【写真】国立がん研究センターをバックに微笑みながらこちらを見つめるきしだとおるさん

こんにちは、岸田徹です!僕は約10年前、25歳の時に「胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)」の中の「胎児性がん」という非常に珍しい「希少がん※」を患っていることがわかりました。

胚細胞腫瘍とは、精子や卵子になる前の細胞からできたがんのこと。病気がわかった時にはすでにがんが全身に転移しており、約3カ月間の抗がん剤治療を受けたあと、手術を受けました。それから約2年後にがんが再発して再び手術を受け、現在は経過観察をしながら、日々の生活を続けています。

がんが見つかった時は、インターネットの広告会社で働いていましたが、現在は転職して国立がん研究センター広報企画室に所属しています。そのほか、厚生労働省「がんとの共生のあり方」検討委員や大学の講師なども務めています。

また、がんがわかってから、がんとの生活に関する情報の少なさに問題意識を感じて、がん経験者によるインタビュー型ウェブ番組「がんノート」を立ち上げ、運営母体のNPO法人がんノートの代表理事も務めています。この活動を通して、これまで300名以上のがん経験者にインタビューし、その経験や想いを発信してきました。

さらに、2016年ごろからはライフワークとして、主に小中高の学生向けに「がん教育」をスタートさせ、これまで、数千人に対して約200回のがん教育の授業をしてきました。

今回は、僕の闘病経験や現在力を入れているがん教育などについてお話しします。

※「希少がん」…「人口10万人あたり6例未満の『まれ』な『がん』、数が少ないがゆえに診療・受療上の課題が他に比べて大きいがん種」の総称。
引用:国立がん研究センター 希少がんセンター

社会人2年目、働きざかりに首のしこりからみつかった「がん」

【写真】椅子に座りインタビューにこたえるきしださん

僕は幼い頃から、自分の意見を主張するよりも、周囲との調和を保つことを優先する性格でした。中高時代はソフトボールに打ち込み、チームでプレイすることの楽しさや難しさを学び、大学では自分の知らない土地や文化に関心を持ち、世界一周をするなどアクティブに過ごしました。

大学を卒業した僕は、ITの広告会社に就職。「一番大変な部署で働きたい」と思い希望を出したところ、営業や契約書類の作成など、多岐にわたる業務内容のすべてを、ほぼ自分一人で担う部署で働くことになりました。

ベンチャー企業ということもあり、職場の人たちは自分と年代が近い人が多く、本当に楽しく仕事をさせてもらっていました。

そんな社会人2年目の2012年の3月頃、首の根元が両方とも腫れてきたんです。鎖骨の上らへんにぽこっと、スーパーボール大くらいの腫れものができて。

「これはなんだろう」と気になり、近所のクリニックで診療を受けました。すると医師は「風邪だから問題ない」とのこと。その後、5月の会社の健康診断でも問題ないと言われたので安心していました。当時は、「ばい菌が入って膿んでいるのかな?」としか思っていなくて。もし危険な病気なら痛みが出るはずだと思っていたので、腫れた原因をたいして気にしていませんでした。

すると、秋口にはさらに腫れものが大きくなっていて。さすがに心配になりもう一度クリニックに行ってみると、以前とは別の医師が診察してくれて、「大学病院に行きましょう」と一言。それから大学病院に行って検査をすると、リンパ腫の疑いがあると言われ、血液検査を行った結果、胚細胞腫瘍、つまりがんであることが分かりました。

最初にがんと診断されたとき、「がん」という言葉に衝撃を受けました。ただ、自分自身がいざ落ち込もうとしてパッと隣を見たら、自分よりも両親の方が“この世の終わり”みたいな顔をしていたんです。そのときは、なぜか診断された僕の方が「大丈夫やって!」と、両親を慰めました。

【写真】両手を握り締めながら話すきしださん

もちろんショックでしたが、自分のことなのに、そうではないような。何が何だか分からない感情だったと思います。

あとどれくらい生きられるんですか。

医師に尋ねたところ、「5年生存率は五分五分」と言われました。そのとき僕が思い出したのは、大学のころに世界一周していたときのこと。実はインドに滞在中、悪徳旅行会社に危険な地域へ連れていかれて、尋問や軟禁された経験があります。

