【写真】登壇者2人が並んで座っている

“息を吸って、そしてゆっくり吐いていきます”

2017年12月10日(日)に行われた「soar conference 2017」。その最後のセッション「いとなみ」は、体をほぐすためのヨガストレッチからスタートしました。

息を吸い、そして吐く。普段何も考えずに行っている「呼吸」に参加者全員が意識をした瞬間でした。

【写真】腕を伸ばしてストレッチをする参加者ら

私たちは、いつもの場所で朝目覚めて夜眠るまで、呼吸をし、食事を口にし、外に出かけ、誰かと出会う。当たり前のようにさまざまな「いとなみ」を続けています。その「いとなみ」の集合が、まさに私たちの「日常」です。

人生最期の日、命尽きるときまでこの「日常」は続いていく。

ついそんな錯覚をしてしまう事があります。ですが、実際は、病気になったり、年を重ね介護が必要になったりするとどうでしょうか。自宅はもちろん、社会や町からも切り離された“非日常”のなかで日々を過ごさなければいけないことも多いのです。

カンファレンス第4部「いとなみ」では、Community Nurse Company株式会社代表取締役の矢田明子さん、株式会社シルバーウッド代表取締役の下河原忠道さんのお話を聞きながら、私たちはどうすれば最期の瞬間まで日常を積み重ねていけるのかを考えました。

町を健康で幸せな人でいっぱいにしたい

【写真】笑顔で語るやださん

“信じていること。もっと健康にもっと楽しく生きられる力を持っている”

Community Nurse Company株式会社代表取締役の矢田明子さんのお話は、こんな言葉からスタートしました。Community Nurse Companyの役割は、独自プログラムによる「コミュニティナース」の育成です。コミュニティナースは、病院ではなく、町のなかにいる看護師のこと。住民たちと日頃から顔を合わせつながりをつくっていくことで、町全体を元気にしています。そして、毎日の活動を通して、地域の輪をさらに広げ、町を健康で幸せな人でいっぱいにすることを目指しています。

プログラムを修了したコミュニティナースたちは、地域のさまざまな場所で、健康や暮らしに関する相談対応や関わりを行っています。

このCommunity Nurse Companyを立ち上げたのが、島根県出雲で生まれ育った矢田さん。立ち上げ前の仕事は、老人ホームなどでの経理や民間企業での企画運営。元々看護師だったわけでも、“誰かをケアする仕事”をしていたわけでもありません。

矢田さんがCommunity Nurse Companyを立ち上げるきっかけとなったのが、お父さんを癌で亡くしたという経験でした。

なかなか病院に足が向かず、矢田さんが初めてお見舞いに行ったときにはすでに末期の状態。「なんで俺がこんな病気になるんだ!死にたくない!」と言いながらお父さんは亡くなっていったのだそうです。

矢田さん:父が病気になったことで、父のようなごくごく普通の人は、日常のなかで病気とか健康の知識を持っている看護師などの専門家に出会うことがないと気づいたんです。病気になってから、初めて病院で出会うっておかしくないですか?

もし、普段の動線上に、家族以外のおせっかいを焼いてくれる人との出会いがあったら、お父さんも健康について考えたり、もっと早く病院を受診したりすることができたのではないか、と矢田さんは話します。

矢田さん:娘として、機会の不平等が命や暮らしの不平等に繋がっているとしたら理不尽だなと思いました。人は、もっと健康に、もっと幸せに生きていく力を持っているはず。だから、人の暮らしの動線に乗っかってお節介を焼きたいと思うようになりました。それで、健康や暮らしのエキスパートである看護師と保健師の資格を取ろうと決めたんです。

ヤクルトレディとして、営業の仕事をしながら学費を貯めて、学校に入った矢田さん。看護師資格を取得したのは、31歳のときだったそうです。

家族以外に健康増進や病気の発見、予防に関わるような第三の関係を築く

【写真】笑顔で食事中の人々と話す、コミュニティナースカンパニーのメンバー

日本には、約160万人の看護職がいます。その85%は、病院など病気になってから初めて出会う場所にいるのだそう。予防の最前線である予防的看護に従事しているのは、行政の保健師等、わずか5%です。

