【写真】微笑みながらインタビューに答えるひろさんの横顔

ぼくはことばが
うまく言えない
はじめの音で
つっかえてしまう
だいじなことを言おうとすると
こ こ こ ことばが
の の のどにつまる
「ぼくのお日さま」/ハンバート・ハンバート

わたしは吃音症です。吃音というのは引用した歌詞にもあるように、話し言葉がなめらかに出ない発話障害のひとつです。音の繰り返し、ひき伸ばし、言葉を出せずに間があいてしまうなど、人によってさまざまな症状があります。

わたしは連発という音の繰り返しが強いタイプですが、次の3つのルールを守ることで長年吃音であることを隠して生きてきました。

①どもりそうになったら別の言葉に言い換えること
②極度に緊張を強いられるような場面は避けること
③必要最低限しか喋らないこと

完全な自己流ですが、正しかったのかどうかは今でもわかりません。思ったことの半分は声にならずに消えていったし、雑談も苦手です。無駄話をする余裕がなかったのです。声に出していれば手に入れられたものを諦めた経験も一度や二度ではありませんが、それ以上に「吃音」に気づかれることを怖れていました。

——7歳の春。転校先で自己紹介させられたとき、教室中に笑われたことが今でもトラウマになっているせいです。

そんなわたしにラジオパーソナリティーの話が舞い込んだのは46歳のときでした。吃音である自分にとってはもっとも遠い、一方で長年ラジオの構成作家を生業のひとつとしてきた人間としてはもっとも近い仕事でした。

毎週50分間の生放送。初回は50分の自己紹介ということになります。どうすれば隠し通せるだろうと何日も悩みました。そもそも吃音の自分がラジオパーソナリティーなんてやってもいいのだろうかとも。初回放送が迫ったある日、わたしは生まれて初めて「吃音」という言葉をネットで検索していました。

そこで知ったのが「吃音ラジオ」の存在でした。吃音当事者の方々が、自分たちの吃音について話しているネットラジオ。三人のパーソナリティーのうちのひとりがhiroさんでした。

都内で会社員として働く傍ら、吃音に関わる活動をされているhiroさんは、自助グループ(同じ病気や障害を抱える人同士の集まり)の運営や当事者同士の交流会などを開催する他、SNSでも吃音の情報発信をされています。

そんな活動の延長線上で始めたというのが「吃音ラジオ」です。マイクの前で堂々とどもっている姿が吃音を隠して生きて来たわたしにとってどれほど励みになったことか。わたしはそれまでどうやって隠し続けようかと思案していた「吃音」について、初回放送で話すことにしました。

hiroさんはゲストとして出演することを快諾して下さいました。hiroさんがスタジオにいてくれたおかげで、わたしは自分が吃音であることをカミングアウトすることができました。

卑怯な人間だと思われるのを承知で正直に告白しますが「わたしは吃音です」ではなく「わたしも吃音です」といえる状況だったおかげです。7歳のときに吃音でからかわれて登校拒否になったときの傷が、40 年近く経っても癒えていないことを改めて思い知った夜でもありました。

そんなhiroさんと久し振りに話したくなったのは、あの夜から9年目の春のことです。

「どうして自分だけ、こんなに言葉が詰まるんだろう」

【写真】肘をテーブルについて手を口元に置くひろさんの横顔

――吃音を自覚したのは?

hiroさん:小学校の低学年ぐらいですかね。友達の前でどもって笑われたり、真似されたり「なんでそんな喋り方なの?」って聞かれたりしたのも自覚するきっかけだったのかな。「なんでうまく喋れないんだろう。自分はそういう人なんだな」としょげていました。

後はよく言われる本読みとか。みんなの前でどもって、恥ずかしい思いをすることも結構ありました。

――本読みとか自己紹介は地獄ですよね。

hiroさん:そうですよね。小学4年のときに、日直が帰りの会で、その日にあった出来事を1分間スピーチするルーティーンがあったんですけど、それが嫌で嫌でしょうがなくて。日直の日は毎回ズル休みしてました。自分が「1分間スピーチ」をした記憶はないので、たぶん全部休んだんだと思います。

――中学に入ってからはどうでしたか?

