「どんな暮らしがしたい?」

と問われたら、どう答えますか?

「どう生きるか」を想うとき、そのベースとなるのは「どこで・だれと・どう暮らすか」ということ。都心か地方都市か自然豊かな場所か、はたまた多拠点居住か。集合住宅か一戸建てか、賃貸か分譲か、一人暮らしか家族と同居かといった選択肢だけでなく、いまはシェアハウスやコーポラティブハウス(入居を希望する人たちが組合を作り、共同で建設を行う集合住宅)、ルームシェアなど共有の概念を取り入れた暮らしも広まっています。

暮らし方がどんどん多様になる中で、昨年11月には東京都国分寺市に「まちの寮」が生まれました。社員寮でも学生寮でもなく広くまちに開いており、世代や職業等に関わらず誰でも住むことができる、その名も「ぶんじ寮」。国分寺に本社を持つ会社の独身寮として運営されてきた築50年の建物2棟をつかって運営しています。家賃はなんと、このまちにおける同レベルの物件の半額にあたる3万円です。

ぶんじ寮のコンセプトは、「持ち寄る暮らし」。

「持ち寄ってつくる、一人一人の居場所」を掲げてクラウドファンディングによる資金調達に成功し、2020年11月より運営を開始。2022年5月現在は約20人の人々が暮らしているそう。暮らしのベースを支えるお金を半分にすることで、一人一人の安心を保障し、冒険の足がかりとなるような場を育んでいるのだとか。

手掛けたのは、先日「自分の中にある“ものさし”から解放され、許しあう緩やかな人間関係を築くには?」をテーマにインタビューさせていただいた影山知明さん。

西国分寺駅前にあるカフェ「クルミドコーヒー」を15年以上に渡って営んできた影山さんは、売上や効率が優先される資本主義経済のなかにおいて、事業計画をつくらずに過程に注力して一人ひとりの命の形を生かす経営を実践し、書籍『ゆっくり、いそげ』(2015年・大和書房)を執筆。2017年には隣の国分寺駅に2号店となる「胡桃堂喫茶店」をオープンするとともに『続・ゆっくり、いそげ』(2018年・クルミド出版)も発刊し、影山さんの実践とあり方は、国分寺のまちにあたたかな波紋を広げ続けています。

カフェから暮らしを営む場へ。より深くまちに滲み出す「ゆっくり、いそげ」のあり方を、一緒に覗き見てみましょう。

多様な人がともにちゃぶ台を囲む“まちの寮”

JR西国分寺駅からゆっくり歩くこと、20分ほど。駅前に佇むクルミドコーヒーを横切り、史跡や公園の中を満開の桜を堪能しながら足を進めると、古い鉄筋の建物が現れました。門には「ぶんじ寮」という手作りの看板が。

【写真】「ぶんじ寮」という看板がついた白い2階建ての建物

玄関では、たくさんの靴が出迎えてくれました。ここが多様な人々の暮らしの場であることを感じ取ることができます。

【写真】何十足もの住人の靴が入った下駄箱
【写真】ぶんじ寮の玄関

入居者の方の案内で渡り廊下を抜けると、みなさんの憩いの場であるキッチンと畳のリビングが現れました。壁には、手書きのカレンダーに張り紙、そして書き初めの数々。

【写真】ぶんじ寮のキッチンで洗い物をする住人の方
【写真】お風呂の予約を書き込むためのカレンダー
【写真】窓際に飾られた、住人の皆さんが書いた書き初め

古い建物特有のひんやりした空気と窓から差し込む暖かな木漏れ日にどこか懐かしさを感じていると、管理人の幡野雄一さん、入居者の佐々木将人さん、根津健太さん、そして影山さんが次々に現れました。

【写真】談笑するねづさん、かげやまさん、はたのさん、ささきさん

ちゃぶ台を囲んで、暮らしをともにするみなさんならではのリラックスした雰囲気の中、まずは影山さんに、ぶんじ寮ができるまでのお話を伺いました。

簡単に「生きる」が脅かされる現実に直面して

影山さん:実は用意周到に計画して実現したわけではないんです。こういう場のアイデアはありましたが、本当に“たまたま”が重なった。ものごとがスムーズに進むときはこんなにトントン拍子でいくんだと僕自身が驚きました。

影山さんは少し目を見開き当時を思い返すように、こう語り始めました。

影山さん:ここに至るまでにはいろいろな流れがあったのですが、一番大きいのは、コロナ禍になって「こんなにも簡単に、“自分としてある”ことが脅かされるんだ」と切実に感じたことです。

