【写真】子どもと親が手をつないでいる

数ヶ月前、特別養子縁組で子どもを育てる母親である友人にインタビューした記事を公開した。

私自身は現在40歳で、結婚して10年になるが、今まで自分で子どもを産み育てたいという気持ちがあまりなかった。ただ、特別養子縁組にはずっと関心があった。

特別養子縁組とは、子どもの福祉のために、様々な事情により親が育てられない0~15歳未満の子どもが、生みの親(実親)との法的な親子関係を解消し、育ての親と親子関係を結ぶ公的な制度。日本では、2022年は580件の特別養子縁組が成立している。

社会的養育が子どもの福祉のための制度であるならば、特別養子縁組や里親というかたちで、大人として子どもたちの人生に貢献できるのではないだろうか。

そんな考えがあり、特別養子縁組のことを私自身が知ると同時に、育ての親として子どもを迎えた友人のことを広く伝えたいと思い、友人にこれまでの歩みについてインタビューをした。

友人は20代で結婚し不妊治療を2年続けたが、パートナーが無精子症であったことが要因で子どもを授かることはできず、特別養子縁組をする決断をした。

その後、特別養子縁組あっせん団体を通じて、20代のうちに特別養子縁組で子どもを迎えることができ、現在まで子どもを育てている。

記事を公開すると、読者からたくさんの声をもらった。また、友人から直接メールで感想をいただくことも多かった。

子どもを産み育てるかどうか考えている人、現在子どもを育てている人、不妊治療をしている人、特別養子縁組を進めている人、子どもの福祉がもっと社会に浸透してほしいと願っている人。

様々な立場にある人たちが、この記事をきっかけに子どもに関する自分の思いや考えを語ってくださった。

その中に、「ぜひ父親の話も聞きたい」という男性からの声がいくつかあった。

子育てについては母親、父親両方の目線で語られることが多くなったが、たしかに不妊治療や特別養子縁組については、母親側の経験談を見かけることのほうが多く、父親側の経験談はあまり見たことがない。

妊娠・出産をするからこそ女性側に関心が集まることが多いのかもしれないが、男性が女性に比べて、出産や子育てについて相談しづらかったり、自分の弱さを共有しづらい社会であることが、要因として少なからずあるのではないだろうか。

パートナーとして二人で協力して歩んできた道のりではあるものの、同じ出来事だとしても父親側からの目線はまた違うものになるだろう。

友人とパートナーに「男性、そして育ての父親として、これまでの経験を話してもらえないか」と相談してみたところ、「男性不妊で悩んでも男性の経験談はあまり目にすることがなく、また、過去に不妊や特別養子縁組のことで知人から質問される時も妻に対してであり、男性側として発信する機会がなかった。少しでも役に立てるならお話したい」と、インタビューを快諾していただきお話を聞くことができた。

この記事では、育ての父親の経験した事実だけでなく、人柄や雰囲気を感じてもらいたいと思い、言葉は口調や語尾に渡るまでなるべく手を加えないようにした。また、その日の対話の空気も感じてもらえるよう、私の言葉もなるべくそのまま掲載している。

ただ、特別養子縁組にまつわる詳細を明らかにすることは、子ども、生みの親、育ての親などのプライバシーや安全に大きく関わる。そのため、育ての父親と子どもは匿名で顔写真を公開しないかたちにし、個人情報に関わる部分は編集を加えている。

写真は本人ではなく、育ての母親の記事を読んで共感の声をくださった友人とそのお子さんに被写体となってもらい、このテーマを想起してフォトグラファーに撮影していただいたものになる。

不妊治療の経験、「特別養子縁組」という家族のかたちについて、パートナーが両者から見た景色を共有してくれたことは、私にとってパートナーシップ、そして、家族のあり方について改めて考える機会となった。

この家族がともに人生を歩んできた道のりが、別の誰かの人生をも支えてくれることを願って、この文章を届けたい。

soar編集長 工藤瑞穂

「この人とずっと一緒にいるんじゃないかな」出会った頃から結婚し、家庭をつくることを考えていた

ーー今日はよろしくお願いします。話したくないことは話さなくて大丈夫ですし、あとから内容の調整もできます。

話したくないことは、基本ないです。若い人たちや、子どものことで悩んでいる人たちにもっと知ってほしい、広めてほしいっていうのがあるので。

ーーありがとうございます。まず子どもの頃は、子どもや家族に対してどういう印象を持ってましたか?

近所の同級生や年齢が下の子といつも一緒に遊んでたので、子どもがいて当たり前という感覚がずっとあります。

ーーご自身は、自分の子どもを育てるっていう事は、今後の将来のイメージ像として持ってたんですか?

そこまで考えていたかわからないですが、将来結婚した時に子どもが2人はいると楽しそうだなって、なんとなくのイメージはありました。

ーー学生のときにパートナーさんとお付き合いがはじまったと聞きました。パートナーさんと結婚することは、いつ頃から考え始めてました?

もう学生時代から思ってました。気を使わないっていうか、語弊があるかもしれないですけど空気みたいな感じで。結婚っていうか、ずっと一緒にいるんじゃないかなって。

ーー結婚したのは就職してすぐ?

23歳の時ですね。4月に就職して、11月くらいです。

ーー子どもについての話を、お二人ですることはあったんですか。

自分はとにかく子どもが好きで、ちっちゃい子を街なかで見ると、つい「かわいいー」とか声出ちゃうので、怪しいんですけど。それを聞いてることもあり子どもが好きなのは伝わっていたと思いますし、「結婚したら子どもがいる楽しい家族を想像しているので、子どもがほしい」と話していました。

【写真】子どもが手に木の枝を持っている

ーー具体的に子どもをつくるということをはじめたのは結婚してから?

そうですね。でも1年くらい経った時に、できる傾向がないね、なんでだろうっていう話をして。妻が「じゃあ一旦産婦人科行ってみるね」となったのが25歳、結婚して1年ぐらいです。

ーー友人に話を聞くと、不妊治療する・しないの話は2人のことでありながら、それでもやっぱり女性の負担が大きいなと感じることが多くて。夫が協力的じゃなかったり、逆に夫のプレッシャーで女性が頑張りすぎてるパターンも聞いたりします。お互いの妊娠についての気持ちや考えを合わせることってどうされたんですか?

