【写真】車椅子に乗り、カメラの方を向いているゆりこさん

人生には嬉しいことも、悲しいこともある。移りゆく日々の中で、自分の状況も気持ちも波のように浮き沈みします。

頭ではわかっていても、自分が沈んでいるときに、眩しく輝いて見える人に対して心がささくれだつ。そんな自分に嫌気が差して、ネガティブな思考に陥る日も訪れます。

SNSやメディアで流れてくる「素敵な生き方だな」と感じる人、物語に励まされるときもたくさんあるけれど、自分の心身の状態次第では、受け止めきれずに心が萎んでしまうことも。

どうにもならない、ままならないと感じる現実を前にすると、「私にはできない」「あの人とは違うから」「どうせ私は」──そんな“あきらめ”にも似た気持ちを抱いてしまいます。

それは誰かとの関係性についても同じ。きっとわかり合えない。傷つけ合いたくない。そうやってどこか少し距離を置いてしまう。自分の力ではどうにもならない大きな仕組みの渦の中で、「社会はこんなものだ、きっと変わらない」と感じることだってあります。

なんだかそうして、自分や相手、社会に対する「期待」を手放して、「諦念」の芽が生まれているような気がするのです。

そんな「あきらめ」の芽をふっと吹き消してくれた人がいます。

【写真】笑顔でこちらをみているよういちさんとゆりこさん

進行性筋疾患「遠位型ミオパチー」の患者である織田友理子さん。

彼女は自分の意思では1cmたりとも動かすことができない体を大きな車いすに乗せて、日本各地、世界中を飛び回り、しなやかに社会に語りかけ、「車いすでもあきらめない世界」を実現すべく邁進しています。

難病・遠位型ミオパチーとともに、「車いすでもあきらめない世界」へ

友理子さんが遠位型ミオパチーと診断されたのは、大学に通う22歳の頃。

遠位型ミオパチーとは、体幹から遠い筋肉、例えば指先や足首を動かす筋肉から弱っていき、車いす生活、いずれは寝たきりになってしまう可能性もある病気です。遺伝子異変が要因で、患者数が極めて少ない希少疾患でもあるため、いまだに薬や治療法が確立されていません。

そうした状況を踏まえ、友理子さんは2008年に遠位型ミオパチー患者会「PADM(パダム)」を発起人の1人となって立ち上げ、NPO法人化ののち代表として活動してきました。

諸外国の当事者運動を研究するため半年間デンマークへ留学。204万筆の署名を集めて厚生労働省に提出。こうした働きかけによって、2015年に遠位型ミオパチーは国の指定難病と認められ、日本の製薬会社によって新薬の開発が進んでいます。

soarでは2015年12月に、友理子さんにインタビューをさせていただきました。

「少しでも健常者と障害者の壁をなくしたい」ーー難病・遠位型ミオパチー患者の織田友理子さんが描く世界

みんなでつくる世界最大のバリアフリーマップを開発したい。

こう語っていた友理子さんは2017年、その夢をかたちに。スマホアプリ「みんなでつくるバリアフリーマップ WheeLog!(ウィーログ)」を開発し、バリアフリー情報の発信と理解の普及に励んでいます。

また、友理子さんは車いすで訪れた国内外のバリアフリー情報を届けるYouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」で120本以上の動画を配信。積極的に車いすで外に出かけ、自身の体験を発信しています。友理子さんが車いすで訪ねた国はなんと世界19カ国以上!

こうして活発に動き回る友理子さんの隣にはいつも、パートナーの洋一さんがいます。学生時代から交際していたふたりは、病気の診断を受けたのちに結婚。その後すぐに子どもを授かり、現在高校2年生になる息子さんと暮らしています。

【写真】車椅子に乗ったゆりこさんと、横にかがんで目を合わせているよういちさん

……とここまでわかりやすくまとめた友理子さんの物語に触れて、「なんてパワフルなんだ」「自分とは違う」となんだか圧倒されるような想いを抱いた人も少なくないかもしれません。

どうして友理子さんはそんなにも前向きにがんばり続けることができるのだろう?───私自身もそんな問いを携えて、会いに行きました。

でももちろん、友理子さんもひたすら前を向いて歩んできたわけではありません。二回目の取材となる今回、友理子さんは、表に見える、目に映るものだけではない、内側の葛藤のようなものも語ってくれました。