僕ら(クルミドコーヒ、胡桃堂喫茶店)も本当にお店が続けられるのか、ギリギリのところで問われている感じがしましたし、スタッフにとっても働く先がなくなる、お給料が減るということが現実として迫ってきて。

「稼ぐ」ことが不安定になった途端に、「生きる」ことが脅かされる。これまで当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。それくらい実はお金に依存しているということを突きつけられたんです。

【写真】住民の荷物や植物たちが置かれたぶんじ寮の廊下

「なぜお金を稼がなきゃいけないのか?」ということを突き詰めると、家賃をはじめとする生きるための基盤にお金がかかりすぎている現実に行き当たると影山さんは指摘します。

影山さん:特に都心部は、給料の大部分が家賃で消えていきますよね。もし家賃や食費といった生きるための基盤が、いまの半分くらいのお金で用立てられたらどうでしょう。途端に稼ぐということへのプレッシャーが和らいで、職業を選ぶ自由度も増すのではないでしょうか。

実は影山さん、15年以上前から“集まって暮らす”ことの可能性を考え続けてきたそう。経済的な合理性と安心感や豊かさ、その両面から「住環境にはもっと可能性があるのではないか」と考え、NPO法人コレクティブハウジング社の代表理事を務めた(2008年〜2013年)ことも。

影山さん:ただ一昨年(2020年)というタイミングにおける住まい方の持つ意味に関しては、コロナ禍で感じた文脈が一番大きかったです。「今こそかたちにすべきプロジェクトだ」という必然性を感じたんですよね。

【写真】ぶんじ寮の外にある自転車置場

無数の支流がひとつになって。“まちの寮”ができるまで

実はぶんじ寮に至る“流れ”は、影山さん個人の想いだけではありませんでした。無数の支流が並行するように存在していて、そのうち2つは特に大きかったと影山さんは語ります。

そのひとつが、冒険遊び場「国分寺市プレイステーション」の移転です。かつて、現在のぶんじ寮からほど近い場所に、大人の見守りの中で子どもたちのあらゆる冒険を受け止める、自由な遊び場がありました。2020年3月の移転に伴い、子どもたちやプレイリーダー、お父さん、お母さんも含めてみんなが次の居場所を求めていたのです。

【写真】手作りの遊具に登る子ども

もうひとつの支流は、2018年4月から継続的に開催されている「ぶんじ食堂」です。地元食材を使って地元有志が食事をつくり、みんなに開かれた食堂として回を重ねること、2年半で60回以上。場所はその都度、地域の飲食店などを間借りするかたちで運営を続けていましたが、「そろそろ常設的な場がほしいね」とメンバーで話し合っていた頃にぶんじ寮の話が立ち上がり、キッチンを使用するというアイデアが生まれました。

【写真】クルミドコーヒーで開催されたぶんじ食堂で、集まってごはんを食べる10人ほどの参加者たち

これらの支流が集結し、ひとつの大きな流れとなるまでに時間はかかりませんでした。2020年6月末、現管理人の幡野さんが、2020年3月末まで国分寺に本社を持つ会社の独身寮として使われていた物件を見つけ、「面白い場所がある」とFacebookに投稿したことを機に、まちの人々による妄想会議が開かれました。その会議には欠席した影山さんですが、7月中旬に行われた地域通貨「ぶんじ」の定例作戦会議の席で、こんな話を持ち込んだそう。

コロナ禍で飲食店経営が苦しく、スタッフのお給料を減らさなくてはいけない状況になったとしても、家賃を下げられれば可処分所得は維持できる。特定の会社の寮ではなく、“まちの合同の社員寮”として場を構えるのはどうだろう。

【写真】地域通過ぶんじのパンフレット

その提案を聞いた参加者の方が「いい場所がある」と、妄想会議のネタとなった旧社員寮を紹介。影山さんも「ここがあった!」と気づき、1週間後には幡野さんをはじめ仲間とともに内見に行きました。人が人を呼び、8月半ばには企画メンバー13人が集結。妄想会議から2ヶ月後の8月末には契約し、物件の引き渡しまで完了していたのです。

【写真】ぶんじ寮の外観

物件についての最初の印象を影山さんに聞くと、「実はベストではなかった」と苦笑い。

影山さん:水回りが完全に共用なので、人と人との距離感としてはリスクも感じましたし、不安要素もありました。でも222坪という敷地の大きさでいざというときのリスクを受け止めることもできるかもしれないなと思いました。リスクや課題を感じながらも、「これは逃しちゃいけない機会だ」という直感があったんですよね。

