【写真】介助付きコミュニケーションで、指でみちこさんの手に言葉を書くひでのりさんと、読み取って通訳するみちこさん

つらい出来事に遭って混乱しているときに、「誰かに私の話を聞いてほしい」という想いが自分のなかをかけめぐったことがあります。誰にも理解されないのかもしれないと、孤独を感じる時間でした。

じっくりと話を聞いてもらうと、とてもほっとします。想いを受け止めてもらうとき、私自身がここにいることを許されていると感じられる。話を聞いてもらうことは、存在そのものを受け入れてもらえることだと思うのです。

最近、「NPO法人こつこつ(以下、こつこつ)」という団体に出会いました。重度障害や難病があり、話すことが難しい人たちのコミュニケーションや社会参加を支える活動を行っている団体です。

こつこつは話すことが難しい当事者が、介助者の身体的なサポート(指筆談、文字盤、顔談など)によって、自らの言葉や意思を紡ぎ出す「介助付きコミュニケーション方法」を実践し、広げています。

こつこつのホームページには、こつこつの理事で、ご自身が難病当事者である里見英則さんの言葉が書かれています。

人間として生きて生きながらえるだけではなく、ひとりの人間として生きたい。ぬいぐるみのような生き方に沈黙させられるのではなく、人間として誇りを持って生きていきたい。

この言葉を読んだとき、胸が震えるのを感じました。自分の想いを伝えられない、言葉を紡げない苦しみは、言葉を発することができた私にとって、いくら想像しても足りません。

そして、これまで言葉が無いと思われていた当事者の皆さんが想いを受け止めてもらえたときの喜びは、どれほどのものなのでしょうか。当事者のみなさんの言葉を聞きたい。そんな想いを胸に、こつこつが主宰するイベントに伺いました。

【写真】部屋の入口に、OPENの看板と、「こつこつカフェ」と書かれている

東京・新宿区にある新宿NPO協働推進センターの一角で、こつこつが主催する「こつこつカフェ」が月に10回ほど開かれています。こつこつカフェは、障害がある人もない人も参加し、交流することができる場です。

少し緊張しながら部屋の扉を開けると「こんにちは」と、スタッフの方があたたかく声をかけてくれます。

集まっていたのは、重度障害や難病のある当事者の方々、その家族、そしてこつこつを通じて関わる支援者やスタッフたち。10人ほどがテーブルを囲み、会話をしていました。

ある当事者の方は、支援者の手のひらに指で文字を書き、支援者はそれを言葉にして、合っているかどうかを尋ねます。文字盤を指さしたり、電子メモに文字を書くことを介助してもらって言葉を伝える当事者も。それぞれのやり方で、人と人が繋がる時間が流れています。

こつこつの理事長を務める浅見好香さんは、活動についてこのように語ってくれました。

【写真】インタビューを受けるあさみさん

浅見さん:重度障害があると、コミュニケーションができない、言葉がないと思われがちですが、方法を見つければ、人は必ず意思を伝えることができると信じています。

こつこつの活動は、重度障害を抱える当事者の里見英則さんと、母である里見見千子さんが介助付きコミュニケーション方法に出会ったことから始まりました。

障害や難病のある人たちが、自分の言葉を伝えるためにはどのようなコミュニケーションが必要なのか。そして、「言葉を紡ぐ」という営みは、人が人として生きるうえでどのような意味を持つのか。

こつこつのこれまでの歩みや活動内容、そして目指す未来について、お話を伺いました。

「いつか言葉を話せると思っていた」介助付きコミュニケーションに出会うまで

【写真】ひでのりさんとみちこさん。ひでのりさんはみちこさんの手に指で文字を書いている

「お話を聞かせてください、よろしくお願いします」と私が伝えると、英則さんは見千子さんの手のひらに指で文字を書き、それを受け取った見千子さんが「よろしくお願いします」と何を書かれたのか教えてくれます。こつこつで「指談」と呼ばれるコミュニケーション方法で、英則さんのお話を伺いました。

英則さんには、歌舞伎症候群と呼ばれる先天性疾患があり、自分の意思とは違う身体の動きをしてしまったり、思い通りに体が動きません。インタビューの最中にも、大きな声が出てしまう瞬間もありました。

歌舞伎症候群とは*
歌舞伎症候群は遺伝子変異によって生じると考えられており、下眼瞼外側1/3の外反や切れ長の眼裂、弓状眉、扁平な鼻尖、大きな耳介などの特徴的な顔貌がみられます。指先の膨らみ(指尖パッド)も特徴の1つです。
また、知的発達の遅れ、骨格異常(側弯など)、反復性中耳炎や難聴、心奇形、口唇裂・口蓋裂、けいれん、内分泌異常、発達特性などを伴うことがあります。

