【写真】歩道に立ちまっすぐカメラを見つめるなんばさん

みなさん、こんにちは。境界知能の当事者として情報発信をしているYouTuberの「なんばさん」と申します。

境界知能とは、知能指数(IQ)が70~84で、知的障害の診断が出ていない人の通称として使われる言葉です。IQは一般にIQ85〜115が平均的とされ、70未満の場合には「知的障害」と診断されます。境界知能はこの平均的な層と知的障害とされる層の境目にあたり、IQが平均より低いために日常生活で困難が生じることがあるものの、「知的障害」とは診断されないので、公的な支援は受けられません。

境界知能に該当する人は日本人全体の約14%といわれており、約7人に1人。つまり学校で1クラスに生徒が35人いる場合、そのうちの約5人は該当者だという計算になります。

しかし、境界知能のことはまだ一般的にあまり知られていない上、困難さが目に見えにくいので、必要な支援を受けられないまま苦しんでいる人も多いのが現状です。

境界知能の人が直面する困りごととしてよく言われるのは、認知機能の低さ、コミュニケーションの困難さなどです。

個人差はありますが、実生活では先生や上司の言っていることが理解できない、仕事がなかなか覚えられない、お金の管理や事務手続きが苦手、ハサミがうまく使えない、スポーツでとんちんかんな動きになってしまうなどといった形であらわれます。

また、コミュニケーションや対人関係に苦しんでいる人も多く、仕事でもプライベートでも困りごとが次々と出てくるため、うつ病などの二次障害につながることも。

ただ、境界知能と一口にいっても、その度合いにはかなりグラデーションがあるのが実情です。発達障害を併発している人も多いとされており、困りごとも人それぞれ。僕自身、ADHDとASDの当事者でもあります。

僕が境界知能であることに気づいたのは、5年半勤めた会社を辞めることを決めてからのことです。その後ADHDやASDの診断を受け、就業継続支援A型事業所で働いたり、障害者雇用で専属・フリーランスのウェブライター、スポットワークに挑戦したりしながら、自分に合った生き方や働き方を求めて試行錯誤してきました。

2020年に自分のYouTubeチャンネルを設立し、当初は発達障害やうつ病についての発信をしていましたが、ある本との出合いをきっかけに、今は境界知能についての発信を積極的に行うようになりました。2021年からは電子書籍の出版も手がけ、境界知能の人の困りごとを解消する方法や、境界知能の人が自分らしく生きる方法などを伝えてきました。

今回は、境界知能とはどんなものかを、僕自身の経験を一例として紹介するとともに、今どんな思いで情報を発信しているのかをお話ししていきます。

大勢で遊ぶより一人で遊ぶ方が好きだった子ども時代。経験がすぐにリセットされて、なかなか人と親しくなれなかった

今はインドア派の僕ですが、子どもの頃は自然が身近にある環境で育ち、祖父と近くの川に魚釣りに行ったり、ザリガニ釣りをしたりして遊んでいました。

周囲からはおとなしくて無口な子だと思われていたようです。ただ、自分としては人と話さなければならない状況に緊張して無口になっているだけで、周りの人が見る自分と実際の自分との間にはギャップがあったように思います。

【写真】幼少期のなんばさん。幼稚園の制服を着て、ピースサインをしている。

幼少期のなんばさん(提供写真)

学校の友だちと話すのにも緊張してしまうので、大人数で野球やサッカーなどをするより、一人で遊ぶ方が好きでした。自宅の庭でサッカーのリフティングの練習を黙々としたり、的に向かってボールを投げて、いかに上手に的に当てるかを工夫したり。一人でいることに安心感をおぼえていたのだと思います。

そのため、小学生の時に始めた卓球は、個人競技であることから自分に向いていると感じました。卓球をするのはとても楽しくて、その後、高校1年生になるまで続けることになります。

自分から積極的に大勢の輪に入っていくことはあまりありませんでしたが、友だちと遊ぶことがなかったわけではありません。近所に住んでいる気心知れた友だちとはよく遊んでいました。

田舎だったので、“近所”といっても子どもの足で徒歩10分くらいの距離感。それ以上離れている友だちには必要以上に気を遣ってしまい、一緒に遊びながらも心の中では「早く家に帰って、一人で遊びたいな……」と思っていたこともありました。

【写真】小学生の頃のなんばさん。無表情で給食を食べている。

小学生の頃のなんばさん(提供写真)

