【写真】遠くを見つめるくりはらさん

身近な人を大切にするって、どうしてこんなに難しいのだろう。

頭では「やさしくありたい」と思っているのに、いざその関係性のベールのなかに入ると、噛み合わず分かり合えない「もやもや」が次第にかさを増していく。

それでつい口に出してしまうのだ。相手が傷つくと分かっている言葉をわざわざ選んで。

けれども、冷静になって気付く。私があのときしがみついていた、自分の思い通りにしたいという「願望」は、相手との関係性を上回るほど大事なものだったのだろうかと。どうして怒る代わりに、その裏にある「悲しい」「寂しい」という気持ちを素直に伝えられなかったのだろうかと。

イライラしちゃダメだ、もっと大人にならなければ。心の中で唱えてみるものの、ベールのなかに入るとやっぱり上手くいかない。生まれ持った性格は変えられないのだろうと、半ば諦めてしまっていた。しかし。

人は本当に変われるか。

この命題に、人生をかけて向き合う人たちに出会った。彼らが対峙しているのは、パートナーにDV行為をしてしまった自分。彼らは社会で「DV加害者」と呼ばれる人たちだ。

【写真】玄関にはステップと書かれた看板が掲げられている

神奈川県横浜市にあるNPO法人女性・人権支援センターステップは、DVで悩んでいる人たちが集う駆け込み寺。2003年に被害者の女性を守るために設立された。「被害を減らすためには、加害を減らす必要がある」と、2011年からは加害者向けのプログラムも提供するようになった。その他にも、夫婦塾、虐待相談、親子面談なども行っている。

今回は「ステップ」を立ち上げ、17年以上にわたり被害者の支援や加害者の更生に携わってきた理事長の栗原加代美(くりはらかよみ)さんにお話をうかがった。

DVとは、関係性を支配しようとすること

そもそも、DVとは何だろう。けんかとDVはどう違うのだろう。

DVというと、叩いたり蹴ったりという身体的な暴力が思い浮かびますよね。それは違います。身体的暴行、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、社会的拘束などは支配するための道具。DVというのは主従関係を作ることなんです。

言葉の暴力に、同意のない性行為、生活費を渡さないこと、行動の監視や過干渉など、DVは身体的な暴行に限らない。栗原さんはこう指摘する。

目に見えるものだけじゃなくて、関係性を支配しようとすることがDV。特に、言葉の暴力は魂の殺人です。身体的な傷はいずれ治るけど、精神的な傷はずっと残る。毎日のように「お前はバカだ」とか「人間失格だ」だなんて言われ続けたら、言われた側は自尊心を無くしていきますよね。叩いたり蹴ったりすることは、服従のための道具であって、本質的には主従関係を作ることがDVと言えます。

配偶者、事実婚、恋人間など、親密な関係のなかでの暴力のことをDVという。警察庁によると、2019年に報告されたDV被害者の約8割は女性だが、男性が被害者になることも、同性同士のカップルの場合もある。

【写真】穏やかな表情で話しをするくりはらさん

栗原さんがこの活動をはじめた原体験は、小学生の頃にあった。栗原さんの両親はいつもやさしく、穏やかな日々を送っていたが、あるとき生活は一変した。

叔父が離婚をして、実家に帰ってきたんです。叔父はストレスから毎晩お酒を飲むようになって、ちゃぶ台をひっくり返したり、母や祖母を背負い投げして障子を破ったりと、暴力が増えていきました。あのときの恐ろしさは、今でも忘れません。

父が帰ってくると叔父の暴力は収まるので、夕方から父が帰るまでの2時間がとにかく大変で。私は5人きょうだいの長女だったので、妹たちを連れていつも逃げていました。

栗原さんは今でも怒鳴り声がすると、体が一瞬凍り付くという。

【写真】向き合って話すくりはらさんとライターのニシブ

叔父さんはどうして暴力を振るったのだと思いますか? そう尋ねると栗原さんは少し考え、「離婚をしたことで、“負け組意識”のようなものが芽生えたんでしょうね」と答える。

