
社会の中で生きている、と言っても、普段関わる人たちはどうしても同じ属性、同じ価値観、同じ年代の人たちが中心になっていきます。ニュースや選挙結果など、大きな社会に触れる度に、自分が見ている社会はほんの一部なのだ、と実感します。
同じ価値観でつながるコミュニティは居心地がいい一方で、思考や視野が狭まって凝り固まっていってしまうことも。自分とは“違う”人と交わることで、自分が大事にしたいことの輪郭がはっきりしたり、“違う”けど一緒にいられる豊かさもあるのではないか、と思うのです。
とはいえ、なかなか自分と“違う”人たちと交わる機会は多くありません。地域社会を見渡してみても、乳幼児、小学生、子育て世代、高齢者など、それぞれの需要や困りごとをベースにした施設やサポートがあり、集う場所は分かれています。
本来、社会には多様な人たちが存在しているけれど、体感がないままに想像力が欠け、自分たちの利益ばかりを考えてしまう。そんな怖さを感じることもあります。
そんな中、年代も属性も異なる多様な人たちが混ざり合う、“誰にでもひらかれた場所”に出会いました。

東京・上北沢にある昭和の民家を活用した地域の居場所「岡さんのいえTOMO(以下、岡さんのいえ)」です。戦後からこの家に暮らしてきた岡ちとせさんの想いを受け継ぎ、2007年、オーナーの小池良実さんが“地域共生のいえ”として開設。現在は「まちのお茶の間をつくる」をコンセプトに、地域内外の多様な人たちが集う交流の場として運営されています。
18年間続いてきた岡さんのいえはどんな場所なのか。
まずは、とある日、岡さんのいえに広がっていた風景からお届けします。
老若男女が混ざり合う。岡さんのいえTOMOの風景

春から夏へと季節が動く頃、隔週水曜日に開催されている「開いてるデー」にお邪魔しました。参加費は不要で、誰でも気軽に立ち寄り交流ができます。
15時になると庭先の縁側に駄菓子が並べられ、小中学生が集まってきます。学年も性別も関係なく混ざり合って、駄菓子を食べ、水風船を投げ合って、どこか懐かしい昭和の空気が漂うよう。

小学3年生の頃からこの場所に通う“常連”の中学生が話を聞かせてくれました。
中学生:児童館の帰り道、駄菓子屋さんかな?と思って来てみたら、昭和のボードゲームとかもあって面白い。シャボン玉とか竹とんぼとか普段なかなか遊べないし。学校では男女別れて特定のグループで遊んでるけど、ここでは男女も、赤ちゃんも大学生もおばあちゃんも、年齢もごちゃまぜ。それが楽しいのかも。親にがみがみ言われることもないし。水風船をばしゃっと投げて怒られることはあるけど(笑)

岡さんのいえは児童館の通り道にあり、「駄菓子屋がある」と聞きつけて来るようになった小学生も多いそう。その日もたまたま通りかかった赤ちゃんと幼児とお母さんがふらっと駄菓子を買いに来ていました。小中学生たちは、年下の子どもにおすすめの駄菓子や買い方をやさしく教え、お年寄りたちは赤ちゃんに「かわいいねえ」と声をかけています。

駄菓子屋を営むのは近所に暮らす矢野さんです。
矢野さん:病気の後遺症があって、免許も返上して趣味の手芸もできなくて、何もやることがなくなっちゃってね。もう人生終わりだって死にたくなっちゃったんだけど、たまたまこことつながって。90歳のおばあちゃんと交代で駄菓子屋をやることになったの。そしたらもう、子どもたちに会えるのがうれしくて。生きがいのようなものですよ。
家にひとりでいても空気が動いてないのね。子どもたちがいるだけで空気がパッと明るく楽しくなる。歳をとるとなかなかそういう空気に触れられなくなるから。ここでは赤ちゃんも抱っこできるし。こんなに混ざり合える場所はほかにないですよ。

部屋の中では、椅子に座ったままできる体操教室が行われています。子どもは駄菓子、大人は体操をきっかけにこの場所にくることが多いそう。駄菓子屋担当の宮本さんもそのひとり。

宮本さん:近所に住んでいて、掲示板の張り紙を見て、体操を目的に来たんです。そのうちにコーヒーを飲みに来るようになって、気づいたら駄菓子屋の担当になっていました(笑)。気づいたらこの場にいるという人も多いんですよ。

