【写真】木のそばに立ってこちらを見て微笑むとりゅうなおみさん

私たちは、日々様々なことを選択しながら生きています。それは、「お昼ごはんは何を食べよう?」というような日常の些細な選択から、「一大決心」と呼べるような人生に大きく関わる選択まであります。

選択を一つひとつ積み上げていく暮らしの中で、共に生活している家族であっても、ときに衝突することもあります。それぞれの趣向があり、人は時間とともに変化するもの。それをわかっていても、私自身、自己主張をするようになった幼い娘に、よかれと思って本人の主張と違うことを勧めてみたり、それで娘を怒らせたり。娘個人としての選択を尊重できずに葛藤してしまうことが日常的にあります。

またときには、個人を超えて、家族という単位で大きな選択をしなければいけないこともあるでしょう。そのひとつが「一緒に暮らし、人生を共にする」ことをやめ、離婚して別々に暮らすという選択。

それぞれの年齢や取り巻く状況、関係性、さまざまな変化がある中で、ともに居続けることが難しくなるのは、きっとごく自然に起こりうること。ただ、それぞれがよりよく生きるための決断であったとしても、そのプロセスには、様々な葛藤や不安があるはずです。

家族が一人ひとりが持つ権利を尊重しながら、それぞれが自分らしく人生を歩んでいくための選択をするには、何を大切にすればいいのでしょう?

そんな問いを抱えているときに出会ったのは、弁護士の鳥生尚美さん。あけぼの綜合法律事務所を立ち上げ、弁護士として働きながら、地域の小学校へ法教育の授業を行うほか、一般社団法人オンネリの活動を通して、家族間トラブルのサポートや面会交流の支援もしています。

「大人も子どもも自分らしく生きる社会」を目指して精力的に活動されている鳥生さんが教えてくれたのは「人権」という考え方。それは、私にとって、真っ暗なトンネルの中でパッと目の前を照らしてくれる灯火のように感じられました。

「人権」とは、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」のこと。(法務省ウェブサイトより)どこか堅苦しいものに感じられるかもしれませんが、鳥生さんは「自分と相手が今『安心か・自信があるか・自由か』それを感じて、守ろうという心の力が人権です」と語ります。

私たちが自分らしく前向きな選択ができるようになるには、そしてお互いを尊重しながらいられる家庭や社会をつくるには、この「人権」という言葉がヒントになりそうです。

離婚という選択を視野に入れて家族について悩んでいる人はもちろん、共に生きる他者を尊重しながら自分らしく生きていきたいと考えるすべての人たちが、どうしたら自分と他人を大切にしながら前を向いて歩いていくことができるのか。鳥生さんの言葉を通して考えていきたいと思います。

誰かの助けになりたい、と選んだ弁護士という仕事

早稲田大学法学部を卒業後、都内で弁護士としての活動をスタートした鳥生さん。主に離婚問題に携わり、2010年に東京都立川市であけぼの綜合法律事務所を設立。性の平等、子どもの権利、法教育などに関心を寄せながら、15年のキャリアを歩んできました。

2020年春には一般社団法人オンネリを立ち上げ、弁護士という立場から離婚をする前の夫婦の話し合いや、離婚後や別居中の子どもと面会交流をする支援も行っています。

そんな鳥生さんが思い描くのは「一人ひとりの自由な選択が尊重される社会」。なぜこのような思いを抱くようになったのでしょう。まずは鳥生さんのこれまでについてお話を伺いました。

【写真】デスクに座りインタビューに答えるとりゅうさん

人の役に立つことがしたい。

子どもの頃からそう思っていたという鳥生さん。元々福祉系の仕事をしていたお母さんに連れられてボランティア活動に参加しているうちに、その思いが育まれていきました。

弁護士という仕事を知ったのは、小学校5年生の頃。家庭内で起こった事件がきっかけでした。両親が法的なトラブルの当事者となり、裁判所から呼び出しがあったのだと言います。

突然のことに両親も対応に追われて、家の中がひっくり返ったような状態で。そのとき、母が電話で弁護士さんに相談していたんです。弁護士という人は、この状況の人を救うことができるんだということが強く印象に残って、それから弁護士を目指すようになりました。

