友人に会えなくて、つらい。
先日、私はとある友人からこんなメッセージをもらいました。新型コロナウイルスの影響で友人と直接会えなくなった彼は、それがストレスとなり、最近気分が落ち込みがちなのだと教えてくれました。もちろんオンラインで話す時間は設けている。けれど、それでは何かが足りない気がすると彼は言います。
一方、ある友人からはこんな連絡をもらいました。
オンラインコミュニケーションがメインになったことで、以前よりも他者との会話が楽になった気がするんだよね。
彼女はもともと対面で話すと、相手の表情の変化が過度に気になり、不安になっていたと言います。でも、チャットや電話でのコミュニケーションがメインになり、相手の表情を読み取る必要がなくなった。それがとても心地よいのだと話してくれました。
今、新型コロナウイルスの影響によって他者と直接会う機会は減り、コミュニケーションの場がオンラインへと移り変わったものも増えました。同じような状況に置かれているはずなのにひとりはストレスを感じ、もうひとりは心地よさを感じている。
大きな環境の変化により、その人に合ったコミュニケーションの「違い」が浮き彫りになっているのかもしれません。
なぜ人によって違いが生まれるのだろうかーー二人からのメッセージを見ながら思考をめぐらせていたとき、ある人にお話を聞く機会をもらいました。
早稲田大学の教員であり、soarの理事の一人でもあるドミニク・チェンさんです。ドミニク・チェンさんは情報学研究者として、心が満たされている状態、すなわちウェルビーイングであるための情報技術を模索し続けてきました。(参考記事)
そもそも心地よいと感じるコミュニケーションの形は、人によって違うのが当たり前なんですよね。自分に合ったコミュニケーションの量や頻度、速さ、そして相手との距離感などをよく知り、主体的に選びとっていく。それが心地よいコミュニケーションを実現するうえで何より大切になってきます。
また、新型コロナウイルスの影響で、コミュニケーション手段をゼロから考え直す必要に迫られたこのタイミングは、自分にあった形を模索して実践するよい機会になるかもしれない。そうドミニク・チェンさんは話します。
では、自分に合ったコミュニケーションの形は、どのように見つけていけばいいのでしょうか。緊急事態宣言が全国に発令される前日の2020年4月15日、そのヒントを探るべく、soar理事のモリジュンヤが話を聞きました。
オンラインコミュニケーションによって感じるストレスと心地よさ
モリジュンヤ(以下、モリ):新型コロナウイルスの影響で外出自粛が続き、オンラインでのコミュニケーションが増加しています。その変化にストレスを感じる人もいれば、逆に心地よさを感じている人もいる。
今日は、そうした違いは何によって引き起こされるのかを探りながら、一人ひとりが自分にあったコミュニケーションの形をどう見つけていけばいいのかを考えてみたいと思っています。よろしくお願いします。
ドミニク・チェン(以下、ドミニク):こちらこそ、よろしくお願いします。
モリ:ドミニクさんは緊急事態宣言などの環境変化を受けて、日常でのコミュニケーションにどのような変化がありました?
ドミニク:会議などは基本的に全てオンラインに切り替わりました。ビデオ通話ツールで問題なく意思疎通ができるので、特に大きな困りごとはないんですよね。
とはいえ、最近少しだけ「ビデオ通話疲れ」を感じる気がします。
モリ:ビデオ通話疲れとはどのような状態ですか?
