【写真】テーブルの上に20センチほどの白いロボットが座っている。目は光、左腕をあげる仕草をとっている。左腕の先には、さえさんの写真と自己紹介が書かれたiPad画面が。

この数年で、私たちの働き方はずいぶん変わりました。オンラインミーティングがすっかり一般化し、週何日かは在宅勤務で仕事をする人も増えています。

こうした変化によって、子育てや介護中で時間が限られていたり、何らかの事情で通勤に負担があったりする人も、家にいながら仕事をしやすくなりつつあります。

そんな中、家にいながらもロボットを遠隔操作して人と出会い、コミュニケーションできる仕事があることを知りました。分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」です。

手のひらサイズの白く小さな体に、つるんとしたシンプルな顔、そして両腕。カメラとマイクがついており、離れた場所で操作する人は、うなずいたり首を傾げたり、手を動かしたりしながらOriHimeの目の前にいる人と会話ができます。目の色を変えて、感情表現をすることも。

たとえばカフェで働くOriHimeなら、自宅からタブレット端末を通して、お客さんの表情を見ながら会話したりオーダーをとったりと、その場にいるかのように接客をすることが可能なんです。

現在、このOriHimeを使った仕事には、障害や病気などの理由で外出が難しい人が主に携わっています。今回お話を聞いたのは、OriHimeを通してさまざまな仕事をしているさえさん。

【写真】卓上のOriHime。目が光っている。

さえさんは、音や光などのわずかな刺激がストレスとなり、痛みや吐き気、しびれなどの症状が出てしまう「身体症状症(旧:身体表現性障害)」という疾患を抱えています。15年ほど、自由に外出することが難しい状態が続いています。

OriHimeの勤務は、1回が1時間ごとのシフト制。さえさんは今も、強弱がありながらも常に症状が出ているため、勤務は体調の様子を見ながら午後を中心に週3〜4日、休憩をはさみながら1日3〜4時間を目安にシフトに入っています。

発症前、会社員として毎日通勤していたころから、在宅でOriHimeで働いて約5年が経つ今まで、さえさんにはどのような変化があったのでしょうか。

お話を聞かせていただくため、スタッフとして働いている東京・日本橋にある「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」を訪れると、さえさんは鈴のように心地よいやさしい声で迎えてくれました。

向こう側には人がいる。分身ロボット「OriHime」

【写真】緑の観葉植物が置かれたカフェDAWNの入り口

【写真】店内は観葉植物が置かれ、明るい雰囲気。OriHime-Dがお客様に飲み物を運んでいる

DAWN=‟夜明け”と冠した「分身ロボットカフェ DAWN ver.β(以下、DAWN)」は、テスト期間を経て2021年から常設で運営されています。

分身ロボット……?ちょっと聞き慣れませんが、店内にはたしかに何体、いえ、”何人”ものロボットが、身振りと音声で接客をしたり飲み物を運んだり。このロボット・OriHimeは、現在60名以上に上る“パイロット”と呼ばれるスタッフが、全国各地の自宅などから操作しています。だから、分身ロボットなんですね。

【写真】入り口で取材メンバーとOriHime-Dが話をしている様子

お店を訪れると、まずは身長120㎝の「OriHime-D」がお出迎え。予約の有無を聞き、適切に案内してくれます。中央のカウンター内でも、OriHime‐Dが注文を受け付けています。

DAWNは、OriHimeの開発者である吉藤オリィ氏の会社、オリィ研究所によって運営されています。OriHimeを通したカフェは、札幌や福岡、広島などで期間限定のキャラバンとしても展開しているそう。

また、OriHimeは法人や教育機関での利用も進んでおり、会社の受付スタッフ、イベントでのガイド役、はたまたロボットによる朗読劇のようなエンターテイメント領域にも活躍の場を広げています。

【写真】OriHime-Dと卓上の小さいOriHimeが並んで右手を上げている

上の写真で、テーブルにちょこんと置かれた小さいOriHimeに入っているのがさえさん。右側のタブレット端末に、応対しているパイロットの情報が映し出されるほか、カフェのメニューの説明や、パイロットそれぞれにまつわる写真を紹介したりしてくれます。

左隣のOriHime-Dは移動することができ、カフェではエントランスに立って応対したり、飲み物を運んだりしています。

ロボットの姿ではありますが、接客しているのはあくまで“人”。操作するOriHimeはそれぞれ違っても、さえさんにはたくさんの同僚がいて、この日も同僚同士で気軽な声掛けが交わされていました。それは、ごく普通にカフェで店員さん同士が話すシーン、そのものです。