お話は、見千子さんが英則さんを出産したときのことから始まります。

見千子さん:産婦人科のベッドで英則に出会ったときは、とても嬉しかったです。でも退院するときに『心臓の病気があり、脳も水頭症の一種だと思う』と先生に言われて、検査が進んでいくうちに『成長するかどうかわかりません』と言われてしまったんです。ショックでした。

生まれつき心臓が弱かった英則さんは、「心臓に負担がかかるので20分以上泣かせてはいけない」と医師に言われたのだそう。見千子さんはなるべく英則さんの体に負担をかけないよう、常に気を配りながら子育てをする必要がありました。

見千子さん:泣き止まなくて『もう駄目だ』と病院に電話したことも、何度もあります。母乳の飲みもよくなくて、少し飲んだだけでもすごく喜んでいましたね。今思うと能天気な部分もあったんでしょうね。1人目で子育ての常識がわからなかったからこそ、一生懸命向き合って育てることができたんだと思います。

【写真】手振りを交えながら話すみちこさん

英則さんは3歳になっても言葉を発語することはありませんでした。それでも見千子さんは絵本を読んだり、声掛けなどをしながら、一生懸命育ててきました。

英則さんに「言葉が伝えられなかった時期、困っていたことはありますか?」と聞くと、「そんなことはないですよ」と答えます。

英則さん:その時は今のように「この方法」を知らなかったのだけど、いつか話せるようになると思っていたから困っていませんでした。おばあちゃんもそう言ってくれたんですが、本当に話せるようになったんです。

弟とも仲良くしていました。僕がビデオを見ているときに、弟はテレビゲームしたくなると「ひでちゃん、テレビを使っていい?」と聞く。「いいよ」という意味で僕が手を出すと、僕の好きなゲームを選んでやってくれる。それを見て楽しんでいました。

「色んな人に関わってほしい」という見千子さんの想いから、障害者の通所施設「新宿区立あゆみの家」から、近くの保育園にも遊びに行って過ごしていたという英則さん。

小学生になると、当時珍しかった副籍制度を利用し居住地校交流という形で新宿区立新宿養護学校と、居住地の小学校に通っていました。

*副籍制度とは、都立特別支援学校の小・中学部に在籍する児童・生徒が、居住地域の区市町村立小・中学校(地域指定校)にも副次的な籍(副籍)を置き、直接的・間接的な交流を通じて地域とのつながりを維持・継続する制度です。

【写真】指で文字を書くひでのりさん

英則さん:あゆみの家では、絵本を読んだり音楽があったり、楽しく過ごしました。でも小学校に行った時に、『僕にはできないことがあるんだ』と分かりました。

僕は人と比べるとできないことがあります。それでも一緒にやってくれるお友達がいるから楽しくて、つらい経験はなかったかもしれません。こつこつに来る人は、よいことを探して生きる人が多いのですが、僕もそうなのかもしれないです。

その後も、鉛筆を手に持ちプリントに向かったり、運動会のリレーでは先生と一緒にゴールを目指したり。また養護学校でも、通常学級から赴任してきた先生と一緒に応援団長としてリズムに合わせて太鼓を叩き、プールでも浮力を利用して歩くなど、英則さんはさまざまなことを楽しんできました。

目の前に光が射した気がした。介助付きコミュニケーションに出会ったときのこと

英則さんが18歳の時に、介助付きコミュニケーションとの出会いを果たします。それは、親子の暮らしを大きく変化させる出来事でした。

【写真】みちこさんの顔を見つめるひでのりさん

見千子さん:特別支援学校の保護者で居場所づくりの仲間から、『言葉がわかる先生がいるのよ。ひでくんもやってもらいなよ』と、柴田保之先生の個別相談会に誘われたんです。でも最初は『うちの英則は、“はい”も”いいえ”も言えなくて言葉がないから無理よ』と断ったんです。

國學院大學柴田保之教授は、重度・重複障害児の教育、知的障害者の社会教育を研究されています。

障害により言語での意思表出が難しい方でも、簡単なスイッチ機器とパソコンのワープロソフトを組み合わせた機械や、字を書こうとする微かな指の動きを手がかりとした筆談を用いたコミュニケーションの研究を重ねていました。

実は柴田先生は英則さんが通っていた特別支援学校にも来たことがあり、先生のサポートにより言葉を伝えられるようになった後輩もいました。しかし英則さんの障害が重いため、対象外ではないかと思われていて、当時は参加することができなかったのです。

半信半疑ながら、見千子さんは英則さんを連れて柴田先生の個別相談会に向かうことにしました。英則さんの高校卒業後に通う施設に迷っており「聞けるのであれば、どちらに行きたいか意思を聞いてもらおう」と思ったのです。

