【写真】バギーに乗ったマコさんに頬を寄せこちらを見ているさくらさん

筋ジストロフィーという進行性の難病があって、日常生活のほとんどに介助が必要なマコさん。そして、マコさんをサポートする母親の加藤さくらさんには、書籍を通して出会いました。

マコさんは障害があって動くことはできないけれど、自分の意思を表現したり、人と仲良くなることに長けていて、毎日とても幸せそうに生きているとさくらさんは話します。ディズニーランドと沖縄が好きで、毎日のように「いきたい!」とご家族に意思表示をしては、何度も連れて行ってもらっているそう。つい最近もバギーに乗ったまま、バリアフリーとはほど遠い沖縄の無人島を訪れたそうです。

一方、母親のさくらさんは長女のサポートや次女であるマコさんのケアに励みながら、障害のある子どもやその親を支援する活動に取り組んでいます。また、そういった中でも、単身で海外旅行に行くなど、自分の好きなことも諦めないパワフルな生き方をしています。

私がお二人を知った時、正直なところ、「パワーを持っているこの特別なおふたりだからできることだ」…という気持ちになったのです。とても私にはできないことだ、と。

けれど、書籍を読み、二人を知っていくにつれて、私の気持ちは少しずつ変わっていきました。絶望のなか、小さな光を探り当て、少しずつ前進した先にマコさんやさくらさんの現在があるのだと知ったのです。

すると、さくらさんに聞いてみたいことがどんどん湧いてきました。さくらさんとマコさんのお話は多くの人が自分らしく生きるためのヒントになるのではないかと思うから。

とある日曜日。私はわくわくした気持ちで、お二人のご自宅へ向かいました。

さくらさんと娘のマコさん。楽しみを追いかけているマコさんは、心を救ってくれる存在

【写真】笑って話をするさくらさん

さくらさんは、“障害があっても誰も絶望を継続させない世の中に!”というキャッチコピーを掲げ、「食を通してインクルーシブな世の中を創ることを目的とした『一般社団法人mogmog engine』の共同代表を務めています。また、デジタルとリハビリとアソビを掛け合わせた企画を展開する『株式会社デジリハ』に参画したり、さまざまな活動をしています。

soarでは2017年、デジリハの取り組みについてさくらさんに取材し、記事を制作しました。

マコさんは現在15歳の高校1年生で、福山型先天性筋ジストロフィーという障害があります。進行性の病気のため症状は成長とともに変化があり、現在は体を起こして座位を保つことが難しいため、バギーに乗って、主にリクライニングの体勢で過ごす時間が多いそう。車いすでの移動や食事などの動作は、以前はマコさん自身でしていましたが、今は日常的に介助を受けています。

小学校に入るまで発語はなかったそうですが、徐々に発語が増え、現在は「あーいや いく(沖縄行く)」「でんしゃ そと(電車でお出かけする)」「たべ いく(外食する)」など、自分の気持ちや願望をストレートに表現できるように。生活するうえでのほとんどのことに介助を必要とするのは、不便なことも多いはず。

でも、さくらさんから見て、マコさんは不思議と“人を動かす力”があるように感じるといいます。自分では体を動かすことができなくても、いつも瞳をきらきらさせて、行きたい場所に行き、やりたいことをやって、たくさんのことを叶えてきました。

マコさんの障害がわかったとき、さくらさんは大きな絶望を感じたそうですが、次々と夢を叶えていくマコさんを毎日目の当たりにしていると、時々襲ってくる不安や落ち込みから抜け出すことができるといいます。

取材当日、ご自宅の玄関先で私たちをにこやかに迎えてくれたさくらさん。リビングにはマコさんの姿がありました。

ちょうどお昼ごはんの時間でマコさんは食事中。ですが、今でているものではない、別のものが食べたかった様子。声を大きく発してその気持ちを伝えてくれました。

【写真】さくらさんがマコさんの肩を抱いて、水を飲ませている

「パン?パンが食べたいの?でも今ないから!」…とさくらさんが明るく返します。

二人のあいだの空気感は明るく穏やかで、私たちもいつのまにかその場に馴染んでいました。

そのまま取材がスタートするはずでしたが、マコさんが大きな声を出していたため取材が進まないのではないかと心配したさくらさんが、「取材の間マコと遊んでいてほしい」と近くに住むさくらさんのお姉さんにヘルプの連絡。すぐに駆けつけてくれたお姉さんは、手にパンを携えていました。

さくらさんが伝えたわけではないのに、マコさんが食べたいと言っていたパンを持ってきてくれたのです。もちろん偶然ではあるのですが、マコさんの“人を動かす力”を垣間見たような気がして、私たちは顔を見合わせて笑いました。

