子どもが生まれてから、自分の意志や選択、その先にある幸せと、子どもにとっての幸せの「正解」のようなものを天秤にかけてしまうことがあります。
子どもと私は別の人間であるけれど、成長過程にある子どもの意志や選択には、どうしても親の影響が絡んできてしまうと思うから。
例えば、自分の幸せのために離婚や再婚を選択した場合、子どもの幸せはどうなってしまうんだろう?計り知れない、だからこそ不安になる、そんな問いが頭をよぎることも。
それでも周りを見渡せば、事実婚や再婚による「ステップファミリー」も珍しい選択肢ではなくなっています。
夫婦、親子、きょうだい。家族の関係性も、そのかたちも一つじゃない。結婚したから、子どもを産んだから、血がつながっているから。ただそれだけで家族が成り立つわけではないとも思います。
では、人はどうやって家族になっていくんだろう。
そんな問いを持って、再婚により血縁関係のない親子を含む「ステップファミリー」となった飯髙家を訪ねました。
飯髙悠太さんと沙江子さんは、東京と沖縄での遠距離恋愛を経て、2019年の春に結婚。沙江子さんは、当時中学3年生の長女・玲来さんと、小学5年生の次女の母であり、悠太さんは血のつながりがないふたりの娘の父になりました。それから5年──
悠太さんと沙江子さんが出会い、結婚して夫婦となり、娘たちと4人で東京で暮らし始めるまで、どんなことに葛藤し、決断をしてきたのか。血のつながりのない悠太さんと玲来さんは、どうやって関係性を育んできたのか。そして4人はどう家族になっていったのか。
悠太さん、沙江子さん、玲来さん。父、母、娘、3人それぞれの目線で、家族になる過程を辿り、当時の想いを語ってもらいました。
「簡単には受け入れてもらえない」子どもたちが抱く嫌悪感を受け止める
──今日はそれぞれの立場から、ステップファミリーとして飯髙家の歩みをお聞かせいただけたらと思っています。最初に、悠太さんと沙江子さん、おふたりの出会いからお聞きできますか?
悠太さん:2016年の秋、仕事で沖縄に行った際に出会いました。当初は彼女に子どもがいることは知らなくて。東京に戻ってからも連絡を取っていたんですが、SNSのタイムラインに娘たちとの写真が上がっていたので、なんとなくは察していました。3回くらい会ったあとの電話で、子どもがいると伝えられて「知ってるよ〜」って。内緒にされてたんです(笑)。

悠太さん
沙江子さん:隠してたわけじゃなくて(笑)。私、21歳の頃に子どもを産んで、30歳で離婚して、娘ふたりと沖縄の実家で暮らしていたんですよ。再婚する気もないし、誰かと付き合うなんて考えてもいなかった。だからわざわざ言う必要もないと思ってたけど、自然な会話の流れで何の抵抗もなく伝えた感じです。
──そこから交際を始める際に考えていたことはありますか?
悠太さん:付き合い始めたのは、出会って半年後の2017年の春。当初は具体的に結婚まで考えていたわけではないけど、そうなる未来を見据えて、軽はずみな気持ちでは付き合えないとは思っていました。彼女と付き合うってことは、子どもたちとも向き合うことになるだろうから。
沙江子さん:当時、長女は中学1年生、次女は小学3年生でした。娘たちのことは常に頭にあったけど、相手のことを好きだという自分の気持ちを大事にしたいという思いもあって。悠さんが私だけじゃなく、子どもたちのことも真剣に考えてくれていたから、再婚するのもありかもしれない、と思うようになりました。
──悠太さんが初めて娘さんたちに会ったのは……?