あのとき、銃を向けられたり軟禁されたことと比べれば、生存率が高いな。それを思えば二人に一人はがんになる時代だから、早いか遅いかだけの違いだ。

「あなたはがんです」という宣告は、まるでサッカーで規定試合時間の後に追加されるアディショナルタイムの表示が出されたような感覚でした。

「残り時間をどうやって生きるかなんだ」と思ったときに、悲しんで過ごすよりも、悔いなく過ごしたいなという思いが強くなりました。同時に誰もががんになるかもしれない可能性があるからこそ、「むしろ若いうちに治療を受けたほうが体力があるから回復も早いかもしれない」という、ある種の希望も湧いてきました。

自分ががんになったことはつらいですが、どうにかしてポジティブに考えれば光が見える、と頑張って思考をめぐらせていたところもあったと思います。

「なんでこんなに苦しい思いせなあかんねん」涙を流した抗がん剤治療

その後詳しく検査してみると、首の両側にあるリンパ以外に、肺と肺の間の縦隔とよばれるところ、そしてからだの背中側に位置する後腹膜のリンパにがんが転移していることがわかりました。正しくは「全身がん」という言葉はないのですが、当時は医師からそう言われたことを覚えています。

それから、まずは大きくなりすぎたがんを小さくして、摘出手術ができるようにするための治療をうけました。3カ月間入院して、抗がん剤治療を行うことになり、しばらく会社も休職することに。

ようやく自分ががんだと実感したのは、入院してからのこと。抗がん剤治療はやはりつらく、倦怠感、高熱、食欲不振、嗅覚異常、肌の荒れ、脱毛など、一通りの副作用を経験しました。「ポジティブに頑張ろう」と思っているにも関わらず、熱が出たり体調が悪くなったりすると、どうしてもネガティブに考えがちになります。

【写真】インタビューに応えるきしださん

なんでこんなに苦しい思いせなあかんねん。

あまりに苦しくて、涙を流したこともありました。

特に、嗅覚や味覚が異常になり、入院中の唯一の楽しみと言っても過言ではない食事でさえできなくなってしまうと、もうどうしたらいいか分かりませんでした。もはや「無」の状態になってしまい、かなりつらかったです。

ただ、味覚障害や嗅覚障害に対しては、「これなら食べられる」という食べ物を自分なりに頑張って探しました。がん患者あるあるなのですが、味の濃い食べ物や冷たいものは意外と受け付けやすい傾向にあるようです。僕も、コンビニで売っているチキンのような味の濃いものや、アイスのような冷たい食べ物を口に運んでやり過ごしていました。

また、副作用でつらいとき、気を紛らわせることが特に重要でした。入院中、同僚や友人、家族や親戚など、いろいろな方がお見舞いに来てくださって、話をしている時だけは、自分ががんであることを忘れられたんです。そうやって、できるだけがんのことを考えない時間を作るように心がけていました。

【写真】胸の前で握りしめるきしださんの両手

がんの切除手術からの復職。現実はそんなに甘くなかった

無事に抗がん剤が効き、がんが小さくなったので、翌年には手術が受けられることになりました。すでに全身に転移している状態だったので、2回に分けて手術を行うことになり、まず春には首と肺のがんの切除手術。それから体力回復を待って、夏に腹部のがんの切除手術をしました。

大変だったのは、手術をするたびにだんだん体力が下がっていったこと。僕自身、まだ若いからってちょっと調子に乗っていたところがあって、「大丈夫」と思っていましたが、全然そんなことはなくて、手術のたびに体力は落ちていきました。

また、腹部の手術をした後は、何をしても痛くてまるで地獄のようでした。起きるときも痛いし、歩いていても振動がきて痛いし、気を紛らわせようと思ってお笑い番組を観て笑っても痛い。日常生活のなかでこんなにも腹筋を使っているんだと、あらためて思い知らされました。

手術をした後は療養期間を経て、2014年春に、1年半ぶりに復職。体力的に懸念があったため、元々担当していた営業の仕事からマーケティングに部署異動をさせてもらい、内勤できるようにしてもらいました。

復帰後は上司や役員の方たちの理解もあり、周囲にも気にかけていただきました。ですが、自分自身の「バリバリ働きたい」という気持ちに体がついてこなくて、体調を崩してしまいます。

当時は焦りもあって、体力的にどうしても頑張りきれない自分に不甲斐なさを覚えました。療養期間もあったので、体力的にも回復して頑張って仕事できるはずだと思っていましたが、現実はそんなに甘くなかったのです。

