【写真】街路樹の中でカメラに向かって微笑むすがなるみさん

みなさま初めまして。すが なるみと申します。

私は今25歳で、キャラクターショーや子ども向けステージのMCをする他、「子ども×アート」をテーマに「子ども工作教室よいこらんど」を主宰しワークショップなどを開催しています。

その他、空いている時間にはベビーシッターをしたり、リトミック教室のアシスタントをしたりと本当に様々…色々なことに手を出しすぎて、自分の仕事をひとことで紹介できないことが悩みです(笑)。

そんな私ですが、実は2年ほど前に、発達障害のASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)だと診断されました。以前から通院していて、自分でも「発達障害ではないか」と感じていたのですが、正式に診断されたのが2年前でした。

発達障害は、生まれつきある脳機能の発達が関係する障害です。ASDは特定のことにこだわったりコミュニケーションの難しさがあり、ADHDは落ち着きのなさや不注意が特性としてあります。

それによっていろいろな出来事があり、本気で死にたいと思ったことも数えきれないほどありますが、なんとか生き抜き夢を叶えました。

【写真】満面の笑みでお話するすがさん

私の夢は、「子どもたちにエンターテイメントを、ワクワクする心を届けること」。

もうこれは人生のテーマであり、ここに辿り着くまで、それは長い長い葛藤がありました。

今回は自分の好きを大切にして“自由すぎる生き方”をする私の、発達障害との向き合い方や働き方についてお話します。

周囲と違う変わった子ども時代。音や光など様々な刺激が苦手だった

【写真】幼少期の頃のすがさん。キャラクターの人形をバックに、両手で耳を押さえながら、笑顔でカメラを見ている。

幼少期のすがさん(提供写真)

幼少期の私は、とにかく変わった子どもでした。

公園で周りのお友達が仲良く走り回る中、何時間も砂場で一人砂をいじっていたり、家で毎日同じ指人形を何時間も並べ続けたり…一人で過ごすことが多かったです。

幼少期から感覚過敏が邪魔をして、騒がしい環境や眩しい照明など様々な刺激が苦手でした。幼稚園も1年近くは教室に入れず、朝から降園時間まで外で泣き続けたり、水たまりを眺めて1日が終わったこともありました。

そんな変わった子どもでしたが、母はとても寛容で、私の特性をなんでも受け入れてくれました。

私には昔から「特定の音が苦手」という特性があり、よく見ていた子ども向けビデオのエンドクレジットの音が怖くて毎度パニックを起こしていたのですが、母がその部分を編集しカットしてくれて。VHSの時代に…感謝です。

特定の絵本が大好きで、1日30回ぐらいリクエストしても、母は懲りずに毎日読んでくれました。私にはトイレットペーパーを全て出す癖があったので、母はいつも仕方なく出されたバラバラのトイレットペーパーを使っていたそうです。これはごめんなさい(笑)。

私は幼いころから、感覚過敏の中でも聴覚がずば抜けて過敏でした。小学生になっても変わることはなく、人混みのイベント会場や花火大会ではよくパニックや失神を起こしていましたが、中高生あたりが一番敏感だったと思います。

中学生の頃は、1日学校に行くだけで、音の刺激にやられて信じられないくらい疲れてしまって。自宅から徒歩5分の学校に通っていましたが、その登下校すらやっとな感じで、放課後や土日は家に篭ることがほとんどでした。

あまり遊びに行かないどころか、美容院にも行けない状況で、家族からは「中学生らしくない」「もっと遊びなよ」と言われる毎日。

美容院に行けないのは、“感覚過敏あるある”らしいんです。頭をたくさん触られたり、耳元でカットやシャンプーをする音、匂い、じっと座っていなきゃいけない拘束感、切った髪が顔にかかる感覚。大人になってから同じ境遇の方にたくさん出会い、納得しました。

また私は、雑音も含めて周りの全ての音を同等に拾ってしまうので、学校の授業にも集中できなくて。周りの話し声やノートをめくる音、紙に書く音、エアコンの音、外でやっている体育の声。全てが混ざって聞こえるので、集中しようと思っても先生の声が全く聞こえないのです。