悠太さん:付き合って半年後くらいに沖縄で長女の舞台があって。観に行ったあとに、妻とお義母さんと長女と食事をしたんです。玲来は全然目を合わせてくれなかったし、僕は“いない”とされている感じでしたね。
沙江子さん:「友だち」と言って会わせたのにガン無視でした(笑)。

沙江子さん
玲来さん:ママが部屋で電話をしていて、慌ててスマホを隠すこととかあったから、彼氏いるんだろうなって察してはいて。あ、この人だって。察してはいたけど、実際に会ってみると、信じがたいというか、受け入れがたくて。やっぱり嫌悪感がありましたね。
悠太さん:日記に「あのロン毛うざい」って書いていたんだよね。今では笑い話ですけど。次女に初めて会ったのは、同じ年の年末。東京に来てもらったんです。妻の妹が東京に住んでいたんで、一緒にスポッチャに行って……
沙江子さん:いきなり4人は気まずいかなと思って妹とパートナーも誘って、大晦日にスポッチャに行って。翌日は4人でディズニーランドに行きました。あれこれ考えるより、とにかく楽しい時間を一緒に過ごして気持ちを盛り上げようと必死でしたね。なのに、悠さんも次女も全然喋らない。
悠太さん:人見知りなので(笑)。次女とは会話もできず、基本別行動で、結構しんどかったですね。
玲来さん:思い出した!ディズニーで私は悠さんと一緒にジェットコースターに乗ったりしたよね。シンプルに、初めましての妹が悠さんと乗るのは気まずいだろうし、気を遣ってただけ(笑)。

玲来さん
悠太さん:幼い子どもならまだしも、思春期の娘たちですから。自分を避けるのは仕方ないよな、そんなものだよなって。僕も小4のときに母親が再婚しているので、知らない男の人がいる、その嫌悪感のようなものを覚えているんです。簡単には受け入れてもらえないと思っていました。
でも彼女と一緒にいるためには、子どもたちと関係性を築いていかないといけないし、どうすればいいのか、どうしようか、考えてはいましたね。

愛犬のまめちゃん
「自分が幸せのために、娘たちを巻き込んでいくわけだから」母の一大決心
──そこから結婚するまでどんなふうに子どもたちと距離を縮めていったのでしょう?
沙江子さん:3ヶ月に1回くらいのペースで沖縄から東京へ、娘たちも連れて会いに来ていました。彼氏とはちゃんと伝えてなかったけど(笑)。
悠太さん:それは会う前に伝えてよ(笑)。
沙江子さん:最終的にふたりで結婚しようと決めた年末に、悠さんが仕事を辞めたタイミングで、1ヶ月半の休みをつくって沖縄に来てくれたんですよ。それまでずっと遠距離だったので。
悠太さん:社会人になって初めて長期休みを取って。彼女の実家の近くにマンスリーマンションを借りて、ほぼ毎日実家に夜ごはんを食べに行ってました。そのタイミングで、僕の母と弟にも沖縄に来てもらって、沙江子の両親に会ってもらいました。
──親御さんたちの反応は……
悠太さん:どちらの親も大賛成、喜んでいましたね。ただ彼女の両親には、孫である娘たちと真剣に向き合う気はあるのかと問われましたね。もちろんその覚悟はありました。
──娘さんたちには結婚することをどのように伝えたのでしょう?
沙江子さん:悠さんが沖縄にいたときに物理的な距離は縮まったんですが、それでも娘たちは受け入れ難かったみたいで……。2018年の母の日に、私と娘たちと3人で焼肉を食べに行って、悠さんと結婚して東京に行くことになると思うと伝えたら、次女は号泣しちゃって。沖縄、実家を離れるのがいやだと。うんうん、そうだよねってなぐさめて。
でもその時点で、その年の3月末に東京に引っ越すことを決めていました。
──生まれ育った沖縄を離れて東京で暮らすこと自体、大きな変化になりますもんね。東京に越すまでの10ヶ月ほど、どんなふうにお子さんたちと過ごしていたのでしょう?
沙江子さん:娘たちの気持ちに波があったので、とにかく不安にさせないように、とは思っていました。娘たちはおばあちゃんっ子なので、母に「寂しいとか言わずに、一緒に娘たちの気持ちを盛り上げてほしい」と伝えて。周りのフォローのおかげで、娘たちも東京で暮らすことへの楽しみが膨らんでいったように思います。
玲来さん:ダンスに夢中で、当時はアイドルになりたいと思っていたので、単純に東京に行ったほうがチャンスが広がるなって。ただ友だちと離れたくないし、東京で友だちできるかなって不安もありました。
沙江子さん:自分だけ沖縄に残れないかって相談されました。
悠太さん:だから玲来も次女も、ママが行くなら仕方なく、東京に来てくれたんだよね。
沙江子さん:最終的に娘たちは「ママが幸せなら一緒に行く」と言ってくれたけど、本心ではないと思うし。悠さんのことも受け入れてなくて、一緒にいても悠さんを無視することもあって、申し訳ない気持ちもありました。
──母親という立場だからこそ、揺らいだ気持ちもあったかと思います。沙江子さん自身はどんな思いで決断をしたのでしょう?