さえさんがメニューを紹介してくれて、取材チームはおいしいランチを楽しみました。

【写真】卓上のOriHimeが右手を上げて、iPadのメニューを説明している

【写真】OriHimeと取材メンバーが目を合わせて話をしている

障害や病気を抱える人、あるいは家族の介護などで外出しづらい人が、家にいながらその人のキャラクターを生かして働ける。そんな仕事の可能性を広げていることや、シンプルに「ロボットが接客してくれて楽しい!」という点からも、OriHimeの取り組みは日本だけでなく世界からも注目を集めています。

だから最近、海外からのお客さまがとっても多いんです。英語は得意ではないのですが、なんとかいろいろお話できるように、がんばっています。まるで留学しているみたい。

と、さえさん。語学に興味があったさえさんにとって、留学は学生時代からの夢のひとつでもあったそうです。

それが今、家にいるのに1日の7割くらい英語で話していて。おもしろいですね。

カフェ以外にも、OriHimeやVRアバターとしてテクノロジー系のイベントに出たり、本の読み聞かせの企画や、朗読劇に参加したりもしているそう。カフェのテーブルで、そして改めてのオンライン取材の時間で、さまざまなお話を聞かせてくださいました。

「病気になってからずっと、外で働きたいなと思っていました」というさえさん。

【写真】犬を抱いた笑顔のさえさんの写真と、以下テキストが書かれたパイロットデータの画像。さえちゃん(村井左依子) 身体表現性障害と診断され外出が困難です。そんな中、OrHimeを通じて社会と繋がり、家の中だけだった私の世界は一気に広がりました。OriHimeでの活動を通して、たくさんの可能性やワクワクをお届けできたら嬉しいです!

ふふふふ、と、ときに軽やかで明るい笑い声を交えての会話でしたが、病名がわからない、体調は常に悪いという暗中模索の15年という年月は簡単に「共感できる」とはいえないものでしょう。

そんな日々を重ねて今があるさえさんのインタビュー。「周りの人に恵まれて」という感謝の気持ちと同時に、自分の働き方と環境を切り開いてきた、しなやかさと芯の強さが伝わってきました。

私は「普通」だし、それでいいと思っていた

――カフェでは、OriHimeでテーブルについてくださってありがとうございました。食事のあと、テーブルを離れて店内のテレバリスタ(※コーヒーを淹れることができるロボット)にコーヒーを試飲させてもらったら、その解説をするOriHimeにさえさんが来られてびっくりしました。まさに、瞬間移動でしたね。

【写真】卓上のOriHimeの何倍もの大きさのロボット・テレバリスタ。右手にケトルを持ち、引いたコーヒー豆にお湯を注いでいる

写真左下のOriHimeに入っているのがさえさん。脇のタブレットでコーヒー豆を紹介してくれました。右側の大きいロボット・テレバリスタは、遠隔操作で豆からコーヒーを淹れてくれます。

ふしぎですよね(笑)。カフェにいらっしゃるお客さまは、お食事のテーブルからテレバリスタの前まで実際に歩いて移動しているのに、こちら側はパソコンの画面上で、操作するOriHimeを切り替えるだけで一瞬で“移動”できるので。

――そんなふうに、日本橋や福岡などさまざまな場所にあるカフェに行って接客をされていたんですね。先ほどおっしゃったように画面上で操作すれば“移動”できるわけですが、行く、という感覚で合っていますか。

「行く」で違和感はないですね。OriHimeに入ると、その場所に「いる」感覚があります。ただ、実際には外に出ていないので、お客さまの服装とかで季節や天気を知ることも多いです。

――カフェのお仕事以外に、OriHimeで子どもたちに本の読み聞かせなどもされていると聞きました。子どものころから本が好きだったんですか?どんなお子さんだったのか、少し聞かせてもらえますか。

本自体は、昔からすごく好きでした。自分自身では、病気になる前は活発なほうだと思っていたのですが、今回改めて母に聞いたら私のイメージと違って「そんなに活発な子ではなかった」と。いつも穏やかで素直だけど、けっこう芯が強いから、周りを気にせずに好きなことをマイペースに続ける子だったと話していました。

【写真】ずらりと並ぶ雛人形の前で笑顔を向ける幼い頃のさえさん

幼い頃のさえさん。人形師のおじいさまの作った雛人形の前で(提供写真)

自分から習いたいといって通っていた絵の教室でも、皆が飽きて遊び始めても私はもくもくと一人で描き続けていたそうです。たぶん、本ももくもくと読んでいたんでしょうね。

でも、自分が覚えている限りでは、人と接するのも好きだったと思います。学生時代にはカフェでバイトもしていたんですよ。通学路に、ある日スターバックスの看板ができて、「憧
れのスターバックスだ、働きたい!」と思ってオープニングスタッフになりました。

――そのあたりは、活発で行動力がある印象がありますね。大学では、どんなことを勉強していたんですか?