【写真】指で文字を書くひでのりさんの手と、みちこさんの手

個別相談会で起こった出来事を、「衝撃的だった」と2人は話します。

英則さん:僕の前の順番の子が先生とパソコンを使って話をしていたのを見ていて、僕も話せると思ったんです。 僕の番になって、先生が僕の手を持って、機械と一緒に動かして、文字を一つ一つ拾い上げて僕の気持ちを言葉にしてくれた。目の前に、光が射したような感じがしました。

しかし、それを見ていた見千子さんは、最初は英則さんの言葉だと信じられず、受け止めることが難しかったと言います。

見千子さん:何をやっているのかわからなかったんです。柴田先生が「お母さんに言いたいことある?」と聞いて、英則は「ありがとう」って言った。普通なら感動するところなのに、私はそれをみて正直なところ「気持ち悪い」って思っちゃって。なんでこの先生は息子の手を取って「ありがとう」と言わせているのだろうと。

しかし、進路の希望を聞いたときの「どっちでもいいんだけど、小さい頃に通っていた園の方がいいかな」という答えに、見千子さんは英則さんの言葉だと確信します。

見千子さん:先生は幼い頃に通っていた園を知らないので、本人の言葉なんだなと衝撃を受けました。「これまで全部私の言葉わかっていたの!?」って。「どこで言葉を覚えたの?」と聞くと「絵本で教えてくれたし、お風呂にも貼ってあったから」と答えてくれて。たしかにそうだった、弟と一緒にやっていたなと思って。

英則さん自身も、自分の言葉が伝わることに大きな驚きを感じたそうです。

英則さん:雷に打たれた感じです。 お母さんがなかなか信じてくれないこともわかっていたから、諦めずに「“この方法”を使いたい」と先生に言いました。お母さんに指談の練習をしてもらえるように、先生から頼んでもらおうと思ったからです。

言葉が無いと思っていた英則さんに、言葉がある。そのことを知った見千子さんは衝撃と葛藤のなかで地に足がつかない状態で電車に乗り、家に帰りました。

時には、嫌になってしまうことも。介助付きコミュニケーションを身につける試行錯誤

英則さんには言葉があり、周囲のサポートさえあればその言葉を表出させることができる。

見千子さんは決心をして、柴田先生から教わった方法で英則さんとコミュニケーションできるように練習を始めました。それは、長い長い試行錯誤の連続の日々だったといいます。

【写真】左から並んで座るヘルパーのなかむらさん、ひでのりさん、みちこさん

英則さんの通訳をサポートしてくれたのは、ヘルパーの中邨さん。英則さんの担当を長い間しているため、とてもスムーズにやりとりをしてくれました

見千子さん:柴田先生が「小学校の時の教科書を読んだらいいよ」と教えてくれて、見様見真似で英則が教科書の文字を読んで私の手に書いて、私がそれを通訳してみたんです。でも先生がやってるようにはうまくいかない。

英則さん:柴田先生となら話ができるけど、お母さんとでは話ができないことがわかって、愕然としたんですよ。どうやったらこの母と話ができるようになるか、試行錯誤でした。

指談は、文字を書こうとする動きを指先に感じることで言葉を読み取ります。

私も指談を体験させてもらいましたが、ささやかな動きを読み取るのは至難の業。ゆっくりとわかりやすく書いてもらったのですが、特訓が必要だと感じました。

さらに、見千子さんと英則さんが学び始めたときはまだこの方法を使っている人が少なく、やり方が確立されていなかったため、英則さんが書きやすい手の持ち方などを1から考える必要がありました。

見千子さん:どうしたらいいかわからなくて大変でしたね。「もっと私がわかるように書いて!」という気持ちが強くなってしまって。「手を触られることも嫌になったときもあった」と英則に言われました。

このまま1対1で練習をしていては、行き詰まってしまう。そんな想いから見千子さんは、介助付きコミュニケーションを学ぶ仲間たちと任意団体「学習会サロン」を立ち上げました。

そして、国立特別支援教育総合研究所でSTA(ソフト・タッチ・アシスタント)という障害者のコミュニケーション方法を研究し、特に重度の障害がある子どもたちの言葉の理解に詳しい笹本健先生をアドバイザーに呼び、勉強会を始めます。

【写真】ちょうどよい、ふつう、などの文字が書かれた紙を指さし、自分の感情を伝えている

介助付きコミュニケーションの勉強を始めてから数ヶ月、見千子さんと英則さんの間で、少しずつ意思疎通が図れたと感じる瞬間が増えました。その理由は、「相手がコミュニケーションしたいタイミングを意識できるようになったから」だと2人は語ります。