【写真】ライターのふくいに向かって話すとりゅうさん

地域によって権利の守られ方が異なることへの問題意識が生まれた

小学生の頃に抱いた思いを大切に抱えながら成長し、弁護士になった鳥生さんは、現在、特に離婚問題に多く関わっています。弁護士といっても様々な分野がある中で、鳥生さんが離婚問題を中心としているのは、若手として過疎地に赴任したときに感じた、男女の不平等性への問題意識が根幹にありました。

弁護士をはじめて2〜5年目の頃に、過疎地域で仕事をしていました。そのときに家事事件(家庭内の紛争などの家庭に関する事件)を多く担当していたのですが、地方には性別役割分業意識や男尊女卑的な意識が根深く残っていることを感じたんです。

それ以前に東京で家事事件を担当していたときには、相続をするときには性別に関わらず法定相続分に従って平等に分けるとか、離婚をするときには財産分与するというのが当たり前だったんですね。ただその地域では、女性が「財産は、半分を財産分与として請求する」と言うと裁判所の調停委員も驚き、「少しでももらえたらもういいじゃない」と言われるという具合でした。住む場所によって、こんなに権利の守られ方が違うのはおかしいと衝撃を受けました。

過疎地域では、法的な相談をする窓口やサービスも不足していることもあり、地域の有力者が間に立って、閉鎖的な環境の中で立場の弱い人の声は抑え込まれてしまうようなことも多かったと言います。鳥生さんは自治体と一緒になって、地域を巡って出張法律相談会を開くなど奮闘しましたが、若手の弁護士一人ができることの限界も感じました。

以来、社会の中での男女の格差について課題感を持ち、東京に戻ってきてからは、弁護士会の委員会活動で性の平等に関して問題意識を持つグループに入り、DVや性の平等についての啓発活動に参加するようになりました。そうした人権やジェンダーに関わる活動を踏まえて、自分に何ができるか考えたときに出てきたテーマが、離婚問題を扱うことだったのです。

【写真】取材を行った法律事務所の窓から見た景色。一人住宅街を歩いている人がいる。

現在は、法律相談や事件の交渉、裁判の手続きといった弁護士としての日常業務に加えて、一般社団法人オンネリを立ち上げ、離婚について2人が話し合いをするにあたって、専門家が中立的な立場で関与し、問題の解決をサポートする離婚等ADRや、離れて住んでいる親子の面会交流支援など、離婚という選択をする前と後の支援活動を行っています。

様々な活動をする中で弁護士として鳥生さんが大切にしている思いはどんなものでしょうか。

「答えは当事者の言葉の中にある」という言葉を大切にしています。これは過疎地域で仕事をしていたときにお会いした裁判官に言われた言葉です。

当事者がすごくこだわっている主張で「法的に考えると難しそうだけど、気持ちはわかるな」ということについて、当事者の話に沿ってリサーチをしてみると、大体が参考にできる事案や例外的に主張が認められた事案など、その主張を支えるようなものが見つかる。

法律も裁判所の手続きも「道具」なので、できる限り当事者の話をきいて、こだわっていることや希望していることを実現するために、法的知識や手続きをどう使うかということを考えるようにしています。

【写真】真剣な表情でお話しするとりゅうさん

まず法律があって、それに違反したら私たちは裁かれなければならない。そんなイメージがあったため、鳥生さんの話しぶりはとても新鮮に感じられました。「当事者の言葉」を何より大切にして手立てを考える、というあり方に、鳥生さんの弁護士という仕事への向き合い方が伺えます。

妊娠と出産を経て考え始めた、選択の自由と権利について

弁護士業務や学校での授業、オンネリの活動などすべての活動の根幹にあるのは「人権が守られる社会にしたい」という思いです。弁護士として依頼者の困りごとを解決するときに、「被害者」「依頼者」の守られるべき権利として意識してきたものではありますが、当事者として人権を意識するようになったのは、自身の妊娠と出産を経験してからでした。

自営業者として子どもをもったときに、福祉サービスの蚊帳の外に置かれているように感じたんです。例えば、私に子どもが生まれた10年ちょっと前、子育て広場や乳幼児向けのイベントは平日の昼間に開催されていたので、仕事をしている私は行けませんでした。