文学部で、フランス文学を専攻していました。幼少期から、『星の王子さま』がとても好きで。小さいときに読んで、中高生や大学生になっても何度も読み返す、人生に寄り添ってくれる本って多くないと思うのですが、私にとってこの本がそんな1冊でした。進路を決めるとき、語学系に興味があったので、いろいろと見ていく中で「『星の王子さま』を学べたらいいな」と思って仏文科を選びました。

【写真】本棚には星の王子さまにまつわる本が10冊以上も並んでいる

さえさんの本棚には星の王子さまに関する本が数多く並んでいます(提供写真)

――そうなんですね。今でも、本はずっとそばにある存在ですか?

はい。今は、長く集中していられない症状があるので、昔ほどたくさん読んだりはできませんが、部屋にはいつも本があるし、手に取る時間も当たり前にあるという感じです。

――語学に興味があったということでしたが、新卒で入った会社もそうした観点で探したのですか?

そうですね。英語を使うとか、海外に関係する仕事を中心に探して、半導体の商社に勤めました。ただ、「これがやりたい」というよりは、仕事とプライベートをバランスよく楽しめることを重視していました。

そのころの私は本当に「普通」の枠組みの中で生きていたと思うんですね。普通に卒業して、就職して、普通にプライベートも楽しむ、レール通りの人生でいいという気持ちがあったと思います。

制限がある中で働けている今は、働くことに対する考えはだいぶ変わりましたけど。もともと何かを強く望んで得ていくというより、穏やかで楽しい生活がそのまま続けばいいな、というイメージがありました。

――レール通りの「普通」を進んでいければ、と。

そう。でも、その「普通」が、体調を崩して保てなくなったんです。就職して、数カ月後のことでした。

【写真】卓上のOriHimeがテーブルに飲み物を届けにきたOriHime-Dと目を合わせている

手前の後姿がさえさん。勤務中、テーブルを通りかかった同僚(OriHime-D)と挨拶を交わす。

家から出られない日々。レールから外れたら、どうなってしまうのか

――具体的には、どんな症状が現れたのでしょうか。

私が診断されている「身体症状症」、当初は身体表現性障害という名称だったのですが、人によっていろいろな症状があるようです。なので、あくまで私のケースですが、始めは貧血や吐き気が出るようになりました。食も細くなって。

満員電車で通勤するようになったせいかな、環境が変わってストレスが胃腸にきているのかな、と原因を考えて、病院でいろいろと検査をして。そのときは「機能性胃腸症」だろうと言われましたが、これは明らかな病理的な疾患は見当たらないけれど、何らかの機能的な問題で胃腸がうまく働かない状態を指すんです。つまり、根本的な原因はわかりませんでした。

今思うと、これ自体も身体症状症の症状のひとつだったんです。

――その状態でも、仕事は続けられていたのですか?

そうですね、休み休み……。ただ、入社して1年少し経ったころから貧血や吐き気がひどくなり、季節の変わり目には回転性のめまいも出てきて。通勤中に何度も途中下車するようになってしまい、会社とも話していったん休職することになりました。

休んでいる間に、いくつもの病院にかかりました。いわゆる、ドクターショッピングですね。でも、原因や病名がわからず、症状もまったく改善しないまま休職期間の1年半が経ち、退職することに。そこからまた、病院以外はほとんど自宅で過ごしていました。最終的に、症状が出始めてから病名がつくまで、10年と少しかかりましたね。

――病名がつかないというのは、症状のつらさとはまた別に、不安が大きかったのではないかと思います。どのような気持ちで過ごされていたのでしょうか。

やっぱり、病名がわからないのはとても不安でした。ネットで検索したり、似たような状況の方とSNSでつながったりもしましたが、先ほどお話ししたように症状が不定形なので、何かの手がかりにはならなくて。