当時は、「休職させてくれて、自分を待っていてくれた会社に恩返ししたい」という気持ちが強かったので、復帰できた嬉しさより、悔しさのほうが強くありました。今思えば、徐々にゆっくりと社会復帰したらよかったんだと思います。当時の自分には、「もっとゆっくり仕事をすれば」とアドバイスしたいですね。

【写真】歩道を歩くきしださんの後ろ姿

実は、この頃は経済的にもかなり厳しい時期でした。治療中はいろいろと経済的な負担を軽減する制度を活用していました。例えば、医療費が1カ月の上限額を超えた場合に超えた額を支給してもらえる「高額療養費制度」や、病気で働けなくなり給与がもらえないときに支給される「傷病手当金」などです。

ただ治療後は、僕はがん保険にも入っていなかったので、生活費を捻出するのが本当に大変で。会社に復帰する頃には有休を使いきってしまっていたので、病院に行くために会社を休むと欠勤扱いになってしまう。病院に行くたびに自分の給料が減らされていくジレンマも感じました。

そんな中で退職することになったので、それまで住んでいた家賃10万円くらいのマンションにも住めなくなり、家賃3万5千円の風呂エアコンなしの六畳一間のアパートに引っ越しました。

経済的に苦しい時期が続いて、「消費者金融に行こうかな」と考えはじめたとき。僕の状況を知った周囲の人たちがお金を貸してくれて、さらに、「何かあったら力になるから言って」と声をかけてくれたんです。

今であれば、「がん相談支援センター」という全国に誰でも無料・匿名で利用できるがんに関する相談窓口に連絡すればいいとわかりますが、当時の僕はその存在を全く知りませんでした。あの時、周りの友人が助けてくれたことは、すごくありがたかったと心から思います。

「がんノート」のスタート。一番大事にしているのは“笑い”

【写真】歩道を歩くきしださん

ちょうどこの頃、2014年から始めたのが、今も続けているがんノートです。

僕自身、闘病する中で、同じがん患者さんの経験談が書かれたブログに救われたことがありました。そのときに医療情報ではなく、患者さんだからこそ発信できる情報の大切さを感じ、「患者さん自身の情報を伝えたい」とブログを始めたのが始まりです。

ただ、患者さんのブログを見ていると、闘病中でとても苦しい状況の方が多かったり、その末に亡くなられていたり、治療中である自分自身が読んでいてつらくなってしまうような情報も多くありました。

自分はがん患者さんのために、何ができるだろう。情報を発信するならば、患者さんの見通しが開けるような情報を届けたい。

そう決意し、いろいろな発信の方法を考えた結果、ブログではなく映像で情報を届けることに。例えば、「つらいんですよね」という患者さんの言葉一つでも、表情や口調によってニュアンスは全然違いますよね。「リアルな生の声を、生の映像としてシェアしたい」と思い、YouTubeでの動画配信を続けています。

動画は基本的に対談形式で、これまで累計300名以上の方を取材してきました。トークの中でがん経験者と僕がフォーカスするのは、病気や治療にまつわる情報ではなく、家族や友達、恋愛や結婚などのがん患者のリアルな日常です。

例えば、子育て中のがん経験者には、子育てとがん治療の両立や子どもへのがんの伝え方について話を聞きました。他には、自分自身が生きるうえで大切にしたい価値観について語り合い、がんと向き合いながら、人生を前向きに生きている方のメッセージをお届けした動画もあります。

動画を観た患者さんや家族からは、「病気と正面から向き合っている方たちがたくさんいて、とても勇気づけられた」「自分が感じていた気持ちと同じことも多く、自分だけじゃないんだと少し安心した気持ちになった」「家族が抗がん剤治療中です。一番良かったのは患者さんの気持ちが分かることです」といった感想が寄せられました。その他、医療従事者や学生などさまざまな立場の方からも感想が届いています。

動画は投稿と生配信で配信していて、これまでに「がんノートmini」という30分間の動画投稿を約50本、「がんノートorigin」という90分間のライブ配信を約150回、そして「がんノートnight」というライブ配信も約100回以上お届けしています。

僕ががんノート全体を通して何より大事にしているのは、“笑い”です。当然、闘病していたらつらいことはたくさん訪れます。でも、そんなつらい中でも、病院の中にいても、くすっと笑ってもらえるような発信ができたらいいなと思っています。