小さな光を見つけて、トライアンドエラーを重ね、一歩一歩進んできたさくらさん、マコさん。そして、ご家族のみなさんの歩みについてお伺いしました。

人見知りな子ども時代。ブラスバンド部の活動、海外留学体験が現在につながる

【写真】インタビューに答えるさくらさん

マコさんとさくらさんのお姉さんの楽しそうな声をバックに、まずはさくらさんの幼少時代の話から遡って聞くことに。

さまざまな活動をアクティブにこなす現在のさくらさんからは想像できませんが、子ども時代は人見知りで母親の後ろに隠れていることが多かったそう。その後、吹奏楽部の活動で人見知りを克服し、徐々に海外に憧れを持つようになりました。

その想いがさくらさんをカナダ・バンクーバーに向かわせ、2年間留学生活を送ったのです。

留学生活で感じたカルチャーショックが、私の土台になっているなって感じるんです。「私が知っている世界ってほんの一部だったんだ」と、留学で視野が広がりました。

私はいろいろな国の人と話す中で、最初黒人の方に対して恐怖心みたいなものがあって。でも実際に友達になると、私と同じ人間なんですよね。そのとき、自分のなかの偏見に気付いたんです。

それからは「これはもしかしたら私の偏見かも」と他の場面でも思うようになったのが、今の障害に対する偏見に気付くベースになっているなと思います。

カナダから帰国後、さくらさんは英会話スクールを運営する会社に入社し、会社員生活をスタート。

2006年に、さくらさんは会社の同僚である悠太さんと結婚することになりました。

お互いに「まさか自分たちが結婚するなんて」という感じだったんです。結婚したらどういう生活がしたいとか、子どもがどうとか、そういう想定を全くせずにノリと勢いで結婚した感じです(笑)。でも、結婚式の翌月に長女がお腹に来てくれて、振り返るとすごくスムーズでした。

長女が生まれて、母親になったさくらさん。当時は「良い母親になろう」と考えて悠太さんが買ってきた育児書を読み、その通りにやらなければと気負っていたのだそう。

子育てが始まって数年が経ち、夫婦のあいだで「二人目が欲しいね」という話題があがりました。すると、すぐにさくらさんのお腹にマコさんがやってきたのだといいます。

すごくスムーズですよね。でも、妊娠初期に胎児に問題があるかもしれないと言われたことがあって、結果異常なしという診断だったけれど、今振り返るとそれが「健康に生まれて育つことが当たり前ではない」という心の準備になったのかなと思います。

そうして、マコさんは“健康優良児”として生まれました。

マコさんの障害が分かり、世界から色が消えてしまったように

娘2人の子育てが始まり、慌ただしくも充実した日々を送っていたさくらさん。ただ、マコさんの生後3ヶ月ころから、長女と比べて成長が明らかに違うと感じるようになります。

3ヶ月を過ぎても首が座らずぐらぐらしていて、蹴るなどの足の動きもなかったんです。小児科の先生や保健師の方にことあるごとに相談していましたが、「成長がゆっくりなだけですよ〜」と言われていました。そう言われたときには、マコなりの成長スピードがあるのだからそれを見守ろうと思えるんです。

でも、同じ月齢の子を見るたびに「マコと全然違う」と不安が膨らむ、という繰り返しでした。

さらに数ヶ月が経ち、生後6ヶ月になってもマコさんの首は座らないまま。何か原因があるならはっきりさせようと決意し、6ヶ月検診を受けることにしました。

検診では、マコを診てくれた先生の表情がどんどん険しくなって。結局大きな病院で検査を受けることになったんです。やっぱり成長がゆっくりなだけではなかったんだと、不安で胸が張り裂けそうになりました。

その後、検査入院などを経て病院から「検査の結果はご夫婦二人で聞いてほしい」と言われたとき、「良くない結果」を覚悟してさくらさんはうろたえたといいます。

そして、夫婦の前に差し出された診断書には「筋ジストロフィー *の疑い」と書かれていたのです。

*筋ジストロフィーとは、筋肉の形成・維持に必要な遺伝子に変異があることで、身体の筋肉が壊れやすく再生されにくいという症状がある、複数の遺伝性筋疾患の総称です。

病名を聞いたその瞬間は、テレビか何かで聞いたことがある病名な気がするという程度で、正直ピンときていませんでした。でも隣に座っていた、普段は冷静な夫の様子がおかしく、徐々に呼吸が早くなっていって……。それを見てすごく重い病気なんだと理解しました。そして、「覚悟してください。進行性の病気で立つことも、歩くこともできないでしょう」と先生から告げられたんです。

【写真】少し俯き加減に話をするさくらさん

マコさんに障害があることが分かった当初は、苦しくてどうにかなりそうな毎日だった、とさくらさんは振り返ります。

これから生きていく意味がわからなくなって、すべての希望が消えてしまったようでした。子どもたちと一緒に家族でやりたかったこと、子育てが落ち着いたらやろうと思っていたこと、生きているうちにいつかやろうと思っていたこと。その全てが崩れ落ちてしまって、世界から色が消えてなくなってしまったようでした。