英則さん:お母さんは最初は「分かるように書いて」「ちゃんと書いて」とか、僕の都合に関係なく言って来たんですよ。僕が喋りたい時に聞いてくれないのに、僕がテレビを見てる時に聞こうとして、タイミングが合わない。お母さんが僕の都合を考えてくれるようになって、僕も協力できるようになりました。

見千子さん:うまく行くときは、英則がこちらに何かを訴えたいときだと気づいたんです。例えば、あゆみの家から帰ってきて「おかえり」と私が言う時に、「ただいま」と書こうとしてくれる。「た」ぐらいしか最初はわからなかったんです。だけどそういうきっかけがわかる瞬間があったんです。

ある日寝起きに二人で横になっていたときに、英則さんが手を出すので「なぁに?」と手を出した見千子さん。そこに「おはよう」と書かれた気がして「おはよう」と寝ぼけ声で読み取ると「今わかったの?」と英則さんと二人でびっくり。だんだんと英則さんとのコミュニケーションがスムーズにできるようになっていったのです。

津久井やまゆり園事件のようなことが、もう二度と起こらないように

見千子さんと英則さんが仲間と一緒に立ち上げた学習会サロンは、徐々に介助付きコミュニケーションを学ぶ場だけでなく、当事者が集まりお話をする「学習会サロン」など、様々な活動を行うようになりました。

活動をはじめて9年。当事者の親御さんの高齢化や当事者の自立など、様々な課題が出てくるようになりました。

活動が多くの当事者に届くようになるためには、介助付きコミュニケーションができる人を育てたり、親以外が運営に関わる必要がある。そんなことを感じていた2016年に、団体のあり方を変化させるある出来事が起きます。

【写真】手をつないでいるみちこさんとひでのりさんの後ろ姿

神奈川県相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員が侵入し、入所者19人を殺害、職員を含む26人が重軽傷を負った「相模原障害者施設殺傷事件」。

親御さんや支援者にとって、なにより障害がある当事者メンバーにとって、事件は衝撃の大きいものでした。事件直後の学習会サロンで、その日話し合うテーマを決める時に、当事者メンバーたちがやまゆり園の事件のことを話したいと言ったそうです。

見千子さん:当事者の親にとっては、どちらかというと避けて通りたいテーマですよね。私もそのことを通訳する自信がありませんでした。でも本人たちが喋りたいというので、そのテーマで話してみることになったんですね…。

話を続けようとする見千子さんを遮るように、英則さんが見千子さんの指に何かを書きます。「僕が話すことだと思います」と、英則さんは言葉を紡ぎ始めました。

英則さん:あの事件は僕たちにとって身近だったんです。僕たちがそこにいたら刺されて、お父さんやお母さんにありがとうも言えずに死んでいったと思うと本当に辛い。

僕たちはこの方法を知っているから、そのことを伝えられるけど、この方法を知らない人たちの想いは届かない。僕たちは言葉がわからないから、あの場にいてもきっと怖くなかっただろうと言う人まで出てきたんです。そんなことあるはずがない。

僕たちが言わなければきっとずっとこのままだし、また同じような事件が起こるかもしれない。だから僕たちが声をあげなければいけないと、みんなその時思ったんです。

【写真】指談でお話しするひでのりさん

この方法をもっと多くの方に伝えていかなければならない。そこから任意団体だった学習会サロンを、「NPO法人化してもっと活動を広げていこう」という声が出てきました。

しかしそこには課題がありました。介助付きコミュニケーションは誤解される事が多く、活動を本格化させると当事者メンバーが苦しくなるのではないかという不安があったのです。

英則さん:介助付きコミュニケーションは「本人の言葉ではない」「介助者がやらせている」と勘違いされることが多いんです。確かに見ていると言葉をやりとりするスピードが速いので、そう思う人がいても不思議ではないかもしれない。でもコミュニケーションなので、気持ちが通じるとこんな風に速くできるようになるんです。

批判を受けるのは怖い。でも自分たちの声を、自分たちで届けなければ社会には届かない。たくさん思い悩んだ末に、自分の存在を明らかにし、批判をも受け止めながら活動する覚悟ができたのだと、英則さんは語ります。

英則さん:痛いのは嫌だけど仕方がない、でも殺されてしまうよりずっとマシだと思ったんです。批判の矢があっても、前に出ていく。その覚悟で僕たちは、NPO法人を立ち上げることにしました。

当事者の声を大切にする、NPO法人こつこつ

当事者メンバーの想いを受けて、2018年にNPO法人こつこつが立ち上がりました。

現在こつこつは、介助付きコミュニケーションの練習や生涯学習を行う学習会サロン、障害の有無にかかわらない子どもたちとの遊び場であるよりみちサロンに加えて、当事者も支援者も地域住民も、それぞれが一人の人間として出会い時間を過ごせるこつこつカフェを運営しています。