本当に、どうしたらいいかわからない、身動きが取れない状態でしたね。当時は20代で、ついこの前まで健康だったので、病気になっても病院に行けば治ってまた社会復帰できると思っていました。でも、その道筋が見えてこない。会社を辞めて、「普通の会社員」のレールから外れてしまったことでも、身の置き場のない気持ちを抱えていました。

また、長く症状が続いているために、たとえば電車に乗ることや人と会うこと自体が怖くなって。体だけでなく、精神的な症状もだんだん出てくるようになっていました。

ただ、実家の家族が過剰に病人扱いせずに、以前と同じように接していてくれたのは、今思えば救われましたね。浮き沈みがある中、長く付き合っていた今の夫と29歳のときに結婚してからは、変わらず病院に通いながら、できるときに家事をするような生活をしていました。

【写真】カフェDAWNの店内中心近くには大きな観葉植物が置かれている

――どのようなタイミングで診断がついたのですか?

OriHimeとして働き始める3年前、33歳のときだったと思います。30代に入ってしばらくは小康状態だったのですが、2015年の年末に急に症状が悪化してしまい、ずっと通っていた大学病院の消化器内科に緊急入院したんです。

消化器系のいろいろな検査をしたり療法を試したりしても、まったく改善しなかったので、耳鼻科や脳外科などさまざまな科を受診しました。最後が精神科で、そこで軽めのお薬を出してもらったら少し効いて。そこから身体症状症(旧:身体表現性障害)(※)という病名がつき、継続して受診するようになりました。

(※)身体症状症とは、痛みや吐き気、しびれなどの症状がある病気。人によって症状はさまざまで、体に力が入らなかったり、けいれん発作のような症状が出ることもあり、またしばしば変化もする。身体的な疾患がないにもかかわらず症状が続くことが確認できて、はじめて身体症状症と診断される。自覚症状があっても検査によって疾患が明らかにならないことから、精神科を受診するまで時間がかかることも多い。

身体の疾患ではなく、精神科の領域の問題だったんだというのは、私にとってはすごくびっくりしたんですね。ずっと家にいる生活はたしかにストレスで、気持ちのアップダウンはありましたが、基本的にずっと就労意欲はあって「外に出たい」と思っていましたし、検査をしてもうつ病などのような気分障害は当時はなかったので。

でも同時に、病名がやっと特定して、ほっとした気持ちもありました。あれから数年経って、今も症状はそう変わらないのですが、薬も使いながら自分でなんとか折り合いをつけて、体をコントロールできるようにしているイメージです。薬があっても、症状がゼロになることはなく、すごく強いのを和らげている感じ。今も常に体調不良ではあります。月に1~2回くらい通院して、経過の報告や相談をしています。

これなら、家からでも働ける? ――OriHimeとの出会い

――先ほど、「ずっと就労意欲はあった」とおっしゃいましたが、OriHimeのパイロットのお仕事はどんなきっかけで知ったのですか?

当時のTwitterで流れていたパイロット募集を夫が見つけて、教えてくれました。私がずっと、働きたい、働きたいと言っていたので「これなら家から一歩も出なくてもできるんじゃない?」と。まだ今のような常設店はなくて、2週間限定のカフェでのテストパイロットという位置づけでした。

以前少し、家でできる作業的な仕事をしてみたこともあるんですが、自分の「働きたい」という気持ちにはあまり合致しなくて。思い返すと、私がしたいのは、一人きりで黙って進める仕事ではなかったんですね。

OriHimeを使って人と話しながら仕事をするのは、私の「働きたい」に近くて、社会に参加している気持ちになれる、と思ったのかもしれないです。応募したときはそこまで考えていなかったのですが(笑)、「家からでも人と話せて、またカフェの仕事ができるの?それならやってみたい」と思いました。

――私もカフェDAWNで、体験用のOriHimeの操作をしてみたんですが、手を振ったりとかが簡単にできるんですね。離れた場所の相手とオンライン会議で話すのとは、また違う感じがしました。

【写真】笑顔でパソコンに向かうさえさん

さえさんがパソコンを使ってOriHimeパイロットの仕事をしている様子(提供写真)

そうですよね。オンライン会議だと、あくまで自分は画面の手前にいる意識だと思いますが、OriHimeだとOriHimeがいる場所にワープする感覚なんです。パッと入ったら、周りにたくさん人がいて「はじめまして!」という感じになる。最初に入ったときは「わ、すっごーい……!」と驚きました。‟どこでもドア”みたいだなって。