「なぜ、マコがこんな恐ろしい病気にかからなくてはいけないのだろう」「私に責任があるのではないか」…などと思い詰め、自分を責めていたというさくらさん。精神的に不安定になり、外出中に立っていられなくなるということも。

まわりの言葉は全く耳に入らず、心に届くこともなく、夫の悠太さんとも溝があるように感じていました。

さくらさんはどこにぶつけたら良いのか分からない憤りを、紙に書き出してみることもあったのだそうです。

「なんでマコなの?私が罰当たりなことをしたのかな。ごめんね」という申し訳なさ、「障害のある子を育てるほど自分の器量は大きくない」という不安、「街で健常者の親子を見るのがつらい」という本音まで。書く作業をすることで、自分が何に囚われているのかを可視化できた、とさくらさんは振り返ります。

また、友人に話を聞いてもらったり、カウンセラーを頼ったりしたこともありました。

思いを聞いてもらうなかで、もともと自分はポジティブで楽観的だと思っていたけれど、イライラしてしまったり、つらくて涙が止まらなくなったり、人と会うのがしんどくなったり、自分の中にも様々な自分がいるのだとわかったそう。

さくらさんはそうして、自分の心を少しでも回復させるためにいろいろな方法を試しながら、つらい時期を過ごしてきたのです。

今までできていたことが、できなくなる。福山型先天性筋ジストロフィーとともに生きる日々

【写真】座ってマコさんを抱きよせているさくらさん

「筋ジストロフィーの疑い」と診断されたマコさんは、その後別の病院での検査入院を経て「福山型先天性筋ジストロフィー」と確定診断を受けました。

福山型先天性筋ジストロフィーは筋ジストロフィーの病型の中でも症状が重く、乳児期から全身の筋力の低下があり体重が増えない、発育が遅れるといった症状がある他、知的障害や目の異常などを合併することもあります。

つまり、筋肉と脳の病気だと言われました。現在は治療薬が確立されていないので、筋力は落ちる一方です。治る病気ではない、進行する一方だと聞いたときには絶望しました。でも同時に主治医がかけてくれた「心は成長し続けます」という言葉に励まされたんです。その言葉の通りに、今もマコの心はどんどん成長しています。

生後3ヶ月の時点で首が座っていなかったマコさんですが、その後1歳のときに首が座るようになりました。2歳になるとお座りができるようになり、3歳にはお座りしたままくるくる回れるように。その後、車いす椅子を手に入れたマコさんは、家のなかで鬼ごっこやかくれんぼをしたり、帰ってきた家族を玄関まで迎えにでたり、車いす椅子で自由に動き回っていました。

そうしたマコさんの成長を、家族を始めとするマコさんを支えてくれる人たちは喜び合いました。

でも、筋ジストロフィーは、成長とともにできるようになったことが、さらに年齢を重ねるにつれ筋力の低下とともにできなくなる病気です。

マコさんの場合は、小学校低学年くらいから筋力の低下が出てきました。それまでは手を上げたり、太鼓を叩いたりもできましたが、だんだんとできなくなっていったのです。

2019年、小学5年生の時にマコさんは胃ろう *を増設。口から食べつつも胃ろうからも注入して栄養をとっていますが、今後呼吸器などを使っていくことや、気管切開なども視野に入っているといいます。

*胃ろうとは、口から食事をすることが難しい症状がある場合に行う医療装置のこと。手術によって腹部に小さな穴を開け、そこにカテーテル(チューブ)を通して栄養剤を注入し栄養を補給します。

「以前までできていたことが、できなくなる」

この事実に対しては、マコさん自身も、ケアをする家族も葛藤を抱えているのだといいます。

たとえば、これまでは自分で食べていたのにできなくなって、マコもイライラしているようです。でもまわりが食べさせてくれるって分かるとそれに順応するし、本人もなんとか工夫をしています。

以前は座ることができましたが、今はリクライニングで体を倒して過ごさないといけないのも嫌みたいで、「(前が)見えない!見えない!」と怒っていました。マコはちゃんと主張をして、自分のなかに感情を閉じ込めないタイプなんだと思います。

そんなマコさんの日常を、親であるさくらさんと悠太さん、それぞれの家族やヘルパーさんなど、多くのひとたちが支えています。

【写真】バギーに座るマコさんを後ろから笑顔で抱きしめるさくらさん

かつては距離を感じていたパートナーとの関係。今は対話を通して、心地よい着地点を見つける

さくらさんと悠太さんは、結婚当初からなんでもよく話し合う夫婦でした。でも、マコさんの障害が分かってからしばらくの間は、互いに胸の内を見せられなくなっていたそうです。