沙江子さん:娘たちも環境が大きく変わるし、もちろん悩みました。娘たちに否定されたら気持ちが揺らぎそうで、なかなか言い出せなかったですし。前提として、私が幸せになりたい、彼と一緒にいたいという気持ちがあったんですよね。悠さんが私だけじゃなく「子どもたちのことも幸せにする自信がある」と言ってくれたことは結婚の決め手にはなったんですが。それでも、好きな人と一緒にいて、大事な娘たちと一緒にいられて、いちばん得するのは私なので。
私のわがままであり、自分のために決断した。自分の幸せのために、娘たちを巻き込んでいくわけだから、どうにかして娘たちに受け入れてもらって、新しい家族をつくるんだという覚悟はありました。人生の一大決心でしたね。
「実の父親にはなれない」という負い目が溶けた長女の言葉
──結婚されて、東京での4人の新しい生活はどのように始まったんでしょう?
悠太さん:2019年の2月に結婚をして、3月に4人で東京で暮らし始めました。長女が中学3年生、次女が小学5年生のときに。一人暮らしのマンションから3LDKに引っ越して。自分の家なのに、とにかく落ち着かなかったですね。家の中が結構ピリピリしてました。
玲来さん:新しい学校も、新しい家も、東京での暮らしには全然慣れなくて。ただ、悠さんは仕事で帰宅が遅かったので、家ではママと妹と3人でいることが多かったんです。で、悠さんが帰ってきたら部屋にこもって。なんとなく避けちゃっていましたね。
──そこからどうやって関係性を築いていったんでしょう?
沙江子さん:コロナ禍に入って、みんなで家にいなきゃいけない状況になったんですよ。家族で楽しい時間を過ごせたらと、プロジェクターを買って映画を観たり、ボードゲームをしたり。夫婦ふたりで家で飲みながら話す機会も増えて、そこで悠さんの本音を聞いたりして。
──悠太さんの本音とは……?
悠太さん:自分の中では、僕は実の親ではない、本当の親にはなれない、という気持ちが強くあって。娘たちに伝えたいことがあったとしても直接言えなくて、妻を介して伝えてもらったりして。実の親にはなれないけど、育ての親にはなりたいと、区別して勝手に線を引いていた。どうがんばっても実の親にはなれない負い目みたいなものがありました。
沙江子さん:悠さんが呼ばなくていいって言ったから、娘たちも「パパ」とか「お父さん」とかではなく「悠さん」って呼んでいて。ちょっと距離を感じて寂しかったみたいで、悠さんは酔っ払うとよく、「本当のお父さんじゃない」とか言って泣くんですよ。誰よりも娘のことを考えてくれているのに。
──その負い目のようなものは、徐々に溶けていったんでしょうか?
悠太さん:玲来が中学3年生になって、僕に進路の相談をしてくれるようになったんですよ。彼女はダンスで生きていきたいという強い思いがあって、妻とは違う立場の僕なりの考えを伝えました。彼女がダンスで留学をすることを決めてからは、自分の立場だからできることがあるから、全力でサポートしようと。
沙江子さん:私ひとりではできることに限りもあるから、悠さんが親じゃなかったら、長女はこの選択ができてなかったと思います。そのことを長女もわかっていたのかな。次女が修学旅行でいなかったときに、3人で近場のコテージに泊まったんですけど……。
その夜、玲来が悠さんに「パパとかお父さんとか呼ばないけど、悠さんのことを本当のお父さんだと思ってるよ」って言ったんです。
悠太さん:泣きましたね(笑)。彼女がそう思ってくれているなら、僕から距離を取る必要はないなって。親として、娘たちをもっと大事にしようと。甘やかすとかではなく、厳しいことも含め、娘たちに伝えたいことは真正面から伝えようと吹っ切れました。
「お父さんは一人じゃなくてもいい」関係が育まれる中で芽生えた娘の想い
──その言葉の背景にある、玲来さんの想いにはどんな変化があったんでしょう?