体操のあと、16時からは同じ地域にある雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」とのコラボレーションで「昭和クイズ」で大盛り上がり。大人たちに混ざって張り切って手を上げる小学生の姿も見られます。ここで友だちになったという団塊世代のお三方は、クイズに答えるだけでなく出す側としても活躍。事前に集まってクイズを一緒に考えたそう。

参加者:定年になってやることがなくなって、地域につながりもなくて。たまたま通りかかってなんだろう?と入ってみたら、同じ世代の方々がいて、友だちができました。
赤ちゃんから小中学生、子育て世代から団塊世代、お年寄りまで。年齢も性別も属性も異なる、ざっと数えただけでも30人を超える人たちが混ざり合う場所がそこにありました。
岡さんのいえはどのようにしてその芽が生まれ、育まれてきたのだろう。そんな問いをもって、オーナーの小池さんにお話を聞きました。
「地域と子どもたちに役立ててほしい」。想いを受け継ぐ
築78年の民家であるこの場所は、今は亡き岡ちとせさんのご自宅でした。
明治40年(1907年)に宮城県仙台市に生まれた岡さんは、女学校の英語教師を経て、戦後の昭和21年(1946年)から外務省に勤務。その2年後に東京・上北沢に居を構え、友人の諫山イ子さんとふたりで暮らし始めました。
敬虔なクリスチャンだったふたりは「住み開き」をして、近所の子どもたちに英語やピアノを教えていたそう。岡さんのいえには、子どもたちが出入りして賑やかな声が響き渡っていたと言います。

資料1 岡ちとせさんは、ご自宅を住み開きしてたくさんの子どもが集まっていた(提供写真)
岡さんのいえに通っていた子どもの一人が、現在の岡さんのいえのオーナーである小池良実さんでした。岡さんは小池さんの大叔母(祖父母の妹)にあたります。
小池さん:岡さんも諫山さんも孫のように可愛がってくれて。遊びに行くと、紅茶とケーキを用意して出迎えてくれたことを今でもよく思い出します。

資料2 幼い頃の小池さんと孫のようにかわいがってくれた岡さん(提供写真)
時が経ち、岡さんが90歳を超えひとり暮らしとなった際、小池さんは介護の窓口をすることに。2006年、99歳で亡くなるまでの6年間、北沢の自宅から岡さんのいえに通っていたのです。その中で、岡さんから遺言を預かりました。
この家は私の子どものようなものだから、地域や子どもたちのために役立ててほしい。
とはいえ、小池さんは別の地域に暮らし、当時5歳の子どもを育てる主婦。岡さんの親類ではあるけれど、法定相続権はありません。この場所をどうしたらいいのか?小池さんは悩みに悩んだそう。
小池さん:岡さんは独身でいらしたので、介護を担当できる人がおらず、私が担わせてもらいました。岡さんの介護をするだけだと思っていたので、自分がこういう場所を動かしていくことになるなんて夢にも思っていませんでした。
岡さんの思いを引き継ぐことができるのか?当時は地域コミュニティの事例が身近になかったので想像もできなくて。やってみたい!いや無理無理!って、気持ちが揺れ続けていました。

オーナーの小池さん
そんな小池さんの背中を押したのは、当時世田谷区で空き家を活用した地域の居場所づくりを構想していた「一般財団法人世田谷トラストまちづくり」の職員でした。
小池さん:考え始めた当初は岡さんはご存命で空き家ではなかったんですけどね。ここを取り壊してアパートを建てたほうがいいんじゃないかという考えも頭をよぎりましたよ。でも幼い頃、子どもたちの声が響き渡っていたあの賑わいを取り戻したいという想いもあったんです。
世田谷トラストまちづくりの職員さんは、揺れる私の気持ちを否定せずにただ聞いてくれて、寄り添ってくれた。道なき道の最初の一歩を支えてくれました。
こうして小池さんは遺贈を受け、岡さんの想いを受け継ぐことに。岡さんのいえは世田谷トラストまちづくりの「地域共生のいえ」としてスタートしたのです。
※「地域共生のいえ」とは、世田谷区内の家屋等のオーナーが自己所有の建物を活用して主体的に行うまちづくり活動とその拠点を指します。
人が人を呼び、「やりたい」を起点に育っていく場所
個人の自宅を地域にひらかれた「みんなの家」にするためにはどうすればいいのか。何から始めればいいのか。
小池さんはまず、荷物で溢れかえる家を片づけ、簡単な耐震補強、畳の張り替えやキッチンの改装を進めました。
小池さん:もう本当に手探りでした。資金もゼロなので自腹を切って……。世田谷トラストまちづくりを通して、建築の専門家のアドバイスを受けながら、とにかく家を片づけました。ものが多くて1トントラック3台分くらい捨てましたよ。ある程度家が整ったので、とりあえずひらいてみたんです。

