【写真】テーブル席に座り微笑むさかくらきょうすけさん

「どんなふうに生きていたい?」と問われたら、なんと答えますか?

「幸せ」は、なんだかくすぐったい。「健康」だけでは物足りない。「充実」ばかりでも疲れてしまうかも……。

そんな天邪鬼な私が違和感なく受け取ることができたのが、「いい感じ」という表現。独特のゆるさをまとったこの言葉に出会った時、スッと肩の力が抜け、腑に落ちる感覚を抱きました。「いい感じに生きていけたらいいな」と。

そんな人の「いい感じ」や「いい状態」について研究しているのが、坂倉杏介さん。坂倉さんは東京都市大学都市生活学部教授で、コミュニティマネジメントやウェルビーイングデザイン、社会イノベーションをテーマに活動するコミュニティデザインの実践家。

地域の多様な人々が気軽に集うことができる居場所・芝の家(東京都港区芝、2008年〜)の運営に携わってきた他、2022年には、まちのウェルビーイングな時間を増やすデザインプロジェクトを行う研究拠点・おやまちリビングラボ(東京都世田谷区尾山台)を設立。東京都市大学の学生のみなさんとともに、市民、学校、企業、行政の間に新しい関係性を育み、まちに価値を生み出していくさまざまな実践を積み重ねています。

坂倉さんはsoarの連続講座「場のウェルビーイングを高めるファシリテーション」に登壇した際、「ウェルビーイング」という言葉を「いい状態」と意訳し、こう語りました。

ウェルビーイングって、人のすべての営みの本来のゴールとしてあってもいいのではないかと思います。人の「いい感じ」や「いい状態」につながるように社会を設計しようよって。

最近、よく耳にするようになった「ウェルビーイング」という言葉。人の幸福度や人生の充実度を測るような文脈で多用されるようになってきましたが、正直私にはあまりピンときていませんでした。でも、「いい感じ」という言葉に置き換えると、なんだかそれがとても身近であたたかなものに感じられました。「いい感じ」を嫌がる人はいないし、みんながみんなで「いい感じ」でいられたら、争いもなく平和な世界が実現するのではないかとさえ思いました。

人の「いい感じ」につながる社会設計とは?
みんながみんなで「いい感じ」になるには?
そもそも「いい感じ」ってどんなもの?

実践に触れながらお話を聴いてみたいと願い、坂倉さんの新たな拠点・おやまちリビングラボへ。あたたかな期待を胸に、話を聴きました。

夏のある日、おやまちリビングラボへ。

ジリジリと容赦無く真夏の日差しが照りつける7月のある日、私たちはおやまちリビングラボがある、東急大井町線の尾山台駅に降り立ちました。改札を抜けると、すぐに目に入ったのは、賑やかな商店街。昔ながらの店舗とおしゃれなカフェやショップが同居するその通りには、高齢の方々や子育て世代の他、学生の姿も多く、多様な人々を受け入れる懐の深さを感じ取ることができます。

【写真】尾山台駅から続く商店街「ハッピーロード尾山台」。道の両側には、店舗と街路樹が並ぶ。

駅前から続く商店街「ハッピーロード尾山台」。この通りの先に、坂倉さんが教鞭をとる東京都市大学のキャンパスがあります。

学生のみなさんの背中を追いかけるように通りを南へ少し歩くと、ビルの壁面に描かれた「タタタ」という可愛らしいロゴマークがあしらわれた「タタタハウス」という文字が目に入ってきました。1958年から3代続いたタカノ洋品店をリノベーションして地域の交流拠点となったタタタハウス。今日の目的地であるおやまちリビングラボは、この2階にあります。

【写真】タカノ洋品店のビル看板の下に、「タタタハウス」のロゴがある

ガラス越しに見える談笑する人々の姿に心惹かれて扉を開けると、体操服や赤白帽、文具など子どもたちの学用品が並ぶ店舗の奥には小さなカフェスペースもあり、なんともほっこりとした気持ちに。談笑の輪の中に、坂倉さんの姿もありました。

