【写真】街路樹を背景にカメラを見つめ笑顔をみせるさとうあきこさん

「人権は大切だと思った」

小学生のとき、先生に提出するプリントに何度も同じ文章を書いた覚えがあります。

私の通っていた学校では人権学習が盛んで、さまざまな理由による差別を経験された方々のお話を直接伺う機会がありました。今思えば、とても貴重な機会だったと思います。

けれど、当時の私には「大変な経験をした“誰か”の話だ」という意識がありました。だからこそ、人権は大切だと“思う”だけで済んでいたのでしょう。

それから10年以上が経ち、私は海外で人種的なマイノリティとして暮らす経験をしました。少しずつ生活に慣れてきたある日。スーパーの帰り道、性別と人種にまつわるジョークを投げかけられました。

たった数単語の言葉でしたが、しばらく一人で歩くのが怖くなり、人通りの多い時間しか外出できなくなりました。差別を受ける心配をせず、安心して道を歩けるのは、当たり前ではなかったのです。

「人権は保障されていると意識しない。当たり前すぎて気がつかないけれども、一旦なくなると取り戻すのは大変なんです」

そう話すのは、弁護士の佐藤暁子さん。国連開発計画(UNDP)でビジネスと人権プロジェクトのリエゾンオフィサーを務め、企業における人権の普及・浸透について、アジアをはじめとする国々の人権問題に重きを置きながら、精力的に取り組まれています。

【写真】椅子に座りインタビュアーの方を向きながら笑顔をみせるさとうさん

企業に限らず、社会において人権が守られていない現実を見聞きして、人権について興味を持ったり、課題意識を抱いたりする人は、私の周りにも増えているように思います。

所属する組織やコミュニティ、社会において、誰も差別を受けたり、尊厳を傷つけられたりしないようにしたい。そうした願いや思いを抱いたとき、どのような行動が必要なのでしょうか。メンバーやリーダーは互いにどのように関わり、何を学んでいかなければいけないのでしょうか。

そもそも人権とは何かという問いから出発し、人の権利と尊厳の守られる組織をつくるためにできることについて、佐藤さんと一緒に考える時間を過ごしました。

佐藤 暁子さん:国連開発計画(UNDP)ビジネスと人権 リエゾンオフィサー/弁護士 上智大学法学部国際関係法学科、一橋大学法科大学院卒業。International Institute of Social Studies(オランダ・ハーグ)開発学修士号(人権専攻)企業に対する人権方針、人権デュー・ディリジェンスのアドバイス、ステークホルダー・エンゲージメントのコーディネート、またNGOとしての政策提言などを通じて、「ビジネスと人権」の促進に取り組む

人権は私自身や社会と密接にかかわるもの

——はじめに、佐藤さんが人権に関心を持ったきっかけを教えてください。

大きなきっかけとなったのは、弁護士として札幌の法律事務所に勤務した経験です。

離婚や相続、交通事故、賃貸の問題、中小企業の問題など、一般民事・刑事事件に関わりました。そのなかで、司法試験のために学んでいた法律上の権利は社会のなかでは当たり前には実現できないという現実を目の当たりにして、「人権は大事だけれど、日本社会のなかでは十分に保障されていない人々はまだまだたくさんいる」と感じるようになったんです。

また、札幌では子どもや高齢者、障害者をめぐる課題や貧困など、さまざまな社会課題に関心をもって活動する弁護士や自治体の方、支援者の方と出会いました。その方々と沢山お話するなかで、人権は私自身や社会と密接にかかわる課題であると実感したんです。

——それ以前は、人権について特別な関心を持っていたわけではなかったのでしょうか?

自分の関心が人権に関わるものだと、気づいていなかったのだと思います。

もともと国際開発への関心が強く、ルールや仕組みから社会を見つめると面白いのではと考え、法律にまつわる学部を選択したんです。弁護士になる前には「実際にその国の人々の生活に触れてみたい」との思いから、カンボジアで公民の授業を日本語で行う機会も得ました。

そこで目の当たりにしたのは、成長著しい地域とガスも電気もない地域の格差です。生きるうえで必要な環境が保障されていない人たちがいる。経済発展や開発とは何かを考えさせられました。

今振り返るとカンボジアでの経験は、私が人権に関わる一歩目だったと思います。

【写真】歩道を歩くさとうさんの足元

——佐藤さん自身も、最初から人権を身近な問題だと感じていたわけではなかったのですね。札幌で働かれた後は、どういった活動を?