ちゃんと落ち込んでから、あとに続く人に想いを馳せる。進行する病気との向き合い方

取材の日、集合場所である渋谷に、洋一さんと一緒にやってきた友理子さん。大きな車いすに体を委ね、ポニーテールを結い上げ、鮮やかな赤い紅、ブラウンとピンクのネイル、色違いのブーツをまとう。

障害があっても、車いすでも、自分らしさを手放さず、外へ出ていくことをあきらめない──。私はそのときまだ、その姿の芯にある友理子さんの強い意思と努力を想像することができていませんでした。

【写真】車椅子に乗ったゆりこさんをよういちさんが押している様子

インタビュー場所へ移動して、まずは7年前からの病気の症状や生活の変化についてをお聞きしました。

友理子さん:7年前は小型タイプの簡易電動車いすを使用していたんです。でも、ここ1〜2年で症状が進行し、座ることはできるけれどちょっとの衝撃で頭が前に倒れてしまったり時間が経つと体が痛くなってしまって。見ての通り、安全のためにも背もたれがしっかりあって、リクライニング機能がついた大型の電動車いすを使うようになりました。

【写真】ゆりこさんの車椅子のタイヤ。簡易車椅子よりも太いタイヤを使用している。

他にも、生活の中では背もたれや脚部分がリクライニングできる電動ベッドとエアマットレスを導入し、出張の際には追加で購入した同じエアマットレスを持っていきます。PC作業も以前は手の先でキーボードを打っていたんですが、今は視線入力の装置を使っています。

視線入力のためのソフトウェアは、私の病気だと補助制度の対象にならず自己負担になってしまうんですけれど。テクノロジーのおかげで、重度障害者であっても、こうして外へ出て活動できています。

友理子さんはさらりと語るけれど、自分の体が思うように動かず、できていたことができなくなっていくこと、新しい福祉機器を生活の中に組み込んでいくことを受け入れていくのは、けっして容易なことではないように思います。友理子さんはこうした症状や生活の変化をどんなふうに捉えているのでしょうか。

友理子さん:症状が進むと、できなくなったことを突きつけられるので、毎回落ち込むことは落ち込みますね。最近は筋力が弱って体力が落ちているので、肺活量が減ってしまって。最近、リハビリとして呼吸器を導入することになったんですが、それまでは導入を勧める主治医の先生に「いやです」と言って駄々をこねていました。

どれだけ経験を重ねても簡単には受け入れられないことはあります。でも、私の病気は止められないし、受け入れざるを得ないので、早めに導入することにしました。

ちゃんと落ち込んで悲しんだあとは、思考の転換をして、あとに続く人に想いを馳せるようにしています。身をもって経験したことは説得力が増すはずだから、せっかくなら、同じ病気の人、同じような病気の人に同じ福祉機器の導入を検討している時に役に立てることが今後もしあればって。

先日も呼吸器を使い始めたことをInstagramやFacebookに投稿したら、病気の子どもがいる親御さんから「使用感を詳しく聞きたい」という連絡がありました。そうやって自分のこの経験は無駄じゃなかったはず、と無理やりにでも言い聞かせて少しずつ前を向いている感じです。

障害があっても、車いすでも「あきらめたくないし、あきらめてほしくない」

症状が進行する中で、外出を控える、活動を抑えるといった選択肢を取らざるを得ないこともあるでしょう。それでも織田さんは、自分のやりたいことに向かう好奇心の芽を育むことをあきらめていないように見えます。

友理子さん:今こうして重度障害者と言える身体状況となっていますが、私は子どもが産まれてから車いす生活となり、引きこもりがちでした。その頃の私だったら、外出することさえあきらめていたかもしれません。

当時の私は、3年くらいずっと「車いすだから行けない」と海水浴をあきらめていました。でも、車いすでも行けるビーチの情報を得て実際に行ってみたら、息子と一緒に海を楽しむことができた。

このとき、車いすでもあきらめなくていい、情報と環境さえあればどこへでも行ける、人生を楽しめるんだ、と思ったんです。

【写真】波打ち際で車椅子に乗って水遊びをするゆりこさん

ユニバーサルビーチに行ったら、車椅子でも海水浴を楽しむことができた(提供写真)

この実体験は、これまであきらめていたことも含め、友理子さんのバリアフリー情報発信への好奇心の芽が開く転機となりました。

友理子さん:とはいえ、私の体は自分の意思では1cmも動かすことはできないから、私が行動するには、テクノロジーだけでなく、周囲の人たちのサポートが必要です。それでも私は外に出たいし、世界を知りたい。だからこそやりたいことに向かって行動を起こす際は、大変な思いをして、周囲に負担をかけてまで、「それをやるのはなんのため?」と常に問います。