ドミニク:直接顔を合わせる会議とは違って、ビデオ通話では参加者全員の顔が画面上に同時に表示されますよね。常に多くの人から自分の顔を見られているように感じたり、多くの人を意識して話したりせざるをえなくなる。それに疲れを感じている状態かもしれません。
モリ:身の回りにも、ビデオ通話は実際に会って会話するよりも疲れを感じると話す人は多いかもしれません。ドミニクさんがおっしゃるように、普段とは注意の仕方や使っている感覚が違うからかもしれないですね。
僕は、オンラインで話すほうが気楽だと感じる時もあります。直接会うとなると、服装から表情、声の出し方、視線の方向に至るまで、あらゆる自分の挙動に気を使わなくてはならなくなる。
ですが、ビデオ通話であれば、全身は映りませんし、細かい表情の変化や視線の方向も分かりづらくなります。
音声通話ツールでのコミュニケーションをとることもありますが、そのときはどのような状態で話していても相手に自分の姿は見えません。こうした違いが気楽さ、心地よさを生み出しているようにも感じています。
コミュニケーションの量と質を左右する「Social presence」とは
モリ:先程、ドミニクさんは全員の顔が見えるビデオ通話ツールだと、疲れを感じやすいというお話をされていました。とはいえ、逆に「みんなの顔が見えるからこそ、場の様子がよく分かって話しやすい」という意見を耳にすることもあります。
また、僕はオンライン通話だと自分の視線や表情、声の大きさなどに気を使わなくてもよいから気楽だという話をしました。でも、それが逆に「相手の表情が見えないと何を考えているか分からず不安を感じる」と話す人もいる。
コミュニケーション手段が変わるなかで、ある人はストレスを感じ、ある人は心地よさを感じている。この理由をドミニクさんはどう考えていますか?
ドミニク:実は、それを考える際にヒントとなる、「Social presence(ソーシャルプレゼンス、日本語では社会的存在感と訳される)」という概念があります。
オンラインコミュニケーションを通して、相手が「そこにいる」と感じられるような感覚、つまり相手の存在感を表す概念です。
この概念について研究してきた「Social presence theory(ソーシャルプレゼンス理論)」という学問領域によれば、コミュニケーション手段が異なれば、ユーザーが感じるSocial presence、つまり相手の存在感の強度も異なるとされています。
モリ:つまり、直接会う、ビデオ通話ツールで話す、音声通話ツールで話すなど、コミュニケーション手段が違えば、相手の存在をどれだけ強く感じるかも異なるということですね。
ドミニク:そうです。そしてその強度の違いが、コミュニケーションを通して感じるストレスや心地よさ、そしてコミュニケーションの成否につながっている、と考えられています。
Social presenceがコミュニケーションの量と質にどう影響するのかをより詳しく知るために、先日テキストチャットツールに関するある実験を、東京大学の池上高志さん、小島大樹さん、筑波大学の岡瑞起さんたちと行いました。
モリ:面白そうですね。どのような実験ですか?
ドミニク:異なるUI(ユーザー・インターフェース)をもつオンラインチャットツールを4種類用意し、交わされる情報量や与える心理的なインパクトの差異を計測しました。
一つ目の「チャットツールA」は、送信ボタンを押すとテキストが送られる一般的なものです。
二つ目の「チャットツールB」は、以前私の会社dividualで開発した「TypeTrace」というソフトウェアを用いたものです。TypeTraceとは、書き手がテキストを書いたプロセスを再現するソフトウェアですね。つまり、文字を打った速度や、修正の様子、予測変換の選択の様子などが画面上で再現されながら相手にメッセージが届く仕組みになっています。
※dividualはメディアアーティストの遠藤拓己さんと情報学研究者ドミニクさんによって設立されたベンチャー企業。TypeTraceは遠藤さんとドミニクさんがdividual inc.名義であいちトリエンナーレ2019に出展した作品『Last Words / TypeTrace』でも用いられている。
モリ:つまり、情報の送信者がどこで迷い、どう考えてテキストを打ったのかを受信者が追体験できるということですね。
ドミニク:そうそう、その通りです。そして、三つ目の「チャットツールC」は、TypeTraceの機能をよりわかりやすく可視化したものです。具体的に言うと、遅く打たれた部分は文字サイズが大きくなり、素早く打たれた部分は小さくなるように、テキストにエフェクトを施しました。
一方、最後の「チャットツールD」では、TypeTraceの機能は用いていません。代わりに、送信者がボタンを押さなくても、入力欄に入力した文字がそのまま相手に見えるようにしました。いわば、文章をつくる過程がリアルタイムで相手に”ダダ漏れ”な状態ですね。
モリ:それら4種類のチャットツールを使って生まれるコミュニケーションには、どのような違いがあったのでしょうか?