でも、テストパイロットは全部で10人いたのですが、私はほかのメンバーよりもOriHimeに慣れるのに時間がかかりましたね。私以外は、肢体不自由のために自宅から出にくいという方で、いざ働き始めたら私の体調がいちばん不安定で、周りの方に助けてもらいながらのスタートでした。

初めは大きいOriHime(OriHime-D)でお客さまに飲み物を運んだりしたのですが、画面の視界が動くので、酔ってしまうこともあったり。

その後、運営する中で「小さいOriHimeはテーブルでの接客に使えるね」といった話が出て、会話中心の接客もするようになりました。カフェが終わってもオリィ研究所を中心に「OriHimeで働ける選択肢を増やせないか」という話があって。

別の単発の取り組みにも継続的に参加していくと、そのうち常設のカフェができて、今のようなシフト勤務になりました。

【写真】取材メンバーがiPad画面を操作している様子

カフェDAWNでは、iPad画面を通してOriHimeの操作を体験できる。

――そうすると、本当にOriHimeの実働を探るところから、オリィ研究所や他のパイロットの皆さんといろいろなやり取りをされてきたんですね。単なる期間限定のアルバイトではなく、どうしたらこの先につなげられるか、という。

そうですね、そういう前向きな雰囲気がすごくありました。私は体調を見つつの参加で、時間通りに入れなかったりと、ほかのメンバーに助けてもらうことが多かったですが、それでも大丈夫なんだなという安心感も大きかったです。

当時、カフェで働いた仲間たちとのメッセンジャーグループで連絡を取り合っていたのですが、その年の年末の挨拶が全部「来年もよろしく!」だったんですよね。そのときに、「私、来年も継続してよろしくって言える人たちができたんだ」とうれしかったのを覚えています。

「OriHimeのさえちゃんは、思い切りがいいね」

――カフェでお仕事をし始めて、5年くらいの間に、OriHimeを使ってほかのお仕事もされているんですよね。どんなことが印象的でしたか?

【写真】ベレー帽を被った卓上サイズのOriHimeが右腕を上げている。後ろには「ロボット書店員、はじめました。」と書かれた紙が

「ロボット書店員」として本屋にベレー帽を被ったOriHimeが。決まった時間帯に会話できるようになっていた(提供写真)

そうですね、本屋さんで本をお勧めして販売する仕事があって、それは特に楽しかったです。絵本の読み聞かせや、動画作品として朗読劇に出たこともあります。

――OriHimeが、舞台にいるのですか?そのOriHimeに入って演じるんですね!

そうなんです、OriHimeが役の衣装を着て(笑)。神奈川県の共生共創事業として、2021年に「リーディングシネマ『ちいさなちいさな王様』」を、2022年には「星の王子さま」を制作し、公開しました。

OriHimeを使った朗読劇「OriHimeプロジェクト リーディング『星の王子さま』」の1コマ。さえさんはOriHimeでの出演と、演出助手も務めた

それから、OriHimeはイベントに参加することも多いのですが、スターバックスロースタリーのイベントで、コーヒーテイスティングのご案内をしたのも印象深いです。まさか、昔アルバイトをしていたところにまたご縁があって、家からでもこうして迎え入れてもらえるんだな、と。

あらかじめ自宅にコーヒー豆を送ってもらい、自分で試飲した上で、お味を説明しながらイベントの趣旨に合った豆をお選びしてご試飲いただきました。

――それはおもしろいですね!先ほどの本の仕事も、コーヒーの仕事も、さえさんが昔から培ってきた経験や得意分野を生かしたものですね。

そうですね。本が好きなことやバイトの経験は、オリィ研究所に前から伝えていたので、「本の仕事は絶対さえちゃんだね」みたいな感じで声をかけてくれています。

――先ほど「体をコントロールできるように」というお話がありましたが、ご自身の体と付き合いながら、会社員のころとはまったく違うOriHimeでの仕事を5年続けてこられて、何か実感が変わりましたか?