2007年の七夕、岡さんのいえがオープン。とはいえ何をやっている場所なのかわからない状態で、近所のマンションのオーナーから警戒するような目線と言葉を向けられたことも。
最初に突破口を開いてくれたのは、地域の子どもたちでした。
小池さん:駄菓子屋をやりたくて、近所の子たちに『いつがいい?』と聞いたら『学校が早く終わる水曜日がいい』っていうから水曜日に駄菓子屋を始めたんです。

オープンから数ヶ月が経ち、さらに流れが変わったのは、世田谷トラストまちづくりが主催する「世田谷トラストまちづくり大学」のフィールドワークの場所として選ばれたことでした。まちづくり活動に携わる実践者の育成を目指したその大学で学ぶ人たちに「この場所を絵に描いた餅にしないで手伝ってほしい」と声をかけたことから、卒業生が岡さんのいえを手伝うことに。ボランティアで関わり、活動を支える「見守り隊員」が生まれたのです。

見守り隊員の中島さん
中島さんはオープンから18年、見守り隊員として関わり続けています。
中島さん:定年で会社を退職して、じっとしていられない性分なので何かしたいなと行き着いたのが、区民活動をする人たちを養成する講座『世田谷トラストまちづくり大学』でした。その中でここを訪ね、小池に巻き込まれ続けています。イベントの企画やスケジュールの管理など、運営全般に関わっています。
ひとりで手探り状態で岡さんのいえを運営していた小池さんにとって、志のある仲間の存在は大きかったと振り返ります。
小池さん:ひとりで船を漕がなくてよかったから、事業計画もないまま、流れるように18年も続いているんだと思います。
18年の間、見守り隊員やここを訪れる人たちの「やりたい」を起点に、さまざまな取り組みが生まれました。
蓄音機の演奏会に、高校生による理科の実験室、まちの保健室カフェに、子育てサロン。東日本大震災が起きた年には、復興ファンドの助成金を使って、津波により浸水した宮城県東松島市を訪ねたり、家族を招いて流しそうめんなど交流会を催したこともありました。

駄菓子屋はオープン当初から変わらず、毎週水曜日にひらき続けています。
小池さん:ここは駄菓子屋じゃないけど、子どもたちには駄菓子屋だと思われていますね。オープンして3年目くらいに駄菓子を買いに来た小学生が、学校の日記に『岡さんのいえが楽しかった』と書いてくれて、それを読んだ担任の先生が訪ねて来てくれたんです。そこから小学校との交流が始まって、見守り隊員が講師として学校に授業に行くこともありました。
大学の都市工学の研究対象に選ばれたり、まちづくりセンターの職員さんが訪ねてきたり。自然なかたちで学校や公共の場とつながることができたのはありがたかったです。
人が人を呼ぶかたちで、地域に認知が広がり、場が育っていったのです。
“みんなの「まちのお茶の間」をつくる”ための活動
オープンから10年以上が経った2020年、小池さんたちはコンセプトと運営体制を整理しました。これまで自然な流れでやってきたことを改めて言語化したのです。