子どもの頃の記憶で今でもよく覚えているのは、小学校の通学バスの中の光景です。

僕は片道20分くらいかけてバス通学をしていました。バスに乗っていると、同じバスを使っているクラスメイトが乗ってきて何気なく話しかけてくるのですが、それが僕にとっては苦痛でした。

逃げ場のない閉じられた空間の中で、普段あまり深い関わりのないクラスメイトに話しかけられると緊張してしまうからです。

日常的によく接している人とのコミュニケーションであれば問題ないのですが、たまに会う人や、会う機会は多くても深く関わっていない人とのコミュニケーションには、とても緊張してしまいます。

僕には同い年のいとこがいて、子どもの頃には年に数回会う間柄でした。一緒に遊んでいるうちに徐々に打ち解けていくのですが、次に会うまでに期間が空くと自分の中で関係性がリセットされ、また話すのに緊張する段階に戻ってしまいます。そのため、なかなか人と親しくなることができずにいました。

また、静かな環境で1対1で話すのは平気なのですが、3人以上で話していると話の展開についていけなくなることがよくあり、疎外感を抱くことも。

今振り返ってみると、これらの困りごとは境界知能のためだったのかなと思うこともあります。

とはいえ、当時は生活の中で大きな違和感もなく、毎日を過ごしていました。

転校をきっかけに多数派だった自分が少数派に

【写真】椅子に座り、インタビューにこたえるなんばさん

小学生の頃、僕の成績はクラスの中で平均的なレベルにあり、自分のことを多数派のうちの一人だと認識していました。

その環境が変化したのは小学校5年生のとき。1学年60人ほどの比較的小さな学校から、1学年200人くらいの大きな学校へ転校したのがきっかけでした。

慣れ親しんだ友人と離れ、見知らぬ人ばかりが大勢いる環境に放り込まれたことは、慣れない人と話すのに緊張してしまう自分にとって大きな負担となりました。

しかも、転入したのは市内でも教育に熱心な家庭の子どもが多く集まっている学校。そのまま地元の中学校に進学したのですが、徐々に学習内容の難易度が上がってきて、僕は周囲と自分とを比べて強い劣等感を抱くようになっていきます。

特に数学で文字式が出てきたあたりから、学習内容を理解するのが難しくなってきました。さらに、数学の授業の進め方が僕に追い討ちをかけます。

授業は、まず小テストに取り組み、できた人から先生のところに持っていって採点してもらうという形で進められていました。クラスメイトがどんどん問題を解き終えて、先生に採点してもらっていく中で、自分はなかなか解くことができず、時間ばかりが過ぎていく……。

そのときに僕が感じていたのは「できる人たちが当たり前で、できない自分が異常なのだ」ということでした。

以来、僕は勉強に苦手意識を持つようになります。国語はなんとか平均を上回っていたものの、それ以外の教科はすべて平均以下。自分が周りの同級生よりもできないことが可視化され、劣等感が強まっていきました。

やがて、僕はクラスの中で孤立しがちになります。クラスメイトから声をかけられても、「自分なんかがこんなすごい人たちの輪に入ってもいいのだろうか」と考えてしまい、自分から人の輪に入っていくことがためらわれました。

今振り返ってみると、境界知能の影響で理解力や認知力が低いために勉強が苦手になり、強い劣等感を抱くことになったのでしょう。その劣等感が人と関わることを邪魔して、学校生活を楽しめなかったように思います。

高校に進学すると、学校の勉強はますます難易度が上がり、ついていくのが精一杯でした。

大学受験のために勉強を頑張っていたものの、思うように成績が伸びず、僕は希望の大学を諦め、親の勧めで公務員の専門学校に入学。その専門学校を卒業はしたけれど公務員試験には合格できなかった僕は、コンビニでのアルバイトをすることになりました。

コンビニの仕事では、簡単なミスをしてしまうことがよくありました。例えば、合計金額とお客様から受け取った金額が違っていることに気づけなかったり、おつりの金額を間違えてしまったりして、レジを締めるときに金額が合わないというようなミスです。

周りを見ると、コミュニケーション力の高いマネジャーは、常連のお客さんと楽しそうに雑談をしつつ業務をこなしていました。一方、僕はお客様への対応もなかなかうまくいかず、そんな自分を「だめだな」と感じる日々でした。