現在ほど離婚率が高くはなかった当時、離婚には“人生の失敗”という社会通念があった。栗原さんいわく、自己肯定感が低いほど、暴力という手段を使って優位性を確認しようとするのだそうだ。栗原さんの叔父さんも、離婚によって人生が失敗したように感じ、それを認めたくないがために暴力で優位に立とうとしていたのかもしれない。

小さな村に住んでいた当時の栗原さんは、街灯のない真っ暗な田んぼ道を、妹たちの手を取り歩いた。その間、栗原さんの家庭だけでなく、父親が酒を飲み暴れている家庭を幾度となく目にしたという。

なんとかこういう家庭の暴力を無くしたい、将来はそのために役立つことをしたい。小さい頃からそう思っていました。しかしなかなか機会がなく、被害者支援に携わり始めたのは20年ほど前。友人からDV被害者のためのシェルターを開設したので手伝ってほしいと言われ、待ってましたと言わんばかりに被害者支援を始めました。

被害者はどうして逃げられないのか

パートナーから暴力をふるわれていますが、私はどうしたらよいでしょうか?

栗原さんが被害者支援をしているとき、このような質問をたびたび受けたという。答えは「逃げる」か「我慢する」かの二者択一だった。

暴力を振るう相手から、なぜ逃げないのか。被害者にはたびたびこうした意見が投げかけられる。加害者からは逃げるべきだという方針は正しいのだろうが、その“正論”を実行することは簡単ではない。

栗原さんはシェルターで働くと同時に「DVホットライン」という電話相談も受けていた。被害者には「逃げてください。今逃げられなくても、逃げる場所を確保してください」と言い続けた。しかし実際に逃げられるのは、相談者の1割に満たなかったという。

勇気を出してホットラインに電話してくるまで、ずっと我慢してきた人たちですから。長い間パートナーから支配されていると、心も身体も壊れていき、逃げる気力なんて無くなってしまいますよね。

逃げられない理由は複合的ではあるが、一つは経済的な事情。特に長年専業主婦をしている人は、仕事を見つけられるわけがないと思い込んでしまい、逃げた後の生活が想像できない。二つ目は、結婚して子どもがいる場合に、子がひとり親になることを可哀想に感じてしまうこと。三つ目は「相手が変わるかもしれない」という期待があること。

DVを受けていても相手に期待してしまうことについて、栗原さんは、DVのサイクルを用いて説明する。DVには蓄積期、爆発期、ハネムーン期というサイクルがあるという。

加害者のなかでイライラが募って小さな暴力が頻発する「蓄積期」、加害者が激しい感情を現し暴力が爆発する「爆発期」、そしてその後は、謝ったりもう暴力を振るわないと約束したりする「ハネムーン期」が訪れます。優しいときがあるから、暴力を受けていても「自分さえふんばれば、相手は変わるだろう」と期待してしまうんです。

【写真】ライターに説明をするくりはらさん

栗原さんがシェルターで出会った女性たちのほとんどは、ボロボロな状態だった。精神疾患があり、子育てができなくなった人。逃げてきてお金がないため、生活保護を受けながらシェルターに身を寄せている人。栗原さんはそんな被害者の姿を目にしながら、「加害者は普通に過ごしているのか」と、もやもやを募らせていった。

決定的だったのは、2013年に伊勢原で起きた元夫によるDV・ストーカー殺人未遂事件。さまざまな種類のDVを受けてきた元妻が、実家やシェルターに身を隠すも、元夫が警察官を装い居場所を突き止め、元妻を切り付けたという痛ましい事件だ(元妻は一命を取り留めた)。

被害者は、離婚を目標にしがちです。しかしこの事件を機に、離婚はもう解決にはならないと思いました。どんなに被害者を守ろうとしても、加害者が変わらない限り本質的な解決にはならない。そんな思いで心理学を始めとするさまざまな理論を学び、加害者の更生プログラムを始めました。

「パートナーから暴力をふるわれていますが、私はどうしたらよいでしょうか」――そう聞かれたときの答えとして、「逃げる」「我慢する」の他にもう一つ、「加害者に変わってもらう」という選択肢を加えた。