もちろん長女もマコもいるし、日常生活を送らなければいけないので話はするんですけど、マコの障害について掘り下げて話すことができませんでした。

夫はマコの障害を告げられたその次の日から会社に行っていたし、夜もしっかり眠れているようだったし…当時の私には、まったく平気そうに見えていたんです。私ばかり不安に駆られているようで、温度差を感じて孤独でした。

でも、時間が経ってからさくらさんが悠太さんに確認すると、当時のことはあまり覚えていないほど悠太さんもショックを受けていたことがわかったのです。

「今までの人生のなかで『解決策がない』ということがほとんどなかったから、治療法がない、解決策がない、ということに直面して、どうしたらいいかわからなかった」と悠太さんは語りました。

同じ家に暮らし、同じようにマコさんを想っていても、気持ちがすれ違ってしまうことについて、さくらさんはこう振り返ります。

当時の私は憶測で夫の気持ちを決めつけて、勝手に寂しがっていたんですよね。相手がどう考えているのか確認もしないで、きっとこうに違いないって。ちゃんと話して、夫の考えや気持ちを確認するべきでした。これは憶測なのか、それとも真実なのかって整理をすることはとても大切だと思っています。

相手が本当は何を思っているのか、何を考えているのか。それを知るには会話ではなく、対話が必要だと話すさくらさん。

会話は相手が誰であってもできるコミュニケーションで、ただ話すだけで成り立つ。でも、対話は、相手への信頼感を持って、考えが違う場合でも、それを受け入れ認め合いながら理解を深めていくこと、だとさくらさんは考えているそうです。

【写真】ゆうたさん、マコさん、さくらさん親子が公園で笑顔でこちらを見ている


悠太さん、マコさん、さくらさん親子のお出かけの様子(提供写真)

今の二人は、対話を重ねて子育てをする日常生活を送っています。

夫婦で協力しあって子育てをしているか…といえば、小競り合いばっかりなんですけど(笑)、曜日ごとでやることを分けたりしながら工夫してやっています。

これまでは、深夜のマコさんの体位交換を行っていたのはさくらさんでした。夫の悠太さんも一緒の部屋で寝たいと言っていたものの、当時はマコさんが悠太さんのいびきがうるさいという理由で「あっちいけ!」と追い出してしまったのだとか。

ですが、さくらさんがインフルエンザに罹患し、マコさんと離れて一人で寝たときに、一晩しっかり寝ることの大切さに気付いたのだとか。また、マコさんがさくらさんと別々に寝ても大丈夫な様子だったことから、マコさんと一緒に寝るのも曜日交代制になったといいます。

夫には、自分としてこれは譲れないっていう主張はしっかりするようにしています。そのうえでしっかり話し合うようにしているんです。なるべく我慢はしないように。我慢し続けているとやっぱりいつかは爆発しちゃうので。

現在は、お互いに仕事やプライベートの時間が取れるように、送り迎えなどは曜日ごとに分担しながらマコさんのケアをしているそうです。

今はそれが効率的なやり方だそうですが、今後誰かの生活スタイルが変わればまた変えていく必要が出てくるでしょう。そのたびに、対話をしながら心地よい着地点を見つけていきたい、とさくらさんは話します。

まわりの人が言葉だけではなく、行動で「頼ってもいい」と示してくれた

【写真】さくらさんのお姉さんがバギーに乗ったマコさんに付き添っている

駆けつけたさくらさんのお姉さんと、マコさんがともに過ごしている様子

マコさんの子育てやケアに関わっているのは夫婦二人だけではありません。

さくらさんの家族、悠太さんの家族はマコさんの障害が発覚した直後からいつも心を寄せてくれているといいます。

マコの障害が分かってすぐに、私の父がかけてくれた「ぼくたちが、君たちのことを守るから」という言葉が心の支えになりました。ぼくたち、というのは父だけではなくて、母や私の姉妹が含まれていて、君たちというのは、マコや私だけではなく、夫や長女のことも含まれていると思うんです。

そんな“じいじ”は、マコさんと二人でお出かけをするほど、マコさんを可愛がってくれて、マコさんもじいじが大好きなのだそう。

また、心配してくれるさくらさんのお姉さんを頼り、マコさんの障害が分かってすぐに、さくらさん一家はお姉さんが住む家の近くに引っ越しをしました。

早い段階で自分たちだけでは子育ては無理だとわかったので、周りを頼ることの葛藤みたいなものはあまりありませんでした。父や母、姉、義父や義母が、言葉だけではなく「頼っても大丈夫」というのをさりげなく行動で表してくれたので、そう考えられたのだと思います。

もちろん、支えてくれたのは家族だけではなく、友人に話を聞いてもらうこともあったといいます。でも、そんなときは無意識に人を選んで話していたそう。相手が「対話ができるかどうか」が基準だったかもしれない、とさくらさんは振り返ります。