交際期間が長くて、妻も自分が子どもがほしい気持ちを認識してくれていたので、まずは妻から検査し、順番に検査することでまずは取り組んでみよう、ということでお互いの気持ちを確認していました。そこであまり齟齬は生まれなかったと思います。

不妊の原因は、自分の症状にあった。妻への「申し訳ない」という感情

ーーパートナーさんが産婦人科に行って、検査をして。

検査をしたところ、特に妻には原因はないという結果をもらったんです。その時に思い出したことがあって。

中学生の頃に身内が病気して輸血が必要になったとき、家族や親戚に血液が合う人がいるか探すタイミングで血液検査したんです。そのとき先生から「染色体異常が見られます」って言われたんですね。

何のことかもわかってないし、当初は症状も全くなかったんです。でも先生から、「今すぐ何か現れるとかではないですけど、将来もしかしたら子どもに何か影響が出たりするかもしれません」と言われたのはずっと頭の中にあって。

不妊の原因は妻にないとなったとき、「あの時言われた染色体異常が影響しているのかな」って思ったんで、答え合わせじゃないですけど、自分も検査してほしいと思って。

妊娠するのは女性ですが、妻だけが背負うものではないと思うし、原因がどこにあるのか突き止めたいと思っていました。

検査の結果として「精子がいないので、無精子症です」と言われました。

(※「無精子症」とは、射精は可能であるにもかかわらず、精液中に精子がない状態です。

また、今回育ての父親の方の症状は「クラインフェルター症候群(KS)」であり、男性の性染色体にX染色体が一つ以上多いことで生じる疾患の総称です。性腺機能不全を主病態としており、多くの場合、無精子症や乏精子症により男性不妊となります。)

ーー結果は2人で聞きに行ったんでしょうか。

先日、妻に「私が最初、一人で結果を聞きに行ったんだよ」と言われて気づいたんですが、そのあたり記憶が抜けてるなと。

1回目の検査結果は妻が一人で聞きにいったようです。

自分としては、2回目の検査のとき、モニターで採取した精液の中に精子がいるかどうか、2人で見たのは覚えてるんですよ。そこで先生に「精子がいないね」って言われたあとは記憶がなくて。自分の負い目なのかわからないんですけど。

「ショックを受けたから覚えていなんじゃない?」ってこの前妻に言われて、初めて思い出しました。

ーー「精子がいないんです」って言われた瞬間だけは、すごくよく覚えていた。

モニターを見ながら、いろいろ思っていたのは思い出せるんです。将来結婚して、自分たちの子どもができて、家族3人、4人で楽しく暮らすっていう夢があったので、それができないんだなって。できなくなったんだなって。それが一番。

ーーそうですよね。他にも感じたことはあったんでしょうか?

言葉が適切かはわからないし、勝手な思い込みかもしれないですけど、結婚して、出産してっていう、女性のライフステージがあるのかなと思うんです。それを妻に体験させてあげられない。

出かけたときに妊婦さんやママさんを見たりするのですが、それを妻にさせてあげられない、自分の子どもを残せないっていうことに、すごく残念だって思う気持ちがありましたね。

ーーそれは、申し訳ないみたいな気持ちとは違う?

自分とこのままいると、妊娠・出産という経験ができないっていうところが、申し訳ないというか…ごめんねっていう気持ちです。

「今回もだめだった」精神的にも肉体的にもつらい、不妊治療の始まり

ーーそこから、気持ちはどう変化していったんですか?

まず、精液を調べた段階では精子はいなかったけど、精巣で精⼦がつくれているけど、通り道が詰まっていて出てこない可能性もあって。自分たちの住む地域からは遠方なんですが、不妊治療に詳しい先生がいるとわかって、そこに行って不妊治療に移行しました。

ーー治療で遠方まで行くのはお金もかかると思います。それでも不妊治療はやろうと、2人でどう話し合っていたんですか。

数パーセントでも可能性として残ってるんだったら、やってみようかって。結果的には精巣には精子がいるってことだったので、取り出してもらって、凍結して。

ーーそれを何回か繰り返して。

男性側はもうそれ1回だけです。精子を取り出して凍結してもらって、妻の卵子も取り出して受精させる。覚えてる限り5回やりましたね。

(※受精卵を培養液の中で育て分割を進行させて、子宮内に移植することを、「胚移植」といいます。)

【写真】青いアジサイの花がたくさん咲いている

ーー結果を待って、妊娠が難しかったときのがっかりする気持ちってものすごいと思うんです。

受精させたあとに、母親の身体に戻す前に何日か培養させるんですよ。その時の受精卵の状態が、「今回はいいよ」と先生に毎回言われるんです。

そう言われたのにやっぱり結果がだめだって聞くので、3回目くらいまではけっこうショックだったんですが、4回目は「またか」、5回目は「でしょうね」っていう。だんだん僕は慣れてきちゃっていましたね。

ーーその時のパートナーさんの様子はどうでした?

結果が分かる2週間前くらいは、ちょっと暗いというか重い空気で。

受精卵を身体に戻すのが終わって帰ってきた時は、「いい状態だよ」と先生から言われるので、ちょっと気持ちは明るいんです。

でも結果がわかる日が近くなってくると、3回目あたりまでは「どうだろうね」っていう楽しみな気持ちがお互いあったんですけど、4回目からは「だめだったら、また治療が待ってる」と考えると、暗い気持ちになって。自分もあまりそういう話題には触れないようにしてました。

ーーそこでパートナーさんには、精神的にも、肉体的にも負担がありますよねきっと。

そうですね。不妊治療のための休みの調整も、妻の働く職場がそんなに人数多くないので、一人休むだけでけっこう厳しくて。病院に行くので休みますって言うと、職場との関係も気まずくなっちゃうと聞いてたので、精神的な負担もあったのかなと思います。

治療のために遠方に行くと4日間ぐらいは全然慣れない環境で滞在するので、その負担もあったと思います。

特別養子縁組で子どもを育てられたら、「自分の生きる意味」をつなぐことができるかもしれない

ーーパートナーさんが不妊治療を続けている事に対して、どんな気持ちでしたか。

いや、申し訳ないのひと言でした。妻自体は何も原因がなくて自分に原因があるんだけど、会社との調整だったり、自分の体の調整だったり、遠方に治療に行かないといけないという、肉体的な負担を全部負わせてしまって。

自分は最初の精子を取り出す手術の1回だけで肉体的な負担もないし、結果を聞くのも妻ひとりなので自分は精神的不安もない。自分が原因なのに全部負わせちゃってるって所は、すごく申し訳ないって。

ーーその気持ちって本人に伝えたりしてましたか?