自営業者なので産休や育休がなく、出産育児一時金はもらえてもその間の手当がないので休まず働き続けなければならず、それでも夫婦で自営業だとポイントが低くなり、認可保育園に入るのは難しいと言われました。

そのときに「子育て支援制度は誰しもが利用できるものではないな」と感じました。弁護士という仕事も、自営業者を選んだのも自分だけど、そのために制度で守られる対象から外されているように感じたんです。

【写真】胸の前で手を組みながらインタビューに答えるとりゅうさん

そこから、選択の自由と権利について自分ごととして考えるようになります。

職業の選択は自由かもしれないけれど、選択した職業によって、福祉サービスが受けられないことがセットになっている。AとBの選択があったときに、片方の選択が不利益とセットにされている場合、それは本当に「自由が保障されている」ということができるのかなと考え始めました。

子どもも大人も対等に社会の構成として尊重する、北欧の人権意識

子育てをしながら、自分で法律事務所を経営して働く。そのときに受けられない福祉サービスがある。選択肢の片方が不利益とセットにされているときに、本当に自由が保障されていると言えるのか、人権は守られているのだろうかーーそんな問題意識を抱えながらいたときに、他国と比較して社会保障制度が充実しており福祉国家として有名なノルウェーの視察研修に参加する機会を得ました。

はじめてノルウェーに行ったとき、そこで語られる人権、特に子どもの権利の概念が、これまで自分が持っていた人権の知識と異なり、子どもの意見が社会に反映されるなど、一人ひとりが社会の構成員として尊重されていることがわかり、自分は人権を本当の意味で理解していなかったということに気付いたと言います。

例えば子どもの権利について「私は一人前の人格として子どものことを捉えられていなかったかもしれない」と、カルチャーショックを受けました。人権をしっかり守って子育てをしたいと思っていたけれど、「子どものためにはこうしてあげるのが良い」と思うなど、子どもを「どこか足りなくて、与える必要がある存在」という認識でいたんだと気が付いたんです。

鳥生さんが視察に行ったノルウェーには「子どもオンブッド」という公的機関があります。子どもの権利を守るために設立された政府から独立した公的機関で、子どもたちへの無料のカウンセリング、学校や企業への指導、政策提言など行政への働きかけを行っています。そこでは、「子どもたちは、今の子どもたちの生活の専門家」であるという考えのもと、子どものことは子どもに聞く姿勢を大切にしています。

例えば児童虐待の事件が起きたときには、日本では子どもを被害者として守る対象であるという方向に動きますが、ノルウェーでは、守るだけではなく、その問題を解決し、さらには国で虐待をなくすためにどうしたらいいのかを教えていただく対象と考えます。子どもも大人も対等に社会の構成員として尊重されているんです。

【写真】身振り手振りを使いながらお話しするとりゅうさん

実際、事件が起きたときにはトラウマケアの専門家が子どもに、何が起こったのか、それまでに関与した各機関の対応がどうだったかを教えてもらい改善につなげるとのこと。選択肢を示した上で、この問題について誰に話をしたいかを本人に選択してもらい、大臣や関係機関のトップと面談をする機会を設け、政策に盛り込むこともあるのだそう。

「社会をよくするために子どもに教えていただいて、実現することにつなげる」という感覚は、今の日本でも少しずつ進んでいるものの、十分に認識されていない感覚です。そうした考えに触れる中で、「子どもの話を聞く」姿勢についても学びがあったと鳥生さんは語ります。

「社会を良くしていくために子どもの声を受け取れるかどうかは、聞く側の大人の能力だ」「受け取ることに時間と労力を割くかどうかは意欲と能力の問題」と言われたことが刺さっています。

そこからずっと、目の前の子どもや依頼者の声を聞いて受け取ることに意欲を持って能力を磨いていきたいなと思っています。支援をする側の人間としても、その人の人生について上から意見を言う専門家ではなくて、対等にその人の人生をサポートするあり方みたいなものを改めて考えさせられましたね。

「何を選んでも選ばなくても、不利益を受けないこと」を自由と呼ぶ

はじめての北欧視察を体験して、人権意識や福祉の考え方など、日本社会とあまりにもいろいろなことが異なることに衝撃を受けた鳥生さん。最初は「違いが大きすぎて参考にならない」と感じることもあったそうですが、どこが根本的に違うのか気になって、その後、フィンランド、アイスランドなど北欧諸国に何度も視察に行ったそうです。