hiroさん:相変わらずどもってましたけど、中学では卓球部で頑張ってたし、友達も多かった。そのせいか中学時代は「楽しかった」っていう記憶ばかりで「吃音で悩んだ」というのは、あんまり覚えてない。

友達とは普通に会話してましたし。小学校に比べたらみんな成長してるんですよね。変に真似されたり、馬鹿にされたりってことは、それほどなかったです。

――僕も中学の頃は不思議と吃音で悩んだ記憶はないですね。あまり喋らないようにしていたからかもしれないですけど。周囲の環境が変わったことで症状に変化はありましたか?

hiroさん:高校受験のストレスで、重くなったことはありました。普通の会話でもすごくどもったり。あとチックってありますよね。指をすごく動かしたり、顔をしかめたり。僕はそれもあって。小さい頃からストレスが溜まると出てたんです。今でも疲れてたりストレスが溜まると出るんですけど。

(※チックは、自分の意思とは関係なく、突然起こる素早い身体の動きや発声です。まばたきや顔のしかめなどの「運動チック」、咳払いや鼻をすする音などの「音声チック」があります。こうしたチックは、子どもによく見られ、一時的に現れて自然におさまることが多いです。

しかし、チックが再び現れたり、複雑になったり、1年以上続いて日常生活に支障をきたすような場合には、「トゥレット症候群」と診断されることがあります。)

――僕は寝不足だと結構出るんですよ。

hiroさん:それもありますね。原因は解明されているのかわからないですけど、本当に波があります。

――高校に入学された後はストレスから解放されたんですか?

hiroさん:それがそうでもなくて。周りがすごく勉強ができたんです。僕も中学では上位だったんですけどそういう人ばかり集まっていたから余計に気が抜けなくなった。

しかも高校がすごく遠くて。家から自転車で1時間くらいかかるんです。疲れて帰って来て、宿題もあって、予習復習もしないと授業についていけない。そういう毎日がしんどくなった。

一緒にお昼を食べたりするような友達はいたんですけど、吃音もひとつの原因としてあったのかな?新しい人間関係を積極的に作ったりというのもできなくて。「誰とも話さない」という感じではないんですけど、教室の中でも「疎外感」とか「孤独感」みたいなものを感じていました。

――僕も高校ではそういう感じでした。人間社会における会話の9割は無駄話でできているんじゃないかな。積極的に雑談していかないと、あたらしい人間関係を構築していくのって難しいですよね。hiroさんはそのままの状態で三年間通ったんですか?

hiroさん:いや、しばらく通っていたらしんどくて朝起きられなくなった。しょっちゅう休んじゃったりするようになって。「このまま通うのはきついな」って中退したんです。

――そうだったんですか。でも、しんどいまま通い続けて折れちゃう人もいる中で、そうなる前に自分で中退すると決めたのは立派だと思います。読者の方には別の話に聞こえるかもしれないんですけど、吃音を回避するのに「言い換え」っていうテクニックがあるじゃないですか。たとえば「クルマ」と言おうとして、最初の「ク」がスムーズに出てこないとき咄嗟に「自動車」と類語で言い換えるという。

hiroさん:はっきり覚えていないけど、小・中学校の頃から使っていると思います。

――今もそうですけど、話していて「あ、これ声に出すとどもるな」っていう〈吃音の地雷〉が直前に分かるじゃないですか。そこで瞬間的に脳内の類語辞典が違う言葉を選ぶテクニックが、体に染みついている。それは発話だけでなく、人生のさまざまな局面で応用が効く。追い詰められたときに別の道に回避して、自分を守る方法を知っているというか。

hiroさんでいえば、小学校で「1分間スピーチ」をしなければならない日直の日に、毎回休んでいたのがまさにそうで。普段から「言い換え」をしているからこそ、高校の件でも、hiroさんは自ら中退という別の道を選べたのではないかなと思いました。

hiroさん:そういうのもあるかもしれないですね。吃音だけでなく色んなことが複合的に重なった結果なんですけど、一番大きいのは自由が感じられなかったことなんです。僕、自分が自由に過ごせる時間がないと嫌なんですよ。その自由が全然なかった。

——わかります。僕も「自由」がないとダメでしたね。言葉が詰まりそうなときに、逃げ道を必要としているからでもあるんじゃないかなと自分自身では分析しているんですけど。

