【写真】カメラを見つめて微笑むむかいやちいくよしさん

「わからない」に向き合うことって、大変じゃありませんか? 

理解しようとするにも気力がいるし、それをした上でわからなかった時の徒労感はさらに大きい。対岸の人々のことはもちろん、身近な人たちのことも、はたまた自分のことでさえも、わかっているようでわからないことばかり。

なんで傷ついているのか。なんでモヤモヤしているのか。なんでわからないのか。なんでわかってくれないのか――そんな「わからなさ」との向き合い方を、なんとか身につけたい。情報がどんどん押し寄せてくる今だからこそ、自分や他者の「わからなさ」とうまく付き合っていきたい。

そんな思いを胸に、私たちsoar編集部は数年ぶりに「当事者研究」の第一人者であるソーシャルワーカーであり、「社会福祉法人浦河べてるの家」理事長の向谷地生良さんの元を訪ねました。

「当事者研究」とは、統合失調症や依存症などの精神障害を持った人たちが、「自分自身で、ともに」を理念として、生きにくさを解消していくための方法論としてはじまりました。生きづらさを周りと共有しながら、仲間たちとの対話の中で人間性を回復させていくプロセスに大きな可能性を感じて、私たちは2020年に向谷地さんにインタビューをさせてもらいました。

「どんな経験も宝」「弱さの情報共有をする」「自分の苦労をみんなの苦労に」――当事者研究が大事にしているスタンスから、当時の私たちはたくさんのことを学び、身近な困りごととの向き合い方が、少し上手になった気がしていました。

それからコロナ禍をはさんで数年が経った今、世界は大きくうねりながら、さらなる混沌に向かっています。「多様性を大事にしよう」という声に、「多様すぎてしんどい」という嘆きが覆い被さって、違いを認め合いながら他者とともに生きていく場づくりのハードルが、心なしか上がっているようにも感じます。

そんな背景から、あらためて向谷地さんに当事者研究のお話を聞きたいと思ったのです。

コロナ禍における社会の変化を受けて、当事者研究はどのように変わっていったのか。変化の中から、どのような学びを深めていったのか。脈々と続くその営みから、いま一度自分や他者との「わからなさ」と健やかに向き合うためのヒントを探りました。

べてるの家、当事者研究とは?

【写真】路地を歩くむかいやちさん

撮影:中里虎鉄

さて、本題の対談に入る前に、まずは皆さんにべてるの家(以下、べてる)と「当事者研究」についてご紹介させてください。

べてるは、北海道の浦河町にある地域活動拠点です。浦河赤十字病院の精神科を退院した人たちを中心に立ち上がった回復者クラブ「どんぐりの会」をルーツに、障害のある人と町民有志によって、1984年に立ち上げられました。

彼らはここで共同生活をしながら、日高昆布、夏いちごといった地場産業を生かした事業を起こして自ら働く場をつくっています。診療所など他機関と連携しながら少しずつ地域での活動を広げ、現在は訪問看護ステーションやグループホームも併設され、生活・仕事・ケアが一体となった場所になりました。ソーシャルワーカーの向谷地さんは、べてるの立ち上げ当初から今日まで運営に関わっており、現在は理事長を務めています。

そして「当事者研究」とは、2001年にべてるから始まった、さまざまな精神疾患を経験した当事者が自らの生きにくさについて研究し、周囲と語り合うなかで対処法や生き方を探していく手法のことです。冒頭でも少し言及しましたが、医師や専門家にすべてを委ねるのではなく、自分自身が「苦労の主人公」として自分の生きづらさを研究し、仲間とともに「自分を助けていく」試みを実践していきます。

当事者研究の理念には、私たちが生活や仕事に向き合っていく上で、とても大切にしたいと思える要素がたくさん詰まっています。それまで当たり前のように行われていた“診断”から距離を置き、当事者同士の対話をベースにして病や不調、そして自らの「弱さ」と向き合おうとするこのアプローチは、どのようにして生まれ、形づくられていったのでしょうか。