友人に気を遣われると、さくらさんの方が申し訳なくなって、なかなか気持ちを話すことができなくなってしまうこともありました。

マコの障害がわかって気持ちがどん底まで落ちていたときは、誰かの優しい言葉もまったく耳に入ってきませんでした。もちろん言葉をかけてくれるのはありがたいのですが、「いつでも話を聞くからね」とか「あなたの味方だよ」と言って、少し離れて見守ってくれるスタンスの関わり方が、私は嬉しかったかなと思います。

長女とのコミュニケーションの前提は互いの“余裕”。幼少期は言葉にならない気持ちを共に探すことも

【写真】インタビューに答えるさくらさん

病気や障害のある人の兄弟姉妹のことを「きょうだい」、特に子どもであれば「きょうだい児」と呼ぶことがあります。きょうだいは、成長のなかで不安や寂しさ、悲しみ、罪悪感、プレッシャーといった、様々な感情を抱きやすいといわれています。

その背景には、病気や障害のある子どものケアに、親の時間やエネルギーが必要とされるため、きょうだいが早くから周囲を気遣ったり、家族をサポートする役割を自然と引き受けたりする場合が多いという事情があります。そのような環境の中で、きょうだいならではの悩みや戸惑いが生まれることが多いのです。

近年では、少しずつきょうだい自身の気持ちや体験にも目を向けた支援活動が広がってきていました。

たとえ似た環境だとしても、きょうだい一人ひとりの感じ方、考え方は違いますし、状況とともに変化していきます。きょうだいが周囲からの「こうあるべき」といった期待に縛られずに、安心して自分自身でいられるようサポートすることの大切さが伝えられ始めています。

さくらさん自身、“きょうだい”へのケアの大切さを知っていたため、マコさんの障害が分かったときに抱いた心配のひとつが、マコさんのお姉さんである長女のことでした。

当時、お姉さんはまだ2歳。さくらさんと悠太さんがマコさんの治療に付き添うときは、おじいちゃんやおばあちゃんの家、親戚の家で過ごすことも少なくありませんでした。「マコちゃんだけ抱っこされてずるい」などと言うこともあったのです。

そのときのさくらさんは、“憶測と想像”で「長女が寂しい思いをしているのだろうな」と心配していたそうです。

お姉さんは現在高校生になり、そのときの気持ちを答え合わせできるような年齢に成長しました。

私への気遣いもあるかもしれないですが、長女は「おばあちゃんち、結構楽しかったよ」って言ってくれています。もちろん気を張っている部分はあったし、我慢もある程度はしていたでしょうけど…。でも、姉の家には少し年が上のいとこもいたので、本当に楽しく過ごせていた面もあったのだなと思っています。

マコさんの障害がわかってどん底にいた時期も、お姉さんさんの冗談に思わず笑ってしまうような瞬間があったそう。マコさんの「福山型先天性筋ジストロフィー」という病名について、「福と金とトロフィーがついているから最強だね!」と話したこともありました。

“世界から色が失われた”と感じていたさくらさんですが、お姉さんのおかげもあって少しずつ世界の色が戻ってきたのだといいます。

【写真】インタビューに答えるさくらさん

もちろん良いエピソードだけではありませんよ。「マコちゃんのこと、大っ嫌い」って言う時期だってありました。そういうときに長女とコミュニケーションを取る上で大前提なのは、私自身が穏やかな気持ちでいるということです。すごく忙しかったり、何かに追われているときにもきちんとやりとりができているかといえば、そんなことはありません。

長女がマコのことを悪く言うとき、それが本心からなのか、自分にかまってほしいからなのかを見るようにしています。これは表情や目でわかることも多いですし、それが起こる前にどんなことがあったのか、文脈も考えます。

小さい頃なら「えんえんしたい気持ちなの?」「寂しかった?」と私が言葉にして彼女の本当の気持ちを一緒に探したし、ある程度大きくなってからは「いまどういう気持ちなの?」と言葉にしてもらうようにしていました。

お姉さんさんが小学校高学年から中学生の頃、学校で疲れていっぱいいっぱいになって家に帰ってくると、マコさんに対してネガティブな言葉を言ってしまう時期もあったそうです。でも、「マコちゃん、かわいい!」と言って自ら抱きついていくような時期もありました。

客観的に見ていても、マコは全く変わらないんです。そのマコに対して長女がとげとげした発言をするときは、長女自身に心の余裕がないとき。だから積極的に長女の心のケアをしなくてはと思うようにしています。

障害のあるきょうだいを持つ人のなかには、きっと葛藤があるのだろうと思います。常に優しくできるわけではないし、そうできなくたってあたりまえ。何よりも、自分自身の気持ちを大切にすることが必要だと思います。

