出す側も、簡単なことではなかっただろうと思います。プライドもあるでしょうし、そうするくらいなら環境を変える選択肢だってきっとある。そこには、どこかで仲間のことを信じる強さのようなものもあったのではないかと思ったのです。

影山さん自身は「助けて」と誰かに伝え、弱さと向き合うような経験をお持ちなのか。そう問うと、影山さんは「僕は無敵なので」と笑いながら、「それでも」と話を続けました。

相対的に言えば僕はたぶん強い方なんだとは思います。でもときに、その手応えや甲斐みたいなものを感じられなくなってしまうことがあって、むしろまわりを不幸にさせてしまってるんじゃないかと思うようなこともあって、「なんのためにやってるんだろう」「意味ないことをやってるんじゃないか」って、落ち込んでしまうことはやっぱりあります。実際、去年の今頃は“闇堕ち”していましてね。

【写真】左手を顎に添え、過去を振り返るように話すかげやまさん

その当時、影山さんはTwitterや動画でポロポロと弱音をこぼしたり、ホラー映画を見て気持ちを紛らわしたりしていたと言います。「助けて」と言うことに関しては、「基本的に下手です。この人に頼ればいいと思える人がいるかと言えば、いない」と、苦笑い。そして、そんな影山さんを救ってくれたのは、苦しさから逃げるように出た旅だったと教えてくれました。

2021年10月後半から約1ヶ月、影山さんは「ゆっくり、いそげの旅」と題して33日間、日本全国41カ所を巡る旅に出ました。

夏くらいまでは、そこまでの自覚はなくて、闇堕ちした状態のまま「それでも日々お店に行かなくちゃいけない」となんとかやりくりをしていましたが、もう限界で逃げるように旅立ちました。

9月に一度、2泊で逃避行してちょっと立ち直って、10月後半からは1ヶ月間いろいろな景色を見ていろいろな空気を吸って、それで生き返ったんです。

旅で感じたことを聞くと「僕は愛されていたんだなって」と照れ臭そうな笑顔に。

これは僕の仮説なんですけど、人間には器みたいなものがあって、育つ環境や積み重ねた経験で、それが大きい人もいれば小さい人もいるんじゃないかって思ってます。

大きい人は自分と違う意見や刺激的な経験を受け止められますが、小さい人は何かあるとすぐにあふれてしまう。自分と違う人に出会うとすぐ攻撃的になってしまったりする。でもそれは当人の責任ではない部分も大きくて、その器の大きさは、それまでにどれだけ満ち足りた経験をしてこられたかによるんじゃないかって。

幸い僕は親にも愛してもらえたと思っているし、育つ過程でいい経験もたくさんさせてもらえたと思う。だからその結果として、他の人よりも比較的、器が大きいところがあるんだろうと思う。でも辛い思いをしたり、うまくいかないことが続いたりしてそれが縮んじゃっているところに、コロナやぶんじ寮といった刺激が来て、受け止めきれなくてあふれちゃったというのが去年の今頃だったんだろうと思うんです。

でも旅に出て、行く先々で「待ってました」「会いたかったです」「『ゆっくり、いそげ』が自分の指針になってくれているんです」とかって言ってくれる方々に出会って、「ああ自分は自分でいいんだ、自分を必要としてくれている人がいるんだ」って思わせてもらった。そうすると自分の器がまた回復してくる。余裕が生まれ、他の人を受け止められるようにもなる。

旅に出る前は見えないことにしていたストレスや困難にも、旅から帰って来て向き合えるようになりました。

【写真】微笑みながら話すかげやまさんの横顔

「人間の器」という言葉は良く耳にしますが、「変動する」と考えると見える景色が違ってきます。たとえば攻撃的になっている人に対して「器の小さい人だ」と決めつけず、「ストレスが溜まっているのかな?」と相手の事情を思い至ることができる気がしました。影山さんは「そうですね」と頷きながら続けます。

攻撃的になっているときは、その人の器でストレスを受け止めきれなくなっているということです。だからそれを責めるのではなく、その人が愛されていると思える状況をつくれたら、たぶんそのストレスも受け止められるようになるんじゃないかと思います。

それが、大きく言ってしまえば、平和ということ。平和への道があるとすればそういうことなんだろうな、って。

心穏やかに生きていくために欠かせないのは、愛されていると実感できるような人間関係の中に身を置くこと。でもいまの会社や組織では、目標への貢献度でしか評価されず、そのような実感を得ることは難しいと影山さんは指摘します。

職場がダメだとすると、その役割は家族か地域か友人関係が果たすことになりますが、その何れもが怪しいのが現代の切なさだと思います。僕らがカフェやぶんじ寮をやっている理由はそこにあると思ってる。

【写真】左手を動かしながら穏やかに話すかげやまさん

最後に伝えてくれたこの言葉を受け取り、影山さんの数々の取り組みと言葉の全てが、私の中でつながりました。クルミドコーヒーやぶんじ寮は、たとえ職場や家族、友人の間でしんどさを感じている人でも、本音で話せる場所であり、弱音を吐いても受け入れてもらえる場所であり、愛されていることを実感できるような場所。結果を求められる場所ではないからこそ、一人一人が嘘のない自分でいられて、器が満たされるのでしょう。

そういった、ある種のサードプレイスと呼ばれるような場所がいまの社会を生きる私たちには必要なのかもしれない。「ゆっくり、いそげ」の心を大切にした場所が広がり、誰もが必要なときに「助けて」と言える関係性の中にある社会が育まれることを、願ってやみません。

「なるようになる」と「それもいいね」の心で

あっという間の1時間半。影山さんは「難しい」と受け取ったテーマに対して、真摯に向き合い、傷を伴う体験談や自分の弱さをも勇気を持って披露してくれました。評論家ではなく、実践者としての影山さんの言葉は、実に力強く説得力に満ちていて、今の社会情勢に鬱々としていた私にも、確かな勇気を与えてくれました。ただただ、心からの感謝を贈りたいと思います。

【写真】ぶんじ寮の前で微笑むかげやまさん

果てしなく遠くに思えていた平和への道は、「こうあってほしい」という期待や、「こうなりたい」という結果を手放し、目の前の人がただ自分に嘘なくいられるよう、お互いの違いを認め合い「それもいいね」とありのままを受け入れることから。著書で語られていた「目の前の人を大切にする」こと、「ギブからはじめる」ことの地続きに、確かな平和のあり様を見た気がしました。

それは「影山さんだから」ではなく、私にも、今すぐにでも、できること。「なるようになる」と肩の力を抜いて期待や結果を手放して、目の前の人との小さなやりとりに丁寧に向き合う毎日を、はじめてみたいと思います。いつだって「ゆっくり、いそげ」の心で。

関連情報:
クルミドコーヒー
胡桃堂喫茶店

著書
ゆっくり、いそげ
続・ゆっくり、いそげ

(撮影/金澤美佳、企画・進行、編集/工藤瑞穂)