北欧で様々なことを知るうちに、「今の日本では生き方の選択肢があまりにも少ない」と思っていたのが、そうではないんだなと思うようになりました。視野や思考を広げればもっと色々な選択肢があり、その上で選択するということが本当はできるはず。今目の前にある「これしかない」と思わされている選択肢の中から穏便な選択を繰り返す、選択をさせられる。それでは、社会は変わっていかないんだなということを感じました。

まず私たちが「これが普通」「こうするしかない」と限定的な選択肢の中で問題を解決しなくてはいけないと思わされている状況をなんとかする必要がある。そのために私にどんなことができるかなと考えるようになりました。

【写真】ヨシタケシンスケさんの『それしかないわけないでしょう』の表紙。色々な子どもの絵が描かれている。

鳥生さんに紹介してもらった絵本、ヨシタケシンスケさんの『それしかないわけないでしょう』(白泉社、2018年)。あれかこれか、どっちかしか答えがないなんてことはない。どっちでもない答えがあってもいい。「ものごとにはいろんな選択肢がある」ということをわかりやすく伝えてくれる一冊です。

北欧社会の全く異なる価値観に触れることで、現在の日本社会の中での自分の状況を客観的に見直すことができるようになったと話す鳥生さん。北欧視察をきっかけに、海外の家族制度についても学ぶようになりました。

その中で知ったのは、例えばフランスでは、多様な家族があるということを前提として、個人の選択の自由を保障するという理念の下での家族政策がとられていること。様々な保育のサービスがあり、どのサービスを「選んでも、選ばなくても不利益がないように考えられている」ーーそのあり方には、鳥生さんの最初の問い「自営業者を選んだがために、福祉サービスの蚊帳の外に置かれるという不利益がついてくる、それは本当に自由ということができるだろうか」の答えがありました。

「何を選んでも、選ばなくても不利益を受けない」という状況があってはじめて“自由”なんだなと、腑に落ちたんです。

例えば結婚についても、結婚するのは自由だけれど、離婚しようとすると法律上の要件があって、生活に色々と支障もあるというハードルがあるとすると、本当に婚姻の自由は保障されているといえるだろうかと疑問を持つようになりました。

【写真】質問するライターのふくいと、それに答えるとりゅうさん

「何を選んでも選ばなくても不利益を受けないことが自由」。鳥生さんのこの言葉に急に足元を照らされたように感じました。私自身、日本社会の中で「自分が選んだ道なのだから仕方がない」と権利を求めることを諦めている状況があることに気付かされたからです。

では、日本と北欧をはじめとする福祉サービスが充実した海外諸国は、何が根本的に違うのでしょうか。鳥生さんは社会のベースに「個人主義」があるかどうかだと語ります。

北欧では「個人が自立をして、それぞれに尊重される」という価値観がベースにあって、個人の集まりが社会をつくり、その個人が等しく尊重されるためにはどういう支援や政策が必要なのかということが考えられています。そういった支援や政策により個々が自立して社会活動を営み、税金を納め、社会を支えているんです。

一方で日本は、「家庭や会社という組織が社会の仕組みとしてまずあって、その仕組みを維持するために、個人は与えられた役割を担う」ということを求められているんですよね。そもそも「一人ひとりが自立をしていて、自由に選択できる」という前提で社会ができていないように感じます。

個人から発しているのか、社会という枠組みから発しているのか、鳥生さんはこの違いを「ベクトルの違い」と説明してくれました。そして、どんなに法律や制度ができても人々の意識、つまりこのベクトルの方向性が変わらないとそれは使われていかないんだとも。

私自身は、大きく社会や政治を変えることはできませんが、活動を通して出会う人が今までのベクトルに疑問を感じて自分自身の選択をするきっかけとなり、自分らしく生きる人が増えていったらいいなと思っています。

特に子どものそばにいる大人の感覚が変わっていくことで、子どもたちも「自分で選択できる」「自分らしく生きることが尊重される」という価値観のもと、尊重されていると感じながら生きることができ、だんだんと人権の意識が広まっていくといいですね。