【写真】がんノートのウェブサイトのトップページ。がん当事者の顔写真とともに「あなた」か「わたし」のがんの話をしようと書かれている。

がんノートのトップページにも“笑い”を大切にするコンセプトが書かれている(提供画像)

その他、僕ががんノートを運営する中で心がけていることは主に3つあります。

まず1つめは、医療情報ではなくて、患者さんの見通しになるような情報を発信すること。医療に関する情報は専門家である医師や看護師、薬剤師などの医療従事者に聞くことができるし、その方が正確です。だからこそ、がんを経験した患者さん本人にしかわからない人生や日常生活に関する情報を、お届けしたいと思っています。

2つめは、患者さん同士がつながりを感じられる場づくり。特にライブ配信をする時は、同じ時間を共有できるような発信を意識しています。

患者さんは、自宅や病院などで孤立してしまう時があると思っています。そこを、患者同士でライブ配信の中でつながりを持つことで、「こういう患者さんも頑張っているんだ」「こういう方もいるんだ」と時間を共有することができ、孤独感から少しでも逃れることができればと思っています。

3つめは、“等身大”であること。僕自身は、「いいことを言おう」とか、「いいことをやろう」とは思っていなくて、自分のリアルな体験談をお伝えしたいと思っていて。それを、対談相手の患者さんにも「自分の本音ベースで、等身大のほうが伝わると思うので、それでお願いします」とお伝えし、素直な言葉で話してもらうようにしています。

【写真】屋外で緑を背景に立ちながら話すきしださん

がんの再発。「もし死んでしまったらどうしよう」と、初めて間近に感じた死

療養を続けていた2014年の年末頃に、国立がん研究センターの医師から連絡がきて、「うちで働いてみないか」とお誘いをいただきました。それをきっかけに、2015年から国立がん研究センターに就職し、広報企画室で働いています。

転職して2年後、充実した毎日を過ごしていた2017年2月。精巣が腫れてきて、病院で検査したところ、がんの再発だとわかりました。

再発がわかった時、がんが初めて見つかったときには見えなかった「死」が、すごく間近に感じられました。

もし死んでしまったらどうしよう。

すごく悩んで、すごく怖かったです。当時はがんノートも始めたところで、「ようやく社会貢献していける」と思っていたころ。自分のやりたいことがせっかくスタートできたのに、もしこのまま死んでしまったら絶対に後悔が残ると感じていました。

また、「再発する」ということは、治療方法としては段々選択肢が狭まっていくことだとわかっていました。

このまま、治療方法が見つからず、うまくいかなかったらどうしよう。

その気持ちがどうしても拭えませんでした。

再発を伝えた時、家族はとてもショックを受けていましたが、「もう家族に悲しんでほしくない」という気持ちもあったので、心配をかけないよう伝え方は工夫したつもりです。ネガティブな情報と一緒に必ずポジティブな情報も伝えるようにして、「いまこれだけがんが転移しているけど、こういう治療をやっていく」などと、先の見通しとセットで伝えるようにしました。

当時嬉しかったのは、周囲の人たちが過剰に干渉してくるのではなく、温かく待っていてくれたことです。

なにかあったら全力でサポートするから言ってね。

患者さんにとって、周囲から強くアクションを起こされたり、「あれがいいよ」「これが悪いよ」という情報を過度に伝えられることは、大きな負担になります。だからこそ、自分が助けを求めたときに迅速に動き対応してくれる、力になってくれるという周囲の言葉が、非常に心強かったです。

【写真】街路樹を背景に微笑むきしださん

それから再度手術をして、精巣を摘出しました。そのあとは経過観察をしており、現在まで定期的に病院に通って、異常がないかどうか診てもらっている状態です。おかげさまで、今は経過観察だけで、本当にありがたいなと思っています。

病気になって変わった考え方。頼ることは愛すること

人生に限りがあるから、一分一秒、一日一日を大切に過ごしたい。

僕はがんになってから考え方が変わり、こう思うようになりました。

今までは普通に生きていくのが当たり前で、自分が死ぬことが非現実的なことに思えていましたが、その当たり前は当たり前じゃないことに気づいたんです。この一分、一秒という時間が、本当に大切なんだなということを思い知らされました。「何かあったら、やりたいこともできなくなるかもしれない」という思いから、自分がやりたいことは前倒しをするようになりましたね。