ここからの記事前半は、2020年1月に行ったインタビューを元に、当事者研究の起こりから「研究する」というまなざしが私たちにもたらす変化について、向谷地さんに語ってもらった内容をお届けします。

問題だらけの現実、それでも生きていくための試行錯誤の先に

【写真】べてるの家や当事者研究に関する本が3冊並んでいる

撮影:中里虎鉄

――まずは当事者研究がどのような背景から生まれ、定着していったのかを伺わせてください。そこにはやっぱり、「困っている人たちをなんとか支援したい」といった気持ちが強くあったのでしょうか?

向谷地:そういう思いももちろんありますが、それ以上に何と言っても、人への好奇心が原動力になっている部分が大きいです。このことは、今から40年近く前に仕事をし始めた頃から、ずっと変わっていません。「誰かを何とかしようと頑張ってきた、実践してきた」というよりも、実感としては、人間そのものへの謎解きのような強い興味や関心、それを探るための冒険をしてきたような感覚なんですね。

だから今でも「この地域をなんとかしたい」「社会をよくしたい」などと上段に構えているわけじゃなくて。自分の足元から具体的に小さな安心、居心地の良さを生み出して、それを失敗も含めて社会に向けて発信してきたような気がしますね。

――今までに、べてるでの取り組みが町おこしの文脈で成功例のように取り上げられることは何度かあったかと思います。

向谷地:そうですね。注目してくれることはありがたいのですが、僕らが置かれている現状は昔から今に至るまでずっと、全然甘くはなくて。それこそ、日々、問題だらけなんです。

浦河に住んで40年以上経ちますが、当時およそ2万人あった人口は半分近くに減っているし、魚も採れない、馬も売れない状態で地域経済もどんどん疲弊しています。商店街も空き店舗が増えて、全体を見たら、決して前向きな方に向かっているわけじゃない。何かを積み上げて作る以上に、むしろどんどん失われていく、崩れていくものが多い地域の現実を、私たちは生きています。

私は、社会や地域の抱える問題は、一番弱い立場にある人たちに現れると考えてます。とくに社会の行き詰まりは、人の苦労が究極に煮詰まった結果として、その人のメンタルヘルスの部分に顕著に現れる。その意味では、浦河というコミュニティーにとって、べてるの人たちは“炭鉱のカナリア”のような存在だとも言えるわけですよ。

――なんらかの異変をいち早く察知して、知らせてくれる存在だと。

向谷地:だからこそ、当事者から発信された情報や語りは、とても大切になってくるわけです。地域や社会が病気を経験した人たち、何かしらの困難や痛みを抱えている人たちが発するメッセージに対しての共感や理解を持っていないと、結果的に立ち行かなくなっていってしまう。

私たちは病気や障害を抱えること、生きにくさや苦労を抱えること自体に関心を寄せて、それらとどう向き合っていくべきか、どんな態度で生きるべきかと、自分たちなりのアイデアを持ち寄りながら、健やかな生き方を模索してきました。

当事者研究とは、こうした歩みの中で必然的に立ち上ってきた発想でした。目標を立てて計画的に編み出したわけではなく、のっぴきならない現状や起こった出来事に対する態度、在り方の積み重ねから、自然に生まれてきたものなんです。

どうしようもない状況で、みんなを解放した魔法の言葉

【写真】インタビューに応えるむかいやちさん

撮影:中里虎鉄

――当事者研究のアイデアが立ち上がってきた最初のきっかけとは、どんな出来事でしたか?

