【写真】女性と子どもが手をつないでいる

「子どもを育てたい?育てたくない?」

大人になり、結婚して10年。ずっと、うっすらと頭の中で考え続けてきた。

ただ、積極的に行動するほど子どもをつくる強い意思はなかったので、夫婦ふたりの生活を楽しみながら、仕事に打ち込み趣味の時間を充実させ、ときに自身の病気や家族の介護などを経験しながら、子どものことは時々思い出してはまた忘れる、を繰り返していた。

40歳になったことをきっかけに、私は改めて今、「子どもを育てること」に向き合っている。とはいえ、妊娠しやすい時期は過ぎていて、これから子どもをつくるとしても、おそらく不妊治療が必要だろう。

でも、そもそも私は「自分で産んだ子ども」を育てたいのだろうか?

自分とパートナーの血のつながった子どもがほしいのか。それとも、子どもを育てるという経験をしてみたいのか。

「子どもがほしい」というはっきりした気持ちがないからこそ、考えてもずっと答えが出ないままだ。

一方で、自分の子どもを産む以外の選択肢として、ずっと特別養子縁組と里親には関心がある。

今、様々な事情があって、子どもを育てるのが難しい親がいること、生みの親のもとで育つのが難しい子どもがたくさんいることは、十分にわかっている。そして、社会的養育は「子どもがほしい大人」のためにあるのではなく、「子どもの福祉」のための制度であることも。

だからこそ、もしも私に「絶対に自分が産みたい」という願望がないのであれば、特別養子縁組や里親というかたちで、子どもたちの人生に貢献できるのではないだろうか、と考えている。

そんな思いを数年持ち続けているのは、ある友人が特別養子縁組で子どもを育てていることが大きく影響している。

特別養子縁組とは、子どもの福祉のために、様々な事情により親が育てられない0~15歳未満の子どもが、生みの親(実親)との法的な親子関係を解消し、育ての親と親子関係を結ぶ公的な制度。日本では、2022年は580件の特別養子縁組が成立している。

私から見えている友人親子の姿は、当然ほんの一部だろう。それでも友人から、血縁のない子どもを育てるプロセスで出会った感情、親子の間で生まれた様々なやりとり、社会的養育のもと託された子どもを通して見る社会への思いを聴いていると、いつも心の底からこみ上げるような何かがある。

血のつながりに関わらず、友人が母親として子どもへ向けるまなざしは「愛情」という言葉以外のなにものでもない。数十億人が生きる地球でこの親子3人が出会えたことは、偶然かもしれないけれど、必然でもあったのだろう、といつも感じる。

親子の歩んできた道のりを聴かせてもらい、文字にして読んでもらうことで、それを受け取った誰かも感じるものがあるのではないか。そして、私のように特別養子縁組への思いを抱いている人にとって、より深く考えるきっかけとなるのではないだろうか。

そう考え、友人に今回ゆっくりインタビューする時間をもらった。

以下に友人との対話が続くが、友人の経験した事実だけでなく、人柄やまとう雰囲気を感じていただきたいと思い、言葉は口調や語尾に渡るまでほとんど手を加えていない。

そして、私が特別養子縁組の制度や親子の置かれた現状に対して知識が足りなかったり、思い込みを持っている部分もあると思うが、その日の会話を、その場にいたかのように感じていただけたらと思い、私の言葉もなるべくそのまま掲載している。

ただ、特別養子縁組にまつわる詳細を明らかにすることは、子ども、生みの親、育ての親などのプライバシーや安全に大きく関わる。そのため、母親である友人は匿名で顔写真を公開しないかたちにし、個人情報に関わる部分は編集を加えている。

写真は本人ではなく、友人親子をよく知るフォトグラファーに、同じく友人親子をよく知る方とそのお子さんに被写体となってもらい、このテーマを想起して撮影していただいたもの。

もちろん特別養子縁組をしているすべての育ての親が、友人と同じ経験をし、同じ感情を持っているわけではない。そして、この制度も実際に子育ても、うまくいくことばかりではなく、葛藤や苦悩もたくさんあるはずなので、すべてをここに書けたわけではない。

それでも、友人とパートナー、子ども、ご家族や友人、生みの親、養子縁組あっせん団体のみなさんが、この広い世界で縁あって出会い、協力しあって築いてきた“家族”の歩みを知ってもらいたい。

友人の話してくれた大切な経験や思いが、誰かにつながれていくことを願って。そして子どもも親も幸せに暮らせる社会をつくる一助となることを願って、この文章を届けたい。

soar編集長 工藤瑞穂

温かくて安心できる家族をつくりたい。子どもの頃から抱える思い

ー今日はよろしくお願いします。まず、子どもの頃から聴きたくて。家族についてはどんな思いを持っていましたか?特別養子縁組で子どもを育てているので、昔から子どもを育てたいという気持ちを持っていたのかな、とも気になって。

子どもの頃は、絶対に結婚したい、子どもがほしいみたいな気持ちはなかったですが、ぼんやりとは「大きくなったら結婚して、子育てしたいな」という気持ちはありましたね。

私は両親の仲が悪くて、「自分が大人になったら温かい安心できる家族をつくりたい」とずっと思っていました。

父親が、暴力はなかったけれど、家族に高圧的な態度をしたり家にお金を入れなかったんですよ。

うちは祖父母もいて持ち家だったし、母親も仕事をしてたので、何不自由なく暮らしてはいたんですけど、父の高圧的な態度がずっと続いて。父は単身赴任で、週1くらいで帰ってくるとそんな感じで、「帰ってこないといいなあ」と思ってました。

ーそういう子ども時代を経て、結婚して。パートナーさんとの出会いはいつ頃ですか?

学生時代に出会って、社会人になってすぐに結婚しました。

【写真】女性が胸の前で両手を組んでいる

ー20代前半で結婚したと思うのですが、子どもについてはいつ頃から話し合いました?