【写真】タタタハウスの1階のコミュニティスペースで談笑するさかくらさん

坂倉さんの案内で、秘密基地へ向かうようなワクワクとともに階段の上へ。

【写真】タタタハウスの二階へ登る階段

建物の2階部分、木の温かみを感じられるこちらのスペースがおやまちリビングラボです。

【写真】おやまちリビングラボの内部。ホワイトボードや椅子、テーブルがある

坂倉さんが教鞭を取る東京都市大学都市生活学部のコミュニティマネジメント研究室として機能しているため、この日は学生のみなさんの姿も多く見られました。壁のホワイトボードには色とりどりの付箋が貼られ、日々たくさんのアイデアや思考が集まる空間であることが伝わってきます。

人、企業、学校。まちに新しい関係性をつくり、地域に価値を生み出していくおやまちリビングラボ

そんなおやまちリビングラボの一角をお借りして交わしたインタビュー。まずは坂倉さんの現在の活動についてお聞きしました。

【写真】テーブルを囲んで話すさかくらさん、ライターのいけだ、soar編集長のくどう

前回soarでお話を聞いたのは、5年ほど前。坂倉さんが東京都港区とともに、「芝の家」(東京都港区)を運営されていた頃でした。私自身も記事を読み、

人が生きていてよかったと感じる瞬間って、人との関わりのなかで自分が尊重され、相手を尊重するときに生まれるものだと思うんですよね。

という坂倉さんの言葉が、強く心に残っています。

【写真】おばあちゃんと、子どもを抱いた母親が芝の家のリビングでくつろいでいる

「生きていてよかった」と、自分も相手も尊重できる居場所を地域に。多世代が訪れる「芝の家」のありかた(2019年4月24日掲載)

坂倉さんは、当時お話を聞いた芝の家と、2022年6月に立ち上げたここおやまちリビングラボの違いについてこう語りました。

基本的にはまったく同じことをしています。人が自由に出入りできて、誰もが自分のやりたいことに取り組めるということは同じように大事にしながら、ここでは面的に広げていくことを念頭に、もっとまち全体が居場所になっていくような取り組みをしています。

一人ひとりのミクロな行動や想いが変わるだけではなく、このまちを構成している組織や団体や企業も垣根を越えて、新しい関係性の中でプロジェクトを始めたり、ウェルビーイングな暮らしを実現するためにいろいろなことを試したりできる場所。それが、おやまちリビングラボです。

【写真】入り口にあるおやまちリビングラボの看板

まちのウェルビーイングな時間を増やす様々な研究・デザインプロジェクトを行う研究拠点として設立されたおやまちリビングラボ。東京都市大学総合研究所ウェルビーイング・リビングラボ研究ユニットのプロジェクトとして、一般社団法人おやまちプロジェクトと協働で運営しています。

オープンから2年超。おやまちリビングラボは一体どのようにはじまり、ここを拠点にして、具体的にどのようなことが起こっているのでしょうか。

もともとこのビルは、3代続く洋品店でした。3代目の高野雄太さんが、チェーン店の台頭でこのまちの魅力が失われてしまうことに危機感を抱いて私を訪ねてきてくださったんです。そこに当時の尾山台小学校の校長先生(渡部理枝さん)と、慶應義塾大学の神武先生(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の神武直彦教授・尾山台在住)が加わり、4人が発起人となって「おやまちプロジェクト」を始めました。

初期の頃は、近隣に住んでいるけれど地域に関わりのない人が地域の人やこととつながるきっかけをつくったり、「好き」や「楽しい」をきっかけにまちに関わって想いを実現するサポートをしたり、ということを積み重ねていきました。

【写真】つながるホコ天プロジェクトの様子。夕暮れ時の商店街に、子どもから大人までたくさんの人が集まっている。

ハッピーロード尾山台の歩行者天国の時間帯(毎週水曜日16時~18時)に行っている「つながるホコ天プロジェクト」の様子。興味を持った人が気軽に立ち寄り、その中で新たな出会いを創出することを目的に活動している。

【写真】おやまちカレー食堂の様子。スタッフの女性2人と住民の方がテーブルを囲んでカレーを食べている。

毎月1回日曜日の昼にオープンする「おやまちカレー食堂」の様子。おやまちプロジェクトの活動で出会った方の「孤食をなくしたい」という想いからスタート。地元農家提供の野菜を使用し、地域の主婦や学生がカレーを振る舞い、食を通して地域とつながるコミュニティ食堂として機能している。