「どもって変に思われたら嫌だな」

【写真】椅子に座るひろさんの足元

——高校を中退されてからはどうされていたんですか?

hiroさん:中学のときに通っていた塾があったんですけど、その塾のおかげで入れた高校だったので中退するのを塾の先生にも伝えたんですね。そしたら「せっかくだからちょっと勉強しに来ないか」って言ってくれて。「これからどうするかはわからないけど、勉強しておいて損はないから。大学に行くかもしれないし」と声を掛けてくれた。家に引きこもっていることが多かったけれど、週2回は塾に行っていました。

――すばらしい先生ですね。

hiroさん:そうなんです。「すごく楽しいから、君にも味わってほしい」と大学まで勧めてくれて。その塾に1年くらい通っているうちに、小さい頃から好きだった漫画やイラストなど、絵を描く方向に進むのもいいな、「美大に行きたいな」って思うようになって。大検を取って美大予備校でデッサンの勉強を始めました。でも、受からなかったんです。そもそも何浪もするのが当たり前の世界なんですけどね。

――そこからどうされたんですか?

hiroさん:そこからが今に繋がってるんですけど、受験勉強の合間によく本を読んでいたんですね。小説を読んでいる間は、高校を中退したり、美大の受験が上手くいかない現実が忘れられた。で、自分には美大は無理だなって思い始めたときに、だったらそういう方向もいいなと、文学部を目指して別の予備校にもう1年通って東京の大学に合格。熊本から上京しました。

――上京されてからはどうでしたか?

hiroさん:高校を中退して4年近く同世代とコミュニケーションを取ってこなかったので、最初はどうやって新しい環境に入っていけばいいのかという悩みの方が大きかったかな。そもそも浪人した分、同級生の中でも年齢が上じゃないですか。なのに年齢に見合ったコミュニケーション能力や社会経験がないことが、自分の中ですごくコンプレックスで、悩んだり考えたりしていました。「どもって変に思われたら嫌だな」と積極的になれなかった。

――わかります。新しい環境ではいつもそうなりますよね。大学に入るとアルバイトをする機会が出てくる方も多いと思いますけど、hiroさんはそういう場面で困ることはなかったですか?

hiroさん:アルバイトでは大学以上に吃音で困りました。ドラッグストアでレジをやっていたんですけど、バーコードリーダーをかざして金額を言うんですよね。そのとき言えない金額があった。当時僕は「ご」が言えなくて。500円とか5000円とか「ご」から始まる金額がすごく言いづらかった。

あと持っていない人にはポイントカードを勧めるんですけど、ポイントカードの「ぽ」が言えない。今は言えてますけど、僕、破裂音が苦手で。説明もどもりながらしどろもどろだし。自分でもどうしてこの仕事を選んだんだろうと(笑)

――わかります。僕も高校のときにファミレスでウェイターをやってたんですけど、お客さんに注文を取りにいったときに吃音だったことを思い出して慌てたことがありました。そもそもどうやって面接をクリアしたのか今でも不思議です。

hiroさん:もうひとつ長く続いたのが、障害のある子どもたちを放課後預かる施設でのアルバイトだったんですけど、迎えに来たお母さんたちにその日の子どもの様子を説明しないといけないんですね。年の離れたお母さんを相手に緊張もしているし、毎回しどろもどろでした。

――そういうときのしどろもどろは困りますよね。警察に職務質問されたときにどもると後ろめたいことは何もないのに怪しく思われたりするし(笑)

hiroさん:職務質問はされたことないですけど確かにそうですね。

——僕は連発なので特にそうなんです。ちなみにhiroさんは?

hiroさん:子どものときは連発で、今は難発が多いかな。

——同じ吃音でも症状に違いがあるんですよね。僕は子どもの頃からずっと連発。「ぼぼぼぼくは」と最初の言葉を繰り返してしまう症状です。

hiroさん:僕が成人してから多くなった難発は最初の音が出てこない。「………ぼくは」と最初の音が出るまで時間がかかる。子どもの頃は連発で、成長するにつれて難発になる人も多いみたいですけどね。