【写真】テーブルを囲むひでのりさん、みちこさん、あさみさん

設立当初は見千子さんが理事長を務めていましたが、 2025年からは浅見さんに交代しているため、「活動についてお話を伺いたいです」と伝えると「英則さんと見千子さんと一緒でもいいですか」と浅見さん。

こつこつは支援者の考えで進めるのではなく、当事者の言葉を大切にしながら活動をしているそうで、インタビューでの浅見さんのあり方からもその姿勢が伝わってきました。

こつこつという名前をはじめて聞いたとき、毎日こつこつ努力を積み重ねるイメージが浮かびます。どうして「こつこつ」という名前にしたのか気になり、由来を聞いてみました。

浅見さん:言葉(こ)を紡ぎ(つ)、心を(こ)つなぐ(つ)の、頭文字からこつこつ。当事者メンバーやみんなの意見をまとめて、私が案を出したら採用されたんです。

「こつこつは当事者メンバーの言葉や想いが土台にあるんです」と浅見さん。NPO法人の理事も9人中3人が当事者メンバー。ビジョンも活動も、当事者メンバーと一緒に話し合い活動を決めていくのは、こつこつならではだと感じます。

浅見さんは当事者や当事者の家族ではなく、学生時代に障害のある人と関わるボランティアサークルに所属していた際に、他団体で見千子さんと英則さんと出会ったことがこつこつに関わることになったきっかけでした。

自らも介助付きコミュニケーションを練習しながら活動しているなかで、当事者の親以外の支援者がもっと関わる必要があると強く感じたため、理事長を引き受けることを決めたといいます。

現在は障害のある人のヘルパーとして働きながら、並行してこつこつの活動を行っているそうです。

浅見さん:介助付きコミュニケーションで聞く言葉は当事者にしか出せない言葉だと、本当に驚いたんですね。自分のなかの偏見が正される痛みもありましたが、その声を私はもっと聞き続けていく必要がある。そう思いながら活動に関わっています。私はみんなの声を届けるサポートをする理事長でありたいと思っているんです。

ずれていた言葉と意思が、介助付きコミュニケーションで不思議と合うように

たくさんの当事者と身近な人たちとともに育ててきたこつこつ。活動に関わる当事者のみなさんも親御さんも介助付きコミュニケーションとの出会いに大きな影響を受け、暮らしや人生に変化があったといいます。

当日こつこつカフェに参加していた当事者である栗山翔太さん、お母様の恵理子さんもそのひとり。國學院大學で柴田先生に学び、支援者としてこつこつのスタッフを務める田中萌恵子さんに指談の通訳をしていただきました。

【写真】しょうたさんが指でもえこさんの手に文字を書き、もえこさんがそれを通訳している

翔太さんと萌恵子さんのすらすらと速いコミュニケーションにびっくり!ふたりの楽しい掛け合いにこちらも笑ってしまうほど。二人の絆を感じるインタビューになりました。

翔太さんは未熟児網膜症により視力を失い全盲になりました。発達の遅れもあり、言葉を話すことはできるのですが、口から出る言葉と意思がずれて困っていたのだと言います。

*未熟児網膜症とは
早産児で網膜の血管が未発達な状態のまま出生し、出生後の環境変化(特に酸素環境の変化など)によって、血管が異常に増殖することで起こります。進行すると、その血管が網膜を引っ張り、網膜剥離を生じて、重い視力障害や失明に至ることがあります。

恵理子さん:「帰る、帰る」と言っていたのに、「じゃあ帰ろうか」と車に乗せると大騒ぎして怒る。言ってることとやってることが違うと思っていたんです。でも、介助付きコミュニケーションに出会って「口は勝手に動いてるだけです」という翔太の言葉を聞いてびっくり。自閉症の方で体が勝手に動いてしまう症状と同じで、意図と違う言葉が出るとわかったんです。

【写真】しょうたさんが指でもえこさんの手に文字を書き、もえこさんがそれを通訳している

介助付きコミュニケーションに出会ったのは13歳の時のこと。これまで点字を学んできてはいましたが、翔太さんにとっては介助付きコミュニケーションの方がスムーズに想いを話せると感じたそう。

翔太さん:前は意思と反対の言葉が出てきて困っていたんですが、この方法で自分の想いを話していくうちに、不思議と言葉が合うようになってきて、自分の気持ちに合う言葉を話せるようになったんです。

翔太さんは、「こつこつカフェで色んな人と出会い、会話することが楽しい」と話してくれます。萌恵子さんとのやりとりのなかにも、思わず笑ってしまうようなシーンが。

「この人は萌恵子って言うんですけど、僕は先輩の話を聞いて学ぶことが多かったんですが、こうやって友達みたいに…」と言いかけたとき、萌恵子さんが突然通訳を止めました。

その言葉でいいの?『友達みたい』って言い方だと、私達まるで友達じゃないみたいだよ!