さまざまな人がフラットに関わり、自分のやりたいことを実現できる地域コミュニティとして機能し始めた頃、個人に限らず、地域の企業や病院、学校からも「一緒に何かできないか」と声がかかるようになりました。そのとき坂倉さんは、それらを「おやまちプロジェクト」で受け入れるのではなく、「おやまちプロジェクト」が「地域のハブ」になって、いろいろなアクターとつないでいこうと考え、動き始めました。

たとえば、当時尾山台にコーポラティブハウスをつくる計画を進めていた企業が、「未来の尾山台の住民になる人たちが、引っ越してくる前から愛着を持って暮らせるようにしたい」と相談に来ました。それに対して、中学生たちがワークショップを開いておすすめの公園の使い方やお店情報をまとめ、入居者の方々に配布したのだそう。

また、商店街に本屋を開きたいという方の「小学生が自分のお小遣いで買いにきてくれるようにしたい」という思いに対し、中学生がさまざまなアイデアを提案したこともありました。

こういうことって、学校や事業者単体ではできないですよね。その両者がちょっとこれまでのやり方を手放して出会って、何ができるか話し始めることによって新しい関係性の中での取り組みが生まれていく。

規模は小さいですが、オープンイノベーションってそういうことだと思うんです。自分の利益を最大化するために他所のリソースを持ってくるのではなく、一度自分の領域の外に出ていろいろなものを持ち寄って、そこから何ができるかを考える。そんなことが、地域に価値をつくっていくのだと思います。

【写真】手振りを使って話すさかくらさん

既にまちにあるものやことの間に新しい関係性をつくることによって、地域に価値を生み出していく。その動きを加速するために立ち上げたのがおやまちリビングラボです。

おやまちプロジェクトは、課題解決ではなく、個人の「好き!」や「やりたい!」が行動原理のプロジェクトだったんです。でもそれは個人だけではなく組織にもあることがわかりました。企業や学校の人がやりたいことを持ってきてくれるんですね。

そこで私たちは、まちそのものに課題があるというよりは、学校には学校の中だけでは解決できない問題があって、それを外に持ち出していろいろな人と一緒に寄ってたかって解決する、その舞台がまちなんじゃないかと考えました。そうすると、やりたいことや問いを持ってきやすく、試しやすい場所があった方がいろいろな人のやりたいことが加速していくんじゃないか。そんな思いから、おやまちリビングラボをつくってみようという流れになりました。

ちょうど当時、オーナーの高野さんが建物のリノベーションを考えていた事もあり、1階を洋品店兼カフェ、2階を大学のラボというコンセプトで運営することになったのが2022年のこと。3年目を迎え、そのコンセプトは確実に尾山台のまちへと滲み出てきているのを感じます。

【写真】タタタハウスの外観。

看板の側面には、もともとあった3代続く「タカノ洋品店」の文字もそのまま残っています。

「みんなが共通で柔らかく持っている目標値」としてのウェルビーイング

プロジェクトからラボへ。人々の居場所を面的に広げ、ウェルビーイングな暮らしを実現するための実験や実践を繰り返している坂倉さんに、ここで改めて「ウェルビーイング」という言葉の定義についてお聞きしました。

坂倉さんは「簡単なようでややこしい」と言いながら、研究室の学生が中学生に説明するために定義付けた3つの条件を教えてくれました。

「元気である」、「ご機嫌である」、そして「生き生きとしている」。つまり、心身の健康を問う医学的ウェルビーイング、快・不快など主観的な感情に関する快楽的ウェルビーイング、良好な状態が維持できる持続的ウェルビーイングの3つがすべて満たされている。WHO(世界保健機関)の言葉を借りれば、肉体、精神、社会的にも全て満たされている状態が、なんとなく人間の「いい状態」であるということがわかってきました。

【写真】笑顔でインタビューにこたえるさかくらさんの横顔

医学的な指標である「健康」とウェルビーイングの大きな違いは、主観的な実感であるということ。血液検査や身体測定の正常範囲は誰でも同じですが、主観的なウェルビーイングは個人によって大きなばらつきがあり、地域の特性や文化にも左右されるそうです。さらには、ウェルビーイングは「揺れ動くもの」だと坂倉さんは続けます。

ウェルビーイングを測定するツールもありますが、今日は良くても明日は落ち込んでいるかもしれないし、ここ最近は調子が良くてもそれまでの人生は最低だったということもある。どの期間で測定するかが問題になってくるんです。そう考えると、ウェルビーイングの測定値を高めるために何かをやるということが、若干貧しく感じられます。