【写真】手で矢印のような形を作り、ベクトルの違いについて説明するとりゅうさん

人権を守るには、まず自分を大切にすること

子どもも大人も自分に権利があるということを感じて、自分らしく生きてほしい。その思いが、鳥生さんが子どもたちへの人権教育を精力的に行う背景にありました。所属する弁護士会の活動のひとつである法教育の授業では、デートDVやいじめの予防について、人権という観点から小学校・中学校で授業を行っています。

いじめに関する法教育の授業というと、「いじめをすると処罰がある」とか「慰謝料を請求される」とか、法的責任をイメージすることが多いと思うのですが、「処罰をされるからダメ」ではなく、そもそも人には誰しも人権があって、いじめは人権を損なうものだということを伝えています。人権を守るという観点から、いじめをなくすにはどうしたら良いだろうと授業の中で考えていくんです。

「人権」という言葉は日常で触れる機会が少なく、とっつきにくいような印象がありますが、子どもたちにはどのような言葉で伝えているのでしょう。

人権の説明をするときには、CAP(Child Assault Prebention)という、子どもが、いじめ、虐待、性暴力など様々な暴力から自分の心と身体を守るための予防教育プログラムを参考に、「安心・自信・自由」という言葉で説明しています。

特に気をつけているのは「自由」という言葉の伝え方だそう。なんでも好きに、自分勝手にしてよいという意味ではなく、「自分で選択して、その選択の良い結果も悪い結果も引き受ける、それが自由」ということを伝えていると話します。

あるとき授業を受けた小学4年生の男の子が「自分に権利があるって知らなかったから、それを聞いて嬉しかったし、生きてるんだと思った」と言ってくれたんです。その感想にグッときて。自分で選んでいいんだと知ることで、「自分の人生を生きていいんだ、生きるぞ」って何かスイッチを押すことができたかもしれないと思って。そんなふうに、「君たちにはパワーがあるんだよ」ということを伝えたいと思っています。

【写真】明るい表情でお話しするとりゅうさん

「自分にはパワーがある」そんな風に思えることはどんなに頼もしいことだろうと、その少年の力を得た顔が浮かぶように感じます。

とはいえ、まだまだ私たち大人にも十分に浸透しているとは言い切れない「人権」の話。一緒に聞いている学校の先生や自治体の担当者からも、子どものときに聞いておきたかったという声が多くあるそう。大人である私たちが、今からでも人権を守るためにできることはなんでしょう。

極論かもしれないのですが、まず自分を幸せにすることだと思います。

子どもたちに人権を説明するときに、「安心・自信・自由というのがどこで決まるかというと、誰かが決めてくれるのではない。人それぞれ、この人にとって安心でも他の人には怖いこともある。自分自身の心の状況が安心か自由かを判断しているよね、自分自身のそれを守ろうという心の力が人権なんだよ」という説明の仕方をするんです。

自分の心と身体を大切にする。同じように、相手の心と身体も大切にする。それが、人権が守られる社会ということ。大人も含めて、自分自身が自分の心と身体のことをきちんと大事にして考えて生活していくということが、ひいては人権が守られる社会を作ることにつながるんじゃないかと私は思います。

例えば、自分と異なる背景を持つ人に寄り添うことや、誰かを傷付けるようなことをしていないか我が身を振り返る、そんなことを人権に関わることだと考えていましたが、まず私たちが最初にできるのは、自分を大事にすることだという鳥生さんの言葉にハッとさせられました。

「一人ひとりがまず自分を大事にするところから。自分の心と身体に目を向ける余裕が必要なんですよね。自戒をこめて」と鳥生さんは続けました。うっかり見逃しがちな自分の心と身体。始められることが足元にあることを教えてもらいました。

離婚という選択によって生じる困難やリスクを少なくしたい

鳥生さんのもう一つの軸となる活動が、離婚する前の話し合いと離れて暮らす子どもとの面会交流支援を行う一般社団法人オンネリの活動です。こちらは共同代表の竹内明美さんとともに、2020年春に立ち上げました。