夫がすごく子どもが好きなので、結婚してすぐから話し始めていて、私もなんとなく若いお母さんに憧れてて。結婚の翌年に結婚式が終わって、すぐに子どもがほしいなと思って妊活を始めました。

病院に行ったのは、その半年後で26歳くらいですかね。健康でこれまで病気もしたことなかったし、生理も順調だったから、すぐ妊娠できるだろうと思っていたら半年くらいできなくて。

「なんか私病気とかあるのかな?」と思って、近くの産婦人科を受診して、いろんな検査したんですけど、そのときは原因がなかったんです。

「まだ若いから。しかもまだ半年でしょ?もう少し様子見たら?」って看護師さんにすごく励まされて。あと半年妊娠しなかったらまた考えましょう、と。

それで半年待ったんですけど、やっぱり妊娠しなくって。また病院に行って、先生から「旦那さんのほうも一緒に検査しましょう」って言われて、夫の検査をしたら無精子症だったんです。

ーそのときのパートナーさんの様子はどうでした?

最初に病院に行ったのは私だけだったんですよ。てっきり私は自分に原因があると思ってたんで「ついでに検査に出してくる」くらいで。一人で呼ばれて、先生に「あ、今日一人できたんだ?」って言われて、「はい」みたいな。

パーテーションで他の患者さんから私が見えないように区切られてて、「なんかこれよくないことがあるんだろうな」と思ってたら、「精子がいないんだよね」って先生に言われて。

病院が終わってすぐにLINEで夫に連絡したけど、「無精子症だった」とは言えなかった気がします。「ちょっと精子に問題があるみたい」ってぼんやりした感じで言って。それで夫は全部察したみたいです。

時間をあけてもう1回検査することになったんで、その期間の間に自分たちでも調べて。なので2回目の検査のときは落ち着いてて、夫も一緒に先生に話を聴いて。

二人の子どもがほしい。可能性がゼロじゃないなら、不妊治療を続けたい

ーそこからまた不妊治療がはじまったんですね。

2回目の検査でもやはり精子はなく、無精子症と診断されました。そのときに「これ以上うちでは治療できないので、もっと専門の不妊治療やってるクリニックに行ってみてください」って、他の病院を紹介されました。

遠方に有名な病院があったので行ってみたら、「不妊治療もやれなくはないけど、かなり厳しい状況ですがどうしますか?」って言われて。でも「可能性がゼロじゃないならお願いします」って頼んで、結局2年くらいやりました。普段の検査は家の近くで、採卵とか卵子の胚移植とかそういう重いものを遠くの病院でやって。

(「採卵」とは、排卵の直前に卵子を卵巣から体外に取り出すこと。「胚移植」は、受精卵を培養液の中で育て分割を進行させて、子宮内に移植することを指します。)

私は採卵して卵子を取り出して、そこに顕微鏡で精子を入れて、子宮内に戻す顕微授精をしました。それを2年。採卵が2回、移植が5回ですね。

ーそれはすごくお金がかかってますよね。

2年間で300万弱ですかね。

【写真】木のベンチに女性二人が座っている

ーそのときの二人の話し合いとしては、「それでもやっぱり自分たちの子どもをつくろう」っていう。

可能性がゼロじゃないならやってみたいなって。お金はかかるけど、レベルの高い医療を受けたくて、「やれるだけやってみよっか」みたいな感じでした。

結局28歳のときにやめたんですけど、やっぱり不妊治療が経済的にもメンタル的にもつらくて。治療中ってアップダウンが激しいんですよ。

ー顕微授精してみたけど、今回もだめだった。

そうなんです!期待するじゃないですか。移植して、でも妊娠しなかった。気持ちを持ち直してもう一回頑張ろうと思うけど、疲れてしまって、私なんで頑張ってるんだろうって。

私はやっぱり温かい家族をつくりたかった。でも、子どもがいなくてもすでに温かい家族つくれてるんじゃない?もうここまで頑張らなくていいんじゃない?って気づいて。

そこでスパッと自分のなかで糸が切れたというか、気持ちが落ち着いたんです。

その日のうちに夫に言いました。そのときもう一回移植分の受精卵が残ってたんで、「今度の移植分で妊娠しなかったらやめたいって思ってる」って。

ーそのときはパートナーさんはどんな反応でした?

びっくりしてて。夫に何も言わずに、自分のなかだけで「もう無理だ」って思って言ったんで。夫は「やっぱり一番私に負担がかかってるから、もちろんそれでいい」って言ってくれました。

私はそのとき「もう夫婦二人の生活を送るんだ」って思ってたんですが、夫はそうじゃなくて、「どうしても子育てしたい」って言ってて。

不妊治療してる間も、「このままうまくいかなかったらどうする?」って話は出てたんです。特別養子縁組か里親か、二人の生活を送るか。

それか非配偶者間人工授精っていって、第三者の精子を子宮に注入して妊娠するやり方もあったんですけど、なかなか答えが出なかったんですよね。実際に不妊治療をやめるって決めてから、具体的にその後を検討した感じです。

【写真】地面に咲くオオイヌノフグリ

「夫とだったらきっと頑張れる」不安を抱えながらも、特別養子縁組で子どもを迎える決断を

ー「もう不妊治療はやめる」と決断して、いろんな選択肢があるなかで、特別養子縁組にたどり着くまではどんなふうに調べたりしたんですか?

ネットで調べたんですが、里親はマッチングする件数が多いけど、子どもは何らかの事情で帰ってしまうこともあるのでずっと一緒にはいられない。

(里親とは:様々な事情により家族と暮らせない子どもを一定期間自分の家庭で養育する里親です。保護者が子どもを引き取れるようになるまで、又は子どもが自立するまでの一定期間養育していただきます。期間は数週間から数年、十数年と子どもの状況に応じて異なります。原則子どもが18歳になるまでが最長の期間になります。(引用元:福岡市こども総合相談センター えがお館ホームページ))

非配偶者間人工授精は私がやりたくなくて。最初は、夫も夫の両親からも、「せめて私とだけでも血がつながった子どものほうがいいんじゃないか」と言われてたんですけど、私は絶対いやだって。私が妊娠したいのは夫の子どもであって、他の人の子じゃないのにって。

選択肢として特別養子縁組が残ったんですけど、夫は子どもがほしいのもあったし覚悟を決めるのが早かったんですよね。私がなかなか… 。やっぱり不安だったんですよね、自分に本当に育てられるのかなって。

ー自分の産んだ子どもじゃないのに育てられるかな、という気持ちですか?