自尊心が低いのは、加害者のほうだった

栗原さんが加害者に向き合い始めると、色々なことが分かってきた。加害者の多くは、自分が育ってきた環境で受けた暴力を“再生産”しているようだった。

私が出会った加害者の8~9割は、かつての被害者でした。虐待を受けていたり、DVのある家庭で育っていたり。思い通りにならなければ、相手を叩いたり罵ったりしていいと、育ってきた環境から学んできているんです。パーソナリティとしては、自己中心性が高く、“べき論”を強く持っている人が多かったです。

【写真】インタビューに答えるくりはらさん

しかし疑問に思うのは、被害者が主従関係の“上の立場”にあるパートナーにどのように加害行為を自覚させ、更生プログラムへの参加を促すかということ。DVやモラハラをしてくる相手に真っ向から向き合うのは相当負担が大きそうだ。そもそも、被害者自身が「自分がされていることがDVだ」と認識していない場合も多い。

栗原さんが言うに、ステップにやってくる加害者の約7割は、パートナーに家を出ていかれた人。2割はパートナーから『離婚か、ステップに行くか』と決断を迫られた人。残りの1割くらいは、検索をしたりブログを見たりして自発的にやってくる人なのだそうだ。

つまり、大多数は被害者からのアクションがきっかけになっている。まずは被害者が第三者とつながり被害者意識を持つこと、そして大変かもしれないが、協力者とともに行動を起こすことが、DVを無くすための有効な手立てとなりそうだ。

私たちは被害者が家を出るときに、ステップの電話番号を置いていくことを勧めているんです。残されたほうは、訳も分からずステップに電話をかけてきて、加害者更生プログラムを案内される。そこで初めて“加害者”としての自分を意識することになります。

なかには反発する人もいるだろう。けれども、ほとんどの加害行為の目的は「離婚」ではない。全てのケースが上手くいくわけではないにしても、離婚したくない、パートナーに帰ってきてほしいという一心で、しぶしぶでも更生プログラムに通い始める人が少なくないという。

【写真】「あなたは大切な人を傷つけていませんか?」と書かれたステップのポスター

栗原さんは「加害者のほうがむしろ自尊心が低く、パートナーへの依存心が強い」と指摘する。夫婦塾でアンケートを取ると、自尊心の数値が低く出るのはいつも加害者のほうだった。

自分自身を価値ある存在と思っているかどうかが分かる「自尊心の在庫確認」という箇所があって。最近いらっしゃった夫婦も、加害者である妻が120点中40点なのに対し、被害者の夫は80点でした。加害者は自信がないんですよね。自分自身を認めていないから、相手に認めさせようとするんです。暴力で自尊心を取り戻そうとするんです。

相手は自分を愛するべき、尊敬するべき、身の回りの世話や心のケアをするべき、性行為をするべき――加害者はこうした「べき」に囲まれ、これらをパートナーに押し付ける。しかし、いざ依存の対象が家からいなくなると、加害者は自尊心を確かめるための術を失い、一気に崩れてしまうという。

加害者更生プログラムへ。いたのは“ふつう”の人たち

実際に、加害者更生プログラムを見学させていただいた。

ここでは「DV被害者を守ること」をプログラムの目的とし、全52回の参加を経て修了となる。1回2時間のプログラムに週に一度通って、1年ほどで修了。男女問わず参加することができる。参加費用は1回3,000円。

このプログラムは治療やカウンセリングではなく、DVの大きな要因となる不健全な価値観やジェンダーバイアスに本人が気付き、思考と行動を変えていくことを目指すもの。暴力ではなく、相手を尊重しながら関係性を築く方法を学ぶ。

私が訪れたその日は、プログラムがまさに行われており、10名ほどの男女が集まっていた。参加者同士が「久しぶりじゃないですか」などとあいさつを交わし、想像していたより和やかな雰囲気だ。

「加害者」と聞くと少し身構えてしまうが、言葉を選ばずに言うと、そこにいた人たちは“ふつう”に見えた。話を聞くと、ほぼ全員が過去にパートナーを殴ったり怒鳴ったりした経験がある人たち。何年も通っている人もいれば、初めて参加するという人も。ほとんどが男性だったが、中には女性もいた。