その「なんのため?」の答えが、障害があっても「車いすでもあきらめない世界をつくる」ためなんです。

【写真】車椅子に乗ったゆりこさんが斜め先を見つめている

常に行動することをやめない友理子さんの原動力の根底には、いつだってこの想いが流れています。

友理子さん:車いすユーザーにとって、街に出るにしても、海外に行くにしても、道にある小さな段差が大きなハードルになります。かつての私がそうであったように、大変な思いをして、誰かに負担をかけるなら、行かなくていいやとあきらめの気持ちが湧いてしまう。その繰り返しによってあきらめることが当たり前になり、自分には無理だと思い込んでしまうのです。

でも私はあきらめたくないし、誰かにあきらめてほしくない。日々の小さなあきらめは、人生の大きなあきらめにつながっていってしまうと思うから。

自分が掲げる「あきらめない」は、地に足の着いた「あきらめない」だと友理子さんは言葉を続けます。

友理子さん:私にとっての「あきらめない」は、自分の人生で本当にやりたいと心から願うこと。そして、今の状況で自分にできることを考えて、「少しがんばれば、少し手を伸ばせば、できるかもしれない」というレベルのことに対してなんです。

たとえば私が「自分で歩けるようになりたい」と願っても叶わない。でも「海に行きたい」であれば、情報を集めて、事前に準備をして、テクノロジーや人の手を借りれば叶えることができる。障害があることや難病であることはどんなに嘆いても変わりません。そうした現状を受け止めたうえで、やりたいことや叶えたいことを思い描いて、自分にできることをしていくしかないと思うんですね。

自分の意思や努力ではどうにもならない現実を受け止める。そこから夢を抱いて、自分にできることを重ねていく。この繰り返しを経て、今の友理子さんがあります。

【写真】SDGsのイベントに参加している笑顔のゆりこさん

WheeLogは、SDGsの達成に向けた活動を支援するアワード等も受賞している(提供写真)

友理子さん:「車いすでもあきらめない世界をつくる」という事業かつ私の人生のビジョンは、進行する難病があって車いすで生活する私だからこその願いであり、できることだと思っています。

「私の人生は短い」──WheeLog!を広げる活動への情熱の背景にある焦り

「車いすでもあきらめない世界をつくる」──その願いに向かって、友理子さんは、テクノロジーに頼り、洋一さんをはじめ周囲の人たちを巻き込みながら、「みんなでつくるバリアフリーマップWheeLog!」の活動を前に進めてきました。

これは最高技術責任者である島根大学の伊藤史人先生、最高知識責任者であるオリィ研究所の吉藤オリィさんなど強力なメンバーに加え、理事や監事、事務局員やサポーターのみなさんとともに歩んできた道のり。6周年を迎えたWheeLog!は、ダウンロード数が10万件、登録者数が3万人を超えるアプリに発展しています。

【画像】マップを開いたスマートフォンを操作する手が写っているWheeLog!の広告画像

WheeLog!を使えば、車いすユーザーが必要とする情報を、世界中のユーザー同士で共有できる(提供写真)

友理子さん:活動を始めた8年前に比べて、WheeLog!の活動は自分でもびっくりするくらい飛躍的に広がっていて。アプリの中で車いすユーザーをはじめいろんな人が活発に動いて、言葉を交わし、あたたかい世界が広がっていると実感できる。私はWheeLog!は「世界一あたたかい地図」だと確信しています。

数値には表せないけれど、WheeLog!の活動を通して、人の表情や気持ち、人生が変化していく瞬間をたくさん目撃していて、それが私たちの喜びになっています。アプリの開発や維持には、膨大なお金もかかるし、一筋縄にはいかないことも多いけど、WheeLog!を開発してよかったと心から思える。WheeLog!は社会に役立つポテンシャルがあると思うから、もっともっと届けていきたい。

私、休みとかいらないので。人生とWheeLog!の活動が結びついちゃっている感じなんです。

先頭に立って想いを伝え、周囲の人たちの賛同を得ながら、世界一あたたかいバリアフリーマップを築きあげる。そんな友理子さんは、ぶれない想いを抱いてやりたいことに真っ直ぐ突き進んでいるように見えます。

でも、その背景には、強い想いややりたいことがあるからこそ、ままならない自分の体や目の前の現実に対する「焦り」があることも、同時に語ってくれました。

友理子さん:やっぱり私はどんなに気力があっても体力が追いつかないことが多いんですよ。事業に対してのいろんな想いが頭を巡ってやりたいことが溢れても、すぐに行動には移せない。たとえば頭の中にある構想をメモして書き出すことだって私には簡単にはできないので。今やらなきゃ、前に進まなきゃっていう「焦り」が常にあります。