普通の育児でも大変だと思うんですけど、そこに血のつながりがないってことは、もっと大変なんじゃないかみたいな、すごく漠然とした不安だったんですけど。

育ての親の当事者のブログも読みましたが、決断したのは夫と話したのが一番大きかったような気がします。

ー養子縁組をするかどうか、夫婦間の意見が合わずに悩んでいる方もきっといますよね。

「どうやって夫婦で決断できたのか」と聞かれることはたしかに多いです。

うちの場合は、夫は私が悩んでいる間、急かして話し合いを進めたり、決断を急ぐことは一度もなかったんです。夫から「特別養子縁組のことなんだけど」と、切り出されることもなかったですね。

私から「ここが不安」って話したり「こういうところはどう考えてる?」って聞いたときだけ、自分の考えを話してくれて、あとは私が自然と決断するまで待ってくれました。そういう夫の姿勢も、私が納得して決断できた要因の一つだと思います。

私があるとき、もし障害のある子どもだったらどうするとか、肌の色が違う子どもだったらどうする、とか話していたんです。そしたら夫が、「いや、病気あるかどうかなんて、自分たちで産んだ子どもと変わらないでしょ」みたいな感じで、スパンと言って。

たしかにそうだよねって。多分付き合いが長かったこともあって、やっぱり夫に対する信頼感が一番大きくて、この人と一緒だったら何とかなるんじゃないかなって。

不安はもちろんあるし大変だろうけど、きっと頑張れるな。絶対に親になれるかどうかわかんない。わかんないけど、でも頑張れるなって。

それに私は、本当に子どもを育てたかったんでしょうね。

【写真】女性が微笑みながら話す横顔

ーその話し合いはどれくらいかかったんですか?

2、3ヶ月ぐらいで私も決断しました。

順番的には、特別養子縁組の団体を調べた方が先ですね。いろいろ見て、結局選んだ団体は、夫がテレビでその団体が取材されてるのを見てたらしくて。特別養子縁組するんだったらここがいいと。

私はちょっと他も見てみたい、っていうのもあって、児童相談所と実際にお願いした団体、あともう1件他の団体の説明会を聞きに行きました。

ー説明会って、実際に育ての親が来てくれるのかなと思うんですが、どんな感想を抱きましたか?

まず思ったのは何か「普通だな」って。一見すると血のつながりがないなんて全くわからない。子どもも懐いてるし、親も子どもを抱っこしたり、悪いことしたら怒ったりしてるし、めっちゃ普通だなって思いました。

説明会では、代表が団体の概要を説明して、その後交流会でグループになって、育ての親と子どもが一緒に来てくれて実際の様子も見れて。説明するだけと、親子の姿を見るのは実感値が全然違う。

やっぱりここで子どもを迎えたいねって夫と話して。

他の団体では説明してくれた人が高圧的に感じてしまったんですよ。育ての親の家族はすごく優しくて素敵だったんですが。子どもを探してきてあげてるんだから、こういうことをちゃんとしてください、と強めに話してて、もっともだけど態度は高圧的に感じて。

ー特別養子縁組することを決めたことは、親御さんにはどう話したんですか?

私も夫もそれぞれの親にまず電話をして。さっき言ったみたいに、夫の親は非配偶者間人工授精はどうかと言ってたらしいんですけど、「二人が決めたことだったら応援する」ってわりとすぐ納得してくれました。

私の母親がけっこう難色を示してて、反対ではないんですけど、「いや、あんたには無理だと思う」って。「養子は反対しないけど、あんまり育てられるとは思えない」って言われたんですね。

たしかに私は家にいたときに、全然家事とか手伝わなかったんですよ。だから「普通の子どもを育てるのも大変なのよ。あんた養子が育てられるわけないじゃん」って感じで。

あとは私の兄弟がけっこう荒れてたときに、母親は「自分が産んだ子どもだからしょうがない」と思って最後まで頑張って育てられたけど、子育てはいいことだけじゃないから。血のつながりがなくて、どんなことがあっても最後まで見捨てず育てられるのか。ちょっとあんたには無理だと思う、って。それを電話をするたびに言われたんですよ。

何回めかにまた同じ話をされたんで、「いやもう、もう私決めたから」ってイラッとして言ったんです。そしたら母親がしばらく黙って、「わかった」って一言だけ言ってくれて。

そこからネガティブな話は一切されずに、「いつ頃子どもは来るのとか」とか「どういうことやってんの」って聞いてくれる感じで、もう一切言わなくなったんです。多分母親もそこで覚悟をしたんじゃないかな。

育ての親になりたい。仕事を辞めて、待機した5ヶ月間

【写真】道路に立つ大人と子どもの足元。道路には影がのびている

ーその後の子どもを迎えるまでのプロセスは、団体に登録して。

面接に受かって育ての親の登録をして、子どもが来るまでの間は交流会が地域であるので、そこに声をかけてもらって遊びに行って。

育ての親に「こういう準備が必要だよ」とかいろいろ話を聞いたり、実際に子どもと遊ばせてもらって、ただただ楽しむみたいな。

ー交流会って、そこで養子を迎えた親子の皆さんは参加が必須ではなく、自由参加なんですか?

自由参加ですね。うちの団体の場合は、養子を迎えたあとに年に1回はどこかで、ちゃんと育ってるか、その子どもの状況を確認したいっていうのがあるみたいで参加するよう言われます。けっこう育ての親はみんな何かしらの会に参加してます。

ー面接っていうのはどういうことを確認されるんだろう?