ウェルビーイングの測定値の向上を目的に据えるのは本質とは違っている。とすると、おやまちリビングラボはどこを目指し、何を探求しているのでしょうか。

もちろん私たちも必要な場面があれば数値的にウェルビーイングの測定をすることもありますが、そこで改めて考えたいのは、たとえるなら「そもそもなぜ地域に公園をつくるんでしたっけ?」ということなんです。公園が地域になぜ必要かというと、本来は地域で暮らすみんなのウェルビーイングを高めるためですよね。

もともとは「人の幸せや充実や健康のために公園があった方がいいよね」という思いで始まったけれど、進めていくうちに、費用対効果や環境性能、住民参加の度合いといったところに指標を置くようになってしまう。そうすると、いつの間にかゴールがそこになってしまって、そもそもなぜやっていたのかわからなくなってしまいますよね。

目標設定の一歩先に「そもそもみんなが幸せになるためにやっているんじゃないですか?」というところがあるとないとでは、ずいぶんプロセスが変わってくるんじゃないかと思います。

【写真】手を動かしながら話すさかくらさん

なので私たちは、みんなが共通で柔らかく「ウェルビーイング」という目標値を持っているという感覚でプロジェクトを進めています。これまでのウェルビーイングに関する知見を踏まえて、人の「いい状態」につながるようにどう社会を更新していくのか。「そもそも人が幸せになっているか」ということさえグリップできていれば、どんな領域のプロジェクトもやろうと思っています。

今やっていることの「その先」にある目標や目的は、目の前のことに追われているとつい見えにくくなってしまうもの。私自身もプライベートでも仕事でも、思い当たる経験が多々あります。

さらに私が思い出したのは、以前読んだ書籍『子どもに民主主義を教えよう』の中で、著者の工藤勇一さんが語っていたこと。

学校改革の実践者として知られる工藤さんは、生徒たちと学校づくりに関する対話をする際には「みんなが共感できる最上位目標」を置くそうです。たとえば文化祭の最上位目標として設定したのは、「生徒全員で観客全員を楽しませる」こと。この明確な目標があることで、対話の中で常に立ち返ることができるだけではなく、自分の意見が採用されなかった生徒も、「最上位目標が満たされるなら」という納得の上で文化祭づくりのプロセスを共にすることができたと語っていました。

多様な人が生きる社会に置き換えると、確かに「ウェルビーイング」はみんなの目標値として合意できそうです。個人差があるという柔らかさ、「いい感じ」という言葉に代表される「ゆるさ」も共感を誘うための要素として適している印象です。私たち一人ひとりが社会人として共通の「目標」を意識することが、居心地のいい地域づくりや、生き心地のいい社会づくりへの第一歩なのかもしれません。

【写真】コミュニティマネジメント研究室 2023年度 活動報告書

「おやまちプロジェクト」から「おやまちリビングラボ」へ。その歩みと実践を学生のみなさんがまとめた冊子『コミュニティマネジメント研究室 2023年度 活動報告書』を見せていただきながらお話を聞きました。

「私のウェルビーイング」は、つくりあうもの

柔らかな共通目標としての「ウェルビーイング」を考えたとき、どうしても気になってしまうのが主観であるが故の個人差です。そもそも一人ひとりの「ウェルビーイング」の定義が違う中で、関わるみんなのウェルビーイングを高めていくことなんてできるのでしょうか。

もちろん幸せの形はそれぞれ違いますし、揺れ動くものなので、全員が同じ幸せを同時に満たそうとすると、やっぱり変なことになると思います。私たちは、「私のウェルビーイング」というのは、つくりあうものだと定義しています。自分だけが突出して幸せになればいい訳ではなく、自分以外の他者と関わっていたりつながっていたりすることが自分のウェルビーイングをつくってくれている。「今私が幸せでさえあれば100%OK」とは、やっぱり思えないですよね。

自分の大切な人がいい状態であってほしい、自分の子孫の世代もそうあってほしいという持続的・長期的なウェルビーイングが、翻って私の今の充実につながっている。とはいえ全員のそれが完全に満たされるわけではないので、そのように振舞う人が増えて、お互いのウェルビーイングに向けて尊重しあっていくということがもうちょっと噛み合っていって、風通しが良くなっていって……。というところを目指したいですよね。