うん、伝えましたね。伝えましたし、これが続くのであれば、自分と離婚してほしいって言いました。

ーーそれは、もしパートナーさんが自分の子どもがほしいなら、離婚した方がいいっていう。

どっちかっていうと、自分が子どもがほしいと思っていて、妻は「別に子どもがいなくてもいいよ」って言ってたので。自分の不妊が原因なのに、自分の要望を押し付けて治療を続けていることに対する申し訳なさと、不妊治療をやめるのであれば自分といることで妊娠、出産というライフサイクルを経験させてあげられないので、それだったら別れようと言いました。

そのとき、「離婚は全然考えてなくて、それだったら不妊治療をやめよう」って言われたのは覚えてます。

ーー病気があって子どもを産むことが難しい女性の友人から、「自分が女として足りない部分があると感じる」という話を何度か聞きました。さっき「負い目があった」という言葉がありましたが、ご自身は子どもをつくることができない事実に関して、「男として」という部分で何か思うことがあったのでしょうか。

やっぱり不妊は自分が原因だということを、あまりオープンにできなかったってところがあって。

関東にいるとあまり気にならないんですけど、地元に帰ったとき、近所の人たちは「結婚したら子どもが産まれる」みたいな意識が刷り込まれているのか、毎回毎回「まだ子どもできないの」みたいな話になるんです。

その場にいると、妻がそう言われてるような気がして、多分きつかったと思うんです。

自分が子どもを作れないってことを、妻に背負わせちゃってる、負い目を負わせちゃってるような気がして。「自分が原因でこのまま子どもを作れない」となった時に、使命というか、自分の男性としての存在や生きてる意味ってあるのかなって、少しずつ考えるようになりました。

ーーその気持ちは、その後どう変化しましたか?

大学生の時にテレビでたまたま、特別養子縁組についての番組をやっていて。3回目ぐらいの不妊治療をしてた時に、「自分たちでどうにもできないのであれば、特別養子縁組の可能性もあるのかな」って考え出してました。

男性として子どもをつくることはできないけど、特別養子縁組だったら「いつか子どもを育てる」っていう自分が夢見てたことには、つなげられるのかなって思い始めてきて。それだったら「生きていく意味」はあるのかなって、無理やり自分でつなげました。

妻にこの前「精子がいないよ」って言われた時の記憶があまりないって話をしたんですが、「そういえば、何回も死にたいって言ってたよ」って言われたんですけど、覚えてないんですよ。

男性としての使命が果たせない、自分の夢も叶えられない、妻に苦労を押しつけていて死にたいと考えていたんですが、そんな自分が「生きる」っていう道を選ぶのであれば、育てられない人に代わって子どもを育てることはできる、と考えるようになって、ちょっと心が楽になりました。

血のつながりは、自分たちにとって必須ではない。特別養子縁組で子どもを迎える決断

ーー特別養子縁組の可能性を考えながらも、不妊治療を続けて。やめようって決めた時の状況を詳しく聞いてもいいですか?

不妊治療をはじめて、2年ぐらいだったと思います。5回目の治療をする時に、「今回だめだったら、やめるかどうか考えよう」っていう話をしていて。

凍結している精子をまだ6回分ぐらい病院で確保していたんですが、もちろんその凍結にもお金がかかりますしね。

それで5回目に「だめでした」ってなった時に、多分もう妻の中でも限界が来てたと思うんです。「もう無理、やりたくない」ってのを妻から言われて。

「もしかしたらもう1回、チャンスあるかもしれないよ」って言っても、「もう限界でやりたくない」と妻からは強い気持ちを伝えられたんです。

そのときに、妊娠することを妻に押し付けてるっていう負い目もありつつも、「もう1回チャンスあるかもよ」って言ってる自分を客観的に見た時に、「ぶれてんな」って思ったんですよ。

このままお願いしても中途半端な気持ちになっちゃうし、時間とお金だけ使っちゃうんで、もう本人もきっぱりやめると言ってくれてるから、やめようっていう気持ちになって「わかった」って。

【写真】青々とした木の緑

ーーやめると決まってから、他の子どもを持つ方法を検討していくことになると思うんですけど。

特別養子縁組っていう方法もあるよって妻に話をしていたんですが、あとはうちの両親が「他人に精子提供してもらって出産するっていうパターンもある」と言ったので、その2つを考えていて。

非配偶者間人工授精といって、第三者の精子を子宮に注入して妊娠するものなんですが、それであれば、妻に妊婦さんという経験はさせてあげられると思ったので、本当に可能性の低い案として一応聞いてみました。

ただ、「不妊治療をする意味は『あなたの子どもを妊娠するため』であって、他の人の子どもでは意味がない」と言われて。

妻の中では「真実告知をしない」という考えはなかったようで、「子どもがどうしてもほしかったから、他の人の精子で子どもをつくった。そしてあなたの父親は誰かわからない」とは言えないし、子どもにしてみたら父親が分からないというのは出自を知る権利が守られなくなってしまうので避けたかったみたいで、自分も「そうだね」って。

それで特別養子縁組を検討しはじめました。

ーー血のつながらない子どもを育てるっていう事に関しては、ご自身の中では思っていることはありましたか?

血がつながっている、つながっていないってことをあんまり意識したことがなくて。自分としては、親子が血がつながっていることは、必ずしもプラスになることはないと思ったんですよね。そこまで血のつながりって必要なのかな、とずっと妻と話してたかな。

ただ妻に「他人の精子を提供してもらって出産することもできるよ」っていうのを提案した時に、一瞬「別に血つながってなくてもいいって思ってるのに、せめて妻の子どもではあってほしいというのは、自分がぶれてるな」って思って。その方向はやめようって思いました。

血のつながりよりも、子どもの幸せの方が優先かなって。それでしか自分の生きる意味がないというか、自分を活かせないと思ったのもあります。

じいちゃんばあちゃん、うちの母親は、多分血のつながりは意識していて、世間体を気にする部分もあるので、不妊治療を諦めることに最後の最後まで渋ってたところはあります。

逆にうちの父親は子ども好きなんで、別に自分たちが決めて血がつながってない子どもを迎えたとしても、かわいがるから気にしなくていいよって。

最終的にお互いの両親に「特別養子縁組を選びたい」って話をしたら、「わかった」っていうことだったんですけど、妻のお母さんには「普通の子どもを育てるのも大変なのに、あなたが本当に養子を育てられる?大丈夫?」って言われたんですね。

それで妻は悩んでたというか、自分の気持ちを整理するための期間がちょっとありました。

子どもだけでなく、育ての親の目線にも立ってくれているか。特別養子縁組あっせん団体を選ぶときに大切なこと

ーー特別養子縁組を決断して、そのあとはどう進みましたか。

まず特別養子縁組や里親の仕組みが全くわからなかったので、勉強のため、住んでる地域の児童相談所に説明を聞きに行きました。

ーーその流れで、子どもを託された特別養子縁組あっせん団体に出会った。

大学時代にテレビで見たあっせん団体の名前がずっと頭にあって。ネットで調べたらそのときも活動していたんです。それを妻に伝えて、「もし特別養子縁組を選ぶのであればここにしたい」って伝えたんですが、まだ仕組みも全然よくわかってなかったんで、一応説明会に行きました。

ーー実際に説明を聞いてみていかがでしたか?