玲来さん:もともと沖縄にいたときは、前のお父さんと週1くらいのペースで会ってたんですよ。お父さんとはただ離れて暮らしていているって感じで、親が離婚した感覚はなくって。
沙江子さん:あくまで私たち夫婦の問題だし、彼が娘たちの親であることに変わりはないので、会ってもいいよ〜って感じで。会うと次の約束を取り付けてくるんですよ。
玲来さん:だから、ふたりが結婚して東京に来てからもしばらくは、沖縄にいるお父さんが「私のお父さん」っていう意識だったんですよ。でも、悠さんと暮らしていく中で、「お父さん」っていうかたち、そのあり方がだんだん揺らいでいって。
別にお父さんって、一人じゃなくてもいいのかなって。悠さんも私にとって「お父さん」だよなって思うようになりました。
──どちらか一人を「お父さん」だと決めなくていいと。
玲来さん:親族に「どっちをお父さんだと思っているの?」って聞かれたこともあるんですけど。どっちかではなく、どっちも、私にとってはお父さんであり、家族なんですよね。
もし悠さんが最初に「お父さんと呼んで」とか言って、お父さんっぽく振る舞っていたら、抵抗感があったかもしれない。いやいや、お父さんじゃないでしょって。でも悠さんはそうしなかった。だからこそ、自分でそう思えたのかなって。
──相手から一方的に型にはまった関係を押し付けられるのではなく、お互いの関係がゆっくり育まれる中で、自然とそう思えるようになったんですね。
悠太さん:僕自身、幼い頃に親が離婚をして父親がそばにいなかったので、お父さんとはこういうものだっていう型がそもそもないんですよ。今も、お父さんだからこうしようというのはなくて。ただ、玲来がやりたいことをできる環境を整えて、応援したいという気持ちでいますね。
会話の量が増えたことで、ぐっと縮まった家族の距離
──親として子育てをする中で、方針とか、子どもたちに対するささいな眼差しが夫婦間でずれることもあるかと思います。そうしたときに、ステップファミリーの場合、一歩引いてしまうこともあるのではないかと。おふたりは、子育てにどう向き合っていますか?
沙江子さん:育った環境やそもそもの価値観が違うから、娘たちに対するスタンスはやっぱり異なります。最初のほうは悠さんも遠慮していて……
悠太さん:めっちゃ遠慮していました。妻の方針に合わせていたし、言いたいことがあったとしても、娘たちには直接言えず、妻を介して伝えていたりして。
沙江子さん:私も遠慮してました。悠さんの考えを娘たちに伝えるときも、自分の考えは置いておいて、彼の言葉をそのまま伝えて、ちゃんと聞いた方がいいよ、みたいな。
玲来さん:そのときは悠さんに対して、なんで私たちに直接言わないの?っていう気持ち悪さというか、寂しさがあったかな。
悠太さん:でも、玲来の「お父さんだと思っている」っていう言葉を聞いてからは、言いたいことを直接伝えるようになって。妻と違う方針を示して、娘たちに自分で決めてというスタンスですね。どちらを選んでも、自分で選んだことなら、全力で応援すると。
──悠太さんが一歩引いていたところから、親として、沙江子さんとふたりの立ち位置が同じになったんですね。
沙江子さん:悠さんとは夜ふたりで飲みながら、どう考えているのか、じっくり話すようになって。違う意見もバチバチに言い合えるようになりましたね。気になることは、ちゃんと伝えています。例えば、娘たちに対してはビジネスライクではなく、もうちょっと感情を込めた言葉で伝えて、とかね。
悠太さん:いきなり割と大きな子どもの親になったこともあって、最初はコミュニケーションの取り方がよくわからなかったんですよ。会社のメンバーに話すように、白黒はっきりさせたくて、詰めちゃうみたいな。仕事では会話の質が大事だと、無駄を削ぎ落としがちなんですが……。家族は要件だけじゃなくて、くだらないことも含めたゆるさ、会話の量が大事だと思うようになりました。意味があるかどうかは置いておいて、家族の会話の量は増えたよね。
沙江子さん:そうだね。やっぱり「察して」は難しいので。娘たちにも言葉で伝えてくれないとわからないから、察してという態度は取らないでね、と言っています。伝えてくれたら、ママたちも一緒に考えて、できることをするからって。
──なるほど。新しい家族を築く過程で、沙江子さんの娘さんたちとの関わり方、玲来さんとの関係性に変化はありましたか?