矢田さん:行政の保健師たちは、本当に一生懸命働いているということに、私自身が看護師と保健師の資格を取ったことで気づきました。でも、みなさん、普段行政の保健師に出会うことがありますか?きっとないですよね。

行政の保健師は、病気予防のためにハガキを出すなどの健康に関する啓蒙活動に取り組んでいます。矢田さんのお父さんもそういったハガキを受け取っていました。ですが、健康情報が書かれているそのハガキをじっくりと読み、それを参考に体や健康について考える、というところにまでは至っていなかったといいます。そういう方は、きっとたくさんいるのではないでしょうか。

もっと、暮らしのなかに看護師が食い込んでいかないといけない。矢田さんはその思いを胸に、「コミュニティナース」という言葉を、看護の学校に通っていたときから使っていたそうです。

矢田さん:コミュニティナースは、地域の暮らしのなかで、お節介を焼いたり、病気の予防をしたり、いち早く病気をみつけたり。そういう役割を持っています。みなさんがイメージする病院で働いている“看護師”とは少し違うんです。知識と技術を活用して地域の住民と一緒に“楽しい毎日”と“心と体の安心”を作るのがコミュニティナースです。

“楽しい”ということを大切にしていると話す矢田さん。やはり、そこにはこの活動を始めるきっかけとなったお父さんの存在があります。

子どもを大学に行かせるとか、自分の商売のことを優先しがちなごくごく普通のお父さんたち。そういった人たちが、思わず関わりたいと思うような楽しいことをしなければ、結局はコミュニティナースとの関係を築いてもらえないからです。

2017年12月現在、Community Nurse Companyのプログラムを修了したコミュニティナースは68名。矢田さんは、コミュニティナースを町に受け入れたいという自治体とのマッチングにも力を入れています。

コミュニティナースが好意的に受け入れられている地域では、住民たちが「今日はコミュニティナースがいます」という看板を作ってくれたこともあるんだとか。その活躍の場は、公民館や郵便局、ガソリンスタンド、居酒屋などにも広がっています。

気軽に外出できない人のために、食料品や日用品を販売する移動販売車に乗ったコミュニティナースも登場しているそうです。

矢田さん:コミュニティナースとして作りたい価値は、家族以外に健康増進や病気の発見、予防に関わるような第三の関係を多くの方に持ってもらうことです。家族の言うことは素直に聞けないけれど、第三者の声には耳を貸すような“お父さんたち”がたくさんいるんです。

家族ではない第三者だから作ることができる“良好な関係”というものがきっとあるはず。どんな人の側にも、そんな存在があったら。もしくは、どの町にもコミュニティナースがいたら、より温かい社会が実現しそうです。

社会との繋がりを回復させる。新しい発想で運営されるサービス付き高齢者住宅

【写真】左手を高らかにあげて語るしもがわらさん

自身を”起業家”と語るのは、株式会社シルバーウッド代表取締役の下河原忠道さんです。下河原さんは、父親から引き継いだ鉄鋼関係の会社を経営するほか、高齢者住宅事業、バーチャルリアリティを使って認知症の一人称体験を提供するプロジェクトなど、さまざまな事業を手がけています。

多岐に渡る事業の1つがサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」(以下銀木犀)の運営です。サービス付き高齢者向け住宅、と聞くとみなさんは何を思い浮かべるでしょうか?

制服を着たスタッフが、病院のような室内で車椅子を押しているような場面を連想する方も多いと思います。

下河原さん:銀木犀では、僕が大家さん。そういうイメージなんです。銀木犀はごく普通の賃貸住宅で、そこに住んでいる人たちがたまたまみんな高齢者で、介護が必要だったり、認知症だったりという感覚です。

スライドに映し出された銀木犀の内観は、これまでの高齢者向けの施設に持つイメージとは全く異なるもの。温かみがありながらもおしゃれな空間は、ごくごく普通の居住空間として住んでみたくなるような佇まいです。銀木犀を建設するにあたり、下河原さんは、国内外の高齢者施設に視察に出向いたのだそう。でも、なかなか「ここに住みたい」と思える場所には巡り会えなかったといいます。