長女には長女の居心地の良さを大切にしてほしいので、一緒にでかけるときは長女の方から一緒に行きたいというときだけにしています。マコと外出すると、車いす椅子に乗っているし、突然大きな声を出したりするので人の目を集めやすくて、長女は注目を浴びることが気になっていたようなので。

今はすごく仲が良くて「マコちゃん、かわいい〜!」「大好き〜!」って抱きついています(笑)。変わったのはマコではなくて、長女の方。きっと余裕が出てきたのではないかなと思っているところです。

体が動かなくても夢を実現していくマコさん。その姿を原動力に自分の人生も輝かせる

【写真】綺麗な青の海辺の砂浜で、さくらさんがマコさんを抱っこして歩いている

さくらさんとマコさんが海へお出かけした時の様子(提供写真)

現在15歳になったマコさんは、障害を告げられた時にお医者さんが言っていた通り、歩くことはできません。そして、小学校の低学年頃から筋力が落ち、今は背もたれを倒すリクライニングした状態で過ごすことが多くなっています。

それでも「あそこに行きたい」「乗り物に乗りたい」「あれが食べたい」など、自分のやりたいことを次々に叶えているのです。

そして、母であるさくらさんも、今は自身の夢をひとつずつ叶えているのだといいます。

マコさんの障害が分かった頃、さくらさんは「これから私の人生すべてを子どもに捧げなければ」と考えていました。でも、そんなときに思い出したのが、お姉さんである長女を出産後に受講した親子のコミュニケーションプログラムで出会った「親は親の人生を、子どもは子どもの人生を」という考え方。

マコの人生と私の人生は別物だということを、最初は忘れていました。私は勝手に障害のあるマコを育てる母親という十字架を背負おうとしていたんだって気づいたら、マコに対してすごく申し訳なくなってきて。

マコは言葉で「お母さん、それは違うよ」とは言わないけど、自分がマコの立場になって考えてみたんです。「お母さんが自分のせいで人生に制限をしている」って想像したら、すごい嫌だなって。マコはそんなことは望んでいないだろうと、穏やかな彼女の表情をみながら思いました。

だから、マコの障害を言い訳にして自分の人生をあきらめたり、卑下したりするのをやめよう、私は私で楽しもうと決めました。

【写真】バギーに乗ってカメラを見ているマコさん

自分の人生を諦めない。そう決めてからこれまで、さくらさんは一人でフランスへ行ったりオーロラを観に行ったりと、自分自身のやりたいことを叶え人生を謳歌しています。

とはいえ、自分のやりたいことをやるのにも大きなパワーが必要です。「その原動力はどこから来ているんですか?」という質問に、さくらさんはマコさんを指差して答えました。

マコが限りある言葉のなかで、発信して、夢を実現していっている姿を見て影響を受けているところはあると思います。体が動かなくてもこんなにやりたいことを実現しているんだから、体が動く私はなおさら実現できるはずじゃんって。

置かれている状況は違えど、周囲の人の目を気にしたり、「こう思われているのではいか」と考えてしまいやりたいことができない人も多いのではないか、とさくらさんは話します。

私の場合は周りの目を気にすることはなかったんです、だって、その人は何か言ったとしても私を助けてくれるわけではないから。でも普段から助けてくれる家族やマコのケアをしてくれる人たちのことは気になっていました。自分がやりたいことをやるってなったら、迷惑をかけちゃうかもという思いもあったんです。

もしも私のまわりの人たちが、私の行きたいところがあっても「行くべきじゃないよ」って言っていたら、行っていなかったかもしれません。でも「行っておいで」と送り出してくれたから救われました。

いろいろな人の目が気になるという場合でも、同調圧力を感じて思い込んでしまっていないか、「そんな夢叶うわけない」って声を発する自分の中のドリームキラーがいないかなって思っていて。実際に誰かに何か言われたわけでなくても、自分の憶測に従ってしまったりするんですよね。ただ、やりたいことがあるんだったら、自分の気持ちを一番大切に一歩を踏み出してほしいなと思います。

可能性を見つけるために必要なのは、出会いと情報。マコさんが18歳になったら子離れ、親離れの体験を進めたい

【写真】バギーに乗ったマコさんさんを優しい目で見つめるさくらさん

マコさんは、今年の春で高校生になりました。さくらさんは支援学校の先生とともに、高校卒業後の進路について相談を重ねています。

中1の段階で「高校を卒業したらどうしますか?」と進路の相談が始まり、その時期の早さにさくらさんも最初は驚いたそう。ですが、障害のある人の高校卒業後の進路の選択肢が少ないため、早い段階で将来を考える必要があるのだろう、とさくらさんは考えています。