向谷地:今から20年くらい前、べてるに統合失調症を抱えた若者がいましてね。彼は家庭内だけでなく、地域の中でもいろいろなトラブルを起こしていて。彼自身もすごく苦しんでいたと思うんですけど、べてるに来てからも問題続きで、「一体どう支援したらいいのか?」と途方に暮れたことがあったんです。

べてるのスタッフみんなでずーっと困っていたんですけど、一向に出口が見つからない。もうお手上げだと気持ちが極まったときに、目の前でうなだれている彼に向けて、私の口からポロっと「どうしたらいいかわからないから、一緒に研究しない?」という言葉が出たんです。

その瞬間、私自身が「何とかしなくては!」といった重圧から解放されたような感覚を持ちました。そして、彼も「研究したいです!」と言って表情が変わったんです。「これは面白いぞ」と感じて、そこから“研究”を軸にしていろいろな困難との向き合い方を工夫する日々が始まりました。

――その「一緒に研究しよう」という言葉が、当事者研究の原点になったのですね。

向谷地:そうですね。トラブル続きの彼を叱ったり、諭したりするのは、簡単です。でも「叱られるから、注意されるから、評価が下がるから」といった動機づけから生まれるものって、長続きしない。やる気の素は、やっぱり探究心や冒険心、興味関心なんだと思います。気持ちが素直に盛り上がって、初めて人は能動的に動けるんだよなと、“研究”という言葉が気付かせてくれました。

“研究”というフィルターが、苦労を取り戻す助けとなる

【写真】笑顔でお話するむかいやちさん

撮影:中里虎鉄

――今までは“問題”として、ある種「向き合わなきゃいけない大変なこと」と認識していたことを、“研究対象”として捉え直してみたと。それによって、当事者や周りの支援者の皆さんの意識は、どのように変わったのでしょうか?

向谷地:大きくふたつの変化がありました。ひとつは、今お話ししたような興味関心をベースにして、前向きに自分の苦労と向き合えるようになったこと。もうひとつは、当事者だけでなくスタッフたちも、自らの苦労を研究対象として自分の外に置くことで、「今を生きる当事者」として目を逸らさずに、自分や周りの人と向き合えるようになったことです。

――「苦労を自分の外に置くことで、より当事者として自分の苦労と向き合える」というのは、どういうことなのでしょう。外に置くと、他人事のようになってしまいませんか?

向谷地:それが、逆なんですよ。外に置くことで、自分事になるんです。持ちやすくなるし、見えやすくなる。「他人事にする」のではなく、「他人事のように扱う」ことによって、自分の苦労の根源と適切な距離を取って向き合えるようになります。

かつて私が病院にいた時、患者さんは当然なんですけど、治してもらおうと思って病院にやって来ます。でも、精神医療の世界は「骨折しているから骨がくっつけばいい」というような外科的、対処療法的な発想では決して捉えきれない、非常に難しい領域なわけです。

――つまり「この症状にはこの薬を飲めばいい」という単純な対応で回復する問題ではないと。

向谷地:はい。学説的にはさまざまな立場があるんですけど、精神疾患という「見かけの苦痛」の根底には「現実の苦労」と「本質的な苦悩」があって、これらは階層状になっているんです。この構図を「苦労のピラミッド」と名付けています。

日常の中では解消しきれなくて、体の中に蓄積していった“生きづらさ”が、私たちに一種の注意サインのように生理的な不調をもたらします。その警告を無視していると、さらに“生きづらさの濃縮”が進み、私たちの気分や物の感じ方、見え方、聴こえ方、記憶などのこころのシステムに負荷がかかって、そこにゆがみが生じることで精神疾患や身体症状が現れるんですね。

【図】当事者研究における苦労のピラミッド (出典 「病人」から「苦労人」へ橋本侑児) 回復とは苦痛が苦労、さらには苦悩へとおりてゆく過程 ピラミッドの頂点 見かけの苦痛(精神・身体症状) 現実の苦労(お金、仕事、人間関係)状況的課題 本質的な苦悩(生きる意味ー人間共通)普遍的課題

向谷地:だから「いま表に出ている症状だけが消失すればいいか?」と言えば、それはNOです。精神疾患に対して薬を飲んだとしても、緩和されるのは上部の「見かけの苦痛」だけ。その苦痛を生み出している「現実の苦労」や「本質的な苦悩」が解消されなければ、苦痛は何度でもよみがえってきます。つまり、この苦労のピラミッドを降りながら、「自分の生きづらさ=本質的な苦悩」の中身を明らかにしていかないと、謎が解けない。そういう見えにくい、分かりにくい領域なんです。