そのまま勉強も疎かになり、希望した高校には合格できませんでした。

【写真】テーブルの上に置かれたすがさんの両手

ただ、滑り止めで入った高校はものすごく自由な校風でした。勉強に集中できない私は、授業中いつも、時間いっぱい細かい絵を描いたり、粘土をしたりシャボン玉をしたり(笑)。そんな私を良い意味で面白がってくださる先生がいたおかげで、進路選択ではAO入試で芸術系の大学に入ることができました。

「ワクワクする気持ちを届ける人になりたい」エンターテイメントの世界に飛び込む決意

いざ大学入学してみると、やはり大学は環境が合わず、「そもそも学校嫌いなのになんで入学したんだろう」と考える日々でした。

注意力が無くミスの多い私。まず履修登録でつまずき、授業の時間や日程を間違え、課題を締切内に提出できず、忘れ物は多発…。課題や研究などやることがたくさんあり、同時進行が苦手なのでいつもパンク状態でした。

高校までと違ってクラス単位で授業を受けるわけではなく、授業ごとにいるメンバーが変わるため、人と関わるのが苦手な私は友達ができません。人が多い講義室では、音がこもってしまって騒がしさがしんどいばかり。

その他にも、大学に行くはずが不注意で電車から降りられず終点の海まで行ったり、せっかく行けても精神的に教室に入れず朝から晩まで図書館にこもったり。学費を払ってくれている親に申し訳なくて、毎日のように図書館で一人で泣いていました。

他の学生との交流が必須な授業では、なんとか“健常者”のように振舞うことに必死でした。先生の曖昧な指示が理解できないので、常に周りをキョロキョロ見ながら、ひたすら人の動きをコピーして乗り切っていました。

帰り道では、学校でのつらい思いや校内の騒がしい音がフラッシュバックし、さらに電車や駅の騒がしい環境が刺激となり、過呼吸気味になって途中下車することも多かったです。そのせいで帰りが遅く、よく家族に心配されました。

大学生活は散々でしたが、趣味が私の心の支えになってくれました。

私は幼児番組やテーマパークが大好きで、コンサートやイベントにもよく出掛けていて、これが唯一の現実逃避になっていたと思います。

昔から「大人になりたくない」と思っていた私は、成長して大人になるにつれて現実に絶望しかなくなっていました。そんなときに、大学の講習をサボって観に行ったあるファミリーコンサートで、キャラクター達と一緒にステージに立つ“お兄さんお姉さん”を見て、「こんなに素敵な大人がいるのか!」と感動したのを鮮明に覚えています。

【写真】椅子に座りインタビューに応えるすがさんの横顔

それまで私の大人に対するイメージは、“固い頭で子どもの自由を奪う、効率重視の敵”でした(笑)。でも、ファミリーコンサートのお兄さんお姉さんは、そんな大人という概念を感じさせないというか…。けっして子ども騙しでやっているのではなく、子どもたちと同じ目線で世界観が展開されていると感じ、こんな大人にだったらなりたいなぁと強く憧れたのです。

エンターテイメントの世界を知り、「自分もこんなワクワクを届ける人になりたい!」と思い始めたのもこれがきっかけです。

また、大学には友達があまりいませんでしたが、コンサートなどで同じような趣味を持つ友達に出会えたのも嬉しい出来事でした。私と似た考えの子が多く、話していて楽しく心が満たされる存在で、この頃の友達とは今でも仲良くしています。

保育士を目指すも特性に合わず断念。個人でエンターテイメントの仕事をスタート

エンターテイメントの世界に憧れるまでは、子どもが好きだったことや母が保育士の資格を持っていたことから、私はなんとなく保育士を目指していました。ですが、大学生になっていざ実習に行ってみると、保育施設の環境が特性に合わずすぐに挫折してしまいます。

子どもたちが集まって騒がしく遊んでいることが、聴覚過敏のある私にとっては苦しくて仕方なかったんです。

もちろん子どもが賑やかなのは当たり前ですし、楽しんでいるのに静かにさせたいわけではありません。だからいつも心のなかで、自分が苦痛だと思っていることが子ども達にも伝わってしまうのではないか、それは子ども達に失礼すぎる、と葛藤を抱えていました。