自分は新生児から子育てしたいなと思ってたので、その団体は迎える子どものほとんどが新生児ってことがポイントが高かったです。あとは、子どものための福祉制度なので、育ての親側は要望を言えないのは分かってるんですけど、その団体は育ての親側の目線にも立ってくれてる気がしました。

その前にもう一つ説明を聞きにいった団体は、「あなたたちは子どもができないんだから文句言う資格ないでしょ」みたいな感じで、説明会がすごく圧迫感があって。

もちろん年齢も、障害の有無、肌の色、血液型も選べないし、産んだお母さんの状況も選べないのはわかってるんです。ただあまりに圧迫的すぎて、自分はもうここはないって思ってて、その次に今のあっせん団体の話を聞いたから、余計そう思いました。

その団体は、特別養子縁組を考えている人と育ての親になった家族と交流会があるというのもいいなと。

特別養子縁組について悩んでて、過去の体験談を聞いてみたいと思っても、そういう機会ってあまりないんです。だけどその団体は交流会がたくさんあって、子どもを迎えるまでどう進んだのか、裁判はどうだったのかとか、話を聞ける場がたくさんあるので。そういう開かれた場所が自分はいいなと思いました。

ーー交流会で他の養子縁組家族の様子を見た時ってどういう気持ちでした?

もちろん特別養子縁組なので血がつながっていないってわかってるんですけど、どの家族見ても、「あれ?お父さん似だし、お母さんにも似てるし」と、本当に普通の家族に見えたんですよね。

あと産んでくれたお母さんと子どもが疎遠になるのはケースとしてあると思うんですけど、自分は子どもが会いたいなら会ってもいいと考えてたんです。その団体は、子どもも生みの親も会いたいと思っている場合は、会えるのがよかったですね。

【写真】赤と白の花が咲いている

ーーじゃあ、その団体で迎えようと決めて、そこから登録をして。

登録の前に面接があるんですけど、妻はそういう下調べをすごいやる人なんですよ。自分はあんまりやってなくて、「子ども好きです」と話す程度で思ってたんですけど、ちゃんと調べてと言われたんで、自分も受験勉強みたいに徹夜で制度のこととか覚えて。

すごい緊張して行ったんです。でも自分たちが学生時代からずっと一緒にいる話をしたら、もうその話ばっかりになっちゃって。本当に明るい雑談で終わっちゃったって感じですね。

ーー特別養子縁組へ登録したあと、子どもが来るまで待機する間に、どちらか一人が仕事を辞めなければいけないってことでしたよね。やっぱり女性がやめるってなることが多いんじゃないか、というイメージがあります。その話し合いはどうしたんですか?

仕事をやめるっていうのは、自然と妻の方になりました。というのも、妻は専門職の資格を持ってるので、現在の仕事を辞めたとしても就職できる可能性が高かった。

自分はそういう資格がなく就職活動をして企業に勤めているから、今辞めちゃうと再就職が難しい、みたいな話をしたと思います。

ーー仕事を辞められて、その後育児のための研修を受けながら待機してた時間というのは何か月くらいですか?

5ヶ月ぐらいだったと思います。期間は決まってないんですが、早い人だと3、4ヶ月で電話がくるようですね。

「ずっとこの子の顔を見ていたい」念願の子どもを迎えることができた日

ーー子どもを迎えてほしいと連絡がきたときのことって覚えてますか?

ある夜に急に電話が来て。普通に2人でテレビ見てたら妻の電話が鳴って、「なんだこんな遅い時間に」みたいな。事前に「電話するから登録しといてね」って団体に言われた番号が出て、「来たよ!」って。自分はスマホのカメラで、妻を撮ってました。

ーーパートナーさんはどんな様子でしたか。

冷静でした。すぐにメモ帳を出して、団体に言われたことを全部書いてましたね。子どもの様子とか、いつ産まれたとか、何日ぐらいに子どもを託しに行けるとか。

ーーご自身はどうでしたか?

なんか夢みたいでした。本当に突然すぎて、夜にもう寝るぐらいの時間帯だったんですよね。本当なの?みたいな。

ーーその後電話を切って、2人ではどんな話をされたんですか?

今元気に産まれてきたところらしいよ、すごい髪がふさふさらしいよ、という情報だけだったので、「本当に子どもって突然来るんだね」って話しました。

ーー突然連絡がきて、親になるって想像がつかないです。当日までどのくらいの時間があって、どう過ごしましたか。

電話がきて6日目に、子どもを迎えることになりました。

電話が来るまで性別がどちらか分からないので、翌日からお迎えする時に着る服を購入したり、同じ団体で育ての親となった方に勧められるものをとにかく準備して。

妻は子どもがいる友人に特別養子縁組を選択していることを話していて、ベビーベットやベビーバスを貸してもらえることになっていたので、連絡して慌ててベビーグッズを準備してましたね。

購入した肌着を洗濯しベランダに干している写真を妻が送ってきたりと、準備段階では楽しみでいっぱいでした。

【写真】子どもと親が手をつないでいる

ーーそうして、当日を迎えて。

赤ちゃんとは、自宅で対面することになりました。

到着予定時間は聞いていたものの、たまたま電車の遅延等があり、いつ来るのか分からない状況だったんです。

妻と2人で待っている間、自分のわがままや悩んだことなどを一緒に乗り越えてきてくれたことに、感謝を伝えました。

そして、これからもよろしく、子どもをかわいがり尽くそう、と2人で話して、子どもを迎えました。

ーー赤ちゃんがお家にきて初めて会ったとき、どんな気持ちでしたか。

何とも言えないですね。今まで2人でやってきたことに対して、マイナスなところはないなって思ってましたけど、なんかがふっきれたっていうか。

過去のことをもう思ってる暇ないっていうぐらい、すごい明るいっていうか、輝いてましたね。それに赤ちゃんって思ってる以上に「ちっちゃいな」って。

ーー初めてお家に子どもが来たときは、団体の方とか他の育ての親も来てくださってたんですよね。

はい、お手伝いに来てくれて。その日の夕食の準備を手伝ってもらいましたし、ベビーグッズも持ってきてくれたりして助かりましたね。

緊張して2人ともガクガクになると思ったんですけど、子どもを迎える前から育ての親のご家庭に遊びに行かせてもらっていた人たちだったので、本当に緊張しないで楽しくその日を迎えられました。