【写真】銀木犀の内部。木の床やテーブル、椅子が整然と並べられている。植物も飾られている

下河原さん:インテリア全体に言えることですが、電球1つとっても、「もしここに自分が住むとしたら」という気持ちで愛情をもって選びました。入居者の方には「ここが楽しい場所、安心できる場所」と感じて欲しいので、居住空間はとても大切なんです。

銀木犀が一般的な高齢者施設と大きく違うことの1つが、玄関の鍵をオープンにしているということ。きっと、鍵のかかった閉ざされた空間で暮らしたいと自ら望む人はいないはず。そんな思いから銀木犀では鍵を閉めないことにしています。

【写真】銀木犀の内部。おしゃれなインテリアに、やさしい印象をもつ丸みのある椅子や広いテーブルが並んでいる

一般的に、「本当は、施設には来たくなかった。」「自宅で暮らしたかった。」そんな思いを持ちながら高齢者施設に入居する人も多いそう。そのなかには、今暮らしているこの施設は、家からも社会からも切り離された「非日常」だと感じながら日々を過ごしている人が少なくありません。

高齢者と社会の関係を取り戻すための仕掛けや、入居者に「楽しい場所だ」と思ってもらえるような仕掛けがたくさんある銀木犀。

なかでも、地域住民を招いてのお祭りでは、入居者たちがいきいきとその準備をするのだといいます。来場者が喜んでいる姿を見ることで、自分が社会の一員であるという意識を取り戻していく高齢者の方が多いそうです。

また、施設内には、おじいちゃんやおばあちゃんが店番をする駄菓子屋があり、お菓子を買いに来る子どもたちでいつも賑わっているのだとか。もともと銭湯の番台だったおばあちゃんの活躍で、最高売り上げ額は、なんと1ヶ月で40万円でした。

下河原さん:日常的に地域の人が銀木犀を訪れているので、あんまりにも子どもがうるさくて、部屋に戻ってしまう人もいるくらい(笑)。でも、施設のなかに子どもの声がしているということが、社会とのつながりの回復に大きな影響を与えるんじゃないかなって思うんです。

対等であるからこそ、築くことができる信頼関係

【写真】セッション全体写真

ここからは、NPO法人soar代表理事工藤瑞穂とNPO法人soar理事モリジュンヤがモデレーターとなり、4人のトークセッションという形でトークが進みます。

「利用者の方などと接するときに、ケアする立場として、気をつけていることはありますか?」という問いに対し、矢田さんと下河原さんお二人とも、ケアする側の人間として、される側の人間と対等であることを意識していると話します。

一般的な介護の現場だと、ケアする側がユニフォームを着ていて、ビジュアル的に“介護する側”と“される側”が分かってしまうことが多いという下河原さん。銀木犀ではユニフォームはなく、その見た目からも対等を意識しています。

また、下河原さんからスタッフに伝えているのが、入居者の“want”と“need”を見極めること。“want”にばかり反応してしまうと、給仕のようになってしまい、それは対等な関係ではなくなってしまうといいます。

銀木犀では、もちろん年上の方、目上の方への敬意として、入居者への敬語は大切にしています。ですが、時間を経て信頼関係ができ、仲良くなった後もマニュアル的に敬語を使い続けることは、銀木犀の文化ではないのだそう。

一般的に「正解はない」と言われている介護の世界。でも、「正解はある」と下河原さんは話します。

下河原さん:私は目の前の人の笑顔が正解だと思っています。目の前の人の反応が明確な答えなんです。なので、人間対人間でガチで向き合うことが大事。銀木犀ではマニュアルは作らず、スタッフたちは、目の前の人が何を望んでいるのか、その人のために何が一番いいのかを考えて行動しています。

社会や地域のなかで、医師や看護師は”ちょっと上にいる人”みたいになってしまうことも多い、と話すのは矢田さん。

【写真】満面の笑みで話をするやださん

矢田さん:いかにおもしろく遊ぶか…くらいの気持ちで、対等でお願いします、と伝えています。地域の人たちがコミュニティナースを面白おかしく使って、自分たちが元気でいられるようにハンドリングすることは、とても大切なことなんです。