また、自分自身も隠し事をせず周囲に頼ることを心がけていますし、周囲にもそうすることを勧めています。もちろん言いたくないことは言わなくていいんですが、僕は病気のことを伝えないでいると、なぜか後ろめたい気持ちになってしまうんですよね。がんだと伝えるだけでもつらいのに、そういった後ろめたさを背負わなくてもいいんじゃないかなと思っていて。それならば、できるだけがんであることや自分自身の症状を、包み隠さず伝えて、気兼ねなく周囲に頼ればいい。

僕がインタビューをしてきた中で、「頼ることも愛すること」っていう言葉をメッセージとして伝えてくれた方がいました。

「自分がこの人にこう言ったらつらい思いをさせちゃうんじゃないか」とか、「苦しい思いをさせちゃうんじゃないか」と思うことって、特にがん患者の場合は多いです。でも周囲に頼ることも、愛情の表現のひとつ。だからこそ、気兼ねなく頼るのが大切なんじゃないかなと、今の僕ならそう思うんです。

僕は患者さんたちに、情報をオープンにして頼ることもバンバンしてほしいなと思っています。

ネガティブな社会の偏見を変えうる「がん教育」がライフワークに

【写真】がん教育の授業の様子。スライドを使用しながら、30人ほどの生徒の前できしださんが説明している。

神戸大学附属中等教育学校でのがん教育の授業の様子(提供写真)

がんの闘病を経験してきた僕は、今がん教育に力を入れています。

がん教育が今なぜ必要なのか。1つめの理由は、がんについて正しく理解できるようになったほうがよいと思うから。それがあれば、いざがんになったとしても、適切に対処することができるようになります。がんの予防や早期発見、検診についても前向きに受け止められ、怖がりすぎずにがんと向き合う力が得られると考えています。

2つめは、健康と命の大切さについて主体的に考えられるようになること。がんについて学び、がんと向き合う人々について知ることで、自分自身のあり方や生き方を考え、患者も患者ではない人もともに生きる社会づくりに向き合えるようになると期待しています。

僕ががん教育を始めたきっかけは、2017年ごろに「うちの学校でトライアル的に授業してもらえませんか」と、学校関係者から声をかけられたことでした。その時、初めて授業をさせてもらい、子どもたちの新鮮な反応を受けて、がん教育をすることの意義や意味に気づきました。

当時は、今よりもっとがんをカミングアウトしづらい状況で、まだまだがんは触れちゃいけないものだという印象がありました。子どもたちも「どういう風にどういう姿勢で聞いたらいいんだろう?」みたいに、困惑していたように見えた。

そして、僕自身も「患者の自分が話して意味があるんだろうか」「変なイメージを植え付けてしまったらどうしようか」という不安な気持ちもありました。

ただ、子どもたちから寄せられた感想を読んで、その不安がなくなりました。

岸田さんの話がすごく印象に残りました。

がんや患者さんのイメージが変わりました。

その言葉から、子どもたちの変化が伝わってきて、「がん教育を自分がやってもいいんだ」と思えるようになりました。

テレビドラマなどの影響もあり、子どもたちには「がんになったら死んでしまう」というイメージが非常に広がっていることを感じます。でも実際には、治療を経て元気に暮らしている人がたくさんいます。

がんに対するネガティブな社会の偏見を変え、もっと正しい理解を進めるためには、教育の力が必要ではないか。そう思い、子どもへのがん教育の輪を広げていくため、現在も継続的に学校を訪問しています。

がん教育として授業に行くのは、小学校から高校まで。大学や医学部の学生に向けてお話することもあります。

そこで一貫してお話ししているのは、がんについての基礎知識や、自分自身の経験談です。例えば、「日本人の2人に1人はがんになる」という事実や、自分ががんを通して得たものやつらかったこと、周りとの関係性などについて。

【写真】がん教育の授業で使用するスライドの一部がパソコンに表示されている。スライドには入院中ベッドに横たわるきしださんの写真をうつしている。

がん教育で使用しているスライドの写真。「生きている証を残そう」と思い、入院中に自分自身で撮影した写真も使用している。

また、対象の学年や知識に合わせてお話しする内容は変えています。例えば小学生なら、なぜがんになるかを説明しますし、中学生だと子宮頸がんなどを防ぐためのHPVワクチンの話も伝えたり。また、高校生になると社会制度の話も交え、病気になった時にどういうサポートがあるか教え、専門的に医学を学ぶ学生たちには具体的な副作用のこともお話ししています。