この「自分の生きづらさ」は、自分の中に置いたままだと、ブラックボックスになりすぎていて、なかなか向き合うことができません。見えないしわからないから、解決をほかの人に丸投げして委ねてしまいたくなる。「治してください」と医者を頼る行為は、まさにそれですね。

――だからこそ、自分の中に隠れていて実体のつかめない「生きづらさ」をいったん外に置いてみることで、あらためて「あ、これは自分事なんだ。自分でなんとかするしかないんだ」と気づけるのですね。

向谷地:そうなんです。苦労を“病気”として捉えて、解決を人任せにしていたら、なかなか状況は良くならない。回復に向かうには、病気として手放している苦労を、自分事として捉え直して、自分の大切な人生の一部、貴重な経験として「取り戻す」必要があります。苦労をちゃんと取り戻すことで、逆にその苦労から「解き放たれる」可能性が高まるんです。

ただ、苦労を個人がそのまま受け止めるには重すぎる。受け止めきれなくて、今まで蓄積してしまったわけですから。“研究”というフィルターを通せば、苦労と距離を取って、比較的ポジティブな気持ちで向き合えます。似たようなテーマを持った仲間と一緒に探究していくことで、挑戦しやすくなるでしょう。

コロナ禍は、生きていく上で不可欠な「謙虚さ」を思い出させてくれた

ここまでお届けした内容では、「当事者研究」の生まれた経緯や概要をなぞりながら、自分の苦悩や弱さとの健やかな向き合い方についての理解を深めていきました。

さて、ここからの後半パートは、2024年9月に再び向谷地さんにインタビューをした内容をお送りします。あれから当事者研究にどのような広がりがあったのか。当事者研究の本質とも言える「対話」の姿勢が、向き合う人々にどのような変化をもたらしてきたのか。実例を踏まえながら、向谷地さんにじっくりと語ってもらいました。

【写真】カメラを真っすぐ見つめるむかいやちさん

――向谷地さん、お久しぶりです。前回のインタビューでは、べてるが大切に培ってきた「研究」というアプローチの基礎を理解できた気がしています。今日は、そんな当事者研究の活動がコロナ禍に入ってからどのような影響を受け、どんな変化を遂げていったのか、いろいろと聞かせてもらえるとうれしいです。

向谷地:そうですね……私たちがやっていること自体に大きな変化はなかったですね。ただ、当事者研究の営みが広がったというか、社会のあちこちで芽吹き始めたようには感じました。

――当事者研究的な活動が増えていったと。それはどうしてだと思われますか?

向谷地:おそらく、歴史上誰も経験したことのないような疫病にさらされたことで、私たちが「誰もが弱者なんだ」という現実の可能性を痛感したからだと考えています。そんな環境下だからこそ、まさに当事者研究的なまなざしが各地で必要とされたのでしょう。

コロナ禍では、誰もが自分ごととして問題と向き合い、「自分の経験は自分だけのものじゃない、もしかしたらみんなのものなんだ」という発想のもと、弱さや学びの共有が自然と発生していました。本当に大変だったけど、長い目で見ると、研究思考が社会に浸透していく契機になった事実は、ポジティブに捉えられると思っています。

それに付け加えるとしたら、コロナ禍以降での当事者研究でより鮮明になったのは、「やればやるほどわからなくなる」ということです、いい意味でね。

――わからなくなった?