ドミニク:TypeTraceを用いた「チャットツールB」と「チャットツールC」では、「チャットツールA」と比べてより大きいSocial presenceが生まれたのですが、コミュニケーション量が低下してしまうことが分かりました。
これ、実はかなり面白い結果で。というのも、従来のSocial presence理論の研究では「相手の存在感がリアルに感じられるほど、コミュニケーションは活発になるはずだ」と言われてきたんですね。
それにもかかわらず、相手の思考回路がより分かりやすく、存在を感じやすくなっているはずのTypeTraceを使ったチャットは、必ずしもコミュニケーションの活性化に寄与しなかった。
もちろん、TypeTraceはブログやSNSの投稿など、書き手と読み手が非同期に接続する場合においては、とても面白い可能性を持っているのではないかと思います。ただ、少なくともチャットという同期性の強い文脈においては、ただ強く存在を感じさせるだけでは、より活発なコミュニケーションには結び付かないことが分かったんです。
相手の「存在感」のコントロールが、心地よいコミュニケーションの鍵に
モリ:「相手の存在を強く感じられるからといって、コミュニケーションが必ずしも活性化するわけではない」というのは、今まさに起きていることではないでしょうか。
同居している家族やパートナーと一緒にいる時間が増えたことにより、他者の存在感を必然的に強く感じるようになっている。でも、今、その強さにストレスを感じている人も多くなっています。
ドミニク:そうですね、この実験から分かることのひとつは、存在を「常に」強く感じる必要性はないということなんです。時と場合によって自分が心地よい強度にコントロールできるほうが、より心地よいコミュニケーションであるためには重要なのだと思います。
モリ:相手の存在感を感じる頻度や強度は使うオンラインツールによって全く異なりますよね。ツールの特徴を踏まえつつ、どの程度の頻度や強度が心地よいのかを考える。そして、自分にあったツールを選んでいく必要性があるのかもしれません。
実は、先日オンラインコミュニケーションにおける他者の存在感の強度を調整できないかと、ある実験を始めました。僕が経営する会社でDiscordという新しいコミュニケーションツールを取り入れてみたのです。
モリ:Discordは音声通話ツールなので、お互いの顔は見えません。一緒に働いているメンバーからは、自分がどう見られるかを気にせずに話せるようになり、ビデオ通話ツールよりも少しラクに話せている気がするといった声もあがっています。
ドミニク:実は、僕も先日ジュンヤさんにDiscordを教えてもらって、ゼミの生徒たちに紹介してみたんですよ。Discordってオンライン上に「部屋」のようなものを作っておいて、いつでも自由にそこに入れるようになっているじゃないですか。そうしたら、学生たちがすぐ「深夜に一緒にアニメを見る部屋」を作って楽しんでいました(笑)。
モリ:「深夜に一緒にアニメを見る部屋」、いいですね(笑)。
ドミニク:他者から自分の姿を見られないだけでなく、自分がつながりたいときだけ「部屋」に入って気軽に他者とつながれる。それがビデオ通話ツールと比べても、すごく気楽なのだと思います。
うまくそのツールの特性を生かして、相手の存在感を自分たちが心地よいと思える強度や頻度に調整していけるといいですよね。
コミュニケーションにおける「同時並行性」が相手との心理的距離を近づける
ドミニク:実は、先程紹介した4種類のチャットツールを使った実験は、もう一つ面白い発見がありました。
リアルタイムで相手が打っている文章が分かる「チャットツールD」を使うと、Social presenceが高まる他にも、喜びなどのプラスの感情を感じる度合いが有意に向上し、相手との心理的距離が縮まるという結果がでました。
そして、情報の流れを分析すると、チャットに参加してる人同士のタイピングの相関が高まることもわかりました。これは、すこし説明が難しいのですが、AさんのタイピングがBさんのタイピングを誘発し、その逆も然り、という度合いが高まる、ということを表しています。この相関の強さを電話の音声通話のものと比較したら、「チャットツールD」のそれは他のチャットツールよりもずっと電話に近い強さになることがわかりました。
モリ:つまり自分と相手が同時並行でコミュニケーションをとっている感覚が、コミュニケーションの質を高めるだけでなく、活発化させる効果があるということですね。そう言われてみると、思い当たることがあるかもしれません。