「おとなも子どもも、自分自身のしあわせを生きる」というキャッチコピーが印象的なオンネリのウェブサイトには、笑顔で手を取り合って走り回ったり、涙を流して抱き合ったり、腰に手を当ててにらみあったり、様々な表情の人たちが青空と花畑をバックに生きる姿がイラストで描かれています。

【画像】笑ったり泣いたり色々な表情の子どもと大人がカラフルな色を使って描かれている。

オンネリのウェブサイトに掲載されているイラスト(提供:イラスト 五十嵐岳)

弁護士事務所とは別に一般社団法人を立ち上げた背景には、どんな思いがあったのでしょう。

弁護士として家族の問題に関わる中で、家族の多様化がすすんでいるにも関わらず、そこに今のシステムや制度が対応できていないことで、かえって問題を複雑にしてしまっていると感じることがありました。

もちろん離婚自体が問題になるわけではないのですが、特に刑事事件や少年事件、貧困問題などを取り扱っていると、その背景として、両親や自身の離婚が大きな問題に至る引き金になっているのではないかと感じるケースも少なからずあったんです。

もっと早い段階でケアをするためにどういう支援策があるだろうと、共同代表の竹内と話をしていて、私たちが「こういうものがあったら良いよね」と思うことを小さく始めました。

【写真】パソコンの画面を確認しながらインタビューに答えるとりゅうさん

離婚という選択によって生じる困難や社会生活上でのリスクを少なくしたい。その思いから、弁護士としての事件処理や裁判所での法的手続きの枠を超えてサポートをする必要があると感じ、立ち上がったオンネリ。具体的には、離婚をする前の話し合い(離婚等ADR)と、離婚後や別居中などに子どもと暮らしていない親が、同居親との合意のもとで子どもと交流する面会交流の支援を行っています。

離婚等ADRのADR(Alternative Dispute Resolution)とは、「裁判外紛争解決手続」と呼ばれるもの。裁判によることなく、法的なトラブルを解決する方法です。2004年に裁判外紛争解決手続の利用促進に関わる法律(ADR法)が制定され、2007年4月1日に施行されました。オンネリでは家族に関する紛争のみの対応ですが、ADRは離婚だけでなく、損害賠償に関わることや、不動産、相続、医療など、さまざまな紛争を解決する手段として用いることができます。

一般的に離婚に至るまでのフローとしては、当事者間で話し合って離婚(協議離婚)が成立しなかった場合、家庭裁判所で、裁判所を通した話し合いである離婚調停を行います。調停を行っても夫婦で合意できなかった場合には、離婚裁判によって離婚を目指します。そして裁判になると、裁判官が離婚をする・しないという結論や慰謝料の金額等について判決を出します。

一方で離婚等ADRは、民間団体による紛争解決手段で、当事者のみでの話し合いが成立しなかった場合に、裁判所での調停とは別の選択肢として選択できるものです。離婚に詳しい弁護士や司法書士などの専門家が調停人として同席して、二人が離婚に向けた話し合いができるよう中立的な立場からサポートをします。

ちなみに、離婚の裁判を起こす場合には、必ず先に調停の申立てをしなければなりません。これを「調停前置主義」と言い、離婚調停が不成立となってはじめて離婚訴訟を提起することができます。

法務大臣認証のADR機関を利用し、合意に至らず終了した場合には、調停前置主義を適用せずに、そのまま離婚訴訟を提起することができます(ADR法第27条。ただし、裁判官の判断により、調停に付される場合もあります)

※なお、オンネリは認証ADR機関となる手続きを進めていますが、現状は認証がありません。

家庭裁判所に調停を申し立てるとなると大事になってしまうような感覚があってためらわれるという場合や、できる限り当事者間で話し合って解決したいという場合に、ADRという手段は大きな助けになります。

また、ADRはアクセスのしやすさもメリットのひとつです。平日のみしか空いていない裁判所は、ときに仕事を休んで行かなければいけないこともありますが、ADRでは近くのADR機関が受け付けれていれば夜の話し合いもできるほか、オンラインに対応している場合もあります。オンネリのADRもオンラインで実施するため、インターネット環境さえあれば、どこに住んでいても利用することができます。