さらには、魅力的な周辺環境も決意を後押ししました。ぶんじ寮はクルミドコーヒーからも胡桃堂喫茶店からも徒歩20分の立地にあり、影山さんが「国分寺のなかで一番素敵な場所」と語る「お鷹の道」のすぐ近くでもありました。日本の名水100選にも選ばれる湧き水に、素晴らしい景色。武蔵国分寺の跡地など昔ながらの景観も残っていて、散歩にもとても気持ちがいいエリアに位置していたのです。

【写真】ぶんじ寮近くの公園にある武蔵国分寺跡の看板

何かに導かれるように出会った場所、そして驚くほどの求心力で集まった人々。建物改修にかかる費用を得るため2020年10月〜11月にかけて行ったクラウドファンディングでは、「人を手段化しない、システムに頼りすぎない実践、応援しています!」「弱さと強さとらしさを持ち寄れる場所が生まれることに、ワクワクしています」といった数々の応援コメントが寄せられ、500万を超える資金調達にも成功しました。みなさんの妄想は現実のものとなり、ぶんじ寮の物語は一気に動き始めたのです。

家賃3万円を実現する、“持ち寄ってつくる”暮らし

2020年11月のオープンを前に噂は口コミで広がり、入居者を抽選で決めるほど大きな反響の中でスタートを切ったぶんじ寮。現在は、男子棟12部屋と女子棟8部屋に、20〜40代の人々が暮らしています。入居者のみなさんはどのような毎日を送っているのでしょうか。幡野さん、根津さんにご案内いただき、棟内を少し見学させていただきました。

約6畳ある個室は、ベッドの下にスペースがあり、こじんまりとしていながら使い勝手が良さそう。ベランダへと続く窓も大きく、開放的なつくりです。

【写真】ぶんじ寮の空き部屋。木製の二段ベッドが備え付けられている

キッチンは元社員寮とあって、業務用コンロを中心に、プロ仕様の本格的なつくり。大人数の調理にも対応できそうです。

【写真】ぶんじ寮のキッチン

【写真】大量の食器が置いてあるぶんじ寮のキッチン

お風呂は、湯船の大きな大浴場に加え、シャワーブースが4つ。ニーズに応じて使い分けられます。手作りの湯船の蓋には、近所の小学生がイラストを描いてくれたそう。

【写真】ぶんじ寮のお風呂のふたは、アーティストによる絵が描かれている

【写真】ぶんじ寮の手作りのシャワーブース

共用部分には、入居者のみなさんが一箱ずつご自分の本を提供している図書館もありました。

【写真】「ぶんじ寮図書室」と名付けられた本棚

広々とした屋上はヨガやバーベキューなど、使い道多数。入居者のみなさんの憩いの場となっています。

【写真】ぶんじ寮の屋上

この環境で、月々にかかる“お金”は家賃31,000円+水道光熱費を含む共益費7,000円(一部の部屋は8,000円)。38,000円で基本的な住環境が得られることになります。影山さんによると、このあたりの相場では家賃+水道光熱費で6万円でもおかしくない物件とのことですが、約半分の家賃を実現できる理由は、“持ち寄ってつくる”暮らしにあります。

取材当日も入居者のみなさんのためにパンを捏ねている方を見かけましたが、入居者が持ち寄る内容は人それぞれ。ごはんをつくる、館内の掃除をする、草抜きをする、重い荷物を運ぶ、壁や水回りを修繕する、掲示物をつくる…といった“コト”の持ち寄りのほかにも、アイデアを持ち寄ったり、ゴミ捨て用のバケツなど“モノ”を持ち寄る人もいるそうです。

【写真】ぶんじ寮のキッチンで入居者がパンをつくっている

個性豊かで味わい深い持ち寄りが、建物の随所に、ちらほら。

【写真】お風呂のドアに取り付けられた「お風呂に入っています」の札
【写真】キッチンのお弁当用具の棚

寮の運営や管理を外注するのではなく、一人一人の持ち寄りで実現するからこそ、家賃を抑えることができるとともに、互いの関係性も深まっていきます。

ルールさえも“持ち寄ってつくる”

持ち寄っているのは、これだけではありません。驚くことに、集合住宅の暮らしに欠かせないルールまでも、“持ち寄り”で運営されているのだとか。ぶんじ寮に揺るぎないルールがあるとしたら、それはただひとつ、「ルールはみんなで相談して決める」ということ。その他については変わっていく可能性を孕んだゆるやかなものになっています。

たとえば、部屋をシェアすることについて。かつて、10人で1部屋をシェアして、仕事場やシャワー利用など、それぞれのサードプレイス的に利用されている方々もいたのだとか。