【写真】笑い合うもえこさんとしょうたさん

みんなは大笑い。2人の信頼関係で、コミュニケーションが成り立っていることを感じる瞬間でもありました。

恵理子さん:家と学校での生活だけだと、「お風呂入る」「ご飯食べる」「今日学校どうだった?」と決まった会話しかしなくなっちゃうんです。介助付きコミュニケーションをきっかけにいろんなところへ出向いて、いろんな方とお話するようになって、私も翔太もどんどん変化していったことが、本当によいことだなと感じています。

最後に「介助付きコミュニケーションでどんな未来を作っていきたいと感じていますか?」と聞くと、翔太さんは「思い入れがあることなので、時間がかかります」と丁寧に言葉を紡いでくれました。

【写真】指談で言葉を紡ぐしょうたさん

翔太さん:この方法を見てびっくりして信じられない人もいると思うんですが、それでもこの方法があることを伝えていかなければならないと確信しています。この方法が、誰が見ても疑うことのない手話のように、みんなのコミュニケーションのツールの一つとして当たり前に使える未来を作りたい。そのために、NPO法人こつこつで積極的に活動していきたいと思います。

ときには、家族に内緒の話をしたいこともある

萌恵子さんに引き続き指談の通訳をしてもらい、お母さんとお父さんと一緒にこつこつカフェにやってきていた“はるちゃん”にもお話を聞きます。

神経芽腫という、副腎や交感神経系に発生する小児に多い悪性腫瘍(小児がん)で生後8か月から病院に通っていたはるちゃん。奇跡的に寛解しましたが、1歳半のときに障害があるとわかったそうです。

【写真】インタビューを受けるはるちゃんと、はるちゃんのお母さん

お母さん:実ははるちゃんの障害名はわかりません。染色体に異常があるわけではないから調べてもわからなくて。医師の話だと障害がある人は障害名が特定できないケースが多くあるそうで、東京都が発行してくれる手帳には「発達遅滞」と明記されているんです。

発話や意思疎通、日常生活の動作に困難があるはるちゃんが介助付きコミュニケーションに出会ったのは、高等部のとき。はるちゃんに言葉があることを知ったお母さんは「ああ、わかっているんだ」とほっとしたそうです。そこから何かを決める時は、介助付きコミュニケーションで意思を確認するようになりました。

【写真】お話しするはるちゃんのお母さん

お母さん:「はるちゃんわかってると思うよ」と言われても、発語が無いと親はやっぱり疑心暗鬼ですよね。でもそれが高等部2年の時に柴田先生に出会って、この介助付きコミュニケーションを知り、やっぱりわかってる部分がいっぱいあったんだなって、親にとっての安堵に涙が止まりませんでした。

そうすると、本人に対して接し方が唐突じゃなくなるんですよ。『「行く? 行かない? どっちがいい?って本人の意思を確認するようにしたんです。そうすると本人の心の安定感が増して、すごく良かったなと思っているんです。

インタビューの途中で、はるちゃんが立ち上がります。「もしかして休憩かな?」と思ったところに、お父さんがお話してくれました。

【写真】並んで椅子に座るはるちゃんと、はるちゃんのお父さん

お父さん:行こうと思った場所と、体が向かっちゃう方向は別になってしまうことがあるようです。そんなときは「はるちゃーん、こっちだよ~」と声かけしたうえで、その場に知っている人が多ければ、安心して動けるようなんですね。

【写真】電子メモボードにはるちゃんが文字を書いている

はるちゃんはペンを持つことができるので、指談の他に電子メモボードやスケッチブックにペンを使って、文字を書くことを介助する形で意思表出ができます。

私も電子メモボードでの介助付きコミュニケーションで、やりとりさせてもらいました。

ペンを持つはるちゃんの指を下からそっと支えると、ささやかな力で、文字を書こうとする力をたしかに感じられます。はるちゃんが通っている施設の職員さんなども、この方法で意思を知ることができるようになりました。

「介助付きコミュニケーションを知って、ほかに生活にどんな変化があったのですか?」と聞くと、「お母さんなしで直接話ができるようになったことが大きいです」と答えます。

はるちゃん:お母さんのことは大好きだし、一緒にいたいと思っていますよ。でもこれから先もずっと一緒にいられるわけではないし、お母さんに内緒の話もあるじゃないですか。