向谷地:はい。前々からわかっていたことではあるんですが、あらためて確認できたのは、とても貴重なことだったなと。人間の心の広がりは宇宙的で、いま理解できていることもごく一部にしか過ぎません。コロナ禍でさまざまな問題が立ち現れて、心のわからなさはさらに深まりました。

今まで精神医療の領域では「説明しやすい、わかりやすい、理解しやすい」ことが大事にされてきました。なぜなら、そうしないと治療ができないから。「心の病気はどうしたら治るのか」という問いに対して、説明しやすい言葉を探して「これが問題で、こうしたら解決するんだ」といった論理を探してきたんですね。けれども、現実にはそういうアプローチで解決できないことが山ほどあります。

だから、私たちは“人の心のわかりにくさ”に対して、謙虚でなければならないんです。わかったふうな態度を取らないで、目の前の現実、目の前にいる人としっかり向き合わなければ、その人の心の問題を解き明かす糸口はつかめませんし、本質的に人とともにつながっていくことはできません。ちょっと大げさな表現かもしれませんが、コロナは私たち人類に「生きていく上で不可欠な謙虚さ」を思い出させたんじゃないかな、なんて感じるんですよね。

不登校という経験も、宝に変わる。当事者研究と出会った子どもの成長

【写真】手振りをまじえて話すむかいやちさん

――最近、大人だけでなく子どもや親子、家族を対象にした当事者研究も立ち上がってきていると伺いました。そこにはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

向谷地:まず、子育てや家族関係に苦労をかかえる当事者研究が大好きな人同士の交流があって、そこから、「子どもが学校に行きたがらない」というテーマで話を分かち合っていく中で、その交流に子どもが参加するようになったんですね。そこで、親同士であれこれと対策会議を開くんじゃなくて、子どもがちゃんとこのテーマの主人公になれるよう、一緒に考えないとダメだよね、という流れになったんですね。

例えば、札幌で開催している当事者研究交流会で実際あったことですけど、1人の参加者が、いわゆる不登校の小学3年生の息子を連れてきたんです。会った瞬間「僕、勉強嫌いなんだよ」とハキハキいうので、面白そうだと思って「一緒に研究しない?」と呼びかけたら、快く「いいよ!」と答えてくれたんです。

その子に学校に行かない理由を尋ねると「勉強が嫌い」「学校に行こうと思うと吐き気がする」と。そこで、「今日は、いろんな大人が来てるので、勉強が嫌いだった人がいるか、聞いてみるのはどうだろう」っていうと、前に出て「勉強嫌いだった人!」って質問したんです。そうしたら、ほとんどの参加者の手が上がったんです。その子はびっくりしてましたね。「勉強が嫌いでも、大人になれるんだ!」って。

それから、「どうしたら学校が嫌いじゃなくなるか?」と考えているうちに、「自由に自分が好きな時間割を作れたらどうかな?」という話になって、試しにその子にワクワクする時間割を書いてもらったんですね。10分くらい悩んだ末にできたのは、ほぼすべてのマスが「ゲーム」で埋められた時間割でした(笑)。

「この時間割だったら、学校は楽しめそう?」と聞いてみると、「楽しいけど、ダメな大人になりそう」だと言う。私はそれに感心して「君は物事を見極める目をちゃんと持っていて、研究者向きだ。君は、きっと勉強嫌いじゃないかも」と伝えると、子どもは嬉しそうにしていましたね。

驚くべきは、次の日のことです。突然、その子の父親から電話がかかってきました。何かと思って出てみると、「向谷地さん、今日うちの子が学校に行きました」と。ああ、子どもはやっぱり柔軟で、変化が早いのだなと痛感しました。

――対話できる相手がそばにいれば、子どもたちは話すことでどんどん自分で考えを深めて、柔軟に行動を変えていけるのですね。

向谷地:ただ、気を付けなくてはいけないんですが、決して「当事者研究に取り組むと不登校が解消する」というわけではなくて。たとえ言葉に出さなくとも、そういう「不登校をどうにかしよう、相手を変えてやろう」という思惑が少しでもあれば、対話や研究の場は成り立たなくなるんですね。

「学校に行こうとすると調子が悪くなる」というのは、変じゃないし、ダメなことでもない。その経験にも、大事な宝が眠っている。そういう気持ちを持って、大人たちが過度に心配したり問題視したりせず、いい意味で楽観しながら話を聞いてあげれば、子どもは自ずと成長していくのでしょうね。