【写真】窓際の席に座って仕事をするささきさん

通常の集合住宅ではNGとされてしまいそうなイレギュラーな利用形態ですが、「みんなで決める」という考え方に則って企画メンバーで話し合った結果、希望を受け入れることになりました。「話し合いの関係性さえあればイレギュラーなことも受け止めていける」と影山さん。入居から1年半経ったいま、意志決定の主体は企画メンバーから入居者へと着実に移行しているそうです。

この意志決定の方法に関しては、実は影山さんも「目を開かせてもらった気持ち」と話します。これまで影山さんが見てきたコレクティブハウスや、クルミドコーヒーと同じビルにある多世代シェア住宅「マージュ西国分寺」にはコーディネーターがいて、暮らしのルールや定例会のやり方など、丁寧にシステム設計が施されていることが多いのだとか。もちろん入居者の話し合いでつくっていくという前提は置かれていますが、ほとんどのケースでは明文化されたルールや仕組みがあるようです。

でもぶんじ寮では、立ち上げの時期に影山さんが多忙だった上に、管理人となった幡野さんも「管理しない」と宣言していたこと、入居が五月雨式であったことなどさまざまな背景から、コーディネーターが不在でした。ある意味、無法地帯になる可能性もあったのです。

影山さん:でもそれが結果として、入居者が「誰にも頼れないから自分たちでやるしかない」、「自分たちの暮らしを自分たちでつくっていくんだ」と、すごく自然に“持ち寄り”を引き受けてくれることにつながりました。

と、影山さん。定例会も企画メンバーからの発案ではなく、入居者が自主的に開くようになり、「むしろ僕はそこに声をかけてもらう側になっている」と目を細めます。

【写真】談笑するかげやまさんとはたのさん

ここで管理人の幡野さんに、ぶんじ寮における話し合いや管理のあり方について聞いてみました。そもそも「管理しない」と宣言したのはなぜだったのでしょう?

幡野さん:理由のひとつは、面倒臭いから(笑)。20人もの人をコントロールするのは、大変ですからね。もうひとつは、ルールでコントロールして自分の想定を超えていかないという状況が面白くないな、と思って。僕は、手放して自分の想定を越えた時に「面白い」という感覚を得るんですよね。

そもそもルールって問題が起きてからつくれば良いと思うんですよ。問題が起きる前からつくっても仕方ないし、「こういうことが起きそうだな、そうならないためにルールを設けよう」という考え方は、なんだか面白くないなと思ってしまいます。

【写真】笑顔で話すはたのさん

あれをしてはいけない、これもしてはいけない。社会に散りばめられたルールの多くは、「何か起きないように」というリスク管理の考え方で制定されています。とても大事な視点ですが、ぶんじ寮では、管理せず「何か起きてから考える」という真逆のスタンス。これまでに何かトラブルはなかったのでしょうか?

私の問いに答えてくださったのは、入居歴2ヶ月の根津さんです。

根津さん:もちろん意見の食い違いは日々あってぶつかり合うこともありますが、解決しようとしません。その割には、食堂にみんなが集まった時に、普通に挨拶していたりして。

「分かり合えていないのに、ともにあることを選択する」っていう土壌が育まれている。そこに答えはなくても、解決しなくても、お互い吐き出してぶつかり合えたことが重要なんだな、って思います。

【写真】笑顔ではなすねずさん

根津さんよりも1年ほど早くぶんじ寮の入居者となった佐々木さんは、こう続けます。

佐々木さん:面白かったのは、洗い物を拭いて片付ける人と、乾かして置いてから片付ける人がいて「僕は拭いてるのに君たちは置くだけじゃないか!」って怒った人がいたんです。他の入居者から「器が小さい」なんて言われて、その後「実は私も、こんなことが嫌だった」って愚痴大会になって。

でもその愚痴大会を経由したことで、「あ、ストレスが溜まってるんだな」って相手の心情を思い至ることができるようになって、入居者同士の想像力や気遣いの幅は広がりました。解決せず、「トラブルと共に過ごしていく」という感覚が共有できたんだと思います。

トラブルも問題も「必ずしも解決を目指さない」という考え方は、影山さんのインタビューでキーワードとなった「結果を手放す」ということの地続きにあるように感じます。でも「最初からこうではなかった」と、佐々木さん。

佐々木さん:最初はアジェンダも決定事項もしっかりつくってミーティングをしていたので、いわゆる”強い人”しか発言できないような場でした。でも今は、アイスブレイクからスタートしたり、「今日はパンをこねながら話しましょう」なんて日もあったり(笑)。

初期のミーティングに違和感を感じた人が多かったから今の風土に移ったんだと思いますが、今後、人が変わって今のやり方に違和感を覚えれば、またやり方が変わっていくのだろうと思います。