私はあまりいろいろ聞かれなかったんですよ。普通は何で養子を迎えたいと思ったかとか、どうしてうちを選んだんですかとか、子どもに関して聞かれるって想定するじゃないですか。準備してたのに、あまりそういった話は聞かれなくって。

仕事やこれまでの人生の話が多かったですね。そんな雑談みたいな感じの話がメインで、終わったあとちょっと不安でした。

ー私がいろんな団体のホームページを見て、育ての親の体験談を読むと、たしかに育てる意思確認の話が書いてあることが多いなって思ったんですが、そういうふうではない?

あとから聞いた話なんですけど、ある人が代表に、「なんで面接のときに子どもへの考えをあまり聞かなかったんですか」って聞いたら、「聞かなくったって、この場にどういう思いで来てるかなんて様子を見ればわかる」って言ったらしくて。様子を見て、本気だなと思ったから大丈夫だって。

あとは、面接の前、団体に登録を希望するときに出す書類に、なぜ特別養子縁組を希望するのか理由を書く欄があって、夫と真剣に考えて書いた記憶があります。書類では特別養子縁組に対する思いを、面接ではその人の人柄などを重視して見ているのかもしれないですね。

流れとしては、書類が通ったら面接があって、それで合格したら育ての親として登録ができる感じです。

ーそれで登録して交流会に参加して。その後は、団体によるのかもしれないですが、仕事をどちらかが辞めなければいけなかったと聞きました。いつ頃に辞めたんでしょう?

本当は育ての親として登録する時点で、仕事は辞めてるのがベストです。登録してすぐ子どもを迎える可能性はあるし、いつ生まれるかそもそもわからなくて緊急性が高いですし。

「育ててほしい子どもがいます」と相談が入るときもあるので、いつでも対応できるように、という条件だったので、私はその時仕事はやめました。

ーそこからの研修ってどういう内容ですか?

私たちが養子縁組した直後ぐらいから制度が変わって、今はもっと研修は多いと思うんですけど、私たちは1日で。

団体のスタッフが家庭訪問で来てくれて、家の状況も子育てに適した状態かっていうチェックをして、あとは沐浴や服の脱ぎ着の仕方とかオムツの替え方とか、お人形を使って教えてくれて。主に育児の研修ですね。

(厚生労働省の定める研修科目は下記のとおりです。
児童福祉論・養護原理・養育論・発達心理学・小児医学・養育技術・養育演習・養育実習(引用元:一般社団法人アクロスジャパンホームページより))

ー収入のチェックはあるんですか?

あります。その団体に登録申し込みをする段階でたしか年収やローンを書く欄があったと思います。

【写真】木の向こう側で、女性二人が話している

ー登録してどれぐらいで、子どもを育ててくださいって連絡がきたんですか?

ちょうど仕事辞めて5ヶ月ですね。最初は長く感じてました。

「この子どもをお願いします」って電話が来るんですけど、毎日来る可能性があるから、「今日来るかな、今日来るかな」と思うけど、それもだんだんやっぱり慣れてくるもので。忘れてのんびり過ごしてましたね。仕事を辞めて、一人で。その間交流会に行ったりとか、育児の本を買って読んでみたりしてました。

「育ててほしい赤ちゃんがいます」生みのお母さんが育てられなかった子どもを託されて

ーそうしたら、ある日電話が来た。

今でも覚えてるんですけど、夜の9時半ぐらいに夫と二人でテレビを見てたんです、ソファーに座って。それで電話が鳴ったんですね。「こんな時間に電話、誰?」と思って。親も友達もこの時間にはかけてこないし。

見てみたら、「団体からじゃん」と思って、もうびっくりしすぎて声が出なくて。声が出ないから、夫に携帯を見せて。夫はちょっと冷静でしたね、なんか私の様子を動画で撮ってました。

「育ててほしい赤ちゃんがいます」って電話をもらって、生みのお母さんはこういう事情で、子どもはこういう状態で、と説明されて。

生みのお母さんは未成年で出産して、本当は育てたかったんだけれども、相手にも「ちょっと結婚とか育てたりとかはできない」って言われたし、自分の親に相談してもちょっと難しい。おろすか、どうしても産みたいんだったら家を出て行きなさいって言われた。

でも中絶したくないから、自分でネットで調べて、特別養子縁組を知って団体に相談をしてきてくれた人だよって。

子どもは体重とかも教えてもらったかな。元気だよ、髪フサフサでね、って言われて。

ー生まれた状態で電話がくるんですね。

必ず生まれてからですね。何らかの事情で赤ちゃんが亡くなってしまうこともあるんで、「無事生まれました。産みのお母さんも子どもを託すことを了承してます」っていうふうに、育ての親に連絡が来ます。

もし子どもが来ると言われたあとに、生みの親が育てられるから話はなしで、となったら、育ての親もショックを受けると思うんで。

ー「朝が来る」という養子縁組をテーマにした映画で、生みの親が子どもを産むために泊まる施設を見たのですが、そういった場所で産む方もいるんですよね?

自宅で安全に生活できる人はそのまま自宅で過ごすみたいですが、そういう施設に入る方もいるみたいですね。

(※特別養子縁組あっせん団体は、出産まで無料で過ごせる施設を提供しているケースがある)

ー子どもが生まれたその日に、育ての親候補の方に連絡がいくんですか?

その子によって違うんですけど、うちの子は生まれて2日目だったかな。

もう緊張で心臓バクバクですよね。震えるし、でも一生懸命メモとらなきゃって、必死でした。

代表の方が電話で、「かわいいよ、あとで写真送るから」って、メールでその数分後に写真を送ってくれたんですよ。本当にかわいくて。夫と「人生の運、全部使い果たしたねここで!」みたいなこと言ってたんですよ。

【写真】女性と子どもが2人並んでベンチに座っている

ー子どもには次の日とかにもう会えたんですか?

5日後ですね。団体のほうで件数が重なるときもあるし、全国いろんな場所に育ての親がいるのをふまえてスケジュールを組まないといけないので、その人によって違うんですけど。私が知ってるケースだと最短2日です。

うちは5日後に、代表の方が抱っこして家に連れてきてくれて、近くに住んでいる養子縁組したご家族も来てくれて。団体でみんなで迎えてくれる風習みたいなのがあるそうなんですけど、すごく温かくて!