また、保育士は集団の子どもの保育をすることと併せて、保護者対応に保育の計画や準備、事務作業などをしなければならないため、同時進行が苦手な私は大混乱。保育士は子どもの命を預かるという重大な業務であって、些細なミスでも許されないのだから、注意力散漫な私にはこの仕事は務まらない。そう思って保育士の道は断念しました。

【写真】橋の上を歩くすがさんの後ろ姿

保育士や教育者は私には無理…。だけどそれ以外の仕事でも、子どもたちに夢を届けることはできるんじゃないだろうか?だってワクワクする気持ちは、絶対に必要な心の栄養なんだ!!

その一心で、私は本格的にエンターテイメントの世界に飛び込むことを決意しました。今思えば、これまで歌もダンスも演技も習ったことがなかったのに、度胸がありすぎだなと思いますし、行き当たりばったりの人生ですよね(笑)。

夢に向かって動き出した私。エンターテイメントでの初めての仕事は、大学2年生のとき、戦隊ヒーローのステージショーでした。

そのときに舞台から見た光景は、今でも忘れられません。

ヒーローのコスプレをしている子や、グッズを握りしめて真剣に見る子。ノリノリで一緒に踊る子もいれば、大人に隠れて静かに見ている子もいて、楽しみ方も自由。

なにより子どもたちの目が本当にキラキラしていて、大人で言えば“推し”に会うときのような感じでしょうか。人生で初めて憧れのヒーローに会えたんだなぁ、貴重な時間だなぁと、こちらが泣きそうになるほどでした。

こんな夢のような仕事を、この先も一生続けたい。

心からそう思い、私はエンタメの道で生きていくことにしたのです。

そしてこの決断には、自分自身の特性も大きく影響しています。いつも興味があることには突発的に動く私なので、計画性はゼロ。大学は出席日数が足りず、半年の留年を経て卒業することになりました。

人の指示通りに動くことが苦手でバイトも全然続かず、企業などへの就職も考えられない。そういった理由もあいまって、卒業後はエンタメの領域で仕事をする個人事業主になりました。キャラクターショーへの出演や子ども向けステージのMCをはじめとして、幼児向けコンテンツへの出演等をメインに活動しはじめ、3年ほどたったところです。

その傍ら、大学の芸術学科を卒業した経験を活かして、2020年より「子ども×アート」をテーマにした「こども工作教室よいこらんど」の運営をスタート。主に幼児を対象にカルチャーセンターなどで工作教室を開催する他、ショッピングモールや子ども関連施設で工作ライブショーもおこなっています。

こうして社会人になった私の道のりは、けっして成功談ではないのですが、自分では大失敗でもないつもりです。

おそらく企業に就職をしていたら、自分らしく生きられなくなって、間違いなく自分がダメになっていたでしょう。これまでも学校やバイト先など特性と合わない環境で過ごすのがつらかったので、大人になってもこんな生活が続くのはごめんだというのが正直な気持ち。だから、何より自分が“好きだ”と思えることを仕事にするのを大切にしています。

【写真】笑顔でお話するすがさん

幼少期から気づいていた発達障害。仕事でのミスが目立ち、診断を受けることに

ここまでお話してきた通り、自分の特性で様々な苦労があった私が発達障害の診断を受けたのは、今から2年前。23歳のときでした。

今になって知ったのですが、幼い頃から母は私の特性に気づいており、幼児期から医療機関に相談はしていたそうです。ただ、発達障害は、本人がそこまで困っていなければ診断は必要ないと言われることもあります。

私はありがたいことに、子ども時代から周りに恵まれていて、同級生やその親御さん方も優しい方々ばかりでした。私は注意力散漫で忘れ物が多く、いつも黒板に名前を書かれていたのですが、それを見てこっそり貸してくれる子もいるくらい、周囲からサポートがあったんです。