【写真】笑顔ではなすささきさん

まるで植物のようにゆっくりと形を変えるルール。それぞれに違う考えを持つ人々が心地よくともに過ごすためには、人が変わるたびにルールも変化していくのは当然なのかもしれない。そんなことを思わせてくれるぶんじ寮のみなさんのお話でした。

「起きた」ときに生まれた「大丈夫だ」という確信

この冬、そんなぶんじ寮にも、ある意味“ピンチ”が訪れました。入居者の一人が、新型コロナウイルスの陽性者の濃厚接触者となり、症状を発症したのです。その時点でぶんじ寮には、感染者発生時のマニュアルのようなものは存在していませんでした。さて、入居者のみなさんの反応は…?

幡野さん:その方は症状が出てすぐにSlackで報告してくれて、誰からともなくその日のうちに、オンラインミーティングを開こうということになりました。すごかったですよ、あのミーティングは。本当にこの場所は大丈夫だなって改めて思いました。

幡野さんが「ぶんじ寮は大丈夫」と確信したミーティングとその後の様子は、佐々木さんがnoteの記事にまとめています。

まずは陽性者がぶんじ寮内で動いた経路と濃厚接触者の特定を行い、「これから約20人でどう暮らしを続けていくか」にフォーカスした話し合いが行われました。シャワールームやトイレの使い分けや食事の提供など、ここでの詳しい言及は避けますが、感染した人を一切咎めることはなく、お互いの立場を思い至りながらさまざまなアイデアで、共同生活におけるウイルス感染というピンチを乗り越えた様子が数々の写真から伝わってきます。

【写真】新型コロナウイルスに感染した入居者用の、「はやく元気になーれ」とメッセージが付いたごはん。感染者のみが使用できるようにしたシャワーブース

「何か起きないように」定められたルールではなく「起きてから」の迅速かつ自発的な対応の数々は、日頃積み重ねてきた話し合いの賜物と言えるでしょう。

対面の会議だけではなく、Googleフォームなどのツールを使ってそれぞれが気になることを出し合えるようにしたり、カレンダーに書き込めるようにしたり、入居者が自分の考えや想いを表現できる仕組みが、暮らしの随所に施されています。人それぞれに違うことを前提として、お互いの気持ちや事情を尊重する風土が、ぶんじ寮を根底から支えていると感じます。

“弱さも持ち寄る”ことで育まれる、生きる力

ぶんじ寮に関わるみなさんの話を聞いていて、私は、持ち寄る暮らしのメリットは金銭的なものだけではないと感じました。たとえば自分が何をやりたいのか、何にワクワクするのか、見えなくなっているとき。私は書籍『ゆっくり、いそげ』のなかの「ギブからはじめる」という言葉を思い出します。

自分が“ギブ”をする、たとえばまわりを応援することから、自分の中で発芽を待っている種に気づくこともある。“持ち寄る暮らし”を積み重ねることは、本当の自分を発見することにもつながるように感じます。影山さんにそう伝えると、「本当にそうだと思います」と頷き、こう続けてくださいました。

影山さん:一貫して、他者との風通しのいい関わりが、“わたし”にとっても“あなた”にとってもいかに大事かということだと思うんですね。いまの社会は互いの期待値を押し付け合ったり、人と人が利用し合う関係になってしまったりしがちですが、そうではなく、それぞれの自由を尊重し、「いかしいかされる」関係性があることで、まわりの可能性も引き出されるし、自分自身も発揮できる。

逆に言うと、人間は一人になると無力で、存在としても不活性になってしまう。僕自身もそうですし、このコロナ禍で多くの人が感じていることじゃないかと思います。

【写真】リビングのソファでスマートフォンを見るはたのさん

ぶんじ寮で“持ち寄る暮らし”を実践する中で、影山さんは持ち寄りの新たな側面や可能性を感じているとのこと。そのひとつが、身体性。コミュニティの中で一緒に体を動かして汗をかくことの重要性を痛感しているそう。

影山さん:もちろん議論に参加するような持ち寄りのかたちもあるんですけど、そういったものが育んでくれる関係性は限られているんですよね。それよりも、草取りを一緒にする、重い荷物を運ぶ、壁を直す、ごはんをつくる、といった身体性を伴う持ち寄りを一緒に経験するからこそ、信頼関係が育まれるといっそう思うようになりました。

「ぶんじ寮は幸いなことに設備面で不具合があるのでみんなががんばらないと生活が成り立たない」と笑う影山さん。不具合という一見ネガティブな側面も“幸い”に変えてしまうような価値の逆転が、“持ち寄る暮らし”によって起こっているのです。さらに、「できることなら弱さも持ち寄りたい」と続けます。