資料3 岡さんのいえTOMOのビジョンは「多様な個性を思いやる社会」(提供資料)
掲げたミッションは、みんなの「まちのお茶の間」をつくること。
小池さん:まちのお茶の間ってキーワードは岡さんのいえにぴったりだと思うの。広告代理店で働いていた見守り隊員が考えてくれたんですけどね。擬似親戚って言ってるんだけど、擬似でもいいから遠い親戚みたいに、集まれるときに集まれる人が集まって、何かあったときに、何もなくても、お互いに気にかけられるといいですよね。
“多様な人たちがごちゃまぜで、遠い親戚のように集まれる場所”──そんな「まちのお茶の間」をつくるために、活動内容も明確にしました。
例えば2015年から始まった「サンデークラブ」は、水彩画や鉄道、囲碁や手芸など、得意なメンバーが講師になって開催されるクラブ活動。
毎週水曜日の夕方に開かれる「たからばこ」は、近隣の日本大学理学部の大学生が主体となって運営する中高生の居場所。
小池さん:一緒にごはんを食べたり、ボードゲームをしたり。外国籍の子も、不登校の子も、やんちゃな子もいますね。たまに小学生も混じるんだけど、そうするとやんちゃな子たちがやさしくなるんですよ。混ざるいい効果だなと思いますね。
第4土曜日の夕方に開催される「岡’sキッチン」は児童養護施設を出た子どもたちを招いた食事会。区の委託を受け、日本大学文理学部福祉学科の大学生と一緒に運営しています。
小池さん:近所に児童養護施設があって、岡さんが住み開きをしていた頃から子どもたちを受け入れていたんですね。アメリカ軍との間の子どももいて、異国に戻った父親から届いた英語の手紙を翻訳したりしていたそう。一緒にごはんをつくって食事をしておしゃべりをするだけですが、大学生とふたりで帰る道でぽろっと本音が漏れることもあって。施設や区と連携しながら、子どもたちを見守っています。
レンタルスペースとしては、書道や英語、そろばん教室が開かれていたことも。広報活動としては、大学での講演会に呼ばれたり、台湾など海外からも視察が来たこともあったそう。
現在ボランティアで活動する「見守り隊員」は15名ほど。見守り隊員とは別にフルタイムで働きながら関わるプロジェクトリーダーが月に1度の頻度で会議をして、開催するイベントなどを決めています。
いつ来ても、来なくてもいい。誰にでもひらかれた自由な居場所
街にひらいた「お茶の間」を営み続けて18年。小池さんが運営する中で大事にしていることは?

小池さん:できる人ができることを、できるときにできる分だけやる、ということですね。個人的な想いで始めた場所で、形ある組織でもなければ、ともに運営してくれる人たちにお給料を払っているわけでもない。無理をすると、ここへ来ることが辛くなってしまうと思うので。『まあいっか』の精神で突き詰めない。人も場所も変化しますから。来る人拒まず、去る人追わずと言いますか。ゆるく長くお付き合いいただけたらと思っています。
NPO法人などの法人格を持たず、任意団体として運営してきたのも、できる人ができることをやる自由を守るためだったと言います。
小池さん:ここへ来る人も、見守り隊員の方々も、私も、みんな自由なんです。いつ来てもいいし、来なくてもいい。いつやめてもいい。その自由を守るために任意団体としてやってきたとも言えますね。自由な意思でここまで続いてきた。この場所も私も歳を重ねてきたので、この先を見つめて、最近は組織にしていくことも考えてはいますけれど。
ボランティアで成り立つ岡さんのいえには、明確なルールはないそう。
小池さん:ルールはないけど、配慮はあります。初めて来た人たちにこちらから声をかけることはあるけれど、どこから来て何をしている人なのかとか、詳しい背景をこちらから聞くことはありません。来た人同士で自然に会話が交わされることはもちろんありますが。どんな背景の人であっても、ただここにいられる、ということを大事にしています。

18年間、見守り隊員として岡さんのいえの運営に携わる中島さんは、この場所の魅力をこう語ります。
中島さん:この場所の魅力は、誰が来ても拒まないこと。ここに来た背景とか、何をしてるとか、誰も聞かない。僕もよく知らない人たちばかりですよ。黙ってふらっと来て帰る人も多いですし。今こうして社会が殺伐としちゃって、なかなかね、地域で混ざり合って交わる機会も減っているでしょう?そんな中、いつでも来れる場所があるっていうのはいいものですよ。
混ぜるのではなく、混ざる。遠い親戚の集まりのように
それにしても岡さんのいえではどうしてこんなにも多様な人が混ざり合って一緒にいられるのでしょう。
小池さん:狙って仕掛けたわけじゃないんです。混ぜるのではなく、混ざったら放置。するとみなさん主体的に動いてくださって、発見も発展もあるんですね。
90歳のおじいちゃんが錆びた庭の塀を『塗ってあげるよ』と勝手に塗装を始めちゃったことがあったんですが(笑)、学生がおじいちゃんにインタビューをしたり。大正大学の学生が一箱古本市を開いたり、東京農業大学のグリーンアカデミーの方が庭に野菜を植えて育てたり。普段なかなか交わらないような人たちが集まって、混ざるだけでいろんな化学反応が起きるんです。
混ぜるのではなく、混ざる。岡さんのいえには運営する人と利用する人の境目がないように感じます。子どもたちが遊ぶ姿をお年寄りたちが眺めたり、井戸端会議をしていたり、親戚の家に集まっているような光景が広がっています。