会社員時代に感じていた困難さ。やろうとしているのに、できない

【写真】パソコンを操作するなんばさんの両手

コンビニでのアルバイトを2年続けましたが、この時は周りの目が気になっていて、このままでは親に迷惑をかけてしまうのではないかと考えて転職活動をし、22歳のときに建築系の会社に正社員として入社することになりました。企画営業の職種での採用でしたが、早々に営業には向いていないと判断されたのか、任されたのは設計の仕事。

設計ソフトを使って作図をするのですが、僕は操作をなかなか覚えられずに苦労することになります。その後、入社半年で本社へ異動になり、今度は事務の仕事をすることになりました。

仕事は電話応対がメインです。同じ部屋の中で複数の人が電話している状況の中、電話で会話しながらメモをとり、即座にお客様からの問い合せに答えなければなりません。これは僕にとって負荷が大きい作業でした。そのため、電話対応中に混乱してしまうことも。

もし、自分がわからないことをお客様から聞かれたら、一度電話を切って上司に聞いて折り返すなどという対応をするのが普通でしょう。しかし、電話で話していると、僕はその発想に至ることができず、自分でなんとかしようとするうちに誤った説明をしてしまい、その誤りをお客様に指摘され、さらに混乱するという具合でした。

社会人としての経験不足も相まって適切な言葉遣いができなかったり、自分の口調が強くなってしまったりすることもありました。後から思い返してみれば、お客様に対して遠回しに失礼なことを言ってしまったと思ったこともあります。

ただ、それを自覚して直そうとしても直りませんでした。やろうとしているのにできないのです。

他の人は経験が積み重なって成長していくのでしょうが、僕は経験がその都度リセットされてしまい、何度も同じような失敗を繰り返してしまう感覚があります。

電話対応だけでなく書類作成も苦手で、会議中にメモをとることや、メモをもとに議事録をまとめることを難しく感じていました。また、期限が短いと焦ってしまい、急かされると余計に収拾がつかなくなってしまいます。

その一方で、データ入力やメール対応は得意でした。データ入力は周囲からも「速いね」と評価してもらっていましたし、メール対応は電話と違って自分のペースで考えることができるのでやりやすかったです。考える時間に余裕がある仕事や、やり方が決まっている仕事については、無理なく取り組めていたように思います。

それでも、「仕事の身につき方が周りに比べて遅い」という感覚は自分の中で日増しに大きくなり、拭い去ることができませんでした。

そんな僕でしたが、同僚は優しく接してくれました。徐々に頼りにしてもらえる場面も増えていきます。事務職になって2年目には優秀社員に選ばれ、リーダーにも抜擢されました。

ただ、子どもの頃から相変わらず3人以上での会話が苦手なため、会議ではなかなか発言できません。昔から抱いている劣等感のためか、なかなか自信が持てず、声が小さいことや受け身の姿勢を指摘されることもありました。

次第に、「この会社でリーダーに求められる資質が自分にはないのではないか」と限界を感じはじめ、会社を辞めることを考えるようになったのです。

『ケーキの切れない非行少年たち』で境界知能のことを知る

【写真】歩道を歩きながら左の方を見つめるなんばさん

考えた末に退職することを決め、残っていた有給を消化している期間に、「もしかしたら自分はうつ病かもしれない」と思い当たる節があり、僕は精神科を受診しました。

すると、予想した通り医師からは「うつ病」と診断され、加えて「発達障害の傾向があるようだから、心理テストを受けてみますか?」と勧められます。僕が受けたのは「WAIS-Ⅲ」というテストでした。このテストでは、言語性IQ、動作性IQ、全検査IQの3つのIQに加え、言語理解・知覚統合・作動記憶・処理速度の群指数が測定されます。

その結果、僕の「全検査IQ」が84だということが判明しました。

当時、IQのことについて医師から何かを言われたわけではありません。ただ、検査結果を見たときに「IQ84」という数字が目に飛び込んできて、「僕は人よりもIQが少し低いのか」と思いました。

そして、「もしかしたら、IQが低いということに、発達障害以外の生きづらさの源が隠れているのではないか」と考えた僕は、自分で情報を調べるようになります。

その過程で出合ったのが『ケーキの切れない非行少年たち』という本でした。

この本は、児童精神科医として医療少年院に赴任した経験を持つ著者が境界知能について解説する内容で、読み進めてみると「これは自分のことだ!」と思うことの連続でした。

それまで、うつ病のことを調べても、発達障害のことを調べても、完全にしっくりくる感覚がありませんでした。自分に当てはまることもあれば、違うこともあると感じていたからです。