オランダの大学院に留学し、「開発学」という分野の修士課程に進みました。世界各国から集まる同級生とさまざまなレベルや立場で、社会課題について考え、議論を重ねて。実践と研究を行き来するアクティビストの教授もいて、とても刺激的でした。

その後、国際機関での経験を積みたいと思い、国連開発計画(UNDP)のアジア太平洋地域事務所(バンコク)でインターンとして働きました。UNDPは、世界の170カ国以上の国々で活動を進め、開発途上の国々がその開発目標を達成できるように支援する機関です。

2022年4月からは、UNDPのビジネスと人権プロジェクトのリエゾンオフィサーを務めています。プロジェクトの同僚たちは世界中から集まっており、各国の社会や歴史、経済的な背景もさまざまです。そのなかで人権という一つの共通言語で仕事をしており、面白さと難しさを日々感じているところです。

人権とは私たちの当たり前の生活を支えるもの

——佐藤さんが日々向き合われている人権。言葉としては知っていても、どういうものかと問われると答えに詰まる人も少なくないかと思います。そもそも人権とは何なのでしょうか?

人権とは何かについて、国際社会での共通言語となっているのが「世界人権宣言(※)」です。宣言の第一条には、このように書かれています。

全ての人間は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である。

(※)第二次世界大戦後、戦時中の非人道的な行為を二度と繰り返すことがあってはならないという決意を持って、1948年12月10日のフランス・パリにて宣言された

大前提として、人権とは誰もがどのような状況にあっても、生まれながらにして持っている尊厳や権利であって、誰にも奪われてはならないものです。

——具体的にどういった尊厳や権利があるのでしょうか?

たとえば、人種・セクシュアリティ・障害・宗教・民族などによる差別を受けない権利、ハラスメントや強制労働、人としての尊厳を損なうような行為を強いられない権利があります。

講演などで「人権と聞いて何を思い浮かべるか」とたずねると、人種差別などを具体例として挙げる方が多くいらっしゃるんです。恐らく日本の教育やニュースなどで人権について語るとき、人種差別にまつわる課題が中心になりやすいからだと思っています。

——たしかに学校で受けた人権学習の授業も、マイノリティの立場にある人への差別を沢山扱っていた記憶があります。

そうですよね。国際社会では、とくに子どもや女性、障害者など、社会的マイノリティの立場に置かれている人々の権利保障が不十分であるという認識のもと、「条約」という形で、権利を保障しようとする運動が積み重ねられてきました。たとえば「子どもの権利条約」「人種差別撤廃条約」「女性差別撤廃条約」「障害者の権利に関する条約」といった条約は聞いたことがあるかもしれません。

——マイノリティの権利や尊厳を十分に保障されていない現実があるからこそ、人権という枠組みのなかで、さまざまな議論や条約が積み重ねられてきたのですね。

その通りです。「マイノリティの立場に置かれている人ばかりに恩恵を授けるのか」というリアクションをされる方がいますが、決してそうではありません。

「当たり前のように保障されるべき権利」が特定の人たちには保障されていないからこそ、当たり前にするために条約が必要になる。決して特別な恩恵というわけではないんですよね。

【写真】椅子に座り笑顔でインタビューにこたえるさとうさん

それらに加えて、私たちが生活のなかで当たり前に感じているものの多くも、実は権利として保障されています。

たとえば、安心して食事ができることも権利の一つ。あるいは教育を受ける権利も、子どもだけではなく、誰しもが持っている権利です。

また、適切な住居にアクセスできる権利もとても大切な権利です。たとえば災害などで避難している方々の仮設住宅、母子の緊急避難先としてのシェルターなど。人が安心して生活できる住居は、権利として保障されているものなんです。

——食事や住居など、生活にかかわるものも権利として保障されているのですね。

生活に密着した権利として、きれいな空気や水にアクセスできる権利もあります。東京は“とてもきれいな空気”とまでは言えないかもしれませんが、インドや中国の大気汚染を考えると、比較的空気の状態はよいですよね。

また、日本では基本的に蛇口をひねれば、安心して飲める水が出てくる。トイレなども、ほとんどの場所で安心して利用できる清潔な設備が整えられているかと思います。

安全で清潔な水や空気、トイレ。これらは日本に暮らしていると当たり前に捉えてしまいますが、本来は権利として保障されているからこそ実現しているもの。残念ながら、世界のあらゆる場所で実現しているわけではありません。

ほかにも社会保障を受ける権利やプライバシーに対する権利、投票する権利、安全な職場で働く権利など、さまざまな権利があります。複数の権利や尊厳を含む概念ですので、英語で人権は、単数形の「Human Right」ではなく、複数形の「Human Rights」と表現します。