障害のある人が高校を卒業すると、ほとんどの人が生活介護を受けて暮らすことになり、それ以外の選択肢は少ないのだといいます。

生活介護とは、障害者福祉サービスのひとつで、障害者支援施設への通所により、食事、入浴、排泄などの身体介護や生活支援などを受けることができます。

生活介護にすんなり進めたとしても、14時から15時頃に帰ってくるので、ケアする親は仕事ができなくなってしまうという課題もありますし、そもそも入所できる施設の空きがなく生活介護にも入れない場合もあります。

だから今、いろいろな可能性を検討している最中なんです。マコは人が好きで、いろいろな人と暮らすことがストレスにならないタイプだと思うので、複数人で共同生活するグループホームも選択肢のひとつ。シェアハウスや、複数人のヘルパーさんについてもらったうえでの一人暮らしも、もしかしたら可能なんじゃないかって思っているんです。

マコさんのキャラクターと好きそうなものを掛け合わせながら、既存のサービスに囚われず、様々な選択肢を持って早めにトライする。もし合わなかったら次の選択肢を試してみる。そんな柔軟さを忘れずにいたい、とさくらさんは話します。

「選択肢がこれだけしかない」って考えると、合わなかったときに身動きが取れなくなってしまうと思うんです。マコだけの問題ではなく、親側の体力を考えることも必要です。だから18歳になるあたりから、いろいろな親離れ、子離れの体験をしていきたいですね。

一般的には、高校・大学卒業のタイミングで「働く」という選択をせざるを得ないことが多い。だけど、障害があるマコは、ある意味で世間から働くことを絶対の条件として求められないんですよね。そうすると逆に、何でもありじゃんと思うようにもなって。私としては、マコは働いてもいいし働かなくてもいい。だったら一緒に世界一周旅行とかに行っちゃおうかなとも思っています(笑)。

そう明るく語るさくらさんですが、障害のある若者の選択肢の少なさについてはずっと考えを巡らせてきました。圧倒的に情報が少なく、その少ない情報に振り回されるということは、さくらさん自身も経験済みです。

それを打破するのは、人との出会い、そして情報を得て選択する機会をつくることだといいます。

空回りしているときってだいたい情報に振り回されているとき。そしたら、何が自分にとって必要な情報なのかを整理する時間を取るのが良いですよね。それを取捨選択することが大事だと思います。でも、そんなのも子育てに翻弄されていたら無理なわけで。

忙しいなかで考えを整理したり、自分の考えを客観視したり、自分の人生をデザインするなんて無理。そんなに人間できてないです。だからやっぱり「自分の時間って大切」ってところになるし、それを捻出するためにも、パートナーやまわりの人との協力が大切になってくるのかなと思います。

さくらさん自身、いろいろな出会いに影響を受けながら今があるといいます。たとえば家にいながら働く方法として分身ロボット「OriHime」があると知ったこと、デンマークを訪れたときに、重度の障害がありながらも24時間ヘルパーとともに一人暮らしをしている青年と知り合ったこと、病気や障害のある兄弟(姉妹)を持つ子どもを指す「きょうだい児」という言葉がまだ世の中に浸透していなかった十数年前に、きょうだい児のために活動するNPO法人「しぶたね」に出会ったことなどは、さくらさんの著書『障害のある子が生まれても。』でも紹介をしています。

そんなふうに、自分の固定概念のなかだけで生きていたら知り得ない多くのことを知り、本当は“ある”可能性に気付くことができれば、未来は変わっていくのです。

偏見や差別はそれぞれの心の中の問題。誰でも平和な世界に生きることができる

【写真】話をしているさくらさん

マコさんの障害がわかり、受け入れていく過程のなかで、さくらさんのなかに社会に対して「障害を理解してほしい」「偏見をなくしたい」という気持ちが渦巻いていたときもありました。でも今、さくらさんはそんな風に強く感じてはいないのだそうです。

偏見って複雑だなと思うんです。たとえば障害がある人の対象物がマコだとして、「障害のある人はかわいそう」「きっとこうに違いない」という偏見を持っている人は、マコを対象物にして、その人の中にあるものを投影してるだけじゃないかと感じます。その人が抱えている課題を目の前にいる人に投影していて、対象がたまたまマコだっただけ。でも、マコはマコでその人が持っているイメージとは全然違う世界を見ているんですよね。

だから問題の種は対象物ではなくて、発する側にある。それが障害者だったり、自分とは違う人種の人だったり、とにかくいろいろなものに投影してしまうのかもしれない。そしてそれが「偏見」と呼ばれるものになるのかなと私は思っています。

同じ空間にいても、その人が投影してるものによって、全く違う景色が見えているだけで。「自分で見てる世界って本当なのかな」って常識を疑わないと、自分の偏見に気づけないなって思います。