——僕は今も子どもの頃のまま成長してないのかな(笑)そこにも僕とhiroさんの違いがあるような気がしますね。何の医学的根拠もない個人的な考えですけど。

「どもってしまうのは自分だけじゃない」

【写真】テーブルの上で手振りをするひろさんの両手

――そんな大学時代に転機があったんですよね。

hiroさん:周りと馴染めなくて、サークルも入りたいと思っていたけど勇気がなくて。空きコマは図書館で過ごしてたんです。1年の秋頃かな、カウンターに大学の広報誌が置いてあって。最後の方のページに「学生記者になりませんか?」っていう広告があったんです。

さっきも言ったように文学に興味を持っていて、読むのも書くのも好きだった。それで「記事を書く」という言葉に惹かれて学生記者になったんです。

学生記者が20人くらいいたんですけど、メーリングリストに「こんな取材があるよ」って連絡がくる。それに立候補して取材して記事を書くシステムなんですけど、そこで記者をやるにはまず取材対象者と話さなきゃならないのに気づいて。いろんな案件がメールが回ってくるのに手を挙げられない状態がしばらく続いたんですけど。

――うん。

hiroさん:大学の食堂でたまたま編集長と一緒になったときに「やりたい取材は見つかったか?」って聞かれて「まだ考えてます」と答えたら「俺がついてるから自由にやっていいよ。好きにやればいい」って言ってくれたんですね。 その言葉に勇気づけられて最初の取材に手を挙げることができたんです。

――編集長はどんな方だったんですか?

hiroさん:大学のOBだった方です。かつては新聞記者で、論説委員もされていた。定年後に母校で広報誌の編集長をやられていて。最初の取材にも同席してくれました。ある学生団体の代表の取材だったんですけど、まごついていたら代わりに質問してくれて。そしたら編集長が時々どもってたんです。

――それは驚いたんじゃないですか?

hiroさん:はい。主観的な考えかもしれないですけど編集長が僕にすごく親身にしてくれたんですよね。食事に連れてってくれたりと何かと面倒を見てくれた。ご本人に確認したわけじゃないから正確なところはわからないですけど、もしかしたら吃音っていう共通点があったからなのかなって。

――それは大きな出会いでしたね。

hiroさん:そうですね。学生記者として取材したボランティアサークルに自分も入ったんですけど、そこから知人や友人ができて、人間関係や世界も広がった。そのきっかけが学生記者だったし、積極的に活動できたのも編集長がいたからかなと。編集長との出会いはとても大きかったですね。

――影響も大きかったんじゃないですか?

hiroさん:編集長が「出会いが多いほど人生は豊かになる」とよく言っていました。学生記者になったこと。サークルに入ったこと。社会人になって吃音の活動を始めたこと。自分から動いて、色んな人と出会うことで世界が広がっていくのを実感してきたこれまでを振り返ると編集長の言葉はまさにその通りで。座右の銘じゃないですけど、今でも大事にしている教えのひとつですね。

——同じ吃音当事者だった編集長との出会いが、新たな扉を開いたんですね。そして、その先にあった吃音者コミュニティとの出会いが、世界を広げてくれた。ずっとひとりで抱えてきた吃音について誰かと話をすること。自分の悩みを話して、相手の悩みを聞くこと。それが僕には欠けていたのかもしれないなってお話を聞きながら感じました。

「吃音があるといっても、それぞれ違う」

【写真】テーブルの上で両手を組むひろさん

――吃音者が集まるコミュニティに入っていると伺ったんですが、どんなきっかけで入っていかれたんですか?

hiroさん:就活の時に改めて吃音で壁にぶつかって。面接で喋ることが多くて苦労したんですよ。それでも何とか内定をもらって社会人になったんですけど。

――お仕事は?

hiroさん:書籍の編集の仕事をしています。勤めて10年以上になるんですけど、未だに電話が怖いです。

――電話困りますよね。

hiroさん:困ります。僕「あいうえお」の母音が苦手なんですね。社名が母音から始まるんですよ。電話って出る人も、掛ける人も、まず社名を言うじゃないですか。苦手な音が社名になっちゃっているので電話はすごい苦手です。けど、逆に言えば電話以外はそんなに困らないので。そういった意味でも、周りには吃音のことを言ってないんです。よっぽど業務のあちこちで困っていれば何かしら言って、配慮を求めると思うんですけど。

――そういった経験から吃音コミュニティに?