でもその後すぐ、代表も育ての親家族も帰ってしまったので、もう帰っちゃうの?っていう感じでしたね。

ーー出産がなく、突然子どもとの時間がはじまるんですもんね。初めてのお子さんと過ごす夜はどうでした?

子どもが本当に2、3時間おきにミルクあげないといけないし、抱っこを離した瞬間に泣くっていうような状況だったんですが、もう本当にずっと顔を見てたいって感じで。たぶん自分は寝てなかったですね。

ーーいきなり子どもができて、その日から子育てが始まるってどんな感じだったんですか。

後々調べた時に、出産する場合はパパ研修みたいなものをやったりすると思うんですが、自分たちが育ての親になった頃の研修って本当に2、3時間しかなくて。お風呂の入れ方、抱っこの仕方、ミルクの温度とかを、本当にぎゅって詰めて終わりだったので、ずっと不安の中でやってたって感じです。

(特別養子縁組は、「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律」において、児童の養育を適切に行うために必要な知識及び技能を習得させ、及び向上させるために必要な研修として内閣府令で定めるものを受講する必要があります)

裁判が終わり、戸籍に「実子」の文字が。涙が出るほど嬉しかった瞬間

ーー父親になった実感はありましたか。

僕の場合、けっこう後になってからかもしれないですね。最初は責任感のほうが強かったです。

特別養子縁組では、親子関係が認められるまでに、最低でも6ヶ月間の試験養育期間があるのは法律で決まってるんです。その後、裁判で正式に家庭裁判所の許可を得るまで、半年間は一応戸籍上では実子ではなく、もし生みの親が子どもを戻してほしいとなった場合は、返さないといけないっていう状況だったので。

(※家庭裁判所は、申立てにより、養子となる者とその生みの親側との親族関係が消滅する養子縁組(特別養子縁組)を成立させることができます。特別養子縁組を成立させるためには、特別養子適格の確認の申立てと特別養子縁組の成立の申立てが必要となります。(引用元:最高裁判所ホームページより))

過去に子どもを託されて3ヶ月ぐらい育ててたんだけど、やっぱり生みの親に返してほしいって言われて帰っちゃったっていう例もあったそうなんです。

その可能性がゼロじゃない限り、まず怪我をさせちゃだめだし、風邪とかもひかせたらダメだっていう、責任感がありました。

もちろん裁判をスムーズに進めるためには生みの親の協力が必要なので、私たちのことを親として認めてくれるよう行動することも必要ですが、「子どもを返してほしい」となった時に、何かあっては生みの親に申し訳ない。嫌な思いをさせてはいけない、という「生みの親に対する責任」を感じてましたね。

【写真】青々とした緑

ーー子どもが帰っちゃうかもしれないなかで育てるのは、プレッシャーがありますね…。

子どもがいなくなってしまう可能性もあるっていう頭でいたんですけど、もう愛着も湧いちゃうし、自分たちが考えた名前をつけているので。これで帰ってしまうと言われたらどうなるだろう、もう立ち直れないぐらいだよねって2人で話してました。

父親になった実感が生まれたのは、外に出て他のお子さんと関わるようになった時に、相手に怪我をさせたらいけないな、って思い始めたくらいからです。

ーー3人でいる時は3人だけの世界だけど、他人が関わってきたときに「お父さん」っていう役割の責任が発生するのかもしれないですね。

あるキッズスペースに行った時に、他のパパさんとかも一緒に行ったりして、「同じ職場でパパの付き合いとかありますか?」って質問をされたんですよ。そのとき、「ああ、そうか。パパか」って感じましたね。

ーー突然子どもができる、ということは、周囲への説明も大変だと思うのですが、会社では話していたんですか?

会社では一部の仲良い人たちだけに伝えました。あとは裁判に行かないといけない時もあるので、休むときに上司には一応言いました。

ーーまだ戸籍上でちゃんと親子になっていない、でも新生児で子どもを迎えて育てる場合は、会社で育休は取れないんでしょうか。

最近は会社の制度も変わってきて、育ての親が数日間休みを取れるようになったようです。ただ自分が育ての親になったころは、おそらく会社で一人だったんです。

それでも会社の手続きはスムーズでしたが、役所関係がなかなか難しくて。

子どもは裁判が終わるまで同居人になるので社会保険には加入できず、子ども単独で国民健康保険に入らないといけないのですが、最初「それはできない」と言われたんです。手続きにすごく時間がかかりました。

ーーそれは不便ですね。

団体で話を聞くと、手続きがすぐ終わりましたって人もいれば、何日も役所に行ったという人もいて。うちも何日も行って、待たされる時間がすごく長くて。そこが親としての最初の子どもを守るための第一歩だったと思います。

国として、そういった特別養子縁組にまつわる制度の手続きがスムーズにいかないのは、気になりますね。

ーー裁判に関しては、どのように進んだんですか。

裁判までの6ヶ月間の試験養育期間の間は、児童相談所と家庭裁判所の方が、月に1回ぐらい面談に来てくれてました。

毎日何時に寝て、何を食べて、などを書いた子育てノートを見たりして。僕の思い込みでドラマみたいな裁判を想像してたんですが、本当にただの面談みたいな感じで、裁判所の方も子どもと遊んでくれたり。

正式に実子になると認められたときには、裁判所の担当の方からお電話いただけて、ほっと安心しました。何よりも、裁判に協力してくれた生みの親の方への感謝の気持ちが大きかったですね。

戸籍で「実子」と記載されているのを見て、涙が出るほど嬉しかったです。入籍の日は3人で区役所へ行きました。

「どんなことがあっても守り抜く」そう決めて子どもを抱っこした瞬間から、愛情が生まれた

【写真】子どもと親が手をつないでいる

ーー生みの親の方とは、子どもを託されたあとに交流をされていたんですか。

ときどきお手紙のやりとりをしてましたね。

団体主催の交流会があったんですが、子どもと生みの親さんが会えるとしたらそこがチャンスだったんです。生みの親さんも会いたいとおっしゃってくれたので連れていきました。

ーー生みの親の姿を見た時って、ご自身はどんな気持ちでした?