対話とは「相手を変える」ことではなく、未知に飛び込んで「自分が変わる」こと

【写真】椅子に座って話すむかいやちさん

向谷地:精神科医の領域では、これまで病気や障害を持った人を「どうしたら変えられるか」ということにばかり気を取られていたのではないか、と感じています。それに対して、当事者研究や対話的な実践には当たり前ですけど「自分が変わらなければ、相手が変わらない」という発想がベースにあるんです。

これがとても難しくて、すぐに真似できるものではありません。けれども、自分が変わると、相手との間にある「関係」の在り方が変わります。関係の変化は相手にも影響して、それに応じて相手も変わり得るんですね。

――「相手を変えてやろう」という意図を手放して話を聞くというのは、実はなかなか難しいことなのかもしれないなと感じました。

向谷地:今の話の流れで、共有してみたいエピソードがあります。以前、統合失調症を患って2年半ほど病室から出られなくなってしまった男性の相談にのった時のことです。病室にお邪魔して話を聞いてみると、どうやらその人には神様の声が聞こえるそうで「14個の命令を言い渡されている」「そのうちのひとつに、『ここから出るな』と」「神様の言うことは守らなければ」と言いました。

これを「幻聴だ」「治すためにお薬を飲みましょう」と診断するのは簡単だけど、それでは何も変わらない。だから、常識や先入観を手放して、相手のいる世界に飛び込んでいくんですね。「神様ってどんな方なんですか?」「どういう時に声が聞こえるんですか?」と根掘り葉掘り聞いて、「あ、いまこの人はこういう世界にいて、こんな気持ちになっているんだな」と理解を深めていきました。

そんな対話を重ねながら、一緒に同行してもらっていたスタッフたちと「これから、どうしたらいいと思う?」と相談しましてね。状況を整理していったら「この神様、一方的に要求ばかり押し付けて、結構ひどくない?」「じゃあ、みんなで神様にお願いをして、命令を取り下げてもらおう!」という話になって、神様への嘆願書を作ったんです。

――嘆願書、ですか?

向谷地:はい。「神様、〇〇さんは、こんなところを頑張っていて、私たちにとって大切な方です」「お願いだから、部屋から出るなという命令を取り下げてください」と書いた紙に、私たちの名前を添えて。事情を話して、関わりのある病院の職員さんや患者さんにも署名してもらいました。

それを本人に見せたら、嬉しそうに笑ったんです。「みんなが署名してくれたの?」「そうだよ、きっと神様もビックリするだろう。これは私たちが責任を持って神様に届けるから」なんてやり取りをしてね。そしたら、数日後にその人が部屋から出られるようになったんです。

相手の世界を否定しないでちゃんと話を聞くと、そんな冗談みたいなことが次々と起こるんですよ。面白いですよね。合理的な説明なんてつけられないけれども、それがたしかに人を動かすんです。

私たちの心を支える「人間的な土台」

【写真】テーブルの上に置かれたむかいやちさんの右手

向谷地:もうひとつ、話をしながら思い出したエピソードを共有させてください。ある司法精神科病棟に入院していた統合失調症を持つ男性との経験です。

司法精神科病棟とは、心神喪失などの状態で重大な事件を起こしてしまった人たちが入院する医療機関です。そこでは、普通の病院より手厚い治療や看護ケア、更生に向けたプログラムを受けられます。

ただ、病を治す上で最高とも言える環境が整っているのに、それでも一向に症状がよくならない人たちが一定数いるんですね。一時期、そういう方々と当事者研究をしていた時に出会いました。

自分の起こした事件について尋ねてみると、その方は「あれは俺のせいじゃない」「妖怪が俺を攻撃してくる」「ガンダムがそいつと戦っているんだ」と言います。何を聞いても事件と関係のないことばかり語る男性に、周りの人たちはどうにかして事実を受け止めさせ、反省を促して再犯防止を約束させようとしていました。