5年働いていても、やっぱりOriHimeに入ると「そこに行った!」感覚が強いです。ただ、私は自宅に引きこもっていた期間が長かったので、自分の生身で人と会ったり、オンライン会議などでも顔を出して話したりするのが最初はすごく怖かったんですよね。

それが、パイロットの同僚とまずOriHimeの姿で出会って、少しずつ話すようになって「次は生身で会おうね」と言えるような関係になれたことが、私にとってすごくプラスでした。実際、家の近くに来てもらって直接会ったり、カフェDAWNで会ったりしたこともあります。

【写真】同僚と笑顔でピースサインをしているさえさん

同僚と一緒に外出することも(提供写真)

また、音や光に弱いので、今も長時間の移動などは難しいんです。でもOriHimeなら、どこへでも行ける。生身では絶対にできない経験もできるなと感じています。だからなのか、生身だったら躊躇してできないようなことも、冒険してみようと思えたりします。

生身の私も知っている人には、「OriHimeに入っているさえちゃんは思い切りがいい」と言われたりしますね。それはけっこう意外でした。

【写真】エストニアの石畳の街並み。屋外のテーブルの上で卓上のOriHimeが両手を広げてこちらを見ている

OriHimeで外出し、エストニアに訪れた様子(提供写真)

――OriHimeだと思い切りがいい、って興味深いですね。さえさんの、どんな言動を見てそう言われたんでしょう?

そのときは、知り合いの子が「横浜にOriHimeを持っていくから入れるよ」と言ってくれて、私もOriHimeを通して横浜観光をしていたんですね。そうしたら、周りの人が「ロボットだ!」と注目してくれたので、手を振ってみたりとか。あと、海辺で夜景を見ていたとき、「もっとギリギリまで寄って見たい!」と言ったりしたことかも(笑)。

たとえばカフェの接客では、ほとんどのお客さまが初対面ですが、OriHimeを介すことで近く感じてスムーズにお話しできる感覚があります。肉体的には離れていても、OriHimeがいるから、心の距離が近くなれるような。それが、とてもいいなと思うところです。

一方で、OriHimeでそうした経験をすることで、やっぱり生身で会いたい、外に出ようという気持ちにつながっている部分もあります。それが最近の変化ですね。

働き始める前、長く家にいたことで、気持ちにも影響が出ていた話をしましたが、やっぱり‟あきらめ癖”がついてしまっていたんですね。やってみてダメだったと思いたくないから、何もしないことで自分の気持ちを守る、みたいな。

でも、OriHimeのパイロットは全国各地にいるので、「今度東京に行くからカフェで会おう」となったら、ちょっと無理してでも行きたいと思うようになりました。

【写真】4人の同僚と楽しそうに食事をするさえさん。手にはOriHimeを持っている

同僚と集まってご飯を食べた日の様子(提供写真)

自分がなるべくフラットでいられるように

――じゃあ、さえさんもカフェDAWNに実際に来たことがあるんですね。

はい、いつもの職場ではありますが、生身でも何度か。でも1人では外出できないですし、電車やバスも難しいので、車で連れて行ってくれる夫の協力が大きいです。現地で見守ってくれて、具合が悪くなってもサポートしてくれて。

いつか1人で行けたらと思いますが、家族の力をすごく借りているなと思います。

【写真】カフェDAWNにて同僚と一緒に笑顔でピースサインを向けるさえさん

カフェDAWNに実際に訪れ同僚と会えた日も(提供写真)

――ただ、さえさんからずっと「働きたい」と聞いていたのが実現したのは、旦那さんにもご実家の方にもうれしいことなんじゃないかなと思います。ご自宅やご実家での会話の変化など、あったらうかがえますか?

そうですね、たとえば母親からは、症状が出る前のさえの感じに戻ってきていると言われます。引きこもっていたときは、「もともとマイペースで人と比べないのがいいところだったのに、病気になってからは『どうせできない』みたいな卑屈な感じになっちゃってるね」とよく諭されていたんです。

今も正直、何をするにもがんばらなきゃいけない感じですが、夫は「外に出て具合が悪くなったりしても、なんだかんだ楽しそう」って言っています。転びまくっても、絶対起き上がるところがおもしろいそうです。ちょっと腑に落ちない表現な気もしますが、いいことなのかなぁと思うようにしています。

――(笑)。ご家族や周囲の人とかかわる中で、なにかさえさんが意識されていることはあるでしょうか。

私、家族や周りの人に助けられてばかりで、自分から返せることが本当に少ないので、自分の気持ちだけでも自立していようと思うようになりました。病名がわかって、OriHimeで働き始めて、身動きが取れない状態からちょっと顔を上げてゆっくり進めるなと感じるようになった、ここ5年くらいですかね。自分の機嫌を自分で取れるように、意識してきました。