出産した後の生みの親は、赤ちゃんと接すると愛着がわいてしまうので、子どもと会えないという話も聞いていたので、どうなるかなと思っていたんです。でも、生みの親の方が会って抱っこしているときに、嬉しそうな表情だったのでちょっと安心しました。

会いたくないっていう生みの親さんもいらっしゃいますし、当日に予定変更になって会えないこともあるよって聞いてたんで、自分は直接お話もできてよかったなって。

ーーその後、子どもを育ててみてどうでしたか。

本当にすごい楽しくって。よくある話かもしれないですけど、仕事が終わるのが待ちきれない、早く帰りたい。妻が写真や動画を仕事中も送ってくれているんですけど、とにかく早く帰りたくて、飲み会も行かなかったです。

ーー妊娠して出産して、というプロセスを経ないことにより、子どもに愛情が持てないのでは、と不安になる方もいるのではないかと思います。そこについては、どのように考えていますか。

自分は不妊治療を経験して、男性であることの使命を失い、妻にも迷惑をかけ、周りにも相談できなくて。

不妊治療を諦めて、それでも自分の夢である子育てをしたいという思いから、いろいろな選択を考えて妻と2人で乗り越えてきたというのは、妊娠して出産というプロセスとは異なるとは思いますが、出産までの間に夫婦で考えることや子どもに対する思いとか、そういう部分は同じなのではないかなと。

「我が子をかわいがり尽くす」こと、「どんなことがあっても守り抜く」こととか、そういう思いを持って子どもを迎えて、抱っこしたときに愛情が自然と生まれていたと思います。

特別養子縁組で子どもを迎えたとしても、「これは通常のプロセスではない」とか「自分達のケースは特別なこと」と思う必要はないのではないか、と思いますね。

「パパって病気だったんだよね」子どもの生まれについて、初めて話した瞬間

ーー特別養子縁組でも、自分たちから産まれた子どもでも愛情はきっと変わらない。でもやはり、周囲の目は違うものがあるんじゃないかと思います。近所の人には、養子で子どもを迎えたことは話していたんですか?

地元だったら状況を教えないといけないと思うんですけど、マンションでも隣の人とも挨拶程度で、コミュニティがあまりなくて。

児童相談所の方にも、「学校で自分の産まれてから今までのエピソードを書くようなことがなければ、別に先生にも言う必要ない」って言われたんですよ。周囲の人に話したことによって、人づてに子どもに「あなたは養子だよ」って言われたりするのが一番きついので、小学校でも先生には言ってなかったんです。

でもこの前、団体の交流会がすごく楽しかったみたいで、学校の先生や友達の前で子どもが「こないだ養子縁組の交流会行ってきたんだよ」って言ったらしいんです。多分言われた子どもたちは、「は?」みたいな感じだと思うんですけど、その場に先生もいたっていうことを子どもから聞いて、妻が慌てて電話して説明しましたね。

ーー今の小学生の時点では、養子であることをお子さんは知っているんですよね。真実告知のことは、年齢が上になってからと思っていたのですが、一般的にも3歳くらいから話すようにしていると聞きました。真実告知に関してはパートナーさんとどのように話してました?

「子どもが自分で聞いてきた時に、少しずつ話していこう」っていうのは2人で決めていました。自分で本を作って読み聞かせで伝える人もいるみたいなんですけど、僕らは年齢は関係なく、その話が出たときに話そうって決めてました。

ーーパートナーさんへインタビューしたときに、3,4歳ぐらいのとき「自分もママから生まれたの?」と聞かれたとおっしゃっていました。その時の出来事って聞かれましたか?

聞きましたね。子どもが突然「自分もママから生まれたの?」って聞いたって。

妻が「いや違うよ。こういう理由でママからは産まれてないよって。でもちゃんと産んでくれたお母さんがいるよ」って話をしたって聞きました。

ーーそれってご自身のいないところでの話だったと思うのですが、どう感じられてましたか?

例に外れず、子どもは聞くんだって。よくドラマで見るじゃないですか。

赤ちゃんの頃からずっと、育ての親の交流会に連れて行くたびに、「ここにいるみんなは、今はパパ、ママがいるけど、みんなそれぞれのパパ、ママから産まれてなくて、産みのお母さんがいるんだよ。だからみんなあなたの仲間だよ」と話はしてはいました。

それに、誕生日プレゼントを生みの親からいただいたときに「産んでくれたお母さんからだよ」と言って渡したり。

ーーじゃあ「自分を産んだお母さんがいる」ことと、「今育ててくれてるお母さんから産まれたわけじゃない」という情報が、お子さんのなかでうまく処理されてつながってはいなかった?

そうですね。自分が妻から産まれてないっていうのは、情報としてはあったと思います。

ーーパートナーさんから、3,4歳くらいで「ママから産まれたの?」って聞いて、改めて自分はお母さんから生まれていないと理解して。5歳くらいのときに、「ママから産まれたかった」とパートナーさんに言ったと聞きました。

ちょうどそのぐらいの時に同級生のお母さんが妊娠されていて、送り迎えの時に毎日そのお母さんと会ってたんです。同級生も楽しみだと話していて。何かしらそれで自分の生まれについて思うことがあって、聞いたのかなって思います。

ーーパートナーさんが、「それはママのことが好きってこと?」っていう話を聞き返して、お子さんは「そう」って。だから「ママも大好きだよ」って返したって。それもパートナーさんからお聞きになられました?

そう返したことは、パートナーの記事が公開されて初めて見ました。今まで母親から生まれていないことについて、自分の気持ちを伝えてきたというのはなかったので。

「生みの親さんの写真見たい?」って聞いても、「いや、見たくない」って言うこともあるし、「会いたい?」って聞くと、「いや別に会いたくない」って。あんまり興味ないというか、気にしてないんだなって思ってたんですよ。

でも、それを聞いて、「本当は気になってんだ」と思いました。

ーーその事実をまず把握することが一段階あって、次に、そこに対しての自分の感情がついてきたんでしょうか。

そうだと思います。子どもが産まれてくるまでの流れがわからなかったけど、お母さんから子どもが産まれてくるんだと知る。でも自分はママから産まれたのかな?って疑問を感じて、という確認のステップを踏んで、自分の中で把握したのかなと。

ーーあの時のパートナーさんが、反射的に「それはママを好きってこと?」って返せるのはすごいですよね。

いや、すごいと思います。自分だったら「何で?」って言っちゃいそうな気がして、よく聞き返したなって思います。2人でいる時も3人いる時も、子どもが自分に対してその件について話すことはないので。

ーーパートナーさんには生まれについて聞くけど自分には言わないことについて、寂しさはあったりしませんか?