良い話し合いが、その後の前向きな生活につながる

離婚について第三者に話をする、というのはハードルがあるように感じますが、鳥生さんは今後の選択肢を知るために早めのタイミングで相談することをおすすめしています。

2人だけで話をするのは精神的に厳しいから、友達や親御さんに同席してもらおうかな、というぐらいのタイミングで、専門家が第三者として関わるADRを選択してもらえたらいいなと思っています。こじれてしまって、もう裁判所しかないという段階になると、同じテーブルに着いて話し合うのが難しくなることもあります。

早めのタイミングで相談に来ていただけると、ご自身の希望や状況に適した手続きをご提案できると思うんです。

【写真】緑豊かな遊歩道で笑顔を見せるとりゅうさん

「2人で話し合って解決をしようという方をサポートしたい」と話す鳥生さんは、ADRと調停の大きな違いとして、外側の基準ではなく、自分たちの基準を考え、取り決めを行うことができることだと話します。

ADRは、自分たちなりの解決ができる方法です。ある程度、お互いが大事にしたいことを共有しながら話し合いを進められると思っています。裁判所だと、どうしても裁判所の相場感や判例に基づいて話を進められてしまうケースが多いです。でも、2人で納得がいくんだったら、本当は基準に沿わなくてもいいんですよね。

裁判所で示される「正解」っぽく見えることを優先するより、話し合って納得したうえで取り決めるべきことを取り決めることが、その後の二人の関係性を維持することにつながり、生活への安心感や安定感につながっていくと思います。

話し合いを経て納得のいく結論を導くためには、そのプロセスが大事なものになりそうです。具体的にどのように相談は進められるのでしょう。

オンネリでは、離婚をした後にどんな生活をしたいのか、どんなことを大事にして生活したいかを考えてもらうということを最初にします。それをお互いに話し合いのテーブルに乗せてもらって、今の家庭の状況と今後どうしたいかを踏まえて、子どものこれからや養育費についてなど、どんな合意ができるのかという話し合いの進め方をしていきます。

できるだけ話し合いで解決することを目指しながら、合意ができないという状況になってはじめて、裁判所の相場などが役に立つそうです。鳥生さんの「答えは当事者の言葉の中に」「法律は(依頼者を助ける)道具として使うもの」という向き合い方がここにも垣間見えます。

話し合いの過程が大事だと、様々な家族に関わってみて感じています。お互いの主張が平行線のように見えても、「お互いの大事にしているものを両立させるにはどうしたらいいのだろう」というやり取りをしながら、最終的にどこをどう譲って、どこを通そうか優先順位を考えていきます。遠回りなように見えて、最終的に着地をしていく方向が見えている。価値観の共有を行ったうえで取り決めることができるので、うまく合意ができると良い話し合いができたなと思いますね。

【写真】腕を組み考えながら質問に答えるとりゅうさん

今まで何が満たされなかったのか、これからどういう生活をしたいのか、ADRという場を通して自分が何を大切に生きていきたいかを考え直すことは、新しい生活の見通しを立てることにもつながりそうです。

一方で、離婚問題で夫婦に子どもがいたとき、両親の離婚はその後の子どもの生活にも大きな影響を与えます。家族間のトラブルがあったときに、子どもの意見を反映させていくことができるのかと問うと、鳥生さんは今まさに課題に感じているところだと話してくれました。

裁判所では、親同士が調停をしている際に、一定の要件を満たす場合に、子どもに手続代理人をつけるという制度があります。これは子ども自身が利害関係人として面会交流や監護者、どちらの親の元で生活するかなど、自分の生活が関わるところに子どもが意見表明するのを援助し、最善の利益を実現するために弁護士をつけてもらうことができるという制度です。

現状ではかなり対立が激しいケースで利用されていますが、もっと気軽に弁護士がついて、今の状況や見通しを子どもにしっかり情報提供して、子どもの意見が大人に伝わるようになったらいいなと思います。

また、多くの夫婦は協議離婚をするため、裁判所が関わる離婚は1割強と言われているそう。残り9割弱の子どもがいる家庭でも、子どもの声を聞くサポートができないだろうかと鳥生さんは考えています。

ADRの中でも、両方の親が希望してお子さんがOKすれば、ADRの調停員がお子さんにあって状況を説明したり、意向を確認したりしているケースもあります。そういう形で、柔軟に家族それぞれに関わっていくことができたらいいなと思っています。