だからといって、自分の気持ちに嘘をつくわけではなく、気持ちに無理をしないで、自分がなるべくフラットにいられるようにするというか。

あれもこれも、と欲張りになると体調も悪化するし、できないことが多くてつらくなる。でも‟もうこれでいい”と思い始めるとあきらめ癖が出てきてしまう。そんな10か0かではなく、中間をうまく見つけられるようにしています。

目安ですが、「6割ルール」というのを決めているんですね。がんばりすぎず、でもあきらめすぎず、何でも6割で自分を認めてあげるようにしています。

――6割ルール、いいですね。

また、私の状態がわからないと相手の方も戸惑ってしまうと思うので、自分の状態をなるべく周囲に共有しています。たとえば仕事関係の方などにも、午前中は無理なんですとか、吐き気があるのでオンライン会議中に飴をなめるかもしれないです、とか。仲良くなった人には、今日はちょっと気持ちが不安なんだよね、とかも伝えたりします。

家庭でも、それは気を付けていますね。夫婦とはいえ、自分の気持ちを汲み取ってほしい、理解してほしいというのは負担だなと思っています。

夫は人の気持ちを推し量るのが苦手だと感じているようで、いつも「定量的に教えて」というので、今日の吐き気の強さは0~10でいうと7、みたいに共有しています。7ならしんどいね、じゃあご飯の支度するねとか、4ならお米なら炊ける?といった会話をしているんです。長く過ごすうちに、だんだん歩み寄りがわかってきました(笑)。

――ユニークです(笑)。でも、わかりやすいですね。

お互いに無理してしまうと、やっぱり大変なので。でも、ここまでくるのに時間はかかりました。自分ができない分の負担が夫や実家の家族にかかってしまう。

その折り合いを、どうしたらお互いちょっとよく生活できるかを考えながら、模索し続けている感じです。トライ&エラーの繰り返しですね。

【写真】スナック織姫とかかれたネオンが下がっているバーカウンターにOriHimeが座っている。後ろには様々なお酒が並んでいる

DAWNの奥のバーカウンターでは、ときおり「スナック織姫」が開店。カフェでの接客とは一風違う、スナックのママとしてOriHimeパイロットが勤務する。写真右側に入っているのがさえさん。

やってみるところから、世界は広がる

――今も体調の変化がありながらお仕事を続けられていると思いますが、これからどんな働き方をしていきたいか、希望やイメージをうかがえますか?

OriHimeのパイロットの仕事をしていると、これからどうしていきたいか、目標などを聞かれることも多いのですが、あまり明確な答えは浮かばないんです。

仕事というより、その手前にある生活がままならない状態が長かったので、今は1日1日を積み重ねることが私にとってすごく大事だと思っています。自分の体が綱渡りのように不安定なので、1日でも長く働けたらと思って仕事を続けてきました。

もちろん、私のように体調が不安定だったり、キャリアを早期に中断せざるを得なくて悩んでいたりする人に、私が働き続けることで「こういう選択肢もあるんだ」と伝わったらうれしいとは思います。ただ、働いていく中で「働く理由や目的を自分の中ではっきりさせることが、かえって自分の世界を狭めてしまうこともあるのかもしれない」と思うようになりました。

私の場合は、すごく長いブランクを経てもう一度働き始めるとき、OriHimeの選択肢しかなかったのですが、そこから少しずつ世界が広がっていっています。仕事をしたい理由は人それぞれですが、そもそも理由や目的がなくてもいいんだな、と。

働きながら新しいことや、もともと好きだったことにつながる、私のような人間がいてもいいんじゃないかなと思っています。仕事に限らず、自分の人生をそういうふうに広げていきたいなぁ、という気持ちがありますね。

――やりながら広がっていく、という今のお話、たしかにそうだなと思いました。同時に、さえさんがとても柔軟な考え方をされているから、受け入れて楽しんでまた新しいことに出会える、いい循環が生まれているとも感じますね。

柔軟って言っていただけるのは、とてもうれしいですね。

症状がつらいときは、そういう考えになれないときもあります。でも、自分の柔軟な部分を失わずにいさせてくれたのが、本を読むことだったり、本を通して人の人生に触れることだったりするんだと思います。