それでも中学生の時は、感覚過敏のために受けられない授業や入れない教室があったので、小児科クリニック内の思春期外来のような所に通っていました。毎月カウンセリングをしたり、薬を出して頂いていましたが、診断には色々な検査が必要で、何度も通院しなければならず時間がかかるため、病院嫌いの私は通い続けられません。「どうせ特性は治るものではないし、薬だけ貰えればいいや」と思い、私も診断を希望しませんでした。

また、大学時代は高校までと比べると先生との関わりが少なく、提出物を忘れようが、毎日遅刻しようが、特に指摘されることがなくて。きっと「自分の特性に困ってしょうがない」という状況ではなかったため、発達障害の診断を必要とせず大人になったのだと思います。

【写真】緑を背景に真剣な表情でお話するすがさん

ただ、社会人になり仕事をはじめると、学生時代は見過ごされていたミスは1ミリも許されない。個人事業主なのですべてを自分でなんとかしなければならないため、いろいろな責任を負う中でミスが目立つようになりました。

脳が多動なので、優先順位を考えずパッと思い立ったことから次々に手を付けてしまい、タスクは全く終わりません。集中し続けることが難しく、関心がどんどん移ってしまうのです。

例えば、メールを返そうとスマホを開いたり、提出物に押印しようと印鑑を探していても、別のものが目に入るとそれが気になり目的を忘れてしまう。郵便物を出しに行こうとするも、その日の服装やついでの買い物に意識が行ってしまい、肝心の郵便物を忘れて家を出てしまったこともありました。

他の人から見たら「メールに一言返信するだけ」「書類に押印するだけ」「返送書類をポストに入れるだけ」だと思うかもしれない。でも私にはそれがいつまでも出来ないのです。

さらに、感覚過敏のため大好きなステージの仕事にも不安が拭えないままでした。というのも、人前に立つステージの仕事では、照明のまぶしさや大勢の人の騒がしさは避けられません。

さすがにこの特性をどうにかしないと、多方面に迷惑がかかってしまう。

藁にもすがる思いで、精神科を受診しました。

つらい中、よくぞここまで生きてこられましたね。

私のこれまでの話を聴いて、医師がすごく優しくそう仰ってくださったのが、とても印象に残っています。それまで、特性やうまくいかないことは自分のせいだと思っていました。

みんなは我慢できるのに、なんで自分だけ我慢できないんだろう。

なんで他の人と同じようにできないんだろう。

自分が悪いからこういう状況になっているんだ、私が感じていたつらい気持ちは甘えだ、と思っていたので、医師の言葉を聞いて「こんなに優しく理解してくれる人がいるんだ」と驚きました。

その後正式に、発達障害の一種であるASDとADHDという診断結果が出ました。

その人によって特性の種類や程度は様々ですが、ASDは対人関係を築くのが難しかったり、こだわりの強さや感覚過敏などがあります。ADHDは、気が散りやすくひとつのことに集中できなかったり、筋道を立てて順番に行動するのが苦手だったり、衝動的に行動してしまったりします。

正直なところ、何かしらの発達障害であるのは自分でも分かりきっていたことなので、結果を渡されても特に何も思わなかったです。担当医から改めて特性の説明があり、それを淡々と聞いて「そうだよね〜」と思ったくらいで、家族も納得していました。

その後は2か月に1度の頻度で通院しており、光や音の刺激を少なくして落ち着いて過ごせる薬を内服しています。特性が完全になくなるわけではありませんが、薬を飲むことでステージの仕事も比較的落ち着いてすることができています。

また、他にも、私には共感覚という特性があります。共感覚とは、ある情報が無意識に別の情報として認識されること。その人によって感じ方は様々ですが、私の場合は色聴が一番強くあり、音に色や形、温度などを感じます。騒がしい場所では、光や色が飛び交い、頭が痛くなってしまうことも多いです。

他の人も同じように感じていると思っていたのですが、中学生のときに母に話したところ「それはおかしいよ」と言われたのをきっかけに気づきました。共感覚に治療法はないそうで、つらいときは苦手な刺激を避けるためノイズキャンセリングイヤホンをつけています。