今日は“特権意識”について考えたいと思います。

栗原さんが話し始める。

特権意識とは、パートナーの片方だけが持っている権利。たとえば、パートナーに身の回りの世話をしてもらって当然だと考えることも特権意識の一つです。

【写真】インタビューに答えるくりはらさん

「特権意識を持っていた人?」――そう栗原さんが問いかけると、4名が手を挙げた。

ある男性は「正直に言うと、家政婦が欲しくて結婚した」と打ち明ける。「恋愛感情や子どもは二の次で、会社のなかで昇進するためには“幸せな家庭”を作らないといけなかった。結婚は、出世の材料でしかなかった」と。

それに対し、栗原さんは「妻を家政婦だと思っていたんだ。驚きです」とコメント。他の参加者もさまざまな視点から意見を交わしていたが、「あなたは間違っている」などといった叱責の言葉は無かった。発言者をジャッジしないことがこの場においてのグランドルールなのだろう。

前半は「特権意識」をテーマにした対話を(テーマは毎回変わる)。後半では、一人ひとりがパートナーとの関係性に最近どのような進捗・変化があったかを報告し合っていた。

参加者からは、次のような発言があった。

ずっと弱音を吐きたくなかった。でもこないだ心配事を妻に話してみたら、彼女はよく話を聞いてくれて、自分も早くもっと素直になればよかったと気付いた。

娘が結婚したが、結婚式には出席させてもらえなかった。これまで自分がしてきたことを思うと、当然だと思う。

あのときは教育のつもりで妻を叩いていたが、正当な暴力なんてない。仮に相手がぶってきたときに、どうするか。法律的に正当防衛になるとかじゃなくて、それでもやりかえさない人間になりたくてここにきている。

【写真】配布された紙には特権意識の説明が書かれている

2時間の見学を経て、私は目の前にいる人たちが持つ葛藤が、自分が持つそれと全く変わらないように思えた。暴力は決して許されるものではない。彼らの語りを聞いていて、加害行為に同情したり、正当化したりする気にはならなかった。それでも、過去を悔い変わろうとする姿に自分を重ね、過去に傷つけたかもしれない人たちのことを思い出していた。

自分が変わろうと思わない限り、人は変わらない

実際に更生プログラムに通い始めた加害者は、どのように変容していくのだろうか。

ステップに通い始める加害者は、「むしろ自分は被害者だ」と思い込んでいる人が多いのだそうだ。パートナーが世間知らずだから教えてやっているだけ。パートナーが自分をいらだたせるのが悪いのだと。

そのような人に、栗原さんがまず伝えることは「選択理論」という考え方。

選択理論とは心理学用語で、「自分の行動は自分の選択である」と自覚することでより幸せになれるという考え方のこと。基本的欲求を満たそうと、私たちは日々動機づけられて生きている。そしてこの動機づけは、外側からではなく内側から起こっている。

【写真】ホワイトボードを使って説明をしてくれるくりはらさん

例えば、「電話がなったから受話器をとる」のではなく、「電話がなり『私がとりたいと思ったので』受話器をとる」という考え方。「先生に宿題をやれと言われたからやる」ではなく、「先生は宿題をやれと言い、『私は宿題をやらずに怒られたくないから』やる」ということ。

妻が言うことを聞かないから叩いた。夫が頼りないから暴言を吐いた。そうではなく、自分が「叩く」という行為を選択した。「暴言」という手段を選んだ。自分が今の状態を作り出してきたのだと自覚を持つこと。それはすなわち、行動を変えることで未来を変えることができるという意味でもある。

私が加害者を変えることはできないんです。人は内的動機付け、つまり内側からの気付きでしか変われないので。私は彼らが変わるための情報を提供していますが、気付いて変わるのは彼ら自身。信頼して、そのプロセスを見守ることが私の仕事です。