【画像】私たちの生活の基盤にある国際人権 Human Right「s」 たくさんの人権の上に毎日の暮らしがある 世界人権宣言 自由権/社会権規約・女性差別撤廃条約・人種差別撤廃条約・子どもの権利条約・障害者権利条約・ILO中核的労働基準・先住民の権利に関する国連宣言など 団結権 団体交渉権 団体行動権 プライバシー権 参加する権利 児童労働の禁止 労働安全衛生 公正かつ適切な労働基準 障害者の権利 教育を受ける権利 強制労働の禁止 障害者の権利 移動の自由 社会保障を受ける権利 適切な住居にアクセスする権利 ハラスメントの禁止 人種・セクシャリティ・障害・宗教・民族などにより差別を受けない権利 クリーンで 清潔な持続可能な環境権 知る権利 資源に アクセスする権利

——さまざまな権利のうえに、私たちの日常が成り立っているのですね。

よく「人権は空気のようなもの」とお話するんです。無くてはならないものなのに、保障されている環境にいる間は意識しない。当たり前すぎて気づきづらいものです。

ですが、一度無くなってしまうと、取り戻すのは大変です。世界人権宣言は、第二次世界大戦中に、世界各国でさまざまな人権侵害が起きたことを教訓に生まれました。人権とは突然降ってきたものではなくて、歴史のなかで人間が築き上げ、維持し続けてきたものなんです。

ニュースなどで「デモンストレーション」や「プロテスト」という形で、多くの人々が権利を主張している姿をみたことがあるかと思います。とくに欧米やアジアの一部は、権力者が権利を奪う行動に対して市民が立ち上がり、権利を取り戻した歴史があるからこそ「主張し続けないと、権力は濫用され、人権は奪われてしまう」という危機意識が日本に比べて強いように感じています。

——たしかに「権利は自分たちで守らなければいけない」という実感を強く持っている人は、自分の周りには少ない気がします。

なかなかそういった実感をもつ機会は少ないですよね。

けれど、人権は一人ひとりの生活に根ざしているもの、直結しているものであり、一人ひとりが「権利の主体」なんです。国や自治体など「権利を保障し守る義務を負う立場」に対して、私たちは生活のなかで権利を求めていくことができるんです。私はそう学んだとき「自分にも権利があるのだ」とエンパワーされる思いがしました。

また、誰もが時と場合によってマジョリティにもマイノリティにもなり得ます。たとえば、私は性的指向や性自認の観点ではマジョリティと言えますが、性別という観点ではマイノリティとなる環境も多くあります。多くの人も同じようにどちらの側面もあわせもっている。

だからこそ、私たちはお互いの権利や尊厳を守るために、互いの立場や視点を理解する努力をし続けなくてはいけないのだと思います。マジョリティがマイノリティを知り、問題解決に対して積極的に関わることが必要です。

【写真】笑顔でお話するさとうさんの横顔

——そうした積み重ねによって、さまざまな人権が守られる組織やコミュニティ、社会は、どのような姿をしていると思いますか?

他者から不要な我慢を強制されないし、あるべき姿を押しつけられることもない。だから誰もが一人の人間として自分自身を尊重でき、あるがままの自分でいられる。他者に安心して自分の考えや思いを話すことができる。そんな社会の姿を思い浮かべました。

一見当たり前のようにも聞こえるかもしれませんが、どれも実現するのは簡単ではありません。だからこそ、人権に向き合ううえでは、常に完璧であろうとしないことも大切ではないかと思っているんです。私自身も、日々いろんな方々とお話をして、失敗を重ねながら、少しずつ学びを続けてきました。難しいけれど一歩ずつ進んでいけたらいいですよね。

「違和感があった」と言い合えるセーフスペースをつくる

——人権について学んでいくと、所属する組織やコミュニティのなかで、「自分や他者の人権が侵害されていたかも」という気づきも増えてくると思います。そうした気づきを変化につなげるために何ができるでしょうか。とくに明確に侵害とは言い切れない、悪気のない行動や発言ほど、その場で注意するのが難しいと感じることがあります。

たしかに、すでに出来上がっている組織やコミュニティのなかで、発言や行動に水を差すのは、なかなか難しいですよね。役職や立場による上下関係を感じて、声を上げることを躊躇ってしまうこともあるかと思います。

なので、たとえば誰かに対して発せられた発言に違和感を抱いたら、会話が終わった後で、発言を受けた人に「あの発言ちょっと気になったんだけど」と伝えてみるといいかもしれません。

私自身、以前とある年配の男性が私に発した発言について、その場にいた方から、後日「あの発言は違和感があったんですよね」と伝えてもらった経験があるんです。私はその発言をポジティブに捉えていたのですが、「言われてみたら確かに少しジェンダーの観点から問題だったかもしれないな」と思いました。何より相手が自分のことを気にかけてくださっていたことが伝わり、あたたかい気持ちにもなったのを覚えています。