hiroさん:はい。就活や仕事でまた壁にぶつかったことで吃音についていろいろ調べたんです。そこで都道府県に1つずつぐらいある「言友会」という自助グループを見つけて、行ってみようと。

――どんな思いで行かれたんですか?

hiroさん:治したい、というのはあんまりなかったですね。興味本位です。学生時代の経験を通じて「いろんな人と出会いたい」と思っていたので。初めて行った東京言友会では編集長を除いて、初めて自分以外の吃音の人と会った。しかもたくさんの方がいた。それがとても新鮮でした。

――言友会ではどういう活動をされてるんですか?

hiroさん:自己紹介とかテーマを決めて話したりとか。吃音について悩みがある人がいたら話し合ったりとか。本当にいろいろです。

――どんなことを感じましたか?

hiroさん:吃音があるといっても、それぞれに、色んな仕事をしている。吃音はあるけど、当たり前に社会人として頑張っている。その姿にとても勇気づけられました。

――僕も一度hiroさんに連れて行って頂いたんですけど、同じ吃音の方々と交流して分かったのは「みんな本当は喋りたいんだ」ということでした。みんな学生時代は苦手だったはずなのに、そこでは自己紹介をしているんですよね。

hiroさん:たしかにそれは感じる。もちろん人によりますけど、お喋りが好きな人が多いかもしれないですね。

――仕事の悩みを話したり聞いたりすることも?

hiroさん:よくあります。喋ることから逃げられない場面があるので仕事の悩みは多いですね。皆さん電話は共通して苦手なようです。あと営業も話さなきゃならないので。吃音があるから話す仕事を避ける。本当はこういう仕事がしたいけど違う仕事をしているという人もいますね。

――吃音があるからやりたいことができない。職業選択の幅が狭くなるというのは確かにあるかもしれないですね。

hiroさん:僕はやりたいことが出版・編集だったので、それほど気にしていなかったですけど、就活の段階で吃音を理由に選択を狭めてしまう方は多いと思います。

――「吃音ラジオ」もそういった活動の延長線上で始められたんですか?

hiroさん:関西で若者の吃音の人を集める会を開いている話を聞いて「面白そうだな」と、関東で若者向けの吃音の自助グループを始めたんです。グループの宣伝の為にSNSを始めたことが新たな人たちとの交流に繋がっていった。

その中で「吃音の人でラジオやってみたら面白そう」って言った人がいて。「それ面白そうだね」って返したのがきっかけで、賛同した何人かで「やってみよう」と。

――やられてみていかがでしたか?

hiroさん:最初は嫌でしたね。自分の吃音を聴かれるのも、聴くのも嫌だった。始めてすぐに「ちょっとこれどうしようかな」って思っていました。

――それでも続けたのは?

hiroさん:SNSを通じて多くの人に知られるようになった。ラジオを聴きながらリアルタイムで呟いてくれる人もいた。嫌だなって思ったこともあったけど「面白い活動だな、やる意味があるな」と思い始めた。

毎回ゲストを呼んで話すようになったのも大きいです。吃音の研究をしている方や吃音当事者として広く知られている方なんかも来てくれた。色んな人と吃音を通して話したり、出会ったりして、自分の世界が広がっていく。やりながら楽しさややりがいを見出していきました。全国ネットのラジオ番組に呼んでもらったり、新聞で取り上げてもらったりしたこともうれしかったですね。

――そういう活動がテレビドラマや映画の吃音監修にも繋がったんですね。

hiroさん:大学で広報誌を作っていたからっていうのもあると思うんですけど、全国の言友会の連絡機関をしている「全国言友会連絡協議会」というNPO法人で機関紙を作る仕事を任されていたんです。自分が関わったイベントの報告を書いたりとか。

そのときテレビ局の方から「吃音を扱うドラマを作りたいので取材ができないか」という依頼があった。「ドラマの主人公と同じ20歳ぐらいの女性で吃音を持っている方がいたら話を聞いてみたい」と。

関東で若者の吃音の自助グループをまとめていたのが僕だったので担当することになったんです。取材協力とか台本の吃音の台詞を見て「実際はこんなふうに、どもると思います」みたいな意見を言ったり。その経験があったので、メディア担当みたいになって、映画の吃音監修などもやらせていただきました。