【写真】質問に答えるくりはらさん

変容を促すために栗原さんが行っているのは「質問する」こと。説教はしない。情報を提供し、自分の頭で考えてもらい、気づきを促す。

栗原さんは、3つの質問をするようにしている。

「どうしましたか?」と事実や現実世界を聞きます。次は「どうしたいですか?」と願望を聞きます。そして「では、そのためにどうしましょうか?」と行為や思考を聞きます。

この3つの質問は、選択理論を網羅しているんです。私たち日本人は「どうしたか」と「どうするか」という質問ばかりで、「どうしたいか」という願望はほとんど聞かれないし、考える習慣がない。けれども願望をきちんと言葉にすることで、思考が願望に向かうようになるんです。

【写真】インタビューに答えるくりはらさん

この3つの質問はDVに限らず、変容を促したいあらゆるシーンに応用できる。栗原さんは、問題児と呼ばれた子どもの例をあげた。

あるとき学校の先生から相談を受けました。小学1年生の、とても乱暴な男の子がいるとのことで。それによって担任の先生が3回も替わったそうなんですが、その先生も唾をかけられたり、上から砂をかけられたりしたそうです。

先生は「君は元気がいいね! でもこんなことされたの初めてで、先生つらいよ悲しいよ」とアイメッセージで伝えることから始めたそうです。そして、彼がものを壊したり友だちに乱暴したりするたびに、3つの質問を繰り返しました。「どうしたの? どうしたいの? では、どうしたらいいの?」と。

1年生が終わる頃には、彼は全く別人のようになったそうです。学級崩壊を起こしかねなかった子が、リーダーシップを取れる子に変わったのだと。考えることができる子に育ったんですね。

人間関係を壊す習慣と、人間関係を築く習慣

「選択理論」に加えてもう一つ、栗原さんや参加者がしきりに口にしていた「7つの習慣」というものがある。

習慣には2種類あり、1つ目は「相手は変えられる」「自分は正しい」という思考からくる、外的動機づけに基づく「人間関係を壊す習慣」。2つ目は「相手は変えられない」「願望は人それぞれ」という思考からくる、内的動機づけに基づく「人間関係を築く習慣」。その習慣行動によって、前者は力と支配に基づき、暴力を容認するため、相手との信頼関係を壊してしまう。だが後者は相手と対等・平等であることを大切にし、自己決定権を尊重するため、相手との信頼関係を深める。

【写真】ホワイトボードに選択理論や7つの習慣に関するキーワードが貼られている

【画像】人間関係における7つの行動を羅列

(提供画像)

人間関係における7つの行動を、この2つの習慣で対比させたものが上記の表だ。

人はこれらの行為を、自らの意思で選んでいる。

「人間関係を壊す習慣」は相手を「批判する」が、「人間関係を築く習慣」は相手の話を「傾聴する」。

「人間関係を壊す習慣」は相手を「責める」が、「人間関係を築く習慣」は相手を「支援する」。

「人間関係を壊す習慣」は相手に「文句を言う」が、「人間関係を築く習慣」は相手を「励ます」。

「人間関係を壊す習慣」は相手に「ガミガミ言う」が、「人間関係を築く習慣」は相手を「尊敬する」。

「人間関係を壊す習慣」は相手を「脅す」が、「人間関係を築く習慣」は相手を「信頼する」。

「人間関係を壊す習慣」は相手を「罰する」が、「人間関係を築く習慣」は相手を「受容する」。

「人間関係を壊す習慣」は相手を「褒美で釣る」が、「人間関係を築く習慣」は相手と「意見の違いを交渉する」。

人はこれらの行為を、自らの意思で選んでいる。

DVのような主従関係があるときや、心地よい関係性が築けていないときは、たいてい「人間関係を壊す習慣」が染みついてしまっている。プログラムのなかでも、ある元加害者は「壊す習慣は、確かに自分がやってきたことばかりだ。ここに来て、初めて言葉を手に入れた気がする」と話していた。

やっぱり話し合うのって大変だから、力に逃げちゃうんですよね。叩いてやめさせるほうが簡単だから。加害者たちは、相手が違う“上質世界(何を理想とするか)”を持つ人間であることを尊重し、話し合うことを覚えていく必要があります。