このように日常に様々な工夫をしたり、必要に応じて医療に頼りながら、なんとか特性と付き合って生きているのが今の私です。

「仕事において障害のことを伝えるか」は人それぞれに選択がある

【写真】橋の上から景色を眺めるすがさんの横顔

仕事をするうえで発達障害であることを公表するかどうかは、その人によって様々な考えがあると思います。もちろん周囲に知ってもらうことによって、楽になる部分はおおいにあるでしょう。

でも私は今のところ、発達障害のことを仕事関係の人に積極的に伝えるつもりはないのが素直な気持ちです。

隠すつもりはないので、聞かれたらお話しようとは思います。ただ、私は障害者雇用等で働いているわけではなく、いち個人事業主。発達障害について伝えることで、仕事先に迷惑をかけてしまうのではないか、もし障害があると知られたら距離を置かれてしまうのではないか、という懸念があります。

どちらかというと私は、「発達障害である自分のことを理解してほしい」という思いよりも、「周囲の人とスムーズにやっていきたい」という思いのほうが強いです。

そもそも私は、発達障害の有無に関わらず、みんなから自分について理解を得るのは難しいことだと思っています。自分の特性をわかっているからこそ、周りに迷惑をかけないように、私自身はなるべく多くの人との付き合いは避け、少数だとしても自分を理解してくれる人との付き合いを大事にしています。

私の周囲は本当に温かい方ばかりです。何となく私の特性に気づいているのか、特に診断名や配慮してほしいことを伝えていなくても、いろいろ私の特性をわかった上で交流してもらえて、とても助かっています。

仕事を進めるうえで一気に説明されても内容が理解できない私に、LINE等で箇条書きにして必要事項を送ってくださったり、ひとつずつ指示をくださったり。持ち物や集合時間をリマインドしてくださる方もいて、様々なサポートが本当にありがたいなと思っています。

「発達障害について知ってほしい」そんなメッセージの発信が、自分自身の気持ちの整理につながった

【写真】椅子に座り微笑みながら前を見つめるすがさん

発達障害の特性を持つ人がいること、当事者はこう感じているんだということを伝えたい。

大人になってふつふつとこんな思いが湧いてきて、発達障害の診断を受けたことや診断に至るまでの過程について、私は2021年6月にnoteに書いて公表しました。自分が周囲から配慮されたいからではなく、「こういう人もいるんだよ」ということを多くの人に知ってほしかったからです。

きっかけの一つになったのは、ちょうどコロナ禍でエンタメの仕事が全滅していた時期に見た、同じ障害を持つ方のYouTube。その動画には、「こういう人がいることを知らなかったので知れて良かった」「自分の子どもにも同じような特性があるので参考になった」などというコメントが付いており、すごく意味のある発信だなと思いました。

初めてのnoteには、私が発達障害の診断を受けるまでの経緯や診断を受けたときの様子、これまでの人生を振り返っての周りへの感謝の思いなどを書きました。

同じ特性に苦しむ人やその周囲の人の参考になればという思いもありましたが、実際に書いて見ると「悩みを人に話すと心が軽くなる」とよく聞くように、宛先の無い手紙を書いているようで、自分自身が抱える思いの発散にもなったことはありがたかったです。

書き続けるうちに、「私の文章を読んでほしい」という発信の場というより、自身の心を整理する場になってきたように思います。今まで一人で抱え込んでいたつらい気持ちが軽くなりましたし、話すよりも書く方がうまく伝わるので、文章の良さを感じました。

そして、意外にも同じような当事者の方や支援する側の方から、共感や感謝のコメントをたくさん頂いたのです。

部屋の片付けが出来ない話をしたときは、「自分も出来ないから、とにかく箱に入れるようにして片付けている」とアドバイスをもらいました。特性の理解について家族とすれ違った話をした際には、親の立場の人から「子どもの特性をしっかり知りたいし、話してもらえたら親として嬉しい」という優しい言葉や、「自分も理解されないので気持ちがわかります」といった共感の言葉が届いたのも嬉しいことでした。

発達障害のある子どもに、キャラクター絵本を通して寄り添いたい

嬉しいことにSNSでの発信がきっかけで、当事者の方とコメントやメッセージでやりとりをする中でつながりができました。それによってできたコミュニティを活かせないかと思い、2022年5月に発達障害の特性に寄り添うキャラクター絵本をつくるクラウドファンディングを立ち上げました。