「僕は妻に言ってます」

【写真】椅子に座り、インタビュアーに笑顔を向けるひろさん

——今回9年振りにhiroさんの話を聞いてみたくなったのは、お互い父親になったこと。その上でhiroさんが「吃音などを持つ親の交流会」を主催されていたことでした。友達や恋人の前でならば無口な人間で押し通すことができても、家族の前ではそうはいかない。hiroさんは、そして、吃音など発話に悩みを持つ親たちはどうしているのか。それを聞いてみたいと思ったのがきっかけです。

ここからは「家族という小さな社会」の中でそれぞれが吃音とどう向き合っているかをお伺いしたいんですけど、子どもの頃、親御さんは吃音に関して何かおっしゃっていましたか?

hiroさん:僕がそういうふうになると両親が「落ち着いて喋ったら?」みたいなことを、よく言っていたのは覚えてます。

――小学校の勧めもあって、母は僕を「話し方教室」に連れて行きました。hiroさんのお母さんはどうでしたか?

hiroさん:そういうのはなかったですね。病院に行ったり、訓練したり、両親と吃音について話すことはなかった。でも、高校受験でチックがひどくなったときに母が落ち着かせるために僕を抱きしめて「ゆっくりで、リラックスしていいよ」みたいに言ってくれたことは覚えています。

――吃音って未だに原因がわかっていない。だから直るのか直らないのか。周囲がどう接するのが正しいのかもわからないと聞きます。

正しいのかどうかはわからないですけど「吃音であることを意識させちゃいけない」という話を聞いたこともあります。hiroさんは活動を通じて、吃音の研究をされている方のお話を聞かれたり、他の症例もたくさん見てきたと思いますがいかがですか?

hiroさん:難しいですけど、僕は「早いうちに意識した方がいい」と思っています。当事者になった以上はいつかどこかで吃音に悩む経験をしなくちゃいけなくて、だったら「早い方がいいな」って個人的には思ってるんです。

「どう接してもらえたらいいか」っていうのも、互いに「吃音がある」とわかった上で、「無理して話すことを強要しない」、ありきたりなんですけど「わかってもらっている」っていうのが一番ですね。

最近は吃音だけでなく、場面緘黙症、トゥレット症、発声障害など、声を出すことに困難を抱えているさまざまな当事者を対象にした会も主催しているんですけど、どの当事者たちも、多くの人にそうした障害があることを知ってほしい。理解してほしいと考えているところは共通しているようです。

(場面緘黙症は、言語能力に問題がないにもかかわらず、特定の状況や場所で話すことができなくなる不安障害の一種です。発声障害は、声が出にくくなったり、出なくなったりする状態で、声帯や喉の問題、声の使い方、心理的な要因など、原因はさまざまです)

――相手が自分の吃音を知ってくれている人と、知らない人とでは、やはり知ってる人の方が話しやすいですか?

hiroさん:僕は、そうですね。やっぱり知ってもらっていた方が喋りやすいですね。

――確かにその場限りの相手には先に「すいません、吃音なので」と言ってしまう方が楽に話せることもありますよね。でも言えない相手っているじゃないですか?僕は関係性が近いほど言えないです。

hiroさん:僕は妻に言ってます。

――自分からですか?

hiroさん:そうですね。大学時代から一緒なんですけど結構早い段階で伝えました。伝えたときは「確かによく言葉に詰まるよね」と言われました。僕がどもることを理解してくれていたようです。今では、僕が苦手な注文を代わりに言ってくれるなど、サポートもしてくれます。そういうこともあったからか、僕は近ければ言うかな…。親しい友達とか。

――言われたんですね。すごいな。

hiroさん:こういう活動をしていることもあって、どうしても自分のことを知って貰おうとすると吃音に触れることになる。SNSで発信もしているので結果的に「知られている」ケースも多いんです。

――僕もラジオで「吃音です」と言えたのをきっかけに、こうして文章で書くこともできるようになりましたけど、やっぱり相手が不特定多数だからで、特定の誰か、ましてや家族には一度も自分が吃音だと言えたことはないです。だからhiroさんがやられている「吃音などを持つ親の交流会」にすごく興味があった。あの会はどんなきっかけで始められたんですか?

hiroさん:吃音を持っているのが親である人を対象にしたものが、これまでほとんどななかったので、やってみたかったというのがありますね。自分自身がちょうど子育てをしているタイミングでもありましたし。