影山さん:できないことや苦手なことは、どちらかというと自己責任と捉えられがちです。でもそういった弱さも素直に表に出すことで、周りの人も手を差し伸べることができる。誰かの弱さが別の誰かの強さを引き出すということもあります。そういうニュアンスも含めた“持ち寄り”になるといいと思っています。

【写真】笑顔で話すかげやまさん

実際に、企画メンバーの弱さや寮全体の課題が入居者の強さを引き出し始めています。現在のぶんじ寮では1部屋あたり月々38,000円の支払いが発生していますが、実は赤字続き。さらに、立ち上げ当初は設備面で不具合が多発したため改修費用が想定よりも大きくなってしまい、クラウドファンディングによる支援金を受け取っても大きな赤字のスタートとなっていました。その赤字部分は一旦、影山さんが負担しているとのこと。

影山さんはこの状況について「健全なことではない」と思い、定期ミーティングで打ち明けました。月々の会計の情報もオープンにしたところ、水道光熱費を抑えるためのアイデアが入居者のなかから自然に差し出されただけではなく、入居者や企画メンバーのなかで稼ぐことが得意な人々が手を挙げ、ぶんじ寮の経営会議が立ち上がったそう。

そしていま、ゲストルームを使った「住まない入居者制度」や、周辺の空家を活用した「町つなぎ不動産事業」、猫の手も借りたい時にまちの店舗同士が助け合う「ねこの手システム」など、社会関係資本を育みながらお金も生み出す、ぶんじ寮らしいアイデア(詳細・進捗はぶんじ寮のSNSにて)が生まれはじめています。

影山さん:たとえば月々4万円の黒字になれば、6年間で300万円の赤字を取り戻せる。さらにうまくいけば家賃の31,000円を下げることもできるわけです。そういったことまですべてオープンにしながら、みんなで知恵を出し合っています。

困りごともお金の課題も、そのすべてをオープンに運営していくことは、とても勇気の要ることでしょう。でも入居者にとっては「頼られている」「信じてもらっている」という喜びでもあると私は思います。そのポジティブな感情がその人が本来持っている力を呼び覚まし、いかしあいの関係性が育まれていく。“持ち寄る暮らし”は、生活費を抑えるだけではない、さまざまな相乗効果を生みだす可能性を秘めているのだと感じます。

【写真】キッチンにある大量のにんじん

“安心”から“冒険”が生まれる。

ここまでのお話で、生活費を抑えながら知恵を出し合って暮らすぶんじ寮には、確かな“安心”が宿っているのだと感じました。ここで私が気になったのは、“安心と冒険が同居する”というぶんじ寮のキャッチフレーズ。安心とともに“冒険”も大切にしている理由について聞きました。

影山さん:前提として、力点はやはり“安心”にあります。セーフティネットという言葉が皮肉にも象徴しているように、いまの社会は競争して自分の生産性や利用価値を証明していかないと生きていけないような、とてもリスキーな状態に身を置かれています。

でも「そもそも生きるって、そんな吊り橋を渡るようなものなのか?」と思うんです。吊り橋を渡ってセーフティネットで受け止めるという位置関係ではなくて、まずはホームがあることが大事。帰れる場所がある、「居ていい」と言ってもらえる場所がある、それが居場所ということですよね。

入居者の佐々木さんは、「死ぬ気がしない」という言葉で、関係性の中で生きる安心感を表現してくれました。

佐々木さん:僕はお金はないけど社会関係資本があるから死ぬ気は全然しないんです。仕事が無くなっても大丈夫だと思える。仕事を休んでも、ここで誰かがご飯を食べさせてくれる。家賃が3万円だから、残りのお金をプールすることもできる。僕自身がそういう場所で生きていきたいなと思うし、そういう人が増えた方がいいと思うんですよね。

【写真】リビングで談笑するねづさん、かげやまさん、はたのさん、ささきさん

もちろん吊り橋を渡るような緊張感があるからこそ人間のポテンシャルが引き出されていくということもあるでしょう。でも「それがいまはあまりにも度が過ぎている」と影山さんは指摘します。

影山さん:一見活躍しているような人でも、「一度地に足をつけて安心したい」という欲求はすごく強いと思います。そういった本当の安心は、たとえば、暮らしのお金を半分にすることで手に入ると思う。まずはぶんじ寮みたいな場所があることで自分らしくいられる。いざとなったら頼れる人がいる、帰れる場所がある。