沙江子さん:沖縄にいたときは、ここまでのコミュニケーションが取れてなかったんですよ。21歳で母になったので、子どもが子どもを産んだみたいな感じで、実家で家族が一緒に育ててくれた。周りが助けてくれて、たまに私の子だよね?みたいな感覚もあって。
玲来さん:たしかに、お母さんっていうより年の離れたお姉ちゃんって感覚が近かったかも。ママも忙しくて、夜遅くまで仕事をしていたから、おじいちゃんとおばあちゃんとごはんを食べていて、それはそれでよかったけど。
沙江子さん:シングルだからといって娘たちに我慢や寂しい思いをさせたくないと、仕事も増やしてお金を稼いで、休日もどっかに連れて行くとか、とにかく必死で。娘たちが何をしたいとか、どう思っているかまで頭が回ってなかった。ちゃんと話を聞いてあげられてなかったと思います。
でも東京に来て、悠さんが子育てでもパートナーになってくれて、やったこととか物事で喜ばせるとかじゃなくて、娘たちの気持ちを聞いてどうすればいいかを考えられるようになった気がします。
玲来さん:コミュニケーションは増えたよね。東京に来てから、お母さんと思えるようになったというか、距離が縮まった気がする。ママとも、悠さんとも、コミュニケーションを取ることで、理解していって、言いたいことが言えるようになった。会話が、大きい気がします。
ステップファミリーだから、ではなく、家族だから。円卓を囲むように向き合う
──最後に、みなさんそれぞれが、ステップファミリーとして家族を築いていくうえで大事にされていることを教えてもらえますか?
沙江子さん:最初に言ったように、結婚によって家族の中でいちばん得をしているのは私なので。娘たちと悠さんと一緒にいるためにはどうすればいいか、考え続けています。娘たちを観察して話を聞いて、変化に気づいたら声をかけて、その気づきをパートナーである悠さんにも共有するとか。
あとは、親の言葉の影響力は大きいと思うので、娘たちの前で悠さんの悪口は言わずに(笑)、ここがすごいんだよって尊敬することを伝えるようにしています。
悠太さん:子育ても家族も、想定通りにはいかないから、あんまり構えないようにはしていますね。肩書きとか、こうあるべきだよねって型にはめると、相手のことがちゃんと見えなくなってしまうような気がするので。父親だから、とは構えない。
ただ、子どもたちのことは、家族の真ん中でいちばんに考えています。僕らふたりの関係に子どもたちを巻き込んだわけなので、その責任としてちゃんと向き合っていく。とはいえ、子どもは親だけでなく、いろんな人の影響を受けて育つと思うから、構えすぎないように。
沙江子さん:子どもがいる私と結婚して家族になる時点で、悠さんは覚悟を決めてくれている。娘たちも沖縄から東京に引っ越して、覚悟を決めてくれた。すごいことだし、本当にありがたいなと思っています。
──玲来さんはどうですか?
玲来さん:私は覚悟を決めたっていうよりは、ただ流れに身を任せてきたっていうか、ママや悠さんみたいに深くは考えてはない。ふたりが結婚して、東京に引っ越してきて、ダンスで韓国に留学もできて、やりたいことができている今がよかったと思っている。ただそれだけですね。
──そう思えるのはきっと、家族の中に信頼とか安心感があるからなんじゃないかと思います。
沙江子さん:子どもの性格にもよると思いますけどね。次女は違うかもしれないし。だから親としては、子どもの話をちゃんと聞いて、気にかけるしかないですよね。やっぱり、会話が大事!
悠太さん:でもそれって、ステップファミリーに限らず、どんな家族でも同じなんじゃないかなあ。ここ最近の悩みとか、大事にしてることって、ステップファミリーだから、ではなく、家族だからって気がします。
沙江子さん:たしかに。沖縄から東京に引っ越してきたときに、今座っているこの、丸いダイニングテーブルを買ったんですよ。私と娘とか、私と夫とか、個別に向き合っているというよりは、家族みんなが同じような距離感で、すぐに誰にでも目を向けれれるような、丸い家族でいたいなという願いを持って。あれから5年、当初よりはそういう家族になれているのかもしれません。
ダイニングの円卓を囲んで、同じあたたかな眼差しで長女の玲来さんを見つめる悠太さんと沙江子さん。相手を思う自分の気持ちを大事にしながらも、子どもたちを真ん中に、家族を育んできたのでしょう。
悠太さんの冗談に、玲来さんがつっこむ場面もしばしば。「会話が大事」だと口を揃える3人は、次女も含め、真剣な話も、ふざけた話も、雑談も、この円卓を囲みながら、きっとたくさんの言葉を交わしてきたのだと思います。
ともに生活する日々の中で、会話を通して、相手を理解しようとする。たとえわかり合えなくても、相手を想い、歩み寄る。その想いが積み重なって、家族になっていくのかもしれない。
そして、「幸せ」は曖昧で定義できるものではないけれど、個別の幸せは、家族の幸せにも接続する。天秤にかける必要はないのだと、飯髙ファミリーの円卓にお邪魔させてもらって、そう思いました。
(撮影/川島彩水、企画・編集/工藤瑞穂、協力/阿部みずほ)