だからとにかくやりたいことに想いを巡らせて口にして、助けを借りながらかたちにしていく。でも無理をすると体に大きな負担をかけてしまうので、ちゃんと休まなきゃって思いもあって、心と体がちぐはぐな感じもするんです。

【写真】インタビューに応えるゆりこさん

頭で考えていることに体がついていかないもどかしさ。やりたいことは溢れているのにセーブをしなければならないことへの焦り。友理子さんのパッションの源には、前向きな気持ちだけではなく、そうした葛藤も共存しているのかもしれません。

友理子さん:こうして自分が活動できるのはいつまでかわからないという想いが常に頭にあるんです。体が動かなくなって、肺活量も減って呼吸器をつけるようになって……10年前に想像していたより病気の進行が早い。だから、今のうちに、自分にできることを全部して、WheeLog!に賛同し協力してくれる人たちを一人でも多く増やし、持続可能な事業に早くしたい。

私の人生は短いと思うから、逆算して、失敗も考慮して、“ここまでやれば大丈夫”と思えるところまで、できることを着実に積み上げていくしかないと思っています。

いつまでも今のままではいられない。いつか自分の体が今以上に動かなくなるときが来る。人生は短い。友理子さんはそんなふうに、どこかで「終わり」や「儚さ」を意識しているからこそ、今自分にできることに、力を尽くしているのかもしれない、と感じました。

友理子さん:たまに引き際のことも考えるんですけど、WheeLog!は、自分が言い出しっぺでつくったものだけど、自分のものではなく、社会のもののような感覚なんです。私が死んでも、WheeLog!はなんらかのかたちで残り続けてくれたらいいなと思っています。今、本当にたくさんの方が関わってくださっていてありがたい限りです。

コミュニケーションで違いを受け止めて育む、対等で唯一無二の夫婦関係

織田さんの生活やWheeLog!の活動には、パートナーである洋一さんの存在も欠かせません。メイクも髪を結ぶのも、日常生活の補助は洋一さんがしていて、取材や講演、海外出張に行くときもふたりは常に一緒に行動しています。

その日も、手足が動かない織田さんの代わりに洋一さんは、目にかかった髪をはらい、ペットボトルのお茶を口に運び、足を組み替える動作を自然にしていました。それができるのはたとえ夫婦であっても、けっして“当たり前”ではないと思います。

【写真】よういちさんがゆりこさんの足元でサポートをしている様子

友理子さん:私は何をするにしても一人でできないから、いまだに引け目を感じるし、罪悪感や後ろめたさを抱くことはあります。どうすればお返しできるのか。洋一さんに対して、なんで私と結婚して一緒にいてくれるんだろうと思うこともあるんです。

そんな友理子さんに対して、隣にいる洋一さんは飄々とこう言います。

洋一さん:まあ僕は彼女が元気に活動してくれるのは何よりだと思うし、彼女の活動は社会的にも意義があると思っているので。

それに、たとえば僕がサポートして海外に「連れていっている」のではなく、彼女に「連れていかれている」感覚なんです。僕一人だったら自ら海外に行きたいとは思わないけど、彼女と一緒に行ってみたら視野も広がるしおもしろいんですよね。

僕は基本的にやりたいことがないんで。色が濃い彼女に、色の薄い僕を染めてもらっているような。……とはいえなんでもウェルカムで協力しているわけじゃないんですよ。

たとえば友理子さんがやりたい!という想いを抱いたとき、洋一さんは二つ返事で背中を押し伴走するのではなく、突破しなければならない「最初の壁」になると言います。

友理子さん:私はやりたいことがむくむくと湧いてくるんですが、洋一さんは現実的なことを考えて「無理だからやめたほうがいいんじゃないか」って止められることも多いんです。なんでこの人と結婚して一緒にいるんだろうと思うくらい(笑)、正反対。なんで私を止めるの!?とそのときは腹を立てるんですが、その分「なんのために行動するのか」を考える力は養われていますね。

思考回路も性格も違うふたりは、ぶつかり合うことも多いのだとか。

友理子さん:ぶつかるときは、ガチンコで言い合います。喧嘩はするけど、シャットダウンはしません。私たちは視点も性格も全然違うけど、時間をかけても歩み寄っていかないといけないと思っているので、閉ざすことはない。忍耐が足りないなって思うくらい、私は思っていることをぜんぶ伝えます。洋一さんはなんでも言葉にするタイプではないけれど、自分が納得するまで、YESとは言わない。