その安心感があるからこそ、一人一人のなかに眠っている冒険心みたいなものも発芽してくる。そういう土壌さえあれば、放っておいても面白い活動や提案が動き出すと思っています。だから「冒険しろ」と言うつもりは一切ないんですよね。

【写真】ぶんじ寮の中廊下

私は“冒険”という言葉が好きです。“挑戦”と言ってしまうと何か明確なゴールを目指すイメージですが、“冒険”は行くあてのない旅のプロセスを楽しむようなワクワクを感じます。そんな私の思いを伝えると、影山さんは「僕らがもう一度取り戻すべきはそういう子ども心なんじゃないかという想いはずっとあってね」と、続けてくださいました。

影山さん:子どもの頃にワクワクしたような気持ちに忠実に、自分にウソをつかずに生きていけたら、もっと生きることが充実してくるのではないかと思っています。頭で考えて、“するべきこと”に自分を寄せていくと、気がついたら自分の時間を生きられていないということだってあると思います。多分「子ども心に還る」というのは企画メンバーのおぼろげな共通言語としてあったので、冒険という言葉がフィットしたんですよね。

そしてやはり冒険遊び場への想いも根底にあったそう。“冒険”は、ぶんじ寮へとつながった人、まち、そのつながり全てに思いを馳せて未来へとつなげようとする影山さんたちの想いが詰まったキーワードなのだと感じました。

【写真】ベランダで談笑するささきさん、かげやまさん、ねづさん、はたのさん

ぶんじ寮からまちへ、社会へ。

持ち寄ることで暮らしの安心をつくり、一人一人を冒険へと誘うぶんじ寮の話をさまざまな角度から聞き、私の中に思い浮かんだイメージは、影山さんが著書『続・ゆっくり、いそげ』で使われていた「一人一人の命が最大化」するという言葉。クラウドファンディングページに影山さんは「やがてまちへと拡がっていったら」と記していましたが、「それには2つの段階がある」と影山さんは語ります。

影山さん:まずはぶんじ寮がまちと相互浸透を起こしていく段階があると思います。子どもがボードゲームをやりに来てくれたり、「ぶんじ食堂」のときにご飯を食べに来てくれたり、イベントやゲストルームに来てくれたり、まちの人がぶんじ寮に入ってくる。もちろん逆に入居者がまちに出ていくこともありますよね。

【写真】「ぶんじ食堂」開催時のメニューが書かれた看板

【写真】「ぶんじ食堂」で出された肉じゃがやひじき炒めなどのご飯

影山さん:第2段階は、ぶんじ寮のなかの共通言語がまちの共通言語になっていくというステージです。「弱さも持ち寄る」ことや「いかしいかされる」ということを相互浸透の過程で経験して、それに共感してくれた人が、そうしたアイデアを学校や職場に持ち込んだり、シェアハウスの大家をやってみたり。

そういうことが起こって、気づいたら国分寺のまち全体がいい意味での「共助のまち」になっていくということを思い浮かべているんです。

【写真】西国分寺駅前の風景

そのポテンシャルはすでに感じていると影山さんは続けます。

影山さん:クルミドコーヒーを13年半経営するなかで、お店や地域通貨「ぶんじ」、お祭り「ぶんぶんうぉーく」など、まちの関わり合いが自然に育っていく様子を目にしてきました。何かあったら誰かのせいにするのではなく、自分ごととして「自分が何を持ち寄れるか」をあらゆる場面で考える。そういうスタンスだからこそ、まわりからも助けてもらえる。お互い様の精神や周りを応援する気持ちが、ある意味、国分寺のまちの共通言語になっているんです。

【写真】話をするかげやまさん

影山さん:そんなまちだからこそ、「ぶんじ寮」立ち上げのときも、金銭的なメリットは何もないのに役割や責任を担う企画メンバーが13人も集まってくれました。入居者にも、まちの活動に関わっていた人や国分寺のお店のスタッフ、クルミドコーヒーのスタッフもいますし、前提にそういう共通言語があったことで成り立っている部分もあると思います。

いま“まちの寮”という新しい可能性を育むための栄養分となっているのは、影山さんとまちの人々が一体になって積み重ねてきた、目には見えないけれど確かに存在するまちの空気なのだと感じずにはいられません。

【写真】クルミドコーヒーの外観

佐々木さんも、このまちに大きな可能性を感じているようです。

佐々木さん:ここに住むということは、国分寺のまちに住むということだと思うんです。嬉しかったのは、近所に住む一人暮らしの人がワクチンの副反応で苦しんでいた時に「うどん買ってきて」って声をかけてくれたことです。うどんを買ってその人の家まで届けたら、お茶を淹れてくれたりして。そういう関係性が自然に芽生えるまちになる可能性があるから、ここでやれることをやりたいと思っています。