小池さん:擬似でもいいから、遠い親戚のような存在って必要だと思うんです。息子が生まれたとき、テレビでアフリカの小さな村の部族が、赤ちゃんに乳をあげることも含め村中の人たちで育てている姿を見たんです。もしかしたら人間としては、それがプリミティブで自然なかたちなのかもしれない。
擬似でもいいから地域に関係性があると楽になるんじゃないかって思うんですよ。子育ても介護も今はいろんなサービスがあって、お金を払えば楽になることもあるけど、中にはそうじゃない場所があってもいいんじゃないかって。

サービスでも支援でもなく、誰にでもひらかれている場所。ふと、幼い娘と狭いマンションでふたりきり、息が詰まるような孤独を感じていたことを思い出しました。
小池さん:そういうときにふらっと出かけてほんの一瞬でも、自分以外の人が子どもと関わってくれるだけでも楽になると思うんです。実際に『岡さんのいえがなかったら2人目の子どもを産む気にはなれなかった』と言ってくれたお母さんもいました。
子育てや介護といったケアの最中にいる人たちから、中高生や団塊世代など支援の網目からこぼれてしまいがちな人たちまで。カテゴライズされない多様な人たちがただ集まれる場所はきっと多くの人の小さな救いになるはずです。
小池さん:ここに来る中高生たちの親御さんの顔はほとんど知らないんです。それでも岡さんのいえに行くって言えば親御さんも安心してくれるみたいで。『親に干渉されないからいい』って言っている子もいましたね。
お年寄りたちも外に出るきっかけになるみたいです。包括支援センターとも連携しているので、うちに来なくなったら自宅訪問をしてもらったりもしています。
ただ集まる中で、自然と困りごとを発見して共有できる。ちょっとだけ生きやすくなる瞬間はあるかもしれないですね。
社会を垣間見る。多様な人とつながる豊かさ
仕事でも義務でもなく、小池さんがこの場所をひらき続けられるのはどうしてなんだろう。最後にそんな問いを投げかけてみました。

小池さん:豊かなんですよね、結局。小さな家をひらいたことで、私が社会を教えてもらったといいますか。いろんな人が出入りして、こんな人もいるんだって多様な社会を垣間見ることができた。大学の先生とか代理店に勤める人とか、大学生とか専門家とか、家でお母さんと主婦をしているだけでは出会えなかった人たちばかり。
私自身もこの場所、ここでの人のつながりに助けられているんです。支援する側、される側ではなく、混ざり合うからこそ「お互いさま」が生きてくるんですね。
もちろん面倒なことだってあるけど、多様な人とつながる豊かさがある。コロナ禍以降、個室化が進んでごちゃまぜな場所は少なくなっている気がして。面倒なことを避けて便利さを優先する中で、自立しているようで孤立しちゃう人も少なくないと思うんです。
ここの運営は常にカツカツだし、金銭的な豊かさは手にしていないけど、人間的な豊かさがある。私にとってこの場所にいることはすごく贅沢なことなんです。

岡さんのいえにいる数時間、赤ちゃんから中学生、80歳を超える方々まで、普段なかなか接することのない人たちと混ざり合い、たわいもない言葉を交わしました。
私はこんなにも多様な人が混ざり合う場所をほかに知りません。いわゆる“コミュニティ”と言われる輪にゆるく関わることもあるけれど、同じ属性の人たちが集まりがちです。例えば子育てをするママ、同じ業種で働く人、同世代など。共感できる居心地のよさもあるけれど、ママが集まる場なら“ママ”という自分の一部だけを見せて、そこにいるような感覚になることも。
岡さんのいえは、何者でもないただの自分で、曖昧な存在のまま、ただそこにいられる場所なのかもしれません。
情報や記号ではなく、温度のある人の佇まいと言葉に触れることで、偏りがちな狭い視野、自分が見ている社会の枠が少しだけ広がったような気がします。
初めて訪ねた場所なのに、不思議と疎外感を感じることはなく、どこか懐かしい安心感に包まれていました。その安心の正体はきっと、岡さんから小池さん、そしてここに集う人たちに自然と受け継がれてきた他者を想う気持ち、配慮があるからなのでしょう。
目の前の暮らしにちょっと行き詰まったとき、そうでなくても、ふらっとまた岡さんのいえを訪ねたいと思います。
関連情報:
岡さんのいえTOMO ホームページ
(撮影/阿部由美、企画・編集/工藤瑞穂)