でもあきらめずにコミュニケーションを重ねていくと、どこかの時点で理解というか、共感と納得感を持ってくれるときが必ず来るんですよね。

【写真】穏やかに笑顔を浮かべているよういちさんとゆりこさん

視点やアプローチは違えど、お互いへの信頼を持って同じ方向を見て進み、関係性をあきらめない。洋一さんが自分を犠牲にしてひたすら献身的になるのでもなく、友理子さんが引け目を感じて遠慮するのでもなく、ふたりは対等な関係性にあるように感じます。

友理子さん:あまりに近くにいすぎて、その存在がどこか当たり前かのように感じてしまうこともあるんですが、夫がいなければ私はまったく違う人生を歩んでいたと思う。大事にしなきゃいけない人だと思っています。

障害の有無にかかわらず、できないことがあって、“迷惑”をかけるからこそ、頼るからこそ、そこに信頼が生まれて、唯一無二の関係性が築かれていくのかもしれない。ふたりを前にそんなことを思いました。

子育ての困難は社会の中に。人と比べず、絶対的な価値観で親になる

ふたりはともに子育てをしてきた親でもあります。病気がわかってから結婚し、切迫早産・流産のため長期間絶対安静の入院を経て無事に生まれた息子さんは現在高校2年生。友理子さんの車いす生活と同時に始まった子育てと、どんなふうに向き合ってきたのでしょうか。

友理子さん:私はかわいいなあっておばあちゃんくらい引いた視線で見守っています。何かあったときに叱る役割は、洋一さんがしてくれています。

私は生まれてきてくれただけで嬉しい、ありがたい、という気持ちがずっと根底にあるんです。彼が生きたい人生を歩んでいくべきだと思うので、親がその道を阻んだり支配したりするようなことはあってはならないと思っていますし。彼自身が生まれてきたこと、生きている意味を疑わないでいてほしいと願いながら接しています。

【写真】よういちさんの方を見ながら話をするゆりこさん

私自身、一人の親として、正解がわからない子育てをする中で、人と比べて気持ちが揺らいだり落ち込んだりしてしまうこともあります。友理子さんは、車いすでの生活、体がままならない中で、息子さんに対して“やりたくてもできないこと”もあったのではないかと想像します。

友理子さん:息子に対してやりたくてもできないことは、もちろんあります。だからこそほかのお母さんとは比べない。綺麗事でも建前でもなく、私にはできないことがあって、“普通のお母さんは”という思考回路で考えると自分の心が折れてしまうから。

進行する障害があることがわかったうえで、息子を産んだので、自分の選択として、できないことがあったとしても、私にできることで、洋一さんと子育てをしていくことは決めていました。人と比べる相対的な価値観ではなく、自分で決める絶対的な価値観で、息子の親であろうと。

友理子さんはいつだって、難病である「自分にできないこと」、人とは違うことをちゃんと受け止めたうえで、「自分だからこそできること」を見つけて、力を注いでいるように思います。

それでも子育てをする中で、どうしても自分たちの努力だけで超えられない壁があると言います。例えば学校の入学式や卒業式に参加するにしても、段差があるから車いすでは体育館に行けない。授業参観も階段しかないので上の階の教室に辿り着けない。高校の入学式や学校説明会は、1階の控室からオンラインでつないでもらったこともあったそう。

友理子さん:エレベーター1基さえあれば車いすの私も参加できるのですが。導入費用が高いのでなかなか難しいですね。

【写真】話をするよういちさん

洋一さん:学校の先生方も協力してくれてはいますが、本当は車いすでも行事に参加できるようにするべきなのではないかという思いもあります。バリアフリーではないことが原因で参加できないから参加しないでいたら、社会はずっと変わらないので。

彼女が行けないと思っているところにも行こうとして、実際に行けなかったと悲しい思いをすることも含めて、困難さを引き受けて発信していくことには意味があるのかなと思っています。

洋一さんのこの言葉に、友理子さんは「車いすユーザーとしての発信は、まだまだ十分にできてない」と言葉を重ねます。

友理子さん:保育園では保護者会の役員も引き受けましたが、小中学校では、私が参加することで毎回親御さんたちに、集まる教室の変更などお手を煩わせてしまうので、PTAはあきらめました。ただ学校行事には行くようにしていて。学校には迷惑をかけるかもしれないけれど、私も申し訳なさを抱きながらも周りの目が気になる困難を引き受けてちゃんと親としての経験を体験しておこうと。