【写真】隣に座ってお話しするはるちゃんともえこさん

少し離れたところで聞いていた見千子さんが、はるちゃんの言葉に「そりゃそうだよ!」と声をあげます。障害のある当事者は、親にサポートを求めざるを得ない場面も少なくありません。しかし、介助付きコミュニケーションを使うことで、親以外の人にも自分の意思を伝えられるようになる。その意味はとても大きいのです。

はるちゃん:私はこの方法を通して伝えられる言葉が、私たちの言葉として受け入れてもらえる社会になったら嬉しいです。それが難しくても、私たちに想いや言葉があることを知ってもらえたらいいなと思っています。

当事者に言葉があることを信じてもらえない現実

「自分自身のことを、親ではなく私に聞いてもらえることが嬉しい」というはるちゃんや、「話ができないときも、楽しかったんですよ」という英則さん。取材を通して聞かせていただく言葉には、当事者の実感を感じられる言葉がたくさんありました。

自然に声が出てしまう英則さんが指談で言葉を紡ぎはじめたときに静かになる瞬間、翔太さんと萌恵子さんの掛け合い、はるちゃんと萌恵子さんが交わす視線。取材チームにとっては、たしかに「コミュニケーションが成り立っている」と感じる瞬間があったのです。

しかし、当事者が言葉を話すことを受け入れてもらえないという悩みや葛藤があると、こつこつのみなさんは話します。

【写真】文字盤を指さすみちこさんと秀則さんの手

見千子さん:施設の職員さん、学校の先生、ご家族から、介助付きコミュニケーションに関する相談が多いですね。当事者に言葉がある事を信じてもらえなくてどうしたらいいかというお悩みが一番多いんです。言葉が内面にあることがわかって、表出する方法に出会っても、そこから先に進めないこともすごくあるんですよ。

英則さん:施設の職員さんには、その日に感じたことや自分にしかわからないことをわかる範囲で伝えてみると、びっくりして信じてもらえたりすることもあります。

僕たちは感じたことは伝えられます。でも事実を伝えるのが苦手で、「起きた出来事を書いて」と言われても、何があったかわかっていなくて伝えられないことも多い。それで「言葉がない」と勘違いされがちなんですよね。

自分たちにとって大切なものが、なかなか認めてもらえない。そうした状況を乗り越えてくることができたのは、こつこつに集う人たち同士で、気持ちや想いを共有し合い、分かち合ってきたからでした。

見千子さん:「そんなにすぐに信じてもらえないよ」「みんなダブルスタンダードで生きてるんだよ」と慰めあったり、どうやったら信じてもらえるか、当事者メンバーで考えたりもしますね。こつこつでできることを、仲間と一緒にやって行こうよって話しているんです。

さらに、介助付きコミュニケーションに向けられる意見のなかで、みなさんがつらいと感じていたのは、「本当に正しく当事者の意図を伝えられているのか」とその真偽を必要以上に問われ続けてしまうことでした。

言葉を話せる人であっても、コミュニケーションは相手によって変わるものです。誰に対しても同じ話をするわけではなく、どこまで話すか、どのように伝えるかを、その都度考えながらやりとりをしています。

こつこつでも同じように、当事者のみなさんが、介助付きコミュニケーションの通訳者が誰であっても同じ内容を同じ言葉で伝えるわけではありません。これまでの関係性によって、話しやすい相手もいれば、まだあまり話ができない相手もいる。そして、何をどう話すかは、それまでのやりとりの積み重ねの中で変わっていくものです。

そのため、こつこつでは、日常的な会話と意思決定のためのやりとりをしっかり分けて考えています。

本人の人生に関わるような大きな選択については、複数人で通訳し、立ち会うこと。一方で、日常のコミュニケーションにおいては、そこまで厳密な正しさを求めすぎないことも大切にしているのだそうです。

浅見さん:この前、「杳かなる」というALSの当事者のコミュニケーションを描いた映画を見ました。ALS の人は透明文字盤を使うのですが、監督が「一言一句間違わずに伝えてほしい人もいれば、だいたい合ってれば OKという人もいる」と言っていて、一緒だと思ったんです。その人によって違うし状況によっても違う。日常会話で真偽を突き詰めると辛くなってしまう。

はるちゃんのお母さんや恵理子さんも、そんな事を話してくれました。

はるちゃんのお母さん:例えば「オムライスと幕の内弁当、どっちがいい?」と聞かれたときに「オムライスだね」と支援者が判断して、本当は幕の内に入ってるサバが食べたかったとしても「まぁいっか、嫌いじゃないし」とはるちゃんは受け止める。はるちゃんにとっては、正解を見つけることよりも、支援者の人に気持ちを聞こうと思ってもらえることの方が、大切だと言っていたんです。