参加された方々からは、普段できない話が出来た、親同士のつながりができてうれしかったという言葉を頂きました。僕自身も子育てについて他の父親と話ができる機会があまりなかったので良い機会になりました。

ただ、子育て中の人は子育てで忙しく、また年齢的にも吃音とうまくつきあって生活している人が多いので、今現在吃音について悩んでいる人は少ないと感じました。あるいは子どものことで精一杯で自分のことで悩んでいる暇なんてないという人もいるのかもしれない。それがこうした会が定着してこなかった理由かもしれないと思いましたね。

――親御さんが吃音だった方の話は聴いたことがありますか?

hiroさん:あります。遺伝するかどうか、僕は専門家ではないのではっきりしたことは言えないですけど、「親が吃音で、子も吃音」というのはわりといる。でも吃音について「親と話をした」という話は意外と聞いたことがないですね。

――話しづらい理由のひとつに、親が「自分のせいじゃないか」という罪の意識を感じているんじゃないかという危惧もあります。

hiroさん:それもありますよね。「自分のせいで吃音になったんじゃないか」とか「子育てを間違ったんじゃないか」と思う人も多いみたいですし。

――そういう親の罪の意識を軽くしてあげられればとは思っていますね。

hiroさん:僕も両親に「こういう活動をやっている」とは言ってるんですけど、そこにはそれで罪の意識が軽減されたりするのかなという思いがあります。

「パパには吃音というのがあってね」

——お子さんにはどんな姿を、と思いますか?

hiroさん:どうだろう。参加された方の中には小原さんと同じように「子どもにうつるんじゃないか、遺伝したらどうしよう」っていうのは結構ありましたけど。

――子どもが自分の喋り方をどう思うだろうか、とかも?

hiroさん:ありましたね。「子どもの前ではあんまりどもりたくない」っていう方も…。

――hiroさんはどうですか?

hiroさん:僕もできるなら、あんまりどもりたくないですね。

――今、お子さんは何歳ですか?

hiroさん:上が4歳、下が0歳です。なので、まだ吃音を指摘されることはないですけど。大きくなると、分かってくるんだろうな。

――そもそも家だと結構吃音が出ませんか?

hiroさん:出ます。気を抜くというか、素の自分が出るので。「上手く話そう」という緊張感がない。ありのままの自分が出るんですよね。

――僕もそうです。なるべく子どもの前では出したくないと思っているけど、何か感じ取っているんだろうな、とは思っています。

hiroさん:僕は「パパには吃音というのがあってね、上手く喋れないんだよ」って言えそうな気がしています。

――本当ですか?

hiroさん:週末とか、こういった取材など吃音関係のことで呼ばれたりするじゃないですか。そうなると「なに、なに?」という話にもなってくると思う。「吃音のこういうものをやって来るね」って、いずれは言うことも出てくると思いますし。そう思うと、吃音のことを子どもに言えそうな気がします。

——hiroさんの言葉にはお子さんたちに対する「君も君らしく生きていいんだよ」という父親としての強くてやさしいメッセージと決意のようなものを感じますね。

【写真】顎を手に乗せながらインタビューにこたえるひろさん

——hiroさんはどうすれば吃音当事者が生きやすい社会になると思いますか?

hiroさん:やっぱり吃音を隠さなくていい、というのが良いかもしれないですね。

――隠してしまうのはそもそも自分自身が吃音を「ネガティブなもの」と捉えているからでもありますよね。

hiroさん:そうですね。「なんでどもりたくないんだろう」って思ってる自分にも「なんかな…」って思っちゃうんですよね。「どもることが恥ずかしい」と思ってるからなんじゃないかな、と。無人島にひとりだったとしても、僕はどもりたくないんですよね。

――そこまで吃音を遠ざけたいと思っているにもかかわらず、当事者の方々と積極的に関わっていくのはどうしてですか?

hiroさん:なんででしょうね。吃音はなければないがいいけど、現実的になくすことは無理ですし。それよりも吃音をきっかけに、いろんな出会いや経験の場を作り出すことを目指した方が、楽しく有意義に過ごせるな、という思いで、やっているんだと思います。