子育ての困難さは、家庭の中ではなく、学校や地域、社会の中にある。バリアフリーでないことで社会参加ができないとき、子どもが関わっているとなおさら悔しい思いも湧いてくるのではないでしょうか。

友理子さん:悔しさも悲しさも込み上げてきます。そういうときは、夫に愚痴ります。渦中にいると視野が狭くなってしまうんですが、夫婦間で感情を共有したあとは、客観的な視点で置かれている状況を見るようにしています。

遠巻きに自分たちを見ると、なかなかいい経験をしているなって思えるんですよ。人に迷惑をかけているかもしれないけど、この経験を絶対に役立たせるからと思って無理やり自分を心の中で納得させている感じです。

誰かの役に立つことで、つらい経験をした過去の自分に手を差し伸べる

難病とともにありながら、積極的に外へ出て、社会の中にある困難を引き受け、体験したことを言葉にして伝え、社会に還元していく。友理子さんの眼差しは、他の誰かと地続きにある社会に向いているように思います。

友理子さん:目の前に困っている人がいたら、私にできることはなんだろうと考えます。というのも、私もそうですが、同じ病気の方、車いすユーザーの方は、社会の中で困難にぶち当たる機会が格段に多いんですね。飛行機に乗って旅行に行きたいけど、どうすればいいのか。どんな福祉機器を導入すればいいのか。

その困難を解決するために、私が経験して乗り越えたことは、言葉にして伝えていきたい。私の体の中で唯一自由に動く口を使って。

そこで私にはどうしてもこの疑問が浮かんでしまいます。なぜそこまでして「誰かのため」に行動することができるのでしょう。

友理子さん:そうやって、誰かの役に立ちたいと思う気持ちを持つことは、「自分のため」でもあるんです。自分の経験を伝えて誰かの役に立てたとき、過去に大変な思いをした自分の気持ちが報われる。こうやって人の役に立つために、私はあのときつらい思いをしたんだなって、悲しい気持ちが昇華されるんです。

そのことがわかっているから、つらいことがあったときは、きっと意味がある、いつの日か「このためだったんだ」って腹落ちするときが必ず来ると思える。だからこそ大変な状況を受け入れられているのだと思います。

【写真】インタビューに応えるゆりこさん。指先にはブラウンとピンクのネイルが塗られている

「自分の弱さをさらけ出すことや、つらかった出来事を話すのが苦手」だという友理子さんはきっと、難病ではない私には想像できないような、悲しみや困難も引き受けてきたのでしょう。そして発信して行動し、誰かの役に立つことで、つらい経験をした過去の自分に手を差し伸べ、乗り越えてきたのだと想像します。

今は「人生の底だ」と思ったとしても、抜け出せる日がきっとくるから

「キラキラしている織田さんを見て落ち込んだ」「恵まれてますよね」

ある講演会で友理子さんは、参加者からこのような想いを伝えられたことがあるそうです。

友理子さん:私はたしかに夫や仲間を含め恵まれた環境にいるかもしれないけれど、“私は恵まれています”で終わりにしたくない。そこで終わりにするのは逆に負けだと思っています。自分と同じ重度障害者の人たちが、今つらい状況にある人たちが、どうしたらあきらめずにいられるんだろう。そのための社会のあり方を考えていきたいんです。かといって全部できてるわけではないですが。

手も足も出ない、やりたいことさえ浮かばない、前に進んでいる人たちの姿を受け止めきれない。そんなふうに底に潜ってしまうことは私にもあります。

友理子さんの姿を見てつらいと感じて気持ちをぶつけた人たちに、もし今声をかけるとしたら、どんな言葉を届けますか?

そんな問いに織田さんは「うーん……」と一呼吸置いて考えながら、こう伝えてくれました。

友理子さん:そういったときはいつも、心の中で「すみません」とつぶやきます。嫌な気持ちにさせてしまって申し訳ないな、と感じるのが、私の素直な反応です。今の私を見て、ご自身と同じような時期があったとは想像できないのかもしれません。でも、私にもあります。今だって悩むこともたくさんあります。その悩みやつらさが浅いのか深いのか、ほんのひとときなのかずっと続くのか、全く一緒なわけじゃないけれど。自分が人生の底にいるって絶望的になることは、病気であろうとなかろうと、生きていたら誰しも必ずあること。