いえ、あんまりないですね。

自分が仕事から帰ってきたあとは、自分が作った工作を見てほしいとか、幼稚園や学校、遊び話が多いんですよ。子どもにとって自分は、遊びのことや外でのお友達との関わりについて会話をする役目なんだな、というように認識していて。真実告知は「聞かれたら話す」というスタンスだったし、子どもと改めて生まれについて話すっていう考えはなかったんですよね。

でもこの間初めて、自分と2人でいるときに話したんです。

【写真】走り出す子どもの後ろ姿

ーーどういうきっかけでそういう話になったんですか?

子どもから「パパって病気だったんだよね」みたいな話が急にパーンと出てきて、「そうだよ、それが原因でママが赤ちゃん産むことできなかったんだよ」って話をして。「でもあなたには、ちゃんと愛情を持って産んでくれたお母さんがいて、団体の代表にお願いをしてうちに来ることになったんだよ」っていう流れを説明しました。

そしたら、「じゃあ自分はいらない子だったんじゃん」って言われたんですよ。

「産んでくれたお母さんはいろんな事情があって、赤ちゃんにミルクやご飯を食べさせてあげることができなくなるかもしれないから、ちゃんとあなたが健康で生きられるように、代表にお願いしてくれたんだよ。パパとママは子どもがほしくて、どうしてもほしくて、パパたちも代表にお願いして、それであなたがうちに来たんだよ。

生んでくれたお母さんはいらない子だなんて絶対に思っていない。本当は自分で育てたかった。

でもどうしてもできない。だから、あなたが元気に楽しい毎日を過ごしてほしいという思いがあって、ここを探してくれたんだよ」って自分は伝えて。

本人も「そうなんだ」って納得してくれてはいると思うんですけど、そのやりとりだけですね。

特別養子縁組を決めるうえで、夫婦で対話して認識を合わせることの大切さ

ーーお子さんが養子としていろんなご家庭に行く可能性があった中で、お二人のところに来られた。そこってすごい縁だと思うんですね。

本当にご縁ですよね。

自分たちと同時期に、障害がある子どもの受け入れを断った夫婦が何組かいたそうなんです。そのときに、うちに来るかもねって話をしてたんですが、それはなくて。 どの子どもがどの家庭にいくかは決められない。

ただ、うちの子の生みの親さんが、僕たちの写真を見て「この夫婦に託してほしい」って代表にお願いしたらしくて、たまたま代表も元々私たちに託そうと思ってた、って話をあとから聞いて。それはすごく嬉しいですし、本当に縁ですよね。

僕らは最初から自分たちが産んでも病気がある可能性もあるし、男女も決められない。養子縁組の場合、人種が違う場合もあるよねって話をしていて。でもどんな子が来ても、断る気はさらさらなかったので。

障害があるお子さんを断った人たちに会ったときに、そこについて共通認識を整理できてなかったんじゃないかなって感じました。予想でしかないですが、どちらかに押し切られたんじゃないか、と自分には見えたんです。

ーーこれから特別養子縁組をしたいと考えている人たちがいるとしたら、いろんな子どもが来た場合をちゃんと話しあって、合意していた方がいいですね。

どんな子どもが来るかはご縁だし、ちゃんと話し合った方がいいかなと思います。

ーー他に考えた方がいい事はありますか?

もし夫婦や自分たちの家族が血のつながりにこだわっているのであれば、「血のつながりって本当に大事なのか」は、話し合っておいた方がいいかなって思います。

全員が納得しないまま特別養子縁組で子どもを迎えてしまうと、両親や親族から協力を得たいときに、協力してもらえない可能性もあるからです。

私としては正直、「血のつながり」についてこだわった先に、何か夫婦や子どもにかたちとして見えるものがあるのかはわかりません。こだわりすぎるとタイミングやお金、2人の時間やお互いへの気持ちも失ってしまうと思いますし、様々なご縁も逃してしまうと思うんです。自分としては、そのほうが残念だったんですね。

ーー自分たちが何を大切にするのか、夫婦や近しい人たちでしっかり対話をして、認識を合わせていくことは大切に感じますね。

実際に子どもを自分たちが迎えて、今度は交流会で自分たちが養子を考えている人たちに説明をする立場になったときに、あるご夫婦に会って。

妻の方は「特別養子縁組に進みたいです」って泣きながら説明してくれたんですよ。それで自分たちが「いいと思いますよ」といろいろ説明した時に、夫の方から「あなたたちはお子さんを迎えて幸せになってるから、そういう発言できるけど、血のつながりがない子どもだし」って言われて。

「血のつながりってやっぱり気にするんだ」って。でも自分たち夫婦だって別に血はつながってないし、そんなに重要かなって思いましたが、その時は何も言えませんでした。

でも数年前に交流会で、「あれあのときの夫婦だ」って発見して。特別養子縁組で子どもを迎えていたようなんですが、妻の方が自分たちのことを覚えてくれていたんですよ。自分たちが説明しにいった交流会から、3組ぐらい実際に子どもを迎えた夫婦がいるので、行った意味があったなって思います。

一人でも安全、安心できる場所で、子どもが育っていけるように

ーーお二人の場合は、不妊治療を経た上で特別養子縁組を選択していますが、不妊治療についてはなにか思うところはありますか。

そうですね。メディアの記事で、女性は検査をしたけど、男性は検査して自分の原因が見つかっちゃうと、男性としてのプライドが傷つくから協力してくれなくて、不妊治療があまりうまくいかないみたいな話を見たんですよ。僕の場合は、もともと僕に原因があるって思ってたから検査したんですけど、やっぱりどこが原因なのか見つけないと次のステップに進めないんで、プライドなんて気にせず検査はしたほうがいいと思うんですね。