意見はどうあれ「あなたのことをケアしたいと思う」という気持ちの表明は、多くの人間関係においてポジティブに働くはずです。抱いた違和感や気持ちを、後からでも言葉にして伝えてみるというのは一つの方法かと思います。

——「その場で言えなかった……」と後悔した経験があるので、後で伝えることも意味があると聞くと勇気が湧いてきます。

違和感を抱いた場面ですぐ言えなくても、組織やコミュニティの誰か一人と違和感を共有するのは、とても大切なステップですよね。

そのステップを踏んでいれば、次に同じことが起きたときに、もしかしたら二人で何か発言したり行動したりできるかもしれない。一人よりも二人のほうが心強いですから。

【写真】テーブルの上で重ねられたさとうさんの両手

——違和感を共有しやすい組織やコミュニティをつくるために、リーダーやマネージャー的な立場にある人には、どういった心がけや行動が求められるでしょうか?

他者の意見にオープンな態度であること、フラットに意見を伝えてほしいと伝え続けることが重要なのではないかと思います。

とくに日本の企業組織は、敬語の文化もあいまって、メンバーが上下関係を意識しやすい環境ですよね。役職や立場が上になればなるほど、自分の想像以上のプレッシャーを与えていると意識して振る舞う必要があると感じます。

もちろん、プレッシャーをゼロにするのは難しいかもしれません。けれど「自分としてはこうありたい」を、言葉と行動でもって表現し続けることで、安心して発言できる環境に近づけられるはず。日々のコミュニケーションを通して誰もが受容されていると感じられる安全な場所をつくっていく。それがリーダーの役割なのだと思います。

——最近は「人権尊重の取り組みが大切」と意識しすぎるあまり、間違った発言や行動を恐れ、コミュニケーションに不安を抱えているリーダーもいると聞きます。そうした不安や恐れとはどのように向き合えばいいのでしょうか?

不安や恐れを抱く気持ちもわかるのですが、そう言っている方々も、きっと日々の会話のなかで「相手はどう思うだろう」って自然に考えることがあるはずなんです。そうやって目の前の相手に思いを寄せてコミュニケーションをして、一つひとつ学び直していこうという意識で向き合えるといいですよね。

【写真】インタビュアーに向かって笑顔を向けるさとうさんと、インタビュアーの後ろ姿

ルールやポリシーは縛るものではなく、違和感を共有しやすくするもの

——実際のコミュニケーションのなかで人権を大切にしていくために、最近では企業組織が人権にまつわるポリシーやルールを設ける事例も目にします。ルールやポリシーの役割を、佐藤さんはどのように捉えていますか?

まず、ルールやポリシーは「ここからは明確に人権侵害です」という、絶対に超えてはいけないラインを明確に設定し、適切に対応するうえで必要だと思います。

現実の組織やコミュニティでは白黒つけられない状況や場面も多い。そういった場面でも役立つのがルールやポリシーです。

なぜなら、目の前で起きた事象とルールやポリシーを照らし合わせて、対話や思考を重ねられるからです。一度完成させて終わりではなく「ルールやポリシーが適切なのか」を繰り返し話し合う。ルールやポリシーは対話プロセスにおける一つの「プラットフォーム」のようなものでもあると捉えています。

——行動や発言を縛るものではなく、日常の出来事と紐づけて、対話や思考を重ねていくうえで役立つものなのですね。

ルールやポリシーがあることで、組織やコミュニティのメンバーが「こういう発言や行動に違和感を感じていいんだ」と気づくきっかけにもなり得ます。もしも組織やコミュニティのなかで実際に起きた事例を直接取りあげるのが難しい場合は、世の中で起きていることを例に対話してみてもいいと思います。

とにかく大切なのは、ルールやポリシーを「額縁に飾られた、自分には関係のないもの」にしてしまわないこと。日頃の生活やコミュニケーションとどう結びつくのかを繰り返し話していくことで、メンバーのなかにルールやポリシーが内在化されていくはずです。

一般的な企業が掲げるミッションやバリューと呼ばれるものも、そうやって従業員の一部になり、日々の行動や発言によって体現されていきますよね。ルールやポリシーも同じように捉えられるのではないでしょうか。

——企業組織においては、経営や事業の意思決定や日々の従業員の行動が「ビジョンやバリューに沿っているか?」といった検討がなされますもんね。

そうですね。同じように「人権ポリシーやルールに沿っているか?」という発言が、チームの輪を乱す行為ではなく、多様な考え方を尊重するために必要なものだと捉えられると理想ですよね。そうやって問い続けることが当たり前、という雰囲気がつくれるといいなと思います。

【写真】屋外の緑を背景に、右の方向を向いて微笑むさとうさん

親切でも思いやりでもない。守られるべき「人権」を守るための一歩

——今日話を聞いて、人権と自分の日常と切り離さずに向き合い続けることが大切だなと改めて感じました。佐藤さん自身が、日々人権について考えたり対話したりを重ねていると思います。その際に気をつけていること、意識していることはありますか?