今は自分だけがつらいと感じてしまうかもしれないけど、他の人のつらさは全部見えるものではない。だからこそやっぱり生きてさえいればきっとまたいいこともあるってことを想像してもらえたら。私も昔のつらい時期に、今のような私を想像できていなかったので。こんなに早く病気が進行するとは思っていなかったけれど、こんなにも活動が広がっているとも思っていなかったです。人生はそれだから面白いのですよね。

つらい状況にある最中は、抜け出せない、明るくなることなんてないと思うかもしれないけど、そうじゃない。今が底辺だと思っても、何があっても命さえあれば、心さえ負けなければ、きっと大丈夫。そう思えたら、抜け出せる日も近いし、抜け出すきっかけにもなると思います。私もそうだったし、きっとこれからもまた同じようなつらい気持ちになることはあります。でもそのときに思考転換ができるような癖がつけられたらいいな。

この言葉を聞いて、友理子さんがよくTwitterで「今日の嬉しかったこと」と題したツイートをしていることを思い出しました。

友理子さん:進んで困難を引き受ける、つらくなる日もあるという話をしましたが、日々の中には嬉しいこともたくさんあって。忘れたくないなって思うんです。私が動くだけで周りの人には迷惑がかかるし、私自身もいやな思いをすることもあるんですけど、同じくらい、それ以上に、助けてもらえることや嬉しいことがあるんですよね。

病気は「戦友」。100年前、100年先の遺伝子に想いを馳せながら生きていく

私にとって病気が一番身近にあったのは、祖父のがん。闘病の末、亡くなったことを思うと、病気はどうしても憎しみや悲しみと結びついてしまいます。でもこの社会には、治療法がなかったり完治しづらい病気とともに生きている人もたくさんいます。

では友理子さんは「病気」の存在をどう捉えているのだろう。最後にそんな問いを投げかけてみました。

友理子さん:病気は私にとって、戦友ですね。励まし合ってともに挑戦してきた、戦友。

私は病気だからこそ、いろんな感情も含めたくさんの経験をさせてもらっていると思っているので。病気じゃない人生はもはや想像はできないけれど、病気じゃなかったら、こんなに真剣に生きていけたかなって思うんです。

自分の置かれた状況や悲しみを受け止めたうえで、前に進んでいける友理子さんはきっと病気じゃなくても、その時々の「今」を真剣に生きているのだろうと私は思います。歩まなかった人生のことは誰にもわからないけれど、少なくとも、今の友理子さんは病気とともにある人生をちゃんと自分の足で歩んでいます。

話を聞いていて、友理子さんは、あとに続く人たちが生きる未来、遥か遠くを見つめているように感じました。その理由を尋ねると、そこには「遠位型ミオパチー」という病気の存在が紐ついていました。

友理子さん:遠位型ミオパチーは、「常染色体潜性遺伝(劣性遺伝)」という遺伝子の病気です。両親から受け継いだ遺伝子の両方に変異があって、私はこの病気になった。遺伝子はずっと昔から、この先にも続いていくもの。病気がきっかけとなって、現在に続く、過去や未来のことを考えるようになったんだと思います。

友理子さんは、「すごく好き」だという福山雅治さんの「生きている生きていく」という曲の歌詞を教えてくれました。

こんな僕の人生のいいことやダメなことが
100年先で頑張ってる遺伝子に
役に立てますように
いまを生きてる

そうだ僕は僕だけで出来ているわけじゃない
100年1000年前の遺伝子に
誉めてもらえるようにいまを生きてる
この生命でいまを生きてる
今日を生きてく

(引用元:「生きてる生きてく」福山雅治)

友理子さん:この歌詞にあるように、私は遺伝子を受け継いで、過去の技術者とか、いろんな人に助けられて今を生きている。できることは小さいですけど、自分が引き受けた困難さを未来につなげて、叶わないかもしれないけど、一つでも叶うかもしれないから、夢を抱いて生きています。

誰に褒めてもらえなくても私が夢に向かって行動することで、ほんの少しでも、100年先の未来が、そこに生きる誰かの人生がいい方に変わったらいいなと。

100年先に思いを馳せて歩み続ける友理子さんの願いは、少しずつかたちになり始めています。

友理子さん:2008年から治療薬の開発を進める活動を積極的にしてきて15年が経つ今、治療薬はもう少しで承認審査の過程を踏める予定です。そうすればあともう少しで服用できるかもしれない。私自身は、被験者になりたかったけど、治験では病気が進行しすぎていて被験者になれなかった。