【写真】階段に向かって歩くとりゅうさんの後ろ姿

それぞれの選択が当たり前に認められる社会に

鳥生さんが一貫して目指しているのは、「一人ひとりの自由な選択が尊重される社会」。ADRを利用して、関係性がこじれる前に離婚を選択できることも、その一助になるといいます。

離婚をしても大丈夫な社会になると、ポジティブに関係性の維持を希望する人たちだけが婚姻を継続して、そうではない人たちは違う関係性を選ぶという状態になるんじゃないかと思います。そういう社会になると、社会の中での家庭や家族ということへの感覚が変わってくるのではないかと思います。

最近、芸能人の離婚の話題でも、夫や妻という役割に縛られることがつらかった、という声を耳にすることが増えてきました。一方で、役割から外れることを非難する声も根深くあるようです。個人の自由な選択が尊重される、そんな社会になるためにできることはなんでしょう。

ふとそんな疑問を口にすると、「離婚をネガティブにとらえている自分の価値観を見直すことではないでしょうか」と鳥生さんはきっぱりとした口調で言葉を紡いでくれました。

「家庭」というときの既定概念、つまり夫婦がそろって子どもを育てるものという規範的家族像を良しとする価値観を見直すということです。

結婚や夫婦という社会の側からの家庭の枠組みと役割がセットだとそこにいるのはしんどいですよね。それが嫌なんだという意思表示をみんながすれば良いと思う。

その人が「どういう役割を果たしたいか」とか「どういう風に生きたいか」は、その人が自由に選択して良い話ですよね。そこに第三者が口を挟むのはあまりにも無粋です。

自分と異なる意見、考えをどう受け止めるか、という問題もあると思います。私が「あなたと遊びたい」と言ったときに、その相手が「今は遊びたくない」と言ったとして、それを「私のことが嫌いなんだ」とか「否定された」と捉えるのではなく、「今は、私と遊ぶ気持ちじゃないということ」「それぞれの気持ちとしてOKなんだ」と認めたい。それが当たり前の社会になるといいですよね。

【写真】手を動かしながら話すとりゅうさん

「自分自身の人生を生きたい」と思ったときに、専門家による助言をもらえるだけではなく、話し合いを通してこれからの生き方についても見つめ直すことができるオンネリのADR。それぞれの思いや選択を大切にできる手段として、鳥生さんは、これからもADRという選択肢があることを広めていきたいと話します。

今、インターネットや本でも簡単にマニュアルのようなものが手に入ると思います。でもそこに書いてあることを実行することが正解なのではなくて、自分が今の状況を良くするために、何を選んでどう解決するかということが大事なんですよね。

だからこそ、問題への向き合い方から解決に向けたサポートをするADRという手段があることを多くの人に知ってほしいです。そのためには、もっと早い段階で重要な正しい情報に行き着くための情報提供や相談支援が必要だなと思っています。

友人の相談、芸能人の離婚への世間の反応、家族をめぐる問題の行き場のなさにモヤモヤした思いを抱えていましたが、事務所を後にするときにはとてもすっきりした気持ちでいました。

鳥生さんとお話するなかで一貫して感じていたのは「自分の人生を生きていい」というメッセージ。「人権」とは権利、まさに「パワー」ですが、私も小学4年生の男の子と同じように、自分には選択して生きていくパワーがあるんだとスイッチを押してもらったように感じました。

「一人ひとりの自由な選択が尊重される社会」に向けて、なにか大きな力を動かすことはできなくても、まずは自分自身の心と身体の声に耳を澄まし、私自身の「安全、自信、自由」を日々選択したい。

そんなことを思いながらも、今朝も娘の「自由な選択」を尊重できずに怒らせた自分を反省しながら、でもその娘の思いを「わがまま」ではなく「一人の人間としての自由な選択」と捉えることができた自分に以前との変化を感じたりもしながら。トライアンドエラーを繰り返して、まず私、そして一緒にいる家族や友人の声を聞くことができる自分でありたいと思います。

【写真】緑に囲まれた場所で微笑むとりゅうさんとライターのふくい

関連情報:
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(撮影/川島彩水、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子、協力/草田彩夏)