特に強く伝えているのは、がん相談支援センターという、無料で誰でも相談できる場所があること。自分や周囲の人ががんになった時、困ったら頼れる人たちがいるんだと知っていてほしいんです。

文部科学省でもがん教育に取り組むようになり、新学習指導要領には、生活習慣病などの予防や回復について学習する際に「がんについても取り扱うこと」と明記され、必修になりました。小学校では2020年度から、中学校では2021年度から、高校では2022年度から実施されています。

草の根活動のような形でスタートしたがん教育は、国としてもその重要性を認識しているんだなと、とても嬉しく思っています。

ただ、課題は、先生や保護者などの子どもたちと関わる大人に、がん教育が広がっていないこと。もっと大人にも適切ながんの知識を伝えていきたいですし、さらに大人が子どもたちに伝えてくれれば、がん教育はさらに広がるのではないかと僕は考えています。

周りの人ががんになっても、特別なことはしなくていい。ただ側にいてあげて

がん教育の授業をする中で僕が心がけていることがいくつかあります。

まずは、一方的に上から伝えないように子どもたちと目線を合わせること。そして、子どもたちにも興味を持ってもらえるよう笑いを交えて話すこと。つらい話だからこそ、暗くなりすぎないように、フラットに伝えるようにしています。

また、がんを自分ごととして考えてもらうために、聞き手の年齢や暮らしている環境に合わせて話しています。例えば小学生なら、話のなかに流行っているアニメのキャラクターを登場させて、聞き手のみなさんの関心が高いものと絡めたり。

がん教育の授業がつらい話だけで終わってしまうと、それこそがんについての偏見を助長してしまうと思うので、できるだけ前向きな気持ちで参加できるように心がけています。

また、「がんは誰でもなる可能性があるので珍しいことじゃない」「がんになったからといって必ずしも生活習慣が悪いというわけではない」と伝えるようにしています。現代では、がんの原因は生活習慣が悪いからだという考えが広がっている部分があるので、特に小児がんや若い人のがんは、そうではなくてもなる場合があることを知ってほしいです。

【写真】屋外で笑顔でお話するきしださん

がん教育で、何よりも僕が一番に伝えたいこと。

それは、もし周りの人ががんになったら、特別なことをしなくてもいいから、側にいて支えてあげてほしい、ということです。

授業に参加する子の中には、家族ががんで闘病している子や、がんで家族が亡くなってしまった子も多いです。「何もできなかった」という後悔や、「どう接していいかわからない」という戸惑いを抱えている子もいるので、それががん当事者の立場から伝えてあげられることだと思っています。

そして、自分の家族ががんだという子につらい体験を想起させないよう、事前に「無理に聞かなくてもいいよ」と必ず言うなどの配慮も忘れずにいたいです。

限りある生命の中で、精一杯がんについて伝えていきたい

2人に1人ががんになるなんて知らなかった。

岸田さんのように明るく生きたいと思います。

周りの人ががんになったら、自分にできることを探したいと思います。

このようながん教育の授業を受けた子どもたちからもらう感想が、僕にとって大きな励みになっています。

また、終了後に「がんへのイメージは変わりましたか?」と聞くと「いい意味でイメージが変わった」「5年生存率という値があって、がんになっても必ず亡くなるわけではないんだ」などと、これまでとがんへの捉え方が変わったと答えてくれる子どもが多く、毎回「やってよかった」と思えます。

【写真】がん教育の授業への感想。「がんは自分に身近な病気ということが分かった。また、日本は2人に1人ががんになると聞いておどろいた。自分は、友達ががんになってしまっても同情はしないと思う。自分の体験したことのないつらさに同情は難しいことだし、友達本人も同情されて嫌な気持ちになる人もいると思うから。でも、だからといって手助けをしないわけにはいかないので、影ながらのサポートをすると思う。普段の生活習慣からもがんに気をつけたいと思った。またワクチンにも興味を持てた。「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せ」という言葉を聞いて私も岸田さんと同じように笑うことの大切さを知ることができた」と書かれている。