悔しい気持ちもあるけれど、最近、私と同じ病気の診断を受けたばかりの方とお会いする機会があって、これまでの私たちの活動に、感謝の気持ちを伝えてくれたんです。目の前にいる彼はまだ歩けるから、筋肉が残っているうちに治療薬を服用したら効果も高く長く歩くことができるだろうなって。今までの活動が誰かの人生を紡いでいるかもしれないことを、リアルにありありと感じることができて何とも言えない幸せな気持ちで満たされました。

「いつか、そうなりますように」と願いながら活動してきたことが、実現に近づいているなんて。その日はちょうど桜が満開の日でした。この気持ちを、桜を見るたびに思い出したいです。

【写真】笑顔を浮かべているゆりこさん

生きていることがおもしろい。病気であってもなくても、自分の人生をあきらめない

友理子さん:つらかったこともあったし、きっとこれからもあると思いますが、そうした凸凹も含め、私、本当に今、生きていることがおもしろいんです。

インタビューの終盤、どこか清々しい表情で、そんな言葉を伝えてくれました。

友理子さん:こんなにもままならない体で生きていられるのはなんでだろうって自分でも不思議に思うことがありますけれど。私の人生は、たぶんそんなに長くないと思うから。100年先を思いながら、今の人生を、喜怒哀楽を揺らして生きたい。

洋一さんには特にこれからも迷惑をかけると思うんですけど、その分、一緒に楽しんでいただいて。最近も札幌でバスの乗車拒否にあったり。いろんな意味でもうちょっと社会が成熟していけばいいですね。その過程をこの目で近くで見れる。

ままならないこの私の体だからこそ起こる様々なハプニングを、全てマイナスではなくプラスに転換できたらいいな。ままならない体でも、周りの助けてくれる方々とともに人生を謳歌していきたいです。

【写真】よういちさんとゆりこさんが笑顔で話をしている

ままならない体、車いすで外に出て人と関わる中で感じる、人からの支えと喜び、社会の中にある障壁と悲しみ。そのすべてをエネルギーにして、100年先の未来を見つめて、今この瞬間に行動を重ねる。

出発点は自分一人の経験や感情であっても、その先には同じ方向を見つめる人、同じ悩みに直面する人、100年先を生きる人、多くの人たちがいる。

地続きにあるその存在が友理子さんのパワーの源になっているような気がします。

外から見れば、友理子さんは“恵まれている”ように見えるかもしれない。でも、事業も、パートナーシップも、子育ても、自分に「できないこと」を受け止めて、「できること」に思いを巡らせ、夢や理想を描き、そこに向かって行動を重ねて、一つ一つ掴んできたものだと私は思います。

友理子さんは多くは語らないけれど、その過程では、現実に打ちのめされたり、誰かに傷つけられたり、悔しい想いもきっとしてきたのでしょう。今も自分が実現したい世界に向かう途中で、葛藤しもがきながら、前に進んでいるようにも見えます。

大なり小なり状況は違えど、どんな人にもそれぞれ、表には見えないつらさや困難さがあるのだと思います。ただ語られていない、だから目に見えていない、そして見ようとしていないだけで。

渦中にいるときは「なんで自分だけが」と悲観的になってしまうけれど、悲しみをちゃんと受け止めたうえで、想像力を働かせて、少し先の未来や他の誰かに想いを馳せてみる。そうして、自分の人生や相手との関係性、社会の未来を「あきらめなければ」、少しずつ、視界が開けていくのかもしれません。

【写真】笑顔でこちらを見ているライターのとくと、ゆりこさん

ちっぽけでささやかでも、できないことがあったとしても、自分に今できる行動を重ねていきたい。迷惑をかけたとしても、たとえ傷つくことがあったとしても、目の前にいる人と頼り合える関係性を育んでいきたい。すぐに自分を取り巻く社会が変わっていかなかったとしても、100年先の未来に思いを馳せながら、あきらめずに。

そんなふうにぽっと心に明るい火が灯りました。

▼クラウドファンディングについて
『あなたの支援が車いすユーザーの生活を変えます!』
WheeLogは2023年6月16日から7月31日までクラウドファンディングを開始しました!目標金額は500万円。

より多くの外出や生活の不便さを抱えている車いすユーザーや家族に情報を届けるためのアプリ改修を行います。あなたの支援をお待ちしてます。
https://readyfor.jp/projects/wheelog2023

企業スポンサーやマンスリーサポーターも募集しています。
https://wheelog.com/hp/donate

関連情報:
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(撮影/川島彩水、編集、企画・進行/工藤瑞穂、協力/山田晴香)