講演やセミナーなどでいつも話すのは、人権は「親切や思いやり」とは別であるということです。

人権は誰もが生まれながらにしてもっているもので、どんなときでも保障されるべきです。一方で、人が他人に親切にできるか、思いやりをもって向き合えるかは、その人の気分や体調によっても左右されてしまいますよね。それは人権が保障されている状態とはかけ離れています。

よく例に挙げるのは、障害者に対しての差別をなくそうという文脈で使われる「心のバリアフリー」という言葉です。異なる心身の特性や考え方をもつ人同士が、思いやって理解し合おう、そのためにコミュニケーションを図り、支え合うことを指すそうです。

この言葉自体が悪いとは思いませんが、障害者の人権が保障されるべき状況で「心のバリアフリー」という言葉だけで、人々に親切や思いやりの発揮を促しているのは違和感を抱きます。人権が侵害されている状態は、親切や思いやりだけでは解決できないし、決してすべきではないからです。

——個人の親切や思いやりだけで人権侵害を乗り越えられるわけではない。

先ほど、人権は自分の生活と密接するものだという話をしましたが、同時に社会全体の課題として捉えることも、とても大切なのだと思います。

その際にヒントになるのが「社会モデル」という考え方です。これは障害の原因が個人にあると考えるのではなく、さまざまな障害をもつ人が生活できない社会の障壁自体に原因があるとするもの。

社会モデルの導入によって、障害者に関する権利条約が制定され、道路や建物における物理的な障壁や社会制度上の障壁が取り払われる動きが生まれました。わかりやすい例だと、車椅子用のエレベーターやスロープの設置といった物理的なアクセシビリティの確保、あるいは手話通訳や要約筆記の提供といった情報保障が挙げられますね。

こうした動きは、単に個人が障害者に親切や思いやりを発揮するだけでは決して生まれなかったでしょう。人権が保障されていない状態を、社会全体の課題として捉え、障壁をなくしたからこそ、一人ひとりの当事者の状況が改善し、その人らしく社会で生活することができる。障害者に対する差別に限らず、さまざまな差別にも当てはまるのではないかと考えています。

——日常のなかで小さく行動することと、社会を広く見つめ考えることの両方が大切なのですね。

そうですね。最初からさまざまなマイノリティな立場にある人たちの気持ちを完全に理解はできなくても、気持ちを寄せて、自分の行動や発言を変えていくことはできるはずです。

今は人種差別や障害者差別、環境破壊、ハラスメントなど、人権に紐づくさまざまな社会課題を描いた映画や小説もたくさんあります。そういったものに触れてみることでもいいので、まずは関心を持ち、気持ちを寄せることから始めてみてほしいと思います。

すぐに社会の変化に結びつかなくても、きっと意識しないところで、あなたの行動が周囲にも影響していくはずです。私自身もそうした周囲からの影響を受けて、ここまでやってきましたから。

【写真】街路樹を背景に、両手を前で重ねてまっすぐ立ちながらこちらを見つめて微笑むさとうさん

取材の場で、佐藤さんは私の質問に対して「難しいですよねぇ」と時折迷いながらも、ご自身の考えを共有してくださいました。そうした雰囲気のおかげか、過去に感じた自分自身の違和感も自然と口に出すことができたように思います。口に出して他者と共有することで、自分と人権という概念の距離が、少し縮まったようにも感じました。

そんな時間を過ごして再認識したのは「人権は大切だ」と思うのと同じくらい、大切にするための行動が必要なのだということ。

たとえば組織やチームのなかで感じた違和感があれば伝えてみる、その場で言えなくても安心して話せる人と話してみる、社会のさまざまな人権侵害や克服の歴史を知る、当事者の声に耳を澄ます——。

小さな積み重ねを通して、人権が尊重される組織やコミュニティをひとつでも増やしていきたい。どこかの“誰か”のためではなく、権利の主体である“私たち”一人ひとりのために。

関連情報:
国連開発計画(UNDP) ウェブサイト

(撮影/野田涼、企画・編集/工藤瑞穂、協力/樫本実夏)