“対等”であるからこそ、その人と人のあいだには、温かなものが流れ、信頼関係が結ばれます。

循環するビジネスモデルがあるからこそ、安定した“いとなみ”を作れる

【写真】壇上の登壇者らの様子。やださんがマイクを握っている

矢田さんと下河原さんに共通するのは、人をケアする仕事をしているということ。そして、二人とも会社の代表取締役で事業家でもあるということです。

この日のお話も、活動内容についてはもちろん、事業家としてのビジネスへの考え方にも及びました。

今まで“ケア”の分野で動いていなかったお金を動かしながら、ビジネスとして成立しているコミュニティナースの活動。社会保障制度に頼らず、違う分野のお金がケアに機能するという状況を作り出しています。

矢田さん:病気になってから動くのが、今の日本の社会保障制度の仕組みです。私たちが目指しているのは、病がついていようがいまいが、100人いたら100通りの健康を支えること。その実現は、今の社会保障費のなかだけでは難しいと思います。

コミュニティナースは、その価値を感じてくれる複数の企業や地自体などからお金を出してもらい、運営をしています。そうでないと、ミッションを固定され、動きを制限されるという、今までの看護師や保健師が抱えていたのと全く同じ問題を抱えることになってしまうから。

矢田さん:どうお金を組み合わせて、やりたいことをやれるように担保するのか。コミュニティナースに価値を見出して、お金を出したいと思ってくれるのは、誰なのか。それを考えながら運営しています。

下河原さんは矢田さんの話に大きく頷き、「社会保障費内で運営しようとするから無理が生じてしまう」と話します。

【写真】真剣な表情で語るしもがわらさん

下河原さん:僕の実家は鉄屋です。鉄屋の息子が高齢者住宅の運営をしたり、バーチャルリアリティをやったり、やりすぎだよね(笑)。だけど、僕の場合は、高齢者住宅の運営だけではなく、元々父から引き継いだ鉄鋼関係の会社の経営もしています。そういった別のお財布があるということが大事なんじゃないでしょうか。1つのことだけではなく、いろいろなことにチャレンジして自分の領域を広げることは、純粋に楽しいんですけどね。

人の“いとなみ”のなかでビジネスを広げるお二人。もしここからのお金が途絶えたらビジネスが成立しなくなる、というのが一番危惧しなくてはいけないことだといいます。

循環するビジネスモデルが、安定した“いとなみ”を作り出しているのです。

本来あるべき“人の死”を日常に取り戻す

日々の“いとなみ”のなかで広がる矢田さんと下河原さんのさまざまな活動。でも、“いとなみ”のその先には、誰も避けることができない「死」があります。トークは、死のあり方にまで及びました。

現在の日本では、最期のときを病院で迎えることがほとんどです。全国の高齢者施設での看取り率は、たった30%ほどだといいます。

銀木犀を人が安心して亡くなっていける場所に進化させていきたいと話す下河原さん。そのために、入居の段階から本人やその家族と絶えず続けているのが、「最期はどこで迎えたいか」「家族はどうしたいか」など、最期のときを巡る対話です。

いくら対話を重ねていても、最期が近づくと家族が「少しでも長く生きていてほしい」という気持ちから、「本当にこの選択で良いのか」「もっとできることはないのか」などと揺れることもあるそうです。

下河原さん:死に向かう人を囲み、揺れ動き、ご家族はもちろん、私たちスタッフもたくさんの学びを得ます。人の死、そして人を看取るということは、本当に素敵なんです。本来あるべき人の死を取り戻すということも、銀木犀のミッションなのだと感じています。

1950年くらいまでは、日本でも最期の時を自宅で迎えることが普通でした。それが現代では困難になり、その役割は病院に代わっています。

看取りの文化を生活の場に取り戻す、それは最期まで日常生活から分断されることなく旅立てるということ。現代に生きる私たちは忘れてしまっているけれど、人間としてあたりまえのことなのかもしれません。

【写真】まっすぐ前を向いたり、腕を組みながら聞いたり、メモをとりながら聞くなど、それぞれ登壇者の話を楽しむ参加者ら

コミュニティナースも、病気になる前から知り合い、関係を築いてきた人を看取ることがあると矢田さんは話します。

病気になってから作られたカルテの情報だけではなく、コミュニティナースはそれまでのその人の歩みを知っているからこそできることがあるのです。

なかには、旅立ちを目前にしている人と、大好きだったラーメンを一緒に食べに行ったコミュニティナースもいるのだそう。病院では責任の所在をはっきりさせなくてはいけないことが多いため、リスクを説明し、行動を制限せざるを得ませんが、コミュニティナースは少し立場が違います。