――それが目的の施設ですもんね。

向谷地:そうなんです。私は、その話を「そうだったんですね!」とそのまま受け止めてですね。事件にはまったく触れずに、妖怪とロボットとの戦いがなぜ起きていて、どうしたら終わるかっていう研究を、その方とスタッフが一緒になってはじめたんです。詳しく聞いてみると、ほかの怪獣や秘密警察なんかも登場してきて、その関係性をホワイトボードに書き出して整理したりして。

そして、毎週のように研究ミーティングを続けていくと、だんだんと落ち着きのなかったCさんの様子が穏やかになっていきました。聞くと「妖怪との戦いが終わってきた」とのこと。それからほどなくして、本人から「もう妖怪のことは秘密警察に任せて、俺はこれからの自分のことを考えたいんだ」と言ってきたんです。

そして、当事者研究のグループワークの最後の日。スタッフの前で男性が、「この場にいる皆さんにお伝えしたいことがある」と前置きした上で、「実は、あの事件は妖怪が原因じゃなくて、自分のせいなのかもしれない」と語り出しました。

――なるほど……これもまた、にわかには信じがたい、すごいお話ですね。ご本人の中で、どんな変化があったんでしょうか。

向谷地:おそらく、研究の中での対話を通じて「人間的な土台」が整っていったんだろうなと。

――人間的な土台。

向谷地:それは、自分の存在が押しつぶされてしまうような、認めにくい事実を受け止めるために必要な足場です。人間的な土台は、対話ができる人とのつながり、自分が一人の人間として尊重されているという実感の中で、育まれていきます。罪を問いただしたり、反省を促したりするようなコミュニケーションからは、絶対に立ち上がってこないものです。

私は、今日、紹介させていただいた人たちから、すごく大事なことを教わった気がしています。やっぱり、私たちが喜びを感じながら生きていくためには、「気心の知れた人とつながっている、そういう人たちと触れ合った心が温まる経験があること」が一番大事なんじゃないかと。当事者研究というアプローチは、人間らしいつながりを回復する手段なんだと思います。

「わかり合えない」こと、「わからない」ことは、希望なんだ

【写真】穏やかな表情でインタビューにこたえるむかいやちさん

――ここまでのお話を通して、あらためて対話の難しさや力強さを実感しています。人の話を真摯に聞くとは、「相手の世界に身を置くこと」が不可欠なのですね。分からないからこそ、先入観を排除して、謙虚な姿勢で教えてもらう必要があると。

向谷地:哲学者の鷲田清一さんは「わかり合えないっていうことは駄目なことなんじゃなくて、とても大事なプロセスなんだ」と言っています。私はこの言葉に、とても共感していましてね。だから、昔から「嫌いな人、苦手な人こそ大事にしよう」って意識しているんですよ。

――それはどうしてですか?

向谷地:自分の本当の苦労に気づいたり、成長したりするきっかけには、大抵「わかり合えない苦手な人」の存在があるんです。もちろん、そういう人たちばかりとつながっていたら、人間的な土台は育たないので困ってしまいます。ただ、組織や社会という「場」を単位にして考えるならば、そこが「多様である」ということを大事にしないといけません。その場にいる全員が同じ考え方、同じような存在になってしまったら、それはそれでよくない状態なんです。

――多様性が大事、というのは昨今よく聞く言葉ですね。ただ、やっぱり「嫌な人、苦手な人なんていないほうがいい!」と思ってしまう側面もあるよなと感じます。

向谷地:それはそうですよね。「嫌な人を大事にする」というのは、嫌な相手を無理やり好きになろう……というわけではなくて。まずは「あの人ちょっと嫌だな、苦手だな」という自分の気持ちを大事にしようって話なんです。

その上で、嫌な相手が存在することを否定しない。「その人もどこかで大事にされているし、されなければならない存在だ」と認識すること。「まあ、そういう人もいるよね」と、この世界にともにある事実を認めていくことが、多様性の本質なんだと思っています。

――最後にあらためて質問させてください。不確実性、分からないことだらけの世界で、私たちが健やかに生きていくためには、何を大事にしていけばいいでしょうか?