僕らは自分に原因があったとわかって次に進めたから、26〜28歳くらいで特別養子縁組のことを調べて、団体に登録して、結局30歳の時に子どもを迎えられた。男性として、というプライドを持つ必要はないと思うし、対応を進めて子どもを迎える状態に早くなるほうがいいんじゃないかと思います。

ーーすごく現実的な考えですね。

女性は妊娠出産にまつわる情報をすごい調べると思うんですが、男性は調べない人が多いと思うし、男同士で喋ることもないし、産婦人科に行くこともなく相談できるところがないと思うんです。

それであれば、原因究明をして見つけてどのように進めるのがいいのかをお互い話して、次のステップに進むというのがわかりやすいと思うんですよね。

この前、養子縁組している男性だけが集まる「おやじ飲み」をやったんですよ。妻がいると話しにくいこともあるかもしれないんで、妊娠や不妊治療、特別養子縁組について話す座談会みたいなのがあったらいいなって。

【写真】子どもと親が手をつないでいる

ーーこういうインタビューも女性が受けるものが圧倒的に多いなと思うので、パートナーさんの記事を見て、父親の話が聞きたいっていう声が届いたんです。だから今回は、父親ならではの話が聞けたなって思いました。

たしかに自分が特別養子縁組を妻に提案したほうなので、交流会に行ったときに「何で旦那さんからなんですか?」ってよく聞かれます。自分は子ども好きっていうところもありますし、金銭的にもそれ以上の不妊治療は無理でしたし。

それと、もともと子どもの福祉をサポートする側に行きたかったので、団体を調べるうちにやっぱり子どもは家庭の中で育つのがいいっていうことを勉強して。

繰り返しになっちゃいますけど、自分の思う“男としての使命”は失ってしまったけど、人として生きていくには、一人でも子どもを安全、安心できる場所で育てることが子ども達のためだと思ったんですよね。

ーー家族としていろんな選択肢がある、ということは、女性のほうが知る機会は多いと思うので、この記事で男性にも知っていただけるのではないかと思っています。

周りの男性の同期や後輩に、「立会い出産しました?」とか聞かれるんですよ。「う~ん、ちょっと予定合わなかった」って返したりして、困りますね。

「里帰り出産してて、独身に戻った感じなんですよ」って言われて、「そうなんだ。僕はわからないけど」って心で思ったりして。

「楽しい家族」であれるように、これからも3人で工夫して生きていきたい

ーー様々なプロセスを経て特別養子縁組をして、今どんな気持ちを持ってらっしゃいますか。

無精子症と言われ、とても絶望感で死にたいとまで考えて。そこから特別養子縁組を選んだことで、子育てができて、明るく楽しい家族を作ることもできて、とても幸せです。

その一方で、子どもが置かれた状況だったり、生みの親の現実をもっと多くの人に知ってほしいなとずっと思っていて。

地元の友人の友人が、不妊治療を続けるか養子を迎える選択をするか悩んでいたようで、私たちを紹介してくれたんですよ。その人たちが、今では同じ団体でお子さんを2人迎えていて。今回の取材のように、自分が情報を発信できるのは、おこがましいですが、子どもたちのためにとても意味のあることができていると感じています。

最近、妊娠を誰にも相談できず、母親が子どもを遺棄してしまうというニュースをよく目にすることも多いですが、全て母親だけが悪い訳ではない、と考えるようにもなりました。

子どもの福祉だけでなく、生みの親の現実についても何かできたら、という思いが生まれたのは、子どもを育てた自分の変化ですね。

ーー子どもを養子縁組で迎えるって決断に至るまでも、他の家族より考えることが多いかもしれない中で、いろんなことを選択してこられたと思います。一緒にやってきたパートナーさんに対してはどういう気持ちを持ってますか?

自分が決めたことに対して本当にまっすぐなんですが、受け入れる心の広さはすごいなと思います。最初は不妊治療や特別養子縁組のことは、受け入れさせちゃったところもあって申し訳ない思いもあったんですけど、逆に自分が喝を入れられることもあって。

「そんなこと言っても、無理なんだからしょうがないでしょ」っていう切り替えができる人で。そこはすごく勇気づけられました。

妻だったから特別養子縁組も選択できたし、今ここまできてる。妻じゃなかったら、多分自分は子どもを育てられなかったと思います。

ーー他の親子と変わらないとはいえ、もちろん特別養子縁組であることによって、きっと一緒に向き合い続けなければならないことはありますよね。

そうですね、子どもが納得するまで真実告知は続くと思っています。

思春期のタイミングで生みのお母さんがいることや特別養子縁組のことをどのように理解しているか、尋ねられたときにちゃんとした振る舞いができるか。考えるだけで少し怖いですが。

どんな時もこどもに寄り添い、親と子というよりも友達のような近い関係で悩みごとがあれば一緒に考えられるようにしていきたいと思っています。邪魔な存在と思われない程度に。

ーー子どもをここまで育ててきて、今どんな感覚を持ってますか?

できないことがたくさんあっても、そのうちの1つか2つできるようになった、と子どもが嬉しそうに教えてくれることが何よりも嬉しいなと。

そして、最近自分と、自分の父親を重ねて考えるようになりました。自分が感じた”子育て楽しい”って父親も感じたりしてたのかなとか、どんな遊びを父としていたかなとか、自分自身はどんな役目として父親を見ていたかなとか。

正解はないですが、自分が父親にしてもらった何不自由ない生活を子どもにもしてあげたいな、と思うようになりました。

【写真】青々とした木の緑

ーー今、お子さんに対して、願っていることはありますか。

親が子どもを育てられず悲しい事件になることもありますが、生みの親が意思をもって子どもを産んでくれたので、それはもう僕らからしたら奇跡だから。

人間として産まれてきたんだったら、好きなように、自由に。子どもは今、興味がいろいろとあって、「好き」がたくさんあるんですけど、そのまんま育ってほしいです。

気ままに行き過ぎた所は自分たちが止めるんで、それ以外は好きなように、進みたい方向へ進んでもらえたらいいかなって思います。

ーー家族としては、どんなふうにありたいですか。

「楽しい家族」をこれからもテーマにしていきたいですね。いろいろ大変ですけど、「私たち、こうしたらいいんじゃない」って妻と2人で話すのも楽しいんですよ。

大人になると家族であっても悩みを相談しにくくなることがあると思うのですが、家族3人で考えて工夫して挑戦して、悩みをできる限り減らして。最終的には楽しいと思える家族であれるように、3人でこれからも一つ一つやっていけたらなと思います。

(写真/金澤美佳、協力/永見陽平)