やっぱり緊張するんで、当日喉カラッカラなんですよ。何回水を飲んでも、喉がずっとひたすら乾いて。

養子縁組したご家族に「大丈夫だから」って言ってもらえるし、子どもを一緒に連れてきてもらえると、優しさを感じて安心しました。

ーちょっと想像と違うなと!病院に赤ちゃんを何回か見に行って、その後に引き取る、みたいなイメージを持ってました。

たしかに病院に迎えに行く人もいます。赤ちゃんに何か病気があると、病院で何度か面会みたいな場合もあって。

うちの団体では、生みのお母さんに全部育ての親のプロフィールや写真も見てから、託すか決めてもらうので、情報はもう伝わってるんですけど、ごくまれに会いたいって人もいます。

ーそのマッチングは、産んだ人が育ての親を選ぶわけではなく、団体のほうで条件的にこの人にしよう、と選ぶんですか?

生みの親は一応、どんな親に育ててもらいたいか希望は聞かれるらしいです。育ての親は一切聞かれません。

だいたい生みの親からは、優しい人だったり、かわいがってくれる人という希望が多いと聴きました。でもみんなやっぱり「自分が育てられないから大事に育ててくれる人だったら、どなたでもいい」と話すみたいです。

うちの子どものお母さんの場合は、出産前にたまたま団体のつながりで、私たち夫婦が育ての親として待機していることを知る機会があったみたいで。それが妊娠して数ヶ月ぐらいだったんですが、すごく印象に残ってたらしく、「このご夫婦にお腹の赤ちゃんを育ててもらいたいな」って思ったらしいんですね。

代表はそれを知らずに私たちを育ての親に決めたのですが、出産後にこのエピソードを生みのお母さんから聞いて驚いたみたいで、それが印象的で。

だから生みのお母さんは、「多分、私の産んだ子どもはあなたのところに行きたかったんだと思いますよ」って言ってくれてます。

【写真】子どもが女性に小さな花を渡している様子

ーうわー、それはすごいですね!

本当にいろいろです。その家庭によって、マッチングがどうなるかっていうのは。

ーそれで、赤ちゃんが家にきました。めっちゃ「おぎゃーおぎゃー」して?

めっちゃ「おぎゃー」ですし(笑)、うちの子は全然泣き止まなくて。何時間も泣き続ける子だった。大変でしたね。来たその日からもう家族3人の生活だから、連れてきてくれた代表に「帰らないで」と思って!

近所に住んでる他の育ての親の方も数日以内に会いに来てくれて、友達も来てくれましたけど、基本は3人で。

ー親2人、子ども1人っていうのは、他の家族と同じだもんね。

見た目は同じですね。育てていくのは大変でした。

裁判を経て、正式な親子関係に。子どもへの愛情があふれる日々

ー特別養子縁組は家庭裁判所の許可を得る必要があると思うんですが、裁判はどれぐらいかかったんですか?

特別養子縁組では、親子関係が認められるまでに、最低でも6ヶ月間の試験養育期間があるのは法律で決まってるんです。

その手続きは早い人で半年ちょっとだけど、年単位でかかる人もいて。生みのお母さんがなかなか連絡が取れないとか、書類のやりとりに時間がかかるとか、「やっぱりちょっと育てたい」って悩んでるみたい、とか。

そんなにないケースだとは思いますけど、育ての親がちゃんと養育できてないとか、事情があってスムーズにいかないパターンもあるんですけど、うちは7ヶ月で終わりました。すごく早かったです。

(※家庭裁判所は、申立てにより、養子となる者とその実親側との親族関係が消滅する養子縁組(特別養子縁組)を成立させることができます。特別養子縁組を成立させるためには、特別養子適格の確認の申立てと特別養子縁組の成立の申立てが必要となります。(引用元:最高裁判所ホームページより))

【写真】公園を女性と子どもが歩いている後ろ姿

ーその裁判をしつつ子育てが始まって、どたどたした日々ですね。

どたどたした日々です。もう、とにかく目の前のことをやってくしかない感じ。

養子を迎える前に友達に言ったんですね。「果たして自分がちゃんと育てられるか、不安だ」って。その友達は子どもがいるんですけど、「大丈夫、大丈夫。そんなの子どもが来たらね、考えてる暇ないから。大丈夫だよ」って言われて本当にその通りで。

考えてる暇なく、目の前の泣いてる子どもをどうするかの日々でした。

ー人によっては近所の人と友達になってなかったりするじゃないですか。でも近所付き合いが多かったりすると、「あの家にいきなり子どもがきた」ってなるような。

そうなんですよ。うちはマンションを新築で買って引っ越したばかりで、近所の人とは挨拶くらいで関係性がなかったのもあって、全然言ってないです。それで何も不都合はなかったんですけど、地方だと「近所付き合いが多いからつらい」って言ってる親ももちろんいますね。

ー家に子どもがきてから、団体はどういうサポートをしてくれたんですか?

裁判の手続きは団体の人が出してくれる書類もあるし、私たちも初めてでわからないからやり方を聞いたり。

育児に関しては、団体というよりは近くに住んでいる育ての親の先輩たちが遊びに来てくれて、連絡くれたりして。子どもを迎える前から交流会に行って関係性がもうできてるので、みんなすごい優しいんですよ。

ー他の人の子育てと変わらないかもしれないけど、そのうち周囲の人に「親御さんと顔が似てるね」って言われてしまったり、自分が産んだ子どもを育ててる家族とは違いが出てくると思うんだけど、そういうのってありました?

たしかに「似てるね」って言われるのは気まずかったですね。「似てるわけないんだけどな」と思いつつ、「よく言われます」とか適当に返してたんですけど。

なんかそのうち不思議なことに、顔が似てくるみたいで、よく夫に似てるって言われるんです。半年過ぎたぐらいからですかね。養子だって知ってる人からも知らない人からも、たまたま会った人からも、「お父さんそっくりね」って言われるんです。

あとは、私は「お母さん」って呼ばれるのがすごく慣れなかったです。

ーそうか、妊娠期間がなくて、ある日突然「お母さん」になるのか。

やっぱりはたから見たら、私がお母さんじゃないですか。「私、お母さんか」って、すごく違和感はありました。それも慣れてくるんですけどね。

【写真】子どもが白い椿の花を女性の手にのせている

ーお母さんから「血がつながってないと育てられないのでは」と心配されていたと思うんですけど、愛情みたいなものは来た瞬間からありましたか?最初から「かわいい、好き」みたいな感じだったんですかね。

かわいい、好き、です。本当に不思議なんですけど、もうかわいい。全部がかわいい。何しててもしてなくてもかわいい、みたいな!