具体的に「自分はこうしたい」、「社会をこう変えたい」とか、そんな大それたことは全然思っていなくて。自分が楽しかったり、あとは自分の周囲に集まってくれた人が楽しめたらいいな、という単純な欲求からですね。そんな大それたものじゃない。

自分が主催した会に参加してくれた人が「楽しかった」「また来たい」と言ってくれるとうれしい。自分が主催した会がきっかけで出会った人同士が親しく交友を続けているのを見るのもうれしい。

反対に、主催した会についてネガティブな意見を見ると、やはり悲しい。でも、人には合う合わないがあるし、感じ方も人それぞれだから、仕方ないと割り切るようにしてます。すべての人が満足する、万人に受け入れられる活動なんて存在しないですしね。

――今、吃音で悩んでいる方に対して、お伝えしたいことはありますか?

hiroさん:吃音で悩みも、辛いことも、たくさんあると思うけど、悩むこと自体が悪いことじゃない。さっきも言ったようにある意味必要なことかと。

今まさに悩んでる方に、そんな簡単なことは言えないかもしれないですけど…。吃音で悩みながらも、自分が好きなことをやったり、楽しんで暮らしている人はたくさんいるので。悩みながらも、いろんなことを、諦めたり、投げ出したりせず、好きなものや「これだけは誰にも負けない」みたいなことを、とことんやってほしい。

子どもだったら、勉強や遊びで全然良い。本を読むのが好きなら、本をとことん読めばいいし、サッカーが好きならサッカーをとことんやればいい。そういう「打ち込めるもの」があれば、吃音があっても、自信を持って、胸を張って、生きていけると思うんですね。そういうものを見つけて頑張って…。

吃音というものを排除するのではなくて、吃音を悩みつつ、抱えつつ、その上で、色んな、好きなことを、とことん頑張るといいのかな。

【写真】顎に左手を当て、笑顔でお話しするひろさん

「話せない自分」を隠すのではなく「話し方を工夫している自分」を曝け出す。そこに吃音から逃げ続けてきたわたしと、吃音と向き合う道を選んだhiroさんの違いがあるような気がしました。言いたいことを捨てて生きてきたわたしと、言いたいことをどもりながらも言おうとしてきたhiroさん。

お話を伺っていて、吃音を本人に意識させないというのは誤った認識だったのかもしれないなとも感じました。社会に当たり前に存在するものとして吃音をタブーにしないことが大切なのかもしれないと。

でも、それには社会の理解が不可欠となります。特に吃音に対する「からかい」が起きる幼児期にこそ「発話に悩んでいる人がいること」についての教育が必要になります。だからこそ吃音を抱える親は子に吃音のことを話さなければならないのかもしれない。hiroさんが家族に吃音を隠さない姿にはそういう社会にしていなければならないという使命感も感じました。

無理に話さなくていい。言葉が出ないときは、立ち止まってもいい。でも、どうか、自分の好きなものや得意なことを、ひとつだけでも見つけてほしい。きっとその先に、あなただけの“言葉”が見つかるから。

話を聞きながら、hiroさんが自身の経験から紡ぎ出された言葉を感じていました。吃音とともに生きてきたからこそ見つけることができた、やさしくて強い言葉を。

わたしは今も妻と子どもには自分が吃音であると伝えることができていません。わたしは今日も吃音を隠しながら生きています。その証拠に今回の対談音声を聴いても編集の工藤さんやフォトグラファーの秋吉さんに気づかれるほど(気づいていてもスルーしてくれていそたのかもしれませんが)どもってはいませんでした。

自分自身では何度もどもりそうになっている瞬間がわかるのですが、

①どもりそうになったら別の言葉に言い換えること
②極度に緊張を強いられるような場面は避けること
③必要最低限しか喋らないこと

という冒頭のルールを頑なに守っていたせいです。

読まれた方の中には吃音者同士の対談なのにどうして「ぼ、ぼ、ぼくは…」と書いていないんだと思われた方もいるかもしれませんが、それが原稿上では吃音であることが感じられない理由であることを最後に記しておきたいと思います。

こうして吃音であると公言してもなお、正々堂々とどもることができない。それもまた吃音とともに生きるということなのかもしれません。

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(執筆/小原信治、撮影/秋吉祐子、編集/工藤瑞穂、協力/樫本実夏)