偏見を持っている人は、その人自身で自分を変えないと偏見がなくなることはない。言い換えると、外部からの働きで偏見はなくならないということです。だとすると、偏見のない平和な世界で生きることはものすごく難しいことのように思えてきました。

なぜなら、誰かを変えることができないのなら、その誰かが持っている偏見は永遠になくなることがないからです。

気付いた人が自分のなかの偏見を消していくプロセスしか存在しない、ということでもありますが、誰かにコントロールされるものではないと考えると逆に自由なんです。たとえば、マコは寝たきりだけど、やりたいことを意思表示して、周りと一緒に実現して、「楽しかった〜」といって寝付く時もあるくらい、人生を楽しんで生きている。私から見ると、偏見がない平和で幸せな世界を生きているんですよね。

さくらさんもマコさんが生まれる前、身体に障害がある子どもに出会い、「この子は幸せなのだろうか」と考えたことがあったと言います。でも、家族からの愛情を目一杯受けてとても満ち足りた表情をしていたことから、その子が幸せを感じていることを実感したのだそう。

その瞬間に、「障害や病気があることはかわいそう」という偏見が自分のなかにあったことに気付いたのです。また、同じような病気や障害があったとしても、世界の捉え方は人それぞれだということもわかりました。

まだまだ私のなかにも偏見はたくさんあると思います。でも、いろんな人と出会って、いろんな人の考えに触れて、「あ、そんな考え方あるんだ」「そんな視点で物事見れるんだ」と発見するのがすごく好きで。これを繰り返して偏見や差別を自分の中でなくせば、私に映る世界には偏見や差別がなくなるんじゃないかって信じています。

かつては、まわりにもっと障害を理解してもらって、マコがより良く生きられる社会をつくりたい、と壮大なことを思い描いていたんです。まわりが変わったらマコが幸せになれるって。

でもまわりに関わらず、マコはマコで幸せそうに生きているんですよ。だから、他のみんな、誰もがみんな好きに心地良く生きられたら良いなと考えるようになりました。世界平和は壮大だけど、個人の平和は今から実現可能です!

【写真】バギーに乗ったマコさんに頬を寄せるさくらさん

この文章を書いている私自身は、明らかな差別や偏見には声を上げて、変化を促すべきだと思います。

でも、もしもその人のなかの弱さや傷つきが、他者への差別や偏見として表に出ているのだとしたら。そして、それがまだ別の誰かを傷つけているのだとしたら。その循環を止められるのは自分自身なのかもしれない、とふと思いました。

弱さや傷つきに気付いて、自分自身を変えること。自分が見えている世界を大切にすること。それができるのは自分だけなのだと感じ、私のなかの私の世界が少し変わったような気がしました。

ただ、さくらさん自身、マコさんの障害が分かったばかりで絶望のなかにいたときは、今のように考えられるようになるとは思いもしなかったのです。だから、今つらい立場にある人は、周囲に頼ってほしいとさくらさんは話します。

今まさにつらい渦中にいる人はそうは思えないとわかっているのですが、でも伝えたいです。「あなたは一人じゃないよ」って。私自身も孤独で一人ぼっちだなと思っていたときがあったので…。

こういう人に出会いたい、話を聞いてもらいたい、と思ったら、必ずそういう人が現れるんです。だから、「こういうことで困っている」ってまずは発信することが大事だと思います。あらゆる方法で声を出し続けてほしいです。

もしつらい状況にある人がいたら、「いつでも聞くよ」と支えられる自分でいるために

さくらさんにお話を聞くなかで、けっしてさくらさんやマコさんが“特別な人”ではないと知りました。マコさんの障害が分かったときには、世界から色がなくなったように感じ、つらい気持ちを抱えてきたさくらさん。

暗闇のなかで、小さな光を集めることができたのは、たとえばノートに思いを書き綴ったり、“対話ができる人”に話を聞いてもらったり、いろいろな人と出会い新しい世界を知ったりと工夫を重ねてきたから。そして今回聞ききれなかったことも含め、さまざまなプロセスがあったからなのだと感じました。

世の中にはそのつらさから逃げることができるときもあれば、向き合い続けなければいけないつらさもあると思います。私自身も、抱えきれないつらさを感じることがあったら、きちんと自分の想いを発して、そして、自分なりの方法を探しながら光を見つけられる人間でありたいと思います。

そして、誰かのつらさにも“寄り添える人”でありたい。

もしも、障害や病気、その他のどんな理由でもつらい状況にいる人がいたとしたら「いつでも聞くよ」と、誰かの心を少しでも支えられるように。

そんなことを思いながら、私たちはさくらさんとマコさんに手を振って、お家をあとにしたのです。

【写真】さくらさん、マコさん、ライターのあきさだが並んでこちらを見ている

関連情報:
加藤さくらさん オフィシャルブログ Instagram
著書 『障害のある子が生まれても。

(撮影/松本綾香、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香)