特に覚えてるのは、うちに来た日にミルクを飲ませて、ゲップをする時に縦にして私の肩に頭をのせてあげるんですけど、首が座ってないから、私に全力でもたれかかってくるんですよ。めっちゃかわいい!こんな感情があるなんて!みたいな。

特別養子縁組であることを子どもへ伝える、「真実告知」への思い

ーそれで育てていって。真実告知を3歳くらいにする家族の多いと聞いたんですが、「意外と早いな」っていう印象を最初受けたんですよ。もっと言葉がたくさん話せるようになってから説明するものだと思いこんでいました。

うちは、初めて自分の生まれについて聞かれたのって2歳半ぐらいだったんですよ。

その頃、私が産婦人科に行く機会があって、子どもも一緒に連れてったんですけど、多分それで「妊娠」っていう言葉を覚えたんだと思うんですよね。

「ママも妊娠したの?」って聞かれて、それが一番初めです。

どきっとして。いつか聞かれるだろうなって思ってたんですけど、でも絶対嘘はつかないって決めてたんで、「違うよママは妊娠してないよ」って言ったら、「ふーんそうなんだ」で終わったんです。

ただただ、気になっただけなんでしょうね。深くは考えてなかったんだと思います。

ー突然そう聞かれて、気持ち的にはどうでしたか。

そこからけっこう自分の中で気持ちが楽になったっていうか、肩の力が抜けた感じで。

その後もちょいちょい「ママから生まれたの?」って聞かれて、「産んでないよ。あなたを産んだのは別の女の人がいて」って答えて。うちはちょくちょく伝えるスタイルですね。

もう赤ちゃんで言葉を喋らないうちから話しかけたり、ストーリーづくりや絵が上手な方は絵本をつくって、読み聞かせしたりしてるらしいんですけど、私はやっぱり子どもに聞かれたときに言いたいなって思って。

真実告知って何のためにするかって、子どものためにするのに、私たち親のタイミングじゃいけないんじゃないか。聞かれるまで、待とうって思ったんですよね。

自分もそうでしたけど、成長とともにいつか自分が赤ちゃんのときどうだったかっていうのを、興味を持つ時期が来ると思うんです。そのタイミングで答えようって、夫と話して待ってました。

【写真】女性が子どもを抱きしめる後ろ姿

ーあなたには別の産んだお母さんがいてね、という話に対しては、どんな反応でした?

「へえ、そうなんだ」みたいな感じで。わかってないのか、それともどういう反応していいかわからなくてこの反応なのか。なんか私もつかみきれなかったんですよ、ずっと。

でも5歳のときに突然、「ママから生まれたかった」って言われたんです。

本当に朝のバタバタした時間帯で、「そろそろ幼稚園に遅れる」と自転車を急いで準備して乗せよう!みたいなときに、「ママから生まれたかった」って言われて。

わかってたんだ、理解はしてたんだなって。そして、今はあまりそれをポジティブに捉えていないのだな、っていうこともわかって。

ーその言葉には、どういう反応したんですか。

正直、どう返そうかなって思って。

正直、私は産みたかったとは思ってないんですよ。この子はやっぱり養子だからこの子なのであって、このプロセスだったから出会えたと思ってるんで。自分が産んだらこの子と会えなかった気がする。産みたいと思ってないなら、「ママもだよ」とは言えないなって思って。

「それってママのことが好きってこと?」って聞いたら、「うん」って言うので、「ママも大好きだよ」って。「ママとパパとあなたは家族だから、これからもずっと一緒だよ」って言ったら、「うん」って。そう会話をしました。

ーよく瞬時にその言葉が出てきましたね。

いやーでも、産みたかったとは言えない。けっこう他の子も言うみたいなんです、ママから生まれたかったって。

ーそれって保育園とかで親から生まれた他の子と話してて、思ったりすることなんですかね。

やっぱり他との違いに、だんだん気づいてきたっていうのもあるかもしれないですよね。お友達もそうだし、お友達の弟妹を妊娠してるお母さんにも会うじゃないですか。

成長の中で、そういう人間の仕組みみたいなものに気づいて、「自分は人と違うんだ」と少しずつ気づいたんだと思うんですけど。

ー真実告知って、あらたまって「あなたは実は血のつながった子どもじゃないんだよ」みたいな話をする、って想像してしまうんだけど、そんな感じではなかったんですね。

そういう人もいます。話すタイミングを見計らっていたのに、見失ってしまって、なかなか話せなくて。改めて「ちょっと話があるんだけど」って言って話す、っていう人も全然います。

でも私は自然に、聞かれたタイミングで答えたかったんで。

毎年誕生日に手紙とアルバムを送る。生みのお母さんとの関わり

ー「ママから生まれていない」と伝えることは、生みのお母さんの存在があると気づく機会だと思うんですが、生みの親の方との交流についても聞きたいです。

代表が子どもをうちにつれてきたときに、一緒に手紙を託してくれました。「生みの親です。今回はありがとうございます。こんなに温かく迎えてくださって」ってお礼をもらい、その後は手紙のやりとりは直接すると住所がわかっちゃうんでできないので、団体を通して転送してもらって。

生みのお母さんで、年に1回の誕生日プレゼントを希望する方は届けてくれるんです。うちも3歳ぐらいまではいただいて、手紙も書いてくれて。こちらからはアルバムと子どもの成長について手紙を送っていました。

生みのお母さんは写真を見て、「こんなに大きくなったなんてびっくり。ここまで育ててくださってありがとうございます」って。

産んだときはまだ未成年だったのですが、「私の生活状況は、今はこういうことをしてます。いつか子どもに会えたときに、自慢できるような人になっていきたいと思うので、頑張りたいです」って書いてくれて。生みのお母さんはすごく頑張り屋さんなんですよ、勉強とか。

【写真】木のベンチに置かれた、赤い椿の花

ー生みのお母さんと交流してるのは、お子さんには言ってたんですか?