【写真】真剣な表情で話すさかくらさん、いけだ、くどう

さらに坂倉さんは視野を広げ、「私のウェルビーイング」をつくり合う相手は、人間だけではないと続けます。

最近、私たちが暮らしているこの環境についていろいろな人と一緒に考え、できることから変えていくようなことをしています。それに取り組んでいること自体がこのまちで生きている・暮らしているということでもあって、やっぱり私たちを動かしているものは人間だけじゃないなってものすごく実感するんですよね。

たとえば、いまこの近くにある玉川野毛町公園という公園をデザインするプロジェクトを進めているのですが、公園として整備する前の段階でその土地を実際に使って感じたことに基づいて設計しています。そうすると、人間の社会の中だけで折り合いをつけようとする場合と、そのプロセスの質は全然違ってきます。

この公園には野毛大塚古墳という古墳があるのですが、実際にその敷地で活動していくと、やっぱり古墳の存在は無視できない(笑)。古墳があるということは、ここに1500年以上前から人が暮らしていたということですよね。会議室での世俗的な利害関係の話に、急にスケールの違う時間軸が差し込まれる。意思決定やみんなの価値観の中に古墳という人間を超えたアクターが参加して活躍しはじめる訳です。

そうすると、「私たちはどう生きていくべきなのか」とか、「2千年前から人の営みがあったこの場所が100年後もいい公園であるためには?」といったように、ちょっと軸が変わってくる。

【写真】玉川野毛町パークらぼの様子。木陰に大勢の人が集まっている。

住民参加デザインの新たなかたちとして進行中の「玉川野毛町パークらぼ」。以前から地元の方々に親しまれている玉川野毛町公園の隣接地が新たに公園として整備されることになったことを機に、地域の方々が工事前の敷地で実際に活動しながらランドスケープや施設のデザインを考え、完成後の運営を担う仲間を増やしながら、2025年の開園に向けて準備を進めています。

それってすごくウェルビーイングだなと思います。私たちの研究で、ウェルビーイングをI(個人的なこと)、We(他人との関係性)、Society(社会的なこと)、Universe(超越的な世界との関わり)の4つに分けていますが、自分の中から湧き上がってくるウェルビーイングもあれば、他者との関係の中で得られるものもあるし、社会と接続されている、社会の役に立っているという感覚も大事だし、それを越えて、人間社会を超越したものとのつながりや調和の実感が人のウェルビーイングを高める。

もちろん自分が中心ではあるんですが、ウェルビーイングって、そういう同心円的広がりのある概念だと思うんです。「私のウェルビーイング」だけじゃなくて、私も相手も社会も地球のことも考えて、全体性やつながりを実感しながら他者と行動したり判断したりできると、すごく豊かですし、心も安定していくんじゃないかなって思います。

【画像】ウェルビーイングの心理的要因のカテゴリ

国内の1300人の大学生に、「あなたのウェルビーイングは何ですか?」と問いかけ、自分のウェルビーイングを決定する要因を3つ挙げてもらい、集まった3900の回答を分類。「自分を好きでいられる」から「世界が平和であること」まで、ウェルビーイングの同心円的広がりが感じられる。(『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』(ビー・エヌ・エヌ新社)より)

坂倉さんによると、圧倒的な自然を体験した人は、ウェルビーイングが高まるという研究結果もあるのだとか。雄大な自然の中にいると人間関係の悩みなどが相対的に小さく感じられ、人類として助け合おうという気持ちが芽生え、利他的に行動できるようになるとのことです。逆に言えば、そういった感覚は人が本来持っているものだとも。

人間社会の苦しみは、多くの場合「全部自分でコントロールできる」という思い込みの中で生まれていたりもしますが、そもそも人間は古来から自分では太刀打ちできない大きな自然の中で生きていたので、大きな自然を前にした時、その中で感じていた喜びや安心、畏れの感覚が戻ってくるのかなと思います。

それは「自然環境を大切にしなきゃ」という観念的、義務的なものではなく、素朴に湧き上がってくるもので、それこそ今の社会ですごく必要とされている感覚だと思います。人間と地球環境の相互作用がこのままでは継続できない状況の中で、身近にある自然環境を自分たちでケアしていくような感覚を、どう人間の社会全体と地球環境の関係性まで拡大して実感できるかということは、これからの社会づくりにおいて重要なポイントになってくると思います。