しかし、境界知能のことを知って僕はほっとしました。今までモヤモヤしていた自分の生きづらさの根幹がわかって、「やっと見つけた」という感覚でした。

その後、医師からADHDとASDであるとの診断もされ、自分は境界知能であり、発達障害も併発しているということがわかりました。

会社を辞めてYouTuberになる。求めたのは自分一人で仕事が完結し、自由が利く働き方

【写真】歩道を歩くなんばさんの後ろ姿

会社を辞めるとき、僕は「YouTuberになります」と宣言して退職しました。

そして、2020年から自身の経験をもとにYouTubeでうつ病や発達障害の情報発信を始めたのですが、もちろんすぐにYouTubeのみで生計を立てることができるわけではありません。発信をしつつも、別の仕事もしなければなりませんでした。

会社を辞める1年くらい前から副業でウェブライターの仕事を始めていたこともあり、当初はライターの仕事をしていこうかとも考えていました。ただ、わかりやすく書くということが僕には難しかったり、クライアントとのコミュニケーションにストレスを強く感じたりするうちに、自分には合っていないのかもしれないと感じるように。

そこで、「自分ができる仕事で、必要最低限稼げればいいかな」という思いから就業継続支援A型事業所に入ったものの、僕はそこでの仕事にどうしてもやりがいを見出せませんでした。

その後、障害者雇用でライターの仕事もやってみたのですが、細かいマニュアルに縛られることが苦しくて半年ほどで辞めることに。

この頃になると、様々な仕事をしてきた中で、自分には何が合っていて、何が苦手なのかということが見えてきました。自分一人で仕事が完結し、時間の自由が利く働き方。それが自分の価値観や性格に合うことがわかってきたのです。

試行錯誤の結果、今はYouTubeの活動を軸に、電子書籍や相談サービス、メディア出演、WEBライティング、スポットワークなどを通して生計を立てている状況です。あくまで自分を縛らず、なるべく心地よくいられる仕事を選ぶようにしています。

2022年から、境界知能の特徴や、境界知能の人にとっての適職、境界知能の人との接し方などを解説する動画をアップするようになると、うつ病や発達障害の動画に比べて、明らかに再生回数が伸びていきました。当時はYouTubeで境界知能について発信している人がほとんどいなかったことが大きかったのだと思います。

自分の経験をベースに話すことが誰かの生きづらさを解消する助けになるという点において、この仕事にやりがいを見出すこともできました。

僕の動画を観てくれるのは、境界知能の当事者はもちろん、当事者の家族や「もしかしたら身近な人が境界知能かもしれない」と感じている人などさまざまです。

動画についたコメントを見ると、僕の体験を話した動画が、境界知能のことを知ったり、境界知能への理解を深めたりする機会になっていることを実感します。

境界知能にはグラデーションがある

【写真】テーブルに置かれたパソコンを見ながら話すなんばさん

境界知能のことが世の中に知られるにしたがって、境界知能であることを公言すると、「人より劣っている」というイメージで見られがちだということを肌で感じるようになりました。実際に、あるインフルエンサーが境界知能に対して否定的な発言をしているのを見て悲しくなったこともあります。

そんな現状もあって、境界知能であることを公表する人は少なく、当事者同士の交流の場はほとんどありません。

境界知能の人は発達障害である場合も少なくないので、発達障害の当事者の集まりの中で、ときどき境界知能について話されることはあります。しかし、境界知能の当事者のための集まりは、私の知る限りではほとんどありません。

そういった状況で、僕が交流のある数少ない境界知能当事者の一人がYouTuberのえりかんさんです。IQ70でADHDの当事者でもあるえりかんさんは、Youtubeで発達障害や境界知能の方へ向けた動画を発信しています。

えりかんさんと話す中で共感できる部分も多くある一方、個人差が大きいことにも気づかされました。

僕は内向的なタイプのために、人と交流することでエネルギーを消耗してしまいます。それに対して、えりかんさんは外向的なタイプで、積極的に人と関わることが好きなように見えます。

二人とも境界知能であることには違いありませんが、得意なことや苦手なことはだいぶ違うようです。

一口に境界知能と言っても困りごとは人それぞれ。「境界知能の人はこういう人だ」とひとまとめにすることは難しく、発達障害がある場合はその特性も絡み合ってくるために、より複雑になります。

ですから、僕一人のケースをもって境界知能のすべてを語ることはできません。境界知能にはグラデーションがあるのだということを含めて知ってもらうことが、境界知能について理解するための第一歩だと感じています。