恵理子さん:絶対食べられないものだったら、別ですけれど。 そうじゃない限り「じゃあどうしますか」と選択肢を与えて聞いてくれたことが嬉しいんです。意思があることを分かって聞いてくれたことが嬉しいのであって、合ってても間違ってても、あんまり息子にとって大きなことではないようなんですね。

みなさんの話を聞きながら、私は改めて「言葉を使って話すコミュニケーションも同じかもしれない」と感じました。言葉を話していても、どんな意味で使っているのか曖昧なまま話すこともある。勘違いして受け取ってしまうこともある。それでも正しさを求める前に目の前の人と関わりあおうとするところにコミュニケーションがある。

【写真】笑顔で話すあさみさん

浅見さん:質問に答えられない時もあると思うんです。わからないとか、答えたくない、迷ってるとか、そういう時に「どちらでもない」選択肢があることが大事だとも思うんです。なので介助付きコミュニケーションで使う文字盤などを作るときにも、「はい」と「いいえ」の他に、「どちらでもない」をつくっています。

通訳者も、相手のことを全部わかるわけないんですよね。コミュニケーションなので誤解がうまれることもある。大事なことは複数人で聞いたり、さまざまな手法を試してみることで、当事者の本当の声を聞くことに近づこうとしているんです。

日々のコミュニケーションの中で生まれる、どちらでもなさを大切にする。でも間違ったら困ることは、丁寧に確認していく。当事者の言葉を聞きながら、時には自分たちのありかたも見直して活動も少しずつ変化させていく。こつこつの支援者たちは、そうやって当事者と共に活動を続けてきました。

こつこつが目指していく未来

これまで施設を借りて、当事者が集える場を定期的に開催することを中心に活動してきたこつこつ。今後は多くの人に介助付きコミュニケーションを伝えるために、「こつこつ未来プロジェクト」と題して、日常的に様々な人が集まれる活動を目指しています。

浅見さん:事務所も兼ねてイベント開催もできる常設の場である、こつこつカフェを作ることが目標です。たとえば当事者メンバーに一日店長になってもらって、自分がやってみたいことを通して、いろんな人と出会う場を作るなど、挑戦したいことがいっぱいあります。

このプロジェクトには、英則さんを始めとした当事者メンバーたちの想いがたくさん込められています。

【写真】両手を合わせてこちらへ向けるひでのりさん

英則さん:僕たちが、他の人と同じように、人として生きていくことができる可能性があると知ってもらいたいんです。僕は障害があってもなくても一緒に暮らせる場を作りたい。そして、地方でも孤独に頑張っている人がたくさんいるので、僕たちがその人たちに会いに出かけていきたいと思います。

障害がある人の行動範囲は限られていて、できないことがたくさんあります。でも、本人の意思でいろんなことができるよう、サポートを広げていくことが必要なのです。

英則さん:僕たちは、生まれつきや途中で障害を抱えると、障害者として生きていくことになってしまう社会に生きています。制度の中で生きていかなければならないなら、活用しながら生きていける社会にしたい。どんなに障害が重くてもできることを、実践していけたらいいと思っています。

浅見さん:目に見える反応がなく、笑ったり表情に出たりしなかったとしても、言葉がある可能性をお伝えしたいです。「うちの子は無理よ」と親御さんが思い込んでしまうと、当事者は誰ともつながることができない状況に置かれてしまいます。ぜひ、こつこつカフェに足を運んでいただけたらと思います。

【写真】テーブルを囲むはるちゃん、はるちゃんのお母さん、もえこさん

人の言葉を受け取るということは、その人の存在を受け取ることです。こつこつの活動は、すべての人にとって本当は当たり前であるべきことを、あらためて社会に手渡しています。

取材のなかで、印象に残っている出来事がたくさんあります。「あらたさん」とはるちゃんが電子メモパッドに書いてくれたこと。休憩時間に英則さんが「ゆっくり休んでください」と気遣ってくださったこと。私が話を聞かせてもらうだけではなく、私も当事者のみなさんから、さまざまな優しさをいただく時間でもありました。

私だけではコミュニケーションができなかった当事者のみなさんと、介助付きコミュニケーションを介することによって、お互いに関わり合う手ごたえがたしかにあったのです。

当事者や家族が抱えてきた困難に向き合いながら、その言葉を起点に新しい関係や場をつくり直していく。こつこつは、朗らかな時間のなかで、この社会において大切な実践を重ねています。

読者のみなさんにも、ぜひこつこつカフェに足を運んでもらいたいと思います。そしてまずは当事者の方と出会い、その言葉を聞くことからはじめて欲しい。

その一歩が、社会のあり方を少しずつ変えていくはずです。

【写真】カメラを見つめて微笑むあさみさん、ひでのりさん、みちこさん

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(執筆/荒田詩乃、企画・編集/工藤瑞穂、撮影/松本綾香)