【写真】両腕を組みながら笑顔でお話するさかくらさん

ウェルビーイング実現への道のりは、修行のようなもの。

ウェルビーイングはあくまで主観的なものであり、「つくりあう」ものであり、同心円状に広がりを持っている感覚でもある。

ここまで受け取った内容からウェルビーイングを捉え直してみると、周りの人々や地球環境とともに「私のウェルビーイング」を「つくりあってみたい」という気持ちになります。家族でも地域コミュニティでも、所属する会社組織でも、お互いにお互いのウェルビーイングをつくりあう関係を育むことができたら、それぞれのウェルビーイングを大事にし、高め合いながら暮らしていける生き心地の良い社会になるのではないかと。

いわば「集合的なウェルビーイング」と表現できる状態に至るための方法論を尋ねると、坂倉さんは「これを言うと大抵の人にはポカンとされるんですが」と笑いながら、このように続けました。

私なら、「本気でみんなのウェルビーイングを願ってください」と答えますね。本当に、本当に幸せに暮らしたいんだ、暮らしてほしいんだっていう揺るぎない決意みたいなものがあった上で、本気で何をすればいいのかを考えるということがまず大事だと思います。

ウェルビーイングという言葉とデータがあることを知って「それを満たせばいいじゃん」って思えちゃうかもしれませんが、一緒に研究している渡邊淳司さん(NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部・上席特別研究員)と話しているのは、「ウェルビーイングは修行みたいなもんだ」ってことなんです(笑)。

【写真】笑顔でお話するいたくらさんの横顔

家族も組織も、本来はプロセスじゃないですか。時間的な流れの中で毎日変化しつつ、絶対的な完璧な状態には到達できないかもしれないけど、日々「こうありたい」と願って暮らしている状態であり、プロセスであって。いい感じになることもあるし、そうでないこともある。

だけど、「いい状態でいたいよね」って思っていて、「そのために何ができるのかな」って考えていて、その中には、「自分の大切な人が幸せになってほしい」とか、「社会にちょっといいことをしたい」とか、私だけが得することじゃないものも入っている訳です。みんながそういうことを毎日毎日考えているということが、ウェルビーイングの本質だと思うんです。

だから、プロセス。自分の中で絶えず対話して、いい状態を求めていくようなプロセスを大事にしている集団というのは、ネガティブな状態に直面したとしても、振り返っていい経験だったなぁと、そこに意味を見出していけるようになっているのかなと思います。それが集合的なウェルビーイングとも言えるのではないでしょうか。

【写真】手振りをまじえてお話するさかくらさん

坂倉さんの話を聞いていて、私の頭の中には中学・高校時代の吹奏楽部での経験が蘇ってきました。みんなで一致団結してコンクールに向かうプロセス、顧問の先生たちと納得するまで対話を繰り返したプロセス。その全てが「成功」や「成果」には結びついた訳ではありませんが、今でも当時の仲間と「大変だったけどいい時間だったね」と振り返ることができます。彼らとの関係性は、まさにウェルビーイングをつくりあえた関係性だったのではないかと。

坂倉さんはこう続けます。

経験の共有ってすごく大事です。おやまちプロジェクトもそうですが、「大変だったんだけど、みんなでこうやってこれたよね」といったことが積み重なってくる。何か大きなことを生み出してるわけではないですし、一人ひとりの能力がものすごく向上してるわけではないし、お金もいっぱいあるわけではないですけど、この経験の共有がすごく大きな資産だと思うんです。

そのプロセスの中で無形の資産としての共有経験がどんどん蓄積されていくことがすごく大事で、それをちゃんと積み上げていくこと以外の方法で何かを変えていくのは無理かなと思っています。それこそ、本当の資産だと思うんですよ。有形の資産はお金があれば買えるけど、時間をかけて蓄積されてきた経験の共有はいくらお金があっても買えないですよね。

まちづくりも組織も家族も、集合的なウェルビーイングも、そういうところに関わってくるんじゃないかなと思います。

【写真】テーブルを囲んで笑顔で話すいたくらさん、いけだ、くどう

「私のウェルビーイング」から、みんなで育む「集合的なウェルビーイング」へ。坂倉さんは、ウェルビーイングの観点から新しい暮らし方やサービスを考えるためにワークショップマニュアルの開発にも携わっていますが、そのワークショップにおいても、重要なのは結果だけではなく参加者全員がウェルビーイングという視点から話し合うというプロセス自体なのだとか。