私は子どもの頃、周囲とのコミュニケーションが苦手で、流行にも興味が無いので周りの話題にもついていけませんでした。そんな中で、当時唯一気を遣わずに仲良くできた友達は、キャラクターでした。

人とのコミュニケーションでは、正しい応答を意識し過ぎてしまったり、返事を考えるまでに時間がかかり過ぎてしまったりするのですが、キャラクターはそういったことを気にする必要がありません。いつも姿形が変わらず、好きなときに会えるキャラクターは安心感があり、心の拠りどころだったのです。

私が子どもの頃キャラクターに救われたように、対人関係が苦手な子どもでもキャラクターとなら友達のような気持ちになれて、救われることがあるはず。そう考えキャラクターの魅力を活かして、「いろんな特性のある子がいていいんだよ」というメッセージを伝えるキャラクターの絵本をつくりたいと思いつきました。

【写真】前を向いて微笑むすがさん

このプロジェクトがたくさんの人の目に触れて、発達障害の周知に繋がったらいいなという気持ちもありましたが、いざはじめてみると予想以上の反響をいただくことができました!

同じような特性のお子さんを持つ方からの「小さい子にもわかりやすい絵本は助かる。ぜひ子どもに読んであげたい」という声。当事者の方からの「自身も幼少期は孤独でつらい思いをしたので、そんな思いを子どもたちにさせないよう応援したい」という声。

保育士の方からは「似たような特性を持つ子どもと関わる身として参考になった。園にもぜひ絵本を置きたい」という声と共に、多くのご支援をいただききました。

知り合いには全く告知していなかったのですが、たまたま見つけて協力してくれる友達や先生も多くて、みんな「早く言ってくれればよかったのに!」と受け入れてくれて、優しさに涙が出る思いです。

おかげさまで無事にプロジェクトを達成することができ、2022年11月に絵本が完成しました。

【画像】すがさんが制作した絵本のキャラクター。うさぎ、コアラ、ねこ、ぱんだ、わにをモチーフにしており、それぞれ触覚過敏、聴覚過敏、こだわりが強いなどの特性がある。

すがさんが制作した絵本のキャラクター。それぞれ異なる特性をもっている(提供画像)

キャラクターは、うさぎやねこ、パンダなど、身近な動物をモチーフにデザインを考えました。それぞれ「聴覚過敏」「こだわりが強い」「人の気持ちを読み取るのが苦手」など、何かしらの特性を持っています。

例えば、うさぎをモチーフにしたキャラクターの「ふわわ」は、ピンク色の体でスカートをはいた女の子。かわいいものが大好きで、いつもニコニコしていますが、触覚過敏という特性があります。触覚過敏とは感覚過敏のひとつで、チクチクした感覚など特定の触覚や他人に触られるのが苦手な特性です。

絵本のストーリーも、少しだけ紹介させてください。

ある晴れた日、ふわわが外でお花を見ていると、友達3人が「電車ごっこをしようよ」と誘いました。電車ごっことは、相手の肩に後ろから手を置いて、何人かで一列につながり、電車のように走る遊びです。

しかし、ふわわは「急に触らないで」と泣いて怒ってしまいます。触覚過敏のふわわは、友達に触られるのが苦手だったのです。

そこで友達は、ふわわの体に直接触らなくても電車ごっこができるように、フラフープとロープを使うことを思いつきます。こうして、ふわわは友達と仲良く遊ぶことができました。

【画像】すがさんが制作した絵本の1ページ。うさぎのふわわが、お友達と仲良くロープとフラフープを使って電車ごっこをしている様子が描かれている。

すがさんが制作した絵本の1ページ。特性を理解し工夫することで、みんなで楽しく遊べることを伝えている(提供画像)

キャラクターデザインを考えるときに意識したのは、ぱっと見てどんな特性を持っているか分かりすぎないデザインにしたこと。

発達障害の特性は目に見えないため、周囲の人には分かりづらいことも多いです。私も目に見えない特性に悩んできたので、「ぱっと見ただけではわからない」ということにこだわりました。