元には戻れない。だったら、もっと素敵な関係になる

加害者更生プログラムは「金継ぎの会」と呼ばれている。その由来について、栗原さんはこう語る。

あるとき、参加者の男性が尋ねました。壊れた関係は元に戻りますかって。そのとき別の参加者が「金継ぎの器みたいになればいいんだよ」って言ったんです。

金継ぎというのは、割れたりヒビが入ったりした器の破損部分を漆で接着して金粉をするという、壊れたものを直すための技法。金継ぎで直した器は、かえって趣が出るんです。彼はそれに例えて「元の関係性には戻れないけど、もっと素敵な関係になるんだよ」って。

私、元加害者からその言葉が出てくることに感動してしまって。それで更生プログラムを「金継ぎの会」というネーミングにしたんです。

【写真】金継ぎされた器を見つめるくりはらさん

「金継ぎの会」には、この9年で700人を超す加害者たちが参加してきた。しかし、全員が最後まで通いきれるわけではなく、途中で来なくなってしまう人も2割ほどいるそうだ。

通っている途中で、パートナーが家に帰ってきて安心して来なくなったり、別人のように変わってパートナーから許されたり。良い理由で来なくなるなら安心ですが、離婚が成立してしまい通う目的を見失って来なくなる人もいますし、少数ではありますが、私たちの言葉が届かないまま通うのをやめてしまう人たちもいます。

でも、意外とみんな“優等生”なんです、プログラム中に反発することはあまりないですね。普段の生活では経営者だったり医者だったり、組織のなかでリーダーシップをとっている人たちもいます。それにここに通い始めると、罪悪感が出てくるんでしょう。パートナーに悪いことをしたっていう罪悪感と向き合うと、反発できなくなるんだと思います。

【写真】金継ぎされた器を見せてくれるくりはらさん

感情と生理反応は変えられないが、思考と行為は変えられる

参加者は回数を重ねるうちに、被害者意識から加害者意識へと変わっていくという。自分が選択してきた行為で相手をどれだけ傷つけたかを振り返り、相手の感情を学んでいく。

それでも、いくら相手の傷つきを理解したからといって、意識レベルで変わるのは簡単ではない。頭では怒ってはいけないと思っていても、カッとした怒りは条件反射のように起こるもの。参加者の一人も、今週の振り返りとして「一瞬怒りが湧いたとき、つい突き飛ばしてしまった。やってしまったと思いすぐ謝ったが、瞬発的な怒りのコントロールが難しい」と話していた。

栗原さんは、私たちには「変えられるもの」と「変えられないもの」があると説明する。「感情」や「生理反応」は変えられないものの一つだ。

加害行為のほとんどは怒りから来るもの。ここでは怒りをコントロールすることを覚えなければいけませんが、感情はいじれないので、ならば思考と行為を変えましょうという話をしています。相手、過去、感情、生理反応は変えられない。でも、思考、行為、今、未来は変えられます。

【写真】インタビューに答えるくりはらさん

思考を変えるのは難しいと思われがちだが、たとえば運転中に割り込まれてイラっとしたとき、家族が危篤で急いでいるのかもしれない、トイレに行きたくて急いでいるのかもしれない、と後から思い直すことはできる。

たとえばパートナーの愚痴にうんざりしているとき、それを愚痴ではなく「悩み」と捉えてみる。すると、相手を「愚痴ばかり言う人」ではなく「自分を信頼して悩みを打ち明けてくれる人」として見られるかもしれない。

瞬間的な苛立ちは抑えられなくても、その後の思考・行為はコントロールできる。こういった出来事や物事の捉え直しは「リフレーミング」といい、「金継ぎの会」のなかで教えていることの一つだ。

「命に関わること以外は、相手に寄り添いましょう」と栗原さんは進言する。

変えられないものは、潔く諦めましょう。相手に対しては、対等意識を持って尊重していく。相手が離婚したいと言ったら、受け止めましょうと。反発して怒って、後悔しないように。

【写真】遠くを見つめているくりはらさん

ジェンダーバイアスの世代連鎖は、自分で断ち切る

栗原さんいわく、本当にいいパートナーシップ夫婦は「感情を分かち合える関係性であること」。ただ、加害者としてやってくる人の多くは男性で、そこにはジェンダーステレオタイプの刷り込みがあるという。元加害者が「ここに来て初めて言葉を手に入れた」と話したように、男性は自身の感情を出すことをよしとしない傾向にある。