矢田さん:信頼関係を築き、関わりが深くなれば責任の所在を探すことが少なくなります。なので、病院で働く看護師に比べ、コミュニティナースは思い切った行動が可能になるんです。ご家族も、コミュニティナースたちも、亡くなりゆく人が望む行動を見守れて良かったと話しています。

人の死は、特別で未知で怖くて、そっと隠しておきたいもの…ではなくて、本来もっと日常的なものなのかもしれません。それは、誰にでもいつか平等にやってくるものなのですから。

自分の日常のなかにある、居場所の大切さ

【写真】参加者らに向かって笑顔を見せる、しもがわらさんとやださん

日々死に向かいながら生きている人にとって、いかに“日常”を大切に積み重ねることが大切か。下河原さんは、それをある入居者に教えられたといいます。

大きくて豪華な設備の施設から、銀木犀にやってきたある入居者の方。実は元々は、世界を飛び回って活躍したビジネスマンだったそうです。

その方は、以前の施設がまるでホテルのような雰囲気だからか、毎朝チェックアウトをしたがるのです。「家に帰りたい」「ここは自分の日常生活の場ではない」そんな思いを持っていたのかしれません。

下河原さん:他の施設だとどうにもならない、ということでその方は銀木犀に入居されました。でもうちに来てから、チェックアウトをしたいとは言わなくなったんです。その方が窓際の席に座って、自分で淹れたコーヒーを飲みながら英字新聞を読む姿は、本当に美しいんです。まさに日常生活を取り戻したという瞬間に立ち会った気がしました。

きっと、血の通った温かさや、社会との繋がりが確かにある銀木犀だからこそ、その方は「ここは自分の場所」だと認識し、落ち着いて過ごせるようになったのではないでしょうか。

矢田さんが話したのは、コミュニティナースを介して自分の場所を日常のなかに見つけることができた、あるおじいさんのこと。

地域のなかで孤立していたおじいさん。コミュニティナースは、友達になろうと近づきました。その方は、薬草の研究をしている人だったので、「教えてください!」ときっかけを作り、仲良くなったのだとか。

コミュニティナースは「けっして怖い人じゃないし、こういう良いところもあるよ」と、地域の人におじいさんのことを伝えました。

矢田さん:今まで地域の人とそのおじいさんの間には挨拶もなかったのですが、挨拶が生まれたんです。それは小さなことのように思えるかもしれませんが、その人ひとりの健康にも、地域全体の健康にも関わることだと思うんです。

日常を回復する力を、人は誰しも持っている

【写真】笑顔を見せる参加者の女性

「日常」の尊さ。

私は、それをこれまで意識してこなかったかもしれません。そして、それは形を変えながらも死ぬまで続くものだと過信していたところがありました。

これから年を重ね、死ぬまで。誰の身の上にも、体調を崩したり、歳を重ねたりして、今、私たちが「日常」と思っている毎日を送れなくなる日がくるかもしれません。

でも、たとえ病気であっても、高齢であっても、介護が必要であっても、誰もがその日々を大切に生きる力を持っているのです。自分の大切な人がそういう状況になったら、私たちは何ができるのでしょう。

その人の病気や、重ねてきた年齢だけに目を向けるのではなく、長い人生を歩んできた一人の「人」として見ること。そして、その人が本当に望んでいることが何なのかを考えることが大切なのではないでしょうか。

カンファレンス最後のセッション「いとなみ」。会場からはお二人の明るい語り口に何度も笑い声が溢れました。

その笑い声のなかで、心のなかでそっと祈りました。

誰にとっても、最期のその日がくるまで絶えることない“いとなみ”。それがいつまでもその人の思う日常のなかにあり続けますように、と。

【写真】登壇者らの集合写真

関連情報:
Community Nurse Company株式会社 ホームページ

株式会社シルバーウッド ホームページ

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(写真/馬場加奈子)