制作にあたっては「とにかくシンプルに」「子どもに伝わりやすく」を意識しています。私は普段は細かい絵を描くのが好きなのですが、今回は必要以外の物は描かないようにしたり、淡い色合いが流行っているとは思いますがあえて太めの黒線に原色で着色するなど、子どもが視覚的に捉えやすいことを一番に意識して描きました。

子どもに寄り添える不思議な力が、キャラクターにはあります。キャラクターが子どもと同じ目線に立つことによって、子どもたちが自分自身に置き換えて解釈したり、身近に感じられる動物をキャラクター化することでより親しみやすくなったり。

私自身も、人生で初めての友達は好きな子ども番組のキャラクターでした。人間関係を築くのが難しい子どもでも友達になることができ、キャラクターは姿形変えずにいつまでも友達でいられるという強みがあります。

子ども達が大人になって人間関係を築いていけるようになっても、ふとこのキャラクターを思い出す瞬間があったら、また仲良くできる瞬間があったら嬉しいなという想いを絵本に込めています。

絵本を読んでくださった方からは、「具体例があり分かりやすかった」「対策を子どもたちと一緒に考えられるページが良かった」など、ありがたい感想をいただきました。また、「絵本のキャラクターに自分と重なる部分があり、もしかして自分もこういう傾向があるのかもと気づきがあった」という感想も。

今回は、より多くの方の手に渡ってほしいと考えて無料配布にしたので、これからもっとたくさんの方に届けられたら嬉しいなと思っています。

特性は消せないけれど、自分をいかして生きていく

【写真】緑の中を上を見上げながら歩くすがさん

ここまで私の人生をお話してきましたが、本当に行き当たりばったりで、今でもこの先のことも1ミリも考えていませんし、考える余裕もありません。

なぜ周りと同じことができないんだろう。生きているだけで申し訳ない。

学生時代までは、心からそう思っていました。でも好きなことを仕事にするのをあきらめずに頑張ってきたおかげで、様々な方面から工作のライブショーやイラストの仕事を依頼していただけるようになり、今初めて私は「生きていてもいいんだ」と思うことができています。

特性を消すのは無理ですが、なんとかそれが重荷にならないように、むしろ自分の特性を活かせるように、と生き方を模索している途中です。

今はコロナ禍も落ち着いて、徐々に子どもたちと対面で行う仕事も増えているので、今後も工作教室やライブショーの仕事は続けていくつもりです。いつかは運営側に回り、キャラクターを通して子どもたちの心を繋ぐ仕事ができたらいいな、とぼんやり思っていますが、多分この先も行き当たりばったりでしょう(笑)。

私は子どもたちには、自分の個性を消さず楽しいと思えることをたくさん見つけて、自由に夢を持って生きてほしいなと思います。特性の有無に関わらず、色々な子がいて当たり前だという時代になったら良いですね。

大人の方も、どうか自分を抑え込まないで殺さないでください。私はありがたいことに環境に恵まれていますが、まだまだ同じような特性に苦しんでいる人がたくさんいる世の中。特性とうまく付き合って生きるのは難しいかもしれないけれど、我慢はしないでほしいなと思います。

今は発達障害に限らず、多様性を受け入れていこうという、社会がとても良い方向に動いていると思います。一方で、幼少期に植え付けられた固定概念や環境など様々な影響により、差別や偏見は仕方がない部分もあるのかもしれません。

急に社会を変えるのはもちろん難しいと思いますが、徐々に色々な個性や特性を受け入れられるような社会になることを願っています。

今の子どもたちが、無意味な固定概念に囚われることのないように。多様な人がいて当たり前、みんなそれぞれ大切にされるべき、胸を張って生きていていいんだと思えるように。

自分も、ワクワクの心を忘れかけていたときに行ったファミリーコンサートで出会った感動を忘れず、「こんな大人がいてもいいんだ!」と子どもたちに思ってもらえるような人になれるよう、これからも活動していきたいです。

【写真】階段に座り、笑顔でカメラを見つめるすがさん

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(撮影/野田涼、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子)