たいていの場合、男の人ってなかなか気持ちを語らないんです。女性は感情を語ることに抵抗がないことが多いんですけど、昔ながらの価値観で、男性が感情を出すことは女々しいという意識があるんですよね。だから、加害者の男性に自分の気持ちを語ってもらうと、表現力が未熟である場合が多いです。

DVの要因の一つにもなりうるジェンダーバイアスから解き放たれるためには、どうしたらいいのだろう。かつての被害者として、怒りや暴力に近い環境で育ってきた人たちが、それを再生産しないために何ができるのだろう。

それに対し栗原さんは、「気付いた人が、自ら変わる」以外の方法はないと言う。

個人が持つジェンダーバイアスは受け継がれます。ここに来る人の何割かも、何の疑いもなく妻を家政婦だと思っている。ただ、ここで学んだのだから、あなたが今ここで連鎖を断ち切るんですと伝えています。そして、暴力的な“男らしさ”の時代はもう終わったことを世界に伝えてくださいと。

自分が変われば、子どもが変わる。加害者がかつて、身近な環境から暴力やジェンダーバイアスを刷り込まれたように、大人が背中で見せることが次世代への一番の教育になる。

そのためには、まず「変わりたい」という願望を持つこと。

人は失敗するんですよ。正解を知らないから失敗してしまう。でも、やり直しができる、変わることができるんだということを子どもたちが見ることは、彼らの人生にも良い影響を与えます。

【写真】笑顔でこちらを見ているくりはらさん

パートナーの変化が、被害者の一番の癒しになる

栗原さんは加害者更生の「金継ぎの会」と同様に、被害者支援のための「ダイヤモンドの会」を今でも続けている。傷ついた人たちが再び自尊心を取り戻すには時間がかかるが、パートナーの変化が一番の癒しになるのだそうだ。

金継ぎの会に来ている元加害者のパートナーには、彼らがどんな変化をしているかをお伝えしています。25年間も我慢してきてうつ状態にあった妻が、夫が1年ステップに通い変貌を遂げたことで「25年の傷が癒された」と言うくらいです。それくらい、パートナーの変化は癒しになるんですよね。

これまでに、「金継ぎの会」を修了した人たちは約700人。栗原さんのもとには、修了生たちからのさまざまな近況報告が届く。

「関係性を修復することができ幸せです」という修了生や、「夫を変えてくれてありがとうございます」といった元被害者。「結果的に離婚をしてしまったが、人との向き合い方を学んだことで、別の人と再婚することができた」という報告に、「自分の変化を一緒に願ってくれる栗原さんのような人がいたから変わることができた」という声も。

DVはもちろんいけないことです。けれども加害者は、頭の先から爪の先まで根っからの悪党ではないと思うんです。いけないのはゆがんだ思考。金継ぎの会に通う人たちは、変わろうとしている。そこが素晴らしいんです。

DVに悩んでいる被害者には「パートナーをぜひステップに送ってください」と伝えたい。加害者には「あなたは変われます。変わることが自分の人生を変え、パートナーや子どもの傷を癒します」と伝えたいです。

【写真】笑顔を向けるライターのニシブとくりはらさん

変わることは、簡単ではない。頭ではどうするべきか分かっていても、実際の生活は試練の連続だ。「3歩進んで2歩下がる」を繰り返しながら、地道で小さな変化をコツコツと重ねていく。

それでも私たちは“加害者”について語るとき、いつのまにか正義の側に立っている。あちら側とこちら側には明確な境界があるかのように。

暴力や犯罪は憎むべきもの。ただ、それらを自分という存在とはまったく離れたものとしてレッテル貼りをすることで、自らにひそむ暴力性を見逃すことになるのではないか。そんなことを考えながら、今回、元加害者たちの語りを聞いていた。

人は、変われる。そう断言することはできない。けれども、「変わろうとする人」たちに背中を押され、私も、怒りという手段に逃げていた自分の“弱さ”を認めるところから始めたい。

(編集/工藤瑞穂、撮影/馬場加奈子、企画・進行/糸賀貴優・松本綾香、協力/杉田真理奈)

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