自分に最適な環境はどのようなものかを知り、整える

【写真】真剣な表情でお話するなんばさん

会社員時代、僕は情報を取捨選択し、わかりやすく伝えるのが苦手だと感じていました。議事録の作成は苦痛でしたし、会議で発言するのも苦手でした。

しかし、今、YouTubeの発信のために調べたり、情報を整理して話したりすることは苦になりません。

会社で働いているときにはあんなに苦手だと思っていたのに、今は平気なのはなぜだろうと考えてみると、自分が発信する内容に興味があるかないかの違いなのだと思います。

議事録をまとめるときには、自分の興味ではなく、会議のテーマに照らし合わせて重要度を判断し、誰が読んでもわかりやすいようにまとめなければなりません。

一方、YouTubeの発信では、自分の興味に沿って情報を集め、自分が伝えたいと思うことをピックアップしていくので、情報の取捨選択がしやすいです。

また、作業をする環境も、会社に勤めていたときと今とでは大きく異なります。

会社で多くの人が電話で話している中で仕事をするのは、僕にとって負荷が大きく、その環境にいるだけで疲れ切っていました。期限があって、仕事を急かされることもプレッシャーでした。

しかし、今は自室などの静かな環境で、自分のペースで一連の作業を完結させることができます。これは僕にとって非常に快適な仕事環境です。

これは境界知能だけでなく、発達障害の特性も関係するところなので、境界知能の人が全員僕と同じというわけではありません。ただ、「自分に適した環境に身を置く」ということに関しては、どんなタイプの人にとっても大事だと思います。

自分に合った環境を整える上では、まず、自分にできることとできないことを分けることが必要です。当事者ができることとできないことを把握すれば、周囲の人も、どんなサポートをすればよいのかが見えてきます。

例えば、相手が周りに比べて理解のスピードが遅いと感じるなら、仕事の説明を一気にするのではなくて、細かく説明を区切り、理解できているかを確認しながら話す。動画を観ても理解が追いつかないようなら、再生速度を落とすなどというちょっとしたテクニックを伝える。

こういった小さな工夫でも、当事者にとっては大いに役立ちます。

境界知能であることを公表しても、お互いに支え合って生きていける社会に

【写真】笑顔でパソコンを操作するなんばさん

自分が境界知能であることが判明したときには、これまでの生きづらさの原因がわかってほっとした気持ちでした。しかし、境界知能を公言して活動していく中で、IQが低いために「大多数の人より劣っている」という烙印を押されたような感覚になることも。

ただ、それは裏を返すと、境界知能は希少な存在だということです。今では、「多数派ではないからこその価値があるのかもしれない」と考えられるようになりました。僕は常々「人と同じことはやりたくない」と思っているのですが、少数派の境界知能であるからこそ、人と違うことができたり、違う発想ができたりする。そう捉えれば、境界知能であることは、僕にとってプラスに思えてきます。

僕がYouTuberとして活動していて感じるのは、世の中には境界知能のことを本気で理解しようとしてくれる人が一定数いるということです。最近ではメディアで取り上げられる機会も増えてきて、世間の関心が高まってきていると感じます。

境界知能だったとしても、周囲の人の関わり方によって、当事者の感情は全く違うものになると僕は考えています。実際に、僕が境界知能であることに劣等感を感じるようになったのは、学校生活の中で他人と比べられる場面に置かれるようになってからです。その劣等感は、学習面だけでなく、その後の人間関係にも少なからず悪影響を及ぼしてきました。

そういった経験をする人を減らすため、学校の先生方には、授業についていけなくても、自分では「わからない」「できない」と表明できずにいる子どもがいるのだということを知っておいてほしいです。

僕が情報発信を通して目指すのは、多くの人に境界知能のことを正しく知ってもらい、当事者が境界知能であると公表しても支え合って生きていける社会をつくること。そして、他人と比較して「自分もこうならなきゃ!」と急かされるのではなく、自分が思ったことを実現していけばよいのだとされる社会をつくることです。

当事者の方々には、他人と比べるのではなく、「自分自身のありたい姿」を目指してほしい。その過程で心が折れそうになったら、一人で抱え込まずに、医師や専門家、周囲の人を頼ってほしいと思います。

【写真】パソコンに手を置き、笑顔でカメラを見つめるなんばさん

関連情報:
なんばさん YouTubeチャンネル X

(執筆/松山史恵、撮影/野田涼、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/永見陽平)