言ってました。アルバムを作ってるときとか、「これ何?」って聞いてくるので、「産んでくれたお母さんに送るやつだよ」って。

でも去年ぐらいから「なんで送るの。知らない人に送って欲しくない」って言われたので、送ってないです。団体に相談して、「私としては成長を知ってもらいたいっていう思いがある反面、やっぱり子どもの思いは無視できないので、今回手紙だけにしてもいいですか」と。

団体に伝えたら「もちろん。そう言ってるんだったら、生みのお母さんも理解してくれると思うから」と言ってくれました。お母さんにお手紙で、「もし子どもがいいよって言ったら送るんですが、ちょっと今は様子見させてください」っていうのを書いて。今年はどうなるかわからないんだけど。

ーそこは、子どもの気持ちを一番大事にして、必ずこういう交流しましょうっていうルールがあるわけではない?

全くないです。生みのお母さんたちにはやっぱり忘れたいっていう人もいて、アルバムなどは送らないでくださいっていう人もいますし、長く細々と関係が続いていく人もいます。いろいろですね。

ー基本的にはもう、誰の子どもなのか、誰に育てられてるかとか、お互いに全く知らなくて、もう別の人生みたいになるのかと思いきや、交流があるんだっていうことにびっくりしてます。そこは間に団体が入ってくれてるおかげで、安全が保たれるんだろうなと思いながら。

そうですね。裁判が終わるまでは生みのお母さんが子どもを返してほしいって言ったら、親権がそっちにあるじゃないですか。安心して託してもらうために、ちゃんと成長してますよとお知らせして、安心してもらいたいっていう思いもあります。

ー生みのお母さんから3歳までもらってたプレゼントは、どういうふうに子どもに説明したんですか?

「お母さんからもらったよ」って。

「お母さんも妊娠したの?」って聞かれる前から、そういうのは言ってたんですね。子どもはなんのことだかわかんないけど、プレゼントもらって「わーい!」みたいな。

ーちゃんと説明するその日までは隠す、みたいな思い込みをしてました。真実告知に関するシンポジウムをネットで見たことがあって、真実告知をメインの話題にして対話する場を開催するぐらい、育ての親には大きな悩みなのかと思ったんですが。

それはやっぱりそうだと思います。すでに真実告知を終えた人たちの事例発表を聴いたことがあります。あとは養子縁組の専門家の方が来て、お話してくれたり。

真実告知って、1回しても終わらないですしね。成長とともにやっぱり何回もあるものだし、その子によっても違うし。

まだ制度的に不利はあるけれど、子どもの福祉を守るため進化していく特別養子縁組

ー子どもが、幼稚園や小学校で他の子どもに「お母さんから生まれてないの?」と聞かれることってあるのかな?子ども自身が他の子にその話をするとか。

この前あったんですよ。さっきのシンポジウムで、講演以外に懇親会があったんです。それがめっちゃ楽しかったみたいで。

「ここにいる子どもたち全員、あなたと同じ養子だよ」って言ったら、「自分以外にもこんなに養子がいるんだ!」っていうことにすごく驚いてました。

そのあと、小学校の先生やお友達に「昨日養子のシンポジウム行ってきた」って言った、っていうのを本人から聞いて。

先生に何も言ってなくて、「そのうち個人面談で言おうかな」って思ってたんです。「間に合わなかった」と思って先生に電話で言いました。

「こういう事情だから、もし生い立ちの授業とかあったら、子どもと一緒にどうするか考えたいので事前に教えてほしい」っていうのと、「そういう関係で何かお友達とトラブルとかになるようなことがあったら教えてほしい」っていうのと。

たぶん養子のシンポジウムって言われても、全然お友達はわからなかったと思いますが、それほど楽しかったんだな、ちょっとポジティブな方向になってきたのかな。

【写真】子どもが両手で砂を触っている

ーその前、幼稚園では先生に言ってたんですか?

そうですね、先生には事前に言いました。たとえば養子だとわかって、「お母さんから生まれてないんでしょ」みたいにお友達に言われて、不用意に傷つくのはできれば避けたいなって思ったんで、事前に先生に「そういうのがあったら教えてください」って。

他の保護者たちには言ってませんでしたね。周りのお母さん1人に話したら、その人から止められたんですよ。「いろんな人がいるから言わないほうがいい」って。

ー聞かれて何かタイミングがない限りは、周囲の親には特に言わなかったんですね。

でもそれで出産や妊娠中のことを聞かれたときに、うまく話せなかったりして、ちょっと内心困るっていうのありますよね。「妊娠中こうでしたよね」って言われて、「いやわかんない」って。

いろんな家族がいることを想定してほしい思うけど、でも自分だって街中で普通に親子に会ったって、「この子は養子かも」だなんて思えないはずなので、そこは求めないようにしようかなって。

ーここまでいろいろと聞いてきましたが、特別養子縁組をしたことによって、大変だったことってありますか。

やっぱり日本の制度が戸籍上の親子を基本につくられてるので、続柄が最初は同居人で、裁判が終わるまでは健康保険に加入しようとしても、複雑な手続きが必要でした。

児童手当も親じゃなく、もらうのは児童を養育している者でいいんですが、それも裁判所に申し立てをした証拠書類を提出して、何ヶ月か待って、やっと支給されたんです。

制度的にまだまだ不利というか、そういうのも他の親子と違って、マイノリティだなっていう思いはあります。

ーあとは、調べていて子どもを迎えるまでに、審査や研修、待機登録やあっせん団体へ支払う手数料などで、お金がけっこうかかると知ったのですが、それはどうでした?