影山さんはさらに確信を込めてこう続けます。

影山さん:国分寺市の人口は12万人くらいなんですが、“わたし”と“あなた”が出会うという“1+1”の安心の関係性を構築し続けて、気がついたら何百何千になっていたという感じで。自分をいかして周りをいかすことができる国分寺の仲間を思い浮かべると、僕のまわりだけで千人くらいはいるだろうと想像できる。12万人中、1%はいるんです。そういう意味で、国分寺は”外れ値”というか、すでにユニークなまちになってきていると思います。

【写真】西国分寺の駅すぐのところにある八百屋さん

国分寺のまちについて語り始めると、止まらない様子のみなさん。ついつい欲が出て「それが外れ値じゃなくて日本の文化になったらいいですね」と言ってしまった私に、影山さんはこんな想いを聞かせてくださいました。

影山さん:「僕がやらなきゃ」みたいな変な意気込みはないんですが、いまの社会システムに対する疑問はもちろん感じていて。それを局所的に、お店という単位で変えていけるということは、この12年間で証明できたと思っています。

これを、たとえば教育や福祉、政治や文化も含めてひっくり返せるといい。ギブから始める教育や政治があったっていいと思う。それらを国分寺という単位で実現できると、これはもうひとつの世界ですから、単体のお店とは違う意味を持ってくると思うんですよね。今のやり方に閉塞感を感じた方々の参考事例になれる。

僕の命が続くのなら、そういうところを目指せたらと思います。

【写真】談笑するねづさん、かげやまさん、はたのさん、ささきさん

大変だけど、大変だから、面白い

最後に影山さんに、ぶんじ寮を1年半運営してきていま改めて今思うことを聞きました。

影山さん:いやいや大変でしたよ、本当に。時期によっては、住む過程で起こるいざこざやぶつかり合いで傷つけ合うようなことがありましたし、果たしてこれをやったことが良かったのだろうかと迷うこともありました。今でもその迷いの気持ちがないわけではないですし、住み人(入居者のこと)に結構負担をかけてしまったな、と思っています。

住まいの運営という意味ではクルミドコーヒーの上にあるマージュ西国分寺で経験を持つ影山さん。「大変さ」の種についてこう続けます。

影山さん:ここは規模も大きいですし、大家よりも住み人の方にいい意味で主導権がある。大家や管理人が何かルールを決めて従ってもらうだけの場所ではここはまったくない。その面白さと大変さに直面してきた1年半でしたね。

「大変さ」の前に「面白さ」に言及した影山さん。おそらくここに集っているみなさんも、この状況を「大変だけど、大変だから、面白い」と感じ取れる人々なのだろうと想像します。

なぜなら根津さんはこれから「ぶんじ寮を緑まみれにしたい、もちろん許可なしで(笑)」と野望を抱いていて、佐々木さんは「まちの寮になるというのはどういうことか探究したい」と探究心を燃やしていて。「自分では想像できなかったことが起こるから面白い」と語る管理人の幡野さんは、4月に子どもが生まれたばかりで、子どもが加わったことによる変化を、管理人としても入居者としても楽しみにしているのですから。

どれも大変で厄介だと思う人もいるでしょう。それを、「面白い」と捉えられるぶんじ寮の人たちなら、きっと大丈夫。幡野さんが語ってくれた「大丈夫」という言葉の意味が、私にもストンと腑に落ちたのです。

【写真】ぶんじ寮の門にある看板

「解決しようとしない」ということ。
「管理しない」ということ。
「結果を手放す」ということ。

その根底にあるのは、揺るぎない相手への信頼。

信じてもらえるから、安心できる。安心できるから、冒険できる。

インタビューを通して垣間見た「ぶんじ寮」のあり方には、人と人が手を取り合ってともに生きるためのヒントが詰まっているような気がしました。

ぶんじ寮の冒険は、まだ始まったばかり。いまこの瞬間もかたちを変え続けているであろうぶんじ寮という生態系の今後を楽しみに、わたしも誰かの安心をつくり、冒険を支える存在になれるよう、暮らし方の探求を続けたいと思います。

最後に改めて、問いを投げかけさせてください。

あなたは、どこで、だれと、どんな暮らしがしたいですか?

関連情報:
クルミドコーヒー
胡桃堂喫茶店

著書
ゆっくり、いそげ
続・ゆっくり、いそげ

(執筆/池田美砂子、撮影/金澤美佳、企画・進行、編集/工藤瑞穂)