ウェルビーイングを知るだけではなく、家族や仲間とともにウェルビーイングに関心を抱き、こうありたいと願い、語り合うプロセスこそが、集合的なウェルビーイングへ向かう第一歩なのではないかと感じました。

【画像】ウェルビーイングな暮らしのためのワークショップマニュアル。かわいらしい家族のイラストが描かれている。

ウェルビーイングの知識を得るだけではなく、ウェルビーイングの観点から新しい暮らし方やサービスを考えるために開発された「ウェルビーイングな暮らしのためのワークショップマニュアル」(制作・発行:「⽇本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」プロジェクト)。参加者が自身のウェルビーイングという視点に立ち戻り、それぞれのウェルビーイングを基盤にして問題解決を志向するボトムアップ型のワークショップで、webからダウンロード可能。坂倉さんもプロジェクトチームのリーダーとして開発に関わっている。

「中動態」というあり方

ここまでたっぷりお話を聞いてきた私が、最後にどうしても聞いてみたかったこと。それは坂倉さんご自身のウェルビーイングについてです。ウェルビーイングの実践と研究で多忙な毎日を送る坂倉さん自身がウェルビーイングを実感できるのはどんな時なのでしょうか。

私は自分の大切な人に幸せになってほしいんですよ。学生も含めて本当にみんなに幸せになってほしいんですけど、幸せには自分でなってほしいんです。「私(坂倉さん)がこれをやったからできた」みたいなのは嫌で、その人が自力で見つけたり、その人にとっての本当の偶然として、リアリティのあるものに出会ってほしくて。

一人ひとりの幸せだけじゃなくて、イノベーションも含めて、それらが起こりやすいような状況はどういうふうにつくれるか。どうなるかわからないけど、こうやって研究室を開いて、それを面白がってなにかをやる人が生まれてもいいし、たまたまそこで出会った人がなにかを始めてもいいし。そういうところに立ち会っていると、充実感を得られます。

【写真】右手を動かしながら話すさかくらさん

自分の意志で行動して成功することが評価されがちな社会の中で、坂倉さんのあり方はどこまでも中庸でフラット。誰かに起こったことを自分の手柄にするのではなく、その人自身が自分の力で出会っていく、その環境や状況を整えて見守っているようなスタンスが、坂倉さんにとっての「いい状態」のようです。それを坂倉さんは、「する(能動)」と「される(受動)」の間に位置する概念である「中動態」という言葉で表現し、こう語りました。

受動よりも能動がいいよねって評価されがちですが、僕自身は中動態的なあり方が気持ちよく、すごく満たされるんじゃないかなと思います。「自分では決めていないんだけどこうなってしまう」とか、「いろいろな偶然が重なった結果起こってしまう」とか。「する」とか「される」ではなく「なる」というありかたが私にとってはすごく「いい状態」なのかもしれないですね。

【写真】商店街の街路樹を背景に微笑むさかくらさん

「中動態」という坂倉さん自身にとって心地よいあり方は、坂倉さん個人がもつ主観的な心地よい感覚でありながら、実はウェルビーイングをつくりあう関係性を育むプロセスにおいて、とても大事なスタンスなのではないかと思います。

関係性の中にあり、共に影響を与え合いながらも、やはり軸が自分の中にある「幸せ」や「いい状態」は、誰かの手に委ねるのではなく、自分自身の手で担っていく。そんな、ある意味自律的なあり方を前提として、周りの人々とともに幸せを必死で願い、そこに向かうプロセスを共有していく。そんな歩みの中から、社会全体の集合的なウェルビーイング、つまり「みんなでみんなのいい感じ」をつくりあう土壌が育まれていくのではないかと思いました。

【写真】左から、くどう、さかくらさん、いけだ。微笑みながらカメラを見つめている。

そのための一歩は、やはり自分自身の「いい感じ」や「いい状態」に自覚的であることから。

あなたはどんなふうに、生きていたいですか?

(撮影/金澤美佳、編集/工藤瑞穂)

関連情報:
おやまちリビングラボ ウェブサイト