向谷地:「わからないことの理解を急がない」というのが大切です。そのために、心の中に「研究ボックス」みたいなのを置いて、わからないことをいったん棚に上げておく場所を用意しておきましょう。物理的にノートに書き出しておいたりするのもいいですね。「わからない」というプロセスの中に、とても大事なことがある、そんな気がしています。

今でも、30年、40年の歳月を経て、ようやくわかること、腑に落ちることがありますし、ますますわからなくなることもあります。

私が大事にしている鷲田さんの言葉のひとつに「何かを学ぶとは、何かを失うこと」というフレーズがあります。何かを学んで「わかる」というのは、「今まで信じてきた何かが崩れる」可能性もはらんでいて、それはとても怖いことでもある。だからこそ、「急がない」。焦って無理やりわかろうとすれば、誤解にもつながりますからね。

しかしながら、同時に「わからないこと」は、希望でもあります。「わからなさを知る」ということ自体が、ひとつの希望なんですね。なぜなら、「わからない」の先には、新しい何かが開ける可能性があるからです。歴史を振り返ってみると、近代の社会は「わかる」ことを大事にしすぎて、「わからなさ」と向き合う時間や態度を捨ててきてしまったように感じます。

そして、「わからなさ」を不安ではなく希望として受け止めていくために必要なのが、まさに「人間的な土台」であり、人との関わり合いです。わからないことを「わからない!」と素直に打ち明けて、「じゃあ、一緒に研究しよう!」と腹を割って話せる関係を、まず身近なところから取り戻していけるといいですよね。

未知も不安も、一緒に面白がって「研究」していこう

【写真】左上を見つめて微笑むむかいやちさん

「わからないことは絶望ではなく、希望だ」

(参照元「わからないことは希望なのだ」―新たな文化を切り拓く15人との対話」著編者春原憲一郎)

向谷地さんが昔から今も変わらずに大切にしているというこの考えは、まさに多様な社会で生きていく私たちに必要なものなのだろうと、今回の取材を通じて強く感じました。

自分が見ないようにしてきた、明らかに異質なもの。できれば避けたいもの。もっと言えば、社会全体が遠ざけようとするもの。そういう“わからない”対象にこそ、可能性がある。

だから、理解できなくても、好きにならなくてもいいから、ともにあることを認める。そこから受け取るものを、学びに変えていこうと努める。学ぶことは、それまで信じてきた足場が崩される怖さもある。けれども、その先には今まで見えてなかった大切な何かがあるかもしれない。

「わからない」の先に、何があるかはわからない。わからないからこそ、その可能性をまず信じよう。そういう態度が大切なんだ。そういう覚悟がこの足を一歩前に動かすんだと、教えてもらいました。

世界を変えるなんて大それたことはできないけれど、私は私を変えることができる。まずは私の視点を変えて、私にとっての「希望」を増やしていこうと思います。それが周りにいる人たちにとっての「希望」になるかどうかはわかりませんが、今回学んだ研究思考を使いながら、できる限り「わからない」を面白がっていきます。

厳しい現実にぶつかっても、「わからないんだ」で終わらせない。あなたと一緒に「わからないねえ」と笑って、転がったり絡まったりしながら、その先にある朝の迎え方を語り合っていきたいです。

関連情報:
社会福祉法人 浦河べてるの家 ウェブサイト

これまでにsoarでべてるの家や向谷地生良さんを取材した記事はこちら

「安心して絶望できる人生」は、苦労を受け入れることから始まる。「べてるの家」のべてるまつりで学んだこと

生きづらさを“語る”ことが自分を助ける。べてるの家・向谷地生良さんが考える「苦労の主人公」として自らを語る意味

(編集・撮影/工藤瑞穂、協力/永見陽平)