【写真】がん教育の授業に対する感想。「お話をして下さった方がすごく明るくて面白かった。今私が受験でつらくて暗くなってしまっているけれど、今日来て下さった方の話を聞いて、きっとそれすらうらやましく思えるんだろうなと思った。私が今落ち込んでいたらだめだなと思った。今日のお話をきいて、すごく元気をもらいました。明るく前向きに過ごすことはすごく大事だなと思いました。命を大事にしたいと思いました。がんへのイメージがすごく変わった大切な機会をありがとうございました。すてきな方だと感じました」と書かれている。

がん教育の授業後、寄せられた感想。(提供画像)

子どもたちから寄せられた感想を読むと、「子どもたちは、僕が思っているよりもみんなしっかり考えてくれてるんだな」と感じます。がんをちゃんと理解して、周りの人ががんになったときにどういう風に関われるかまで考えてくれているんです。

何よりも、「毎年来てください」と先生方が言ってくださる学校が多いので、それこそが「伝わっている」ということだと感じています。

実は、自分自身にも子どもたちと接する中で、変化がありました。

自分の限りある生命の中で、がんについて伝えていきたい。

そんな意識が芽生えたんです。

今後は、自分一人だけではがん教育もできることに限りがあるので、どんどん広げていきたいと思っています。

具体的な動きとして、最近は都道府県の教育庁や自治体から依頼があり、教師向けにがん教育を行っています。

また、がんノートのスタッフにもがん教育の現場に一緒に来てもらい、その人自身も授業ができるようになればと思い、マンツーマンでがん教育の流れについて伝えています。

ただ、がんに関しては、人それぞれに経験が違うので、画一的な内容にはしたくないと思っています。がんの正しい知識を伝えることが土台にありながらも、授業を行う本人のその人らしさを大切にしてほしい。がん教育ができるがん経験者を増やすことが今の目標です。

正しい情報を届け、がん患者と社会の橋渡しを

がんについては、誤った情報が本当にたくさん広がっていることが大きな問題です。だからこそ、がん教育を通して正しい情報をしっかりと伝えていく必要があります。

例えば、国立がん研究センターや厚生労働省など、公的な機関の医療情報は信頼できますが、ネット上には正しいかどうかわからない情報が散見される現状です。病院の情報なら全て正しいかと言ったら、そうではないものも混ざっていることすらあります。

たとえネットでバズっていたとしても、その情報が全て正しい情報とは限りません。情報が正しいかどうかの確認には常に気を配っていますし、周囲にもそうするよう伝えています。がんノートも患者さんの生活の情報を発信していますが、あくまでその人の経験談なので、医療情報を求めている方は、主治医や信頼できるがんの情報サイトなどを頼ってほしいなと思っています。

その原点は、自分が闘病した時に、必要な情報が見つけられなかったり、少なかったりしたことにあります 。みんながちゃんと正しい情報発信をしてほしい。そしてその情報を受け取っていけば、がんに対する偏見はなくなるし、正しい情報が必要な人に届いていくと信じています。

それと同時に、皆さんが経験して知っている情報もすごく大事で、当事者の方にとってはひとつの希望になることがあります。情報発信はSNSだけではなく、周りの近しい人に伝えるのも発信のひとつです。一人ひとりの行動によって、少しずつ社会も変化する、よくなっていくんじゃないかなと思っています。

僕自身、これからもがんについての情報発信を続けることが大事だと考えています。ただ、今後はさらに活動の幅を広げていきたいとも思っています。

僕はこれまで、LGBTQ+や介護などさまざまな団体と一緒に活動する機会をいただいてきました。すると、例えばカミングアウトや周囲とのコミュニケーションの問題など、社会において共通の課題があると気づいたんです。これからは、一緒に解決できる部分は横断的に手を取り合いながら、課題解決に向けて取り組んでいきたいですね。

今闘病している患者の方に伝えたいのは、一人で抱え込むのではなく、「頼ることも愛すること」だと思って、いろんな人に頼って生きてほしいということ。また、がん患者の方の周りにいる人は、慌てて何かをしようとしなくてもいいから、ちゃんとその人たちが助けを求めたときに、サポートしてあげられる準備をしてあげてほしいと伝えたいです。どうかがん患者に対して偏見を持たずに接してほしい、僕がその双方の架け橋になっていけたらと考えています。

【写真】国立がん研究センターの建物をバックに笑顔でカメラに目を向けるきしださん

関連情報:
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(執筆/高村由佳、撮影/川島彩水、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子、協力/山田晴香)