時々、チャットツールで考えたことをお互いがリアルタイムで送り、素早いスピードでコミュニケーションが進んでいくことってあるじゃないですか。テキストを打った瞬間に相手から反応が返ってくるような。
そういう時って、相手に早く返事を返そうという気持ちになりますし、自分の感情がより盛り上がる気がします。相手にもその感情がダイレクトに伝わっている気がしますし。
ドミニク:そう、まさにその感覚です。この「同時並行性」という要素は、コミュニケーションを通じて喜びを感じたり、相手との心理的距離を近く感じたりするうえで大きなヒントになると考えています。これは『未来をつくる言葉』という著書でも詳しく書いたことなのですが、代わりばんこに話す対話と、同時に声を重ねて話す共話の違いは、まさに共話では同時並行性が高くなる点にあります。
そして共話は発展的な議論よりも雑談に向いている会話形式なんです。こうした共話的な雑談の良い点は、コミュニケーションに含まれる曖昧さや不完全さが許容されやすい点なんですね。
雑談のように共話が生まれやすいコミュニケーションの場合って、まだ意見がまとまってなくても自分の考えを口にしやすいですよね。考えながら話すこともできますし、言いよどんだり、言い換えたりすることもできますから。
つまり同時並行的なコミュニケーションにおいては、ある意味お互いが不完全さや曖昧さを許容しあっているんですよね。
でも、テキストのように同時並行性が少ないコミュニケーション形態になると、人はなぜかある種の完璧さを求めるようになってしまうんです。
モリ:確かにテキストの場合は「わかりやすく、間違いのないように書かないといけない」という意識が強まる気がします。
ドミニク:すると結果的に受け手側も完璧さを求めるようになり、曖昧で不完全な発言に不寛容になってしまう。ささいな言い間違いや表現の違和感に対して批判が集まるSNSでの炎上などはこの典型ですよね。
だからこそ、発話コミュニケーションにおける同時並行性の感覚をチャットツールでも実現していければ、不完全さや曖昧さの許容につながるのではないかと考えています。そうすれば、もっと息苦しくなくて気楽なオンラインコミュニケーションができるんじゃないかな、と。
モリ:そうですね。一方でツールの改良をすすめるだけでなく、一人ひとりが「このツールを使う時、自分がどのようなコミュニケーションをとりがちなのか」を自覚していく必要性も感じます。
先程、同時並行的なコミュニケーションは感情が刺激されやすいという話がありました。投稿に即座に反応がもらえるSNSは、感情が刺激され、感情にまかせた発信をしやすいツールだとも捉えられますね。
Twitterはテキストコミュニケーションが中心なので、曖昧さや不完全さへの許容度が低いという特徴もある。感情に任せた投稿をしやすく、受け手が不完全さを許容し難いプラットフォームであることを自覚していなければ、“炎上”と呼ばれるような批判の声が集中する事態につながってしまいかねません。
ツールの特徴を知った上で自覚的に用いたり、主体的にコミュニケーション手段を使い分けていく必要がありそうです。
ドミニク:たしかにそうですね。ただ、SNSの場合はチャットと比べてパブリックな空間なので、他の人々の視線に曝されるという点が大きく異なると思います。Twitterに投稿されたテキストはチャットのように流れる、というよりも残ってしまう側面が強い。
コミュニケーション相手のSocial presenceが低いので、逆にインフレーションを起こしてしまうのかもしれません。逆に、Twitter上で互いのSocial presenceを高められれば、不毛なマウンティングは減るかもしれないとも思います。
自律的なコミュニケーション手段の選択が、ウェルビーイングにつながる
モリ:コミュニケーションにおける他者の存在感や同時並行性の度合いが、体験に影響する。そして、コミュニケーションツールによって、存在感や同時並行性は異なる。
オンラインは選択するコミュニケーション手段によって特徴が変わり、得られる体験も変わる。自分の特性を理解して、あったツールを選択できれば、より心地よいコミュニケーションを自ら作り出すことができるということでもありますね。
ドミニク:まさにそうですよね。そのためにはまず「自分にあったコミュニケーションの形はどのようなものなんだろう?」と自分に問いかけることが大切になってきます。
モリ:人によって心地よいと感じる相手の存在感や同時並行性の度合いは異なるからこそ、それぞれどの程度が自分に合っているのかを見極める必要があるということですね。