本好きが高じて、大学は仏文科に進んだとお話ししましたが、就活にはすごく苦労して何十社も受けたんです。当時の学科の先生からも、文学部の勉強は就職してすぐ使えるようなものではないから、就職活動が大変だよねと言われたりしました。でも同時に、「文学を学ぶのは『人間を知り人間を学ぶ』ことだから、仕事に限らずあなたの人生の役に立ってくれるよ」とも声をかけてくださって。それをずっと覚えています。

つらいときやしんどいとき、本を読むたびに、その言葉に立ち返れる気がしています。

【写真】高い本棚と低い本棚が置かれている

さえさんの家の本棚の様子(提供写真)

――お話をうかがっていて、さえさんのしなやかさや、芯の強さが伝わってきます。最後にお聞きしたいのですが、さえさんがOriHimeでのお仕事を始められてから、世の中もリモートワークが進んで働く環境や人の意識も大きく変わったと思います。ただ、働く時間が限られたり、病気などで対応が難しい方には、やはりまだまだ障壁が大きいのかなと。自分の状況に合わせながら、個性や得意分野を生かして仕事をするために、たとえば制度や社会の意識など、もう少しこう変わっていけばいいなと思うことがあれば教えてもらえますか?

そうですね、状況は人それぞれだと思うので、答えるのが難しいですが……。

私の場合は、たまたまOriHimeが実用化する初期からお仕事を始められて、大きいOriHimeで酔っちゃうなら小さいOriHimeを使ったらいいよとか、周りの方が環境を整えてくださった部分が大きかったと思うんですね。運がよかったんだと思います。

でも会社員だったころを振り返ると、1時間の通勤を休み休みで2時間半かかっても、そのためにすごく朝早く出なくちゃいけなくても、それでも仕事を辞めたくなくて、でも体がもたなくなって……という、今まで通りのことができなくなるつらさや歯がゆさもよく知っています。

そこから、私は幸い周囲に恵まれて、環境を少しずつ変えて今の「なるべく無理ない生活」をつくっていけましたが、本当はみんなが自分に合った枠組みで働ける社会になるといいなと思いますね。人が社会の既存の枠組みに合わせるのではなくて。

うまく言えませんが、もう少し、社会において余白をつくるようなことが進むと本当にいいなぁと思っています。

――そうですね、同感です。枠組みにとらわれないようになれれば、という考えにも、さえさんの柔軟さが表れているように感じました。

ありがとうございます。元気なままだったら気付けなかったと思いますね。病気にならずに、社会の枠組み通りに働けていたらそりゃいいよ、と思うときも実はあります。普通に働いて、夢だった留学にも行って、今の気持ちを全然知らない自分はそれはそれで幸せだっただろうと。

ただ、昔に思い描いていたようなレールに乗ったままの姿も、留学している姿も、“病気にならなかったらなっていたかもしれない自分”は、卑屈な自分が作り出した大きすぎる理想像だったかもしれないです。もし、病気にならずにこの歳まで生きてきても、思い通りになんていかなかったかもしれない。なるべく等身大のありのままを受け入れていこう、と思えるようになったのも最近ですが、自分にできることを積み重ねて、その先に働きやすい社会につながったらいいなと思っています。

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長い期間、家を出られないほどの体調不良に悩まされてきたこと。特に10年以上も診断がつかなかったこと。

さえさんの言葉を借りると、まさに体も気持ちも「身動きがとれない」ような状態は、今現在は外出に支障がない自分にとっては、やはり簡単に「共感できる」といえるものではありません。

お話を伺う前から思っていたことを、取材を通して改めて実感しました。

ですがそれ以上に、思い描いていた人生のレールを外れたところから自身の考え方を再構築してきたさえさんの今の姿勢が、強く印象に残りました。できることを重ねると同時に、できないことも受け止めて、「環境を少しずつつくってきた」と話すさえさんに、年月を経て養われた心のしなやかさや芯の強さを感じました。

一方、OriHimeは期間限定のカフェ展開が全国各地で進み、法人で活用されるケースも増えているそうで、さまざまな理由で外に出にくい方々の働く機会がどんどん広がっていることがわかります。

画一的な働き方に自分を100%合わせるのか、合わせられないなら「働けない」しかない、そんな時代はもう過去のものなのでしょう。それぞれの状況や事情に、働き方を合わせていく可能性は、これからもっと広がっていきそうです。

関連情報:
さえさん X(元Twitter) Instagram note
分身ロボットカフェ DAWN ver.β ウェブサイト

(執筆/高島知子、撮影/川島彩水、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/阿部みずほ)