うちの場合は100万いかないぐらいですかね。今はより高くなったと思います。2018年に「養子縁組あっせん法」ができて、あっせん団体が申請制ではなく許可制になった。子どもの福祉を守るために研修もしっかりやるようになったので。

団体によって違いますし、生みのお母さんの状況にもよります。そのお母さんが保険に入ってなかったり、救急車で運ばれて帝王切開の場合などは高くなるんです。出産費用もこちらが負担するので。

(特別養子縁組は、「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律」において、児童の養育を適切に行うために必要な知識及び技能を習得させ、及び向上させるために必要な研修として内閣府令で定めるものを受講する必要があります。また、「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律施行規則」において、養親が支払う手数料が規定されています。)

特別養子縁組は“子どもの意思ではない”からこそ、これからの人生を納得のいくものにしてほしい

ー話を聞いていると、費用の負担、裁判や真実告知などは大変でありつつも、普段の生活はあまり他の家族と変わらないのかな、と思いました。今後、養子縁組で迎えた子どもを育てていく上で、迷うことやどうしようかなって思うことはありますか。

やっぱり真実告知の面ですかね。子どもがどう捉えていくのか、その都度話していったりするしかないなと思いつつ。

別に養子であることを必ずしもポジティブに捉えてほしいと思ってはないんですけど、何か悩んだときに話を聞いてあげられたり、そういう体制ではいたいなって。

今は具体的に仲がいい育ての親の友達がいないんで、これからも交流会に行って、安心して話せる存在の養子の友達ができたらいいなと思います。

結局、生まれが違うことで他の子どもと全く同じにはならなくって、子どもはいろいろ自分の生い立ちで悩んだりすることもあるはずなので、そこはサポートが必要だなと思います。

うちは団体がしっかりサポートしてくれるんですけど、団体によってそこは違って、他の団体で子どもを迎えて、その後うちの団体の交流会に参加してる家族もいたりするんです。なので、どこの団体で子どもを迎えたかに関わらず、社会全体で特別養子縁組親子へのサポートがあるといいなと感じます。

特別養子縁組で子どもを迎えたのに親が虐待をした、というケースもあったりするんで、本当に「子どもを迎えて終わり」じゃないんだよなって。

【写真】公園を走る子どもの後ろ姿

ー子どもを育ててみて、今どんな感じを持ってますか。

私は自分自身の幼少期が大きくて、変わらない関係性やずっと安心して暮らせる場所みたいものはすごく大事だなと改めて思います。

やっぱり親に左右されるのが悔しいなっていう気持ちが、自分の中にあったんです。私は私なのに、親の状況で生活が変わるとか、嫌な空気の中にいなくちゃいけない、悲しい気持ちにならなくちゃいけないみたいな。

今の子育ては思い通りにいかないこともいっぱいあるし、怒りすぎちゃったなと思うこともあるんですけど、やっぱり、でも、よかったなって思って。あのとき養子縁組するって決断した自分、よくやったなって。

20代で、養子縁組する人ってあんまりいないと思うんですが、してよかったです。

ー養子縁組をするまで長いプロセスを踏まないと無理なので、まずそれをやった人がすごいなと私も思います。

でも、子どもたちからしたらやっぱり大事なプロセスですよね。本当にちゃんと育ててくれるのか、子どもの幸せにつながるのかっていうのは大事な視点だと思う。やっぱり子どもの福祉のための制度だから、これだけのステップがあるのは仕方ないと思う。

ー養子縁組をするときに、お母さんに「できるわけないでしょ」と言われたし、自分も無理かもと思ったと話してましたが、そのときの自分についてどう思いますか?

やっぱり、やるかやらないかだなと思います。ずっと不安ってなくならなくて、もちろん今だって不安ゼロなわけじゃない。だからもう、自分ができることをできる範囲でやるしかないなって。

子どもを迎える前にも「もし子どもに障害があったら」とかすごく考えたけど、もうそこは覚悟を決めて。自分ではどうにもできないじゃないですか。自分が努力したり決められる範囲じゃないから、だったらもう手放そうと。もしそうなったらそうなったで、できることをやろう、と今は思います。

ー血のつながりがないことでくじけるかも、と思っていた不安は。

自分の血がつながってないっていうことで生まれる不安みたいなのは、たしかにゼロじゃないけど、あまりないです。「子どもが事故に遭わないかな」とか、そういう不安だけ。

例えばこれから反抗期とかを迎えて、自分に当たられたときに、よくドラマであるのは「私が産んだわけないから」って言って、そこで関係性が終わるみたいな展開ですよね。自分が親としてちゃんとした対応できるかなっていう不安はありますけど、そこで子どもを見放すことはないんじゃないかと思います。

これからも試行錯誤しつつ、親子をやっていくのかな。

ー試行錯誤しつつ。子どもとはどんな関係性でありたい、と思ってますか?

できるだけ対等な関係性でいたいと思っています。それでも気持ちに余裕がなくてこちらの考えを押し付けちゃうこともあるんですけどね。親だからえらいわけでは全くないですし、子どもから教わることもたくさんあります。

家族というチームを一緒につくるみたいな、そういう親子でいたいなと思っています。

ー家族というチーム、すごく素敵だなと思います。様々なことを考えて、決断して、特別養子縁組で子どもと出会えて。最後に、子どもに対しては今どんな気持ちを持っているか聴きたいです。

やっぱり「生まれてきてくれて、うちに来てくれてありがとう」という気持ちです。これは、生みのお母さんや団体に対しても同じ気持ちですね。

子どもには、思いっきり自分らしく人生を歩んでいってもらいたい。悩んだりすることもあると思うんですけど、自分の納得のいくように考えて、自分の人生を大切にしてもらいたいです。

そもそも特別養子縁組をするっていうのは、子どもの意思ではないんですよね。赤ちゃんなので意思確認ができないというのはありますが、周りの大人が勝手に決めてしまったので。

その分ここからの人生は、自分の納得のいくものになるように、必要なことをサポートできたらと思います。

【写真】女性と子どもが手をつないで歩く後ろ姿

(撮影/川島彩水、編集、企画・進行/工藤瑞穂)