ドミニク:ええ。その2つの因子の他にも、コミュニケーションの頻度や人数規模、時間帯など、様々な要素について人それぞれ心地よいと感じる程度が異なるはずです。
今、私たちは新型コロナウイルスの影響で、コミュニケーション手段をイチから考え直さなくてはいけないタイミングにあります。これは捉え方を変えると、自分に合ったコミュニケーションの形を試行錯誤しながら見つけていくためのよい機会になると言えるかもしれない。この機会を利用して、個々人が自分にとっての心地よいコミュニケーションの因子を見つけられるのではないかと思います。
モリ:特にオンラインにおけるコミュニケーション手段には、テキストチャット、電話、ボイスチャット、ビデオ通話、VRなど多様な選択肢があります。また、同じチャットでも、使用するツールによって得られる体験は異なる。
それぞれの手段やツールの特徴を踏まえつつ、自分にはどれが合っているのかを試行錯誤して見つけてみる。そんな自分にとっての心地よさの探求が、オンラインコミュニケーションが増えている今のタイミングはやりやすくなっているのかもしれませんね。
ドミニク:そうですね。その際、気をつけてほしいのは、「永続決定版」を定めようとしないことですね。今日の「自分に合う」と来週の「自分に合う」は違っても良い。その時々の自分の心に素直に向き合って、どんなコミュニケーションが心地よいのかをまずは感じてもらいたいと思います。
実は、こうした取り組みを日常的に行っていくことは、私が研究している「ウェルビーイング」、つまり心が充足した状態であるためにも重要だと考えています。
ウェルビーイングの要因に関しては、様々な研究が行われていますが、その一つに「自己認知」に関連する要因が挙げられています。身体や情動の変化から、自分がどのような状態にあるかを認知する。そして、よりよい状態でいられるように自分を思いやる。さらに、その一連の行為を誰かから強制されて行うのではなく、自分の意志に基づいて行うこと。
こうした一連の自己認知のプロセスが、ウェルビーイングであるためには大切だと言われています。soarのメンバー同士でもよく話している当事者研究の手法は、自己認知を深めていくためのものだと捉えられますね。
モリ:そう考えると、コミュニケーションを通して自分の身体や心にどのような変化が起こっているかを感じ、主体的に手段やツールを選んでいくことは、ウェルビーイングにもつながると言えそうです。
ドミニク:まさにその通りですね。心地よいコミュニケーションを考えるこのプロセスは、人生全体をウェルビーイングなものにしていく大切な一歩になる。そう考えながら、ぜひこのプロセスを楽しんで実践していってもらえたらいいなと思っています。
どんな状況であろうと、心地よさを追求する試行錯誤は諦めなくていい
直接人と会いづらくなったことを、私は今まで「できないことが増えた」と捉えていました。冒頭で落ち込んでいた彼もきっと同じ気持ちだったのではないでしょうか。
しかし、お二人の話を聞いて、むしろ今コミュニケーションの選択肢は増えており、かつ多様な選択肢のなかから自分にあったものを見つけられるよい機会なのだと考えられるようになりました。
「コミュニケーションにおいて制約が増えた」と落ち込みを感じている方は、少し視点を変えてオンラインコミュニケーションの持つ可能性の部分にも目を向けてみるといいのかもしれません。
自分が心地よいと感じられるオンラインコミュニケーションの形を探してみよう。それがウェルビーイングであるための第一歩にもなる。
そう考えてみると、私も少しだけこの状況をポジティブに捉えられるようになった気がします。
この先がどうなるのかはまだ誰にも予想がつきません。状況が落ち着き人と自由に直接会える日常に戻るかもしれない一方で、オンラインでのコミュニケーションが日常でありつづける可能性もあります。
でも、社会がどのような状況になったとしても、「今」の感覚に耳を澄ませて、自分をより心地よくしていくために試行錯誤する自由はいつだって一人ひとりの手のなかに残されている。お二人のお話はそんな希望のメッセージにも聞こえます。
どんな状況であろうと、自分を心地よくしてあげるための試行錯誤は諦めなくていい。
そう自分に言い聞かせつつ、この不確実な日々を生きていきたいと思います。
関連情報: ドミニク・チェンさん Twitter
(ドミニク・チェンさんプロフィール写真/望月孝、編集/